前向きな人生の整理整頓

人生も後半、一日が短いです。明日やると思っても、若者のようには明日はたくさんないのかもと気づいた今日この頃

Duran Duranとすみれ September Love

2017年09月23日 11時37分53秒 | 音楽
あんまりアピールなどしていないので、気が向いた人が
気づいてくれて読んでくれたならばちょっとうれしい・・・
この数日訪問してくださる方がちょっとですが多いのはなぜかと思いきや、
デュラン・デュラン/DURAN DURANの久方ぶりの来日があったのですね。

わぁ・・・参加できた方々幸せですね。
相変わらずかっこいいことで・・・
というか、彼らから感じることは現役感です。

久々に集まって懐かしもうぜって
感じが全然しない。
ずっとDuran Duran
わたしの思っているDuran Duran
最近年を取った感がもう著しくて、寂しくて、悲しくて、せつなくて
やるせなくて・・・苦しくてとあまり晴れやかな言葉はやっぱりでてこないのです。
そんな気持ちでいっばいになったら、どこかで割り切れる瞬間もあります。
しかし、そうもいかない時もあって・・・
これが自分だけの問題ではなく、ずっと見てきた芸能人なんかも、
年取ったねえ・・・としみじみ。悪いことばかりではなくいいことも含めてですよ。

こんなふうに年を重ねDuran Duranてやっぱり彼らは彼らなんだと思えるすごさ。

音楽も出尽くしてしまったのかな、最近の音楽をきいていると、
もう新しくできることがないから、こんなふうにハンドルを切るしかなくなりました。
いかがでしょう?っっと・・・わたしの心にはそれが音痴に響いてくる。
無理して新しい芽を出す必要があるのかはわかりません。
まあ、新しいものを聴こうと思っていないわたしがとやかく言うことではないですね。

言えることは頑張れ若者。続けることですよ。頑張れ。

築き上げた土台があるからDuran DuranはDuran Duranなんですね。
彼らにだってまだ定まらない頃があったはずだもの。
継続することの大切さをわたしはつくづく実感しています。

他の方がどう思うかはわかりませんが、
こうやって集まって活動するときアンディがいないことがわたしには自然です。
Duran Duranはこの四人の状態がわたしには馴染み深い気がします。

九月も終わりが近づいています。
古い雑誌を整理していたら、すみれ September Loveで有名な一風堂の土屋 昌巳さんが
デュラン・デュランとフランスで仕事をした話が載っていました。(昔のことです)
彼らがとてもかわいらしいとか、空港まで見送りに来てくれたとか、
サイモンはベルトがなければその辺にあるひもで代用してしまうような
気取ったところのない男だとか、当時まだ20代だった彼らを
ちょっと年上の先輩ミュージシャンが見た印象が語られていました。
そんなとき、古い雑誌を見ているという気がしないのが不思議な感覚です。

お彼岸ですね。Duran Duranとすみれ September Loveを聴いて秋の日を過ごします。