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聖火リレー開始

2021-03-25 | 日記

東京オリンピックの聖火リレーが今日始まった。東京オリンピックをどう開催するか、開催するかどうかが最終的に決定していない中での、聖火リレー出発だ。おそらくオリンピックの歴史で初めてのことで、今後もまず起きないことだろう。国内世論調査では、開催延期と開催中止合わせて6割が予定通りの開催に反対となっている。ただ、これ以上開催延期ができないという条件の調査ではない。延期という意見は「いずれにしろ東京でのオリンピックを望む」声だと受け取れば、何とかして東京でのオリンピック開催を望む声が6割となる。

 ここまでの流れを見ていると、どうやらIOCの中に「開催か中止か、再延期はない」との声があるのではないか。そうなれば、今は東京でのオリンピックの開催か中止かの選択しか残ってないことになる。日本のオリンピック委員会はそう判断しての聖火リレー開始を決断したのだろう。いずれにしろ、聖火リレー開始が決断された以上、国内マスコミなどはもはや「延期して・・」の選択肢を入れた世論調査結果を云々する場面ではない。調査するなら「中止か、何とかしてやるか」の2つで問うべきだろう。「コロナ感染対策は十分に行ったうえで」は、全ての前提条件となる。

 ランナーへの条件設定が変わりスケジュールが合わないとか観衆の密を避けるとか、様々な理由で有名人の聖火ランナー辞退が相次いでいるとのことだが、もはや有名人が聖火を運ぶことの重要性は薄れた。むしろ淡々と聖火を受け継いで走ることが、「聖火リレーを最後まで続けるか」、「続ければオリンピック開催につながるか」だけを問い続けることになる。自分としては、ギリシャで採火されたオリンピック運動の象徴が最後までリレーし続けられることを願う。その聖火のリレーを見る人々の気持ちがオリンピック開催に向けてまとまるれば、困難の中でも何とか開催する意義が出て来るし、まとまらなければ開催実現の可能性は消えていく。つまりこの聖火リレーはオリンピック開催の意義と開催への勇気を問いかけるリレーになる。全国を回る聖火は、見る人々にオリンピック運動の意義を問いかけ、もちろん世界の国々もそこを注視する。各国の選手団派遣も日本の状況が固まらなければ決断できるはずがない。

 世界が異例な状況にあるこの時だからこそ、できることならどんな形であれオリンピックが開催して欲しい。第一回オリンピックは参加14ヶ国、選手は280人だったという。そこに戻っても、商業的成功よりオリンピック運動を続ける意義の方を採る決断が欲しい。もしコロナ感染状況が非常に悪くなり開催を断念せざるを得なくなっても、ギリシャから伝えてきた聖火だけはスポーツの祭典による平和追及(オリンピック運動)の象徴として、予定期間中ずっと国立競技場に灯し続けて欲しい。参加予定国の国旗が並ぶ中で聖火を掲げ、予定通りのエキジビションも行い、本来のオリンピックの意義に沿って人類の平和と統合を考え、問い続ける期間となる。もちろん、期間の最後にはその平和への願いと理想を次のオリンピック開催都市へとバトンを渡す。かつて戦争でオリンピックを止めた国民の一人として、今はオリンピックを続けて行くための知恵と情熱を発揮したいと願う。