愚ダメ記、真誤付き、思い津記

日記?趣味?妄想?

9月1日

2021-09-01 | 日記

人の気持ちや物事の捉え方というのは、そして、思いや欲求までが言葉や名前、カレンダー上の日付などによって随分と左右される。8月が終わりカレンダーを捲るだけで、今年の夏が終わったという気分になる。昨春に新型コロナの拡がりを知り、昨夏は何となく一段落ついて落ち着いた気分で居たように思う。コロナ一年後の春が「今年こそ、コロナとサヨナラできる年になる」という期待を膨らませる春だったことを思うと、この夏は「最悪まだ数年は、コロナとのさまざまな付き合い方を強いられてしまうのだろうな」と思い知らされる夏になったような気がする。

 9月1日といえば、毎年防災の日として「防災」や「災害」に関係するニュースや報道番組が組まれて来た。今年も少しは「防災番組」が流れていたが、今回の9月1日はそもそも「パンデミック感染症という災害の真っただ中」である。朝から晩まで、ニュースと言うニュース、ほとんどの報道番組で「コロナという災害」の話が繰り返されていた。小中学校では新学期が始まるし、東京パラリンピックの真っ最中に連日数千人の新規感染者の発表、「病院での診察・治療を受けられないままの自宅療養死」などの医療崩壊に近い状況が伝え続けられている。

 今年の「防災の日」、この「災害級の感染状況」に画期的な変化を期待できるような政策の発表は無かった。もはや「慢性病化」したコロナ禍、今後確実に悪化が予想される「地球温暖化による気象変動」という基礎疾患を抱えての回復が図れるだろうか。さらに、「アフガン問題」に表れたように、混沌化しつつある世界の政治状況が重い合併症の併発に拍車を掛けるだろうか。どんよりとした夏が過ぎて行ったことを実感した9月1日、今年もカレンダーは捲られたが「気分」は変わっていない。