心の琴線に触れながら共鳴して鳴るのは、月か電線か、
季節は秋より冬に近い、少し丸みを帯びて凍てかかった月、
僭越ながら上五の月帰るが見事に利いていると思う。
暗天を西へ帰る月と、白く光る電線が奏でる幽玄のうつつ、
思考は現実を離れモノクロームの彼方へ、
心は空想の世界に自由に遊ぶことが出来る、
それへ誘う舞台さえあれば、この句はその舞台となる。
郷愁にみちたメルヘンの空間へ心あそばせたい。ふと思う。
谷内六郎がこの句を描いたらどんな絵になるだろうかと……。(K・S)
月帰る触るる電線奏でつつ
これはこの俳句に対しての鑑賞文である。
私の友人で、映画監督の黒沢明が大好きな人がいる。彼はよく黒沢映画のワンシーンをうれしそうな顔をして語ってくれる。それが微にいり細にわたって「この辺が黒沢はすごいんだよ」と強調して解説してくれるのだ。私は「ホ~」と感心して本物の映画を観るのだが、確かに映画も面白いのだが、彼の解説のほうがもっと面白いので「ウ~ム…」と多少不満が残ってしまうほどなのである。これは
この鑑賞文と俳句の関係に似ているのではないかとふと思った。
そしてある俳句の大家が「選句も作品なり」と言ったそうだが、
この鑑賞文もしかり、まさにりっぱな作品ではないだろうか。私はこの鑑賞文に一票を投じたい。
あわれ名鑑賞文に恐れ入ってしまったあの俳句の作者は
issei.kawabataなのなのだ。
季節は秋より冬に近い、少し丸みを帯びて凍てかかった月、
僭越ながら上五の月帰るが見事に利いていると思う。
暗天を西へ帰る月と、白く光る電線が奏でる幽玄のうつつ、
思考は現実を離れモノクロームの彼方へ、
心は空想の世界に自由に遊ぶことが出来る、
それへ誘う舞台さえあれば、この句はその舞台となる。
郷愁にみちたメルヘンの空間へ心あそばせたい。ふと思う。
谷内六郎がこの句を描いたらどんな絵になるだろうかと……。(K・S)
月帰る触るる電線奏でつつ
これはこの俳句に対しての鑑賞文である。
私の友人で、映画監督の黒沢明が大好きな人がいる。彼はよく黒沢映画のワンシーンをうれしそうな顔をして語ってくれる。それが微にいり細にわたって「この辺が黒沢はすごいんだよ」と強調して解説してくれるのだ。私は「ホ~」と感心して本物の映画を観るのだが、確かに映画も面白いのだが、彼の解説のほうがもっと面白いので「ウ~ム…」と多少不満が残ってしまうほどなのである。これは
この鑑賞文と俳句の関係に似ているのではないかとふと思った。
そしてある俳句の大家が「選句も作品なり」と言ったそうだが、
この鑑賞文もしかり、まさにりっぱな作品ではないだろうか。私はこの鑑賞文に一票を投じたい。
あわれ名鑑賞文に恐れ入ってしまったあの俳句の作者は
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