愚ダメ記、真誤付き、思い津記

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土筆(つくし)

2021-03-12 | 日記

3月半ば、土筆(ツクシ)が出る時期になった。今年は2・3月が暖かいのでツクシもいつもより早いとは思っていたが、いつもの場所に行って見るとすでに多くのツクシが生えていた。長く伸びて傘(頭?)が開き、胞子を飛ばしてしまったものも多い。程度の良さそうなのを選んで摘みながら2・3か所を廻り、一袋集めたところで満足して帰って来た。子供の頃、ツクシが出る時期になると、あちこちと目ぼしい場所を巡り、数は少なくても摘んで帰って母親に料理してもらうのが春の楽しみだった。

 以来、ツクシを口にすることも無くなっていたが、もう随分前に、たまたま車で通りかかった道端にツクシを見つけて、再び春のツクシ摘みが習慣になった。年を経てツクシを探す場所は少しずつ変わっているが、この辺りでは例年3月の20日前後、雨の後の晴れた日がツクシを見つける好機である。今年はかなり早いのでは、と3月初旬から気にしていたが、案の定10日前に出始めた。

 一袋ほども集めると、その後の袴取りに時間が掛かる。何十本ものツクシの袴を取り終える頃には、その胞子で指や爪が緑に染まってしまうが、それも「今年も春が近づいた」という懐かしさを感じさせてくれる。水で良く洗い、一旦茹でた後、数日に分けて少しずつ玉子とじにして味わう。人によっては苦いと嫌がられるが、自分としては子供の頃から親しんできたその苦みこそがツクシの美味さだと思っている。

 子供の頃には、近所の子たちと競い、学校の砂場を掘って地上に出る前のツクシまで採ったものだ。地下茎につながる小さなツクシは袴ばかりで、袴取りに苦労したことを思い出す。あれほど皆で競って採ったツクシだが、今ではツクシを摘む人を見掛けなくなった。春の一時、八百屋の店先に並ぶこともあったツクシも、今は忘れられてしまったようだ。

 そう言えば、菜の花や蕨などはまだ季節の食材として売られているのを見掛けるが、すまし汁に沈む苦いフキノトウも何年も口にしていない。やはり苦みの強いものは好まれないのだろうか? あの苦みは冬から春へと移り変わる兆しを気付かせてくれるような味だ、と自分には思えるのだが。今や、店では一年中同じ野菜が売られている時代だが、季節に一つくらいはその時期だけの物を自然の中に見つけて、季節を味わいたいと思う。