愚ダメ記、真誤付き、思い津記

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平成の三四郎

2021-03-29 | 日記

先日急逝した古賀稔彦氏の葬儀が行われたとのニュース、平成の三四郎と呼ばれた雄姿と謙虚で外連味の無い朗らかな表情が思い出された。「平成の三四郎」という異名は柔道家をモデルにした昭和の長編小説「姿三四郎」に由来し、小柄な体で大きな技・一本背負いを繰り出すところから名付けられたのだと思う。体重性の階級がなく無差別級で行われた全日本選手権で、自分より大きな選手を倒して決勝に勝ち上がった姿には、姿三四郎に重なるイメージがあった。

 さすがに20kgの体重差があった小川選手には敗れて二位の成績だったが、対戦が予想された以上、その20kg思い選手を背負い投げで投げる練習を重ねていたに違いない。有名なバルセロナオリンピックでの膝を負傷しての一本背負い、背中に釣り上げた相手選手が技を逃れようと足を振り負荷を掛けるのをものともせず、一気に腰を折り畳んで背負い投げを完成させた体幹の筋力は、体の思い相手を投げ続けて来た古賀選手ならではのものだったと感じる。

 本来なら東京五輪で昨年見られるはずだったコーチとしての古賀選手の姿が、もう見られないことも寂しい。指導者として若い選手達を見る眼差しには、柔道と後輩に対する愛情が溢れていたから。仲が良かったという小川選手を交えて「畳の上(柔道場?)で死にたい」と笑って語るシーンがある番組で流れたが、本当に柔道が好きでたまらないという人間がそこに居た。不振が続いた柔道界を背負い、さらに日本選手団の主将として乗り込んだバルセロナで膝を負傷し、様々なプレッシャーの上に怪我との闘いを克服して勝ち取った金メダルは、今も多くの人々にとって忘れられないオリンピックシーンの一つとなった。

 バルセロナから長い年月が経ち、古賀選手の闘いも伝説となった感がある。古賀選手の生の姿を見られなくなって、古賀選手の闘いや業績が精神論の象徴のように使われないことを願う。古賀選手の魅力は何よりもその人間性にあり、柔道を愛して打ち込んだ人間が放つ素晴らしい「人間臭さ」にあると感じるのだ。