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ねがうこと、ゆだねること

MOT [宇宙x芸術]ーコスモロジーを超えて

2014-06-20 | art
MOTで「ミッション[宇宙x芸術]ーコスモロジーを超えて」という
夏休みも睨んだ企画展が開催中。8/31まで。

宇宙自体を表現することの困難さというかつまらなさにすぐ直面す
る。巨大すぎるものはそんなにアートの対象としても面白くないの
かもしれない。

地球全体や宇宙全体そのものは描いたことになった感じがないし、
モナリザの女性一人に勝てないのかもしれない。一人一人が宇宙に
浮かぶ、宇宙的存在でもあるわけだし。

宇宙へ行くとか住むといった夢はとうに冷めてしまった。ちょっと
行くだけでも、膨大なエネルギーが必要でだからね。そういったア
ニメや映画をみても、勿体ないって思いだしたら、もう興味が薄れた。

アーティストはどう取り組んだんだろう。



NASAのアポロ計画での写真は懐しかった。プリントで見るのもあま
り無いことだ。カメラは静止用も動画用もハッセルブラッドの独壇場
だったことを思い起こさせた。記事ならここなど参照。


写真は会場のものとは別。こちらから。

気になった作品は無重力、重力を利用したもの。無重力という場での
遊びの様なアートは、やってみたいなぁと思う。



美術家の逢坂卓郎さんの作品で、サッカーボール大くらいの光る物体
を宇宙船でそっと手でクルクル回したことによってできた光の軌跡
地球上では動力エネルギーがないと実現できないことやね。


写真はこちらから。

名和晃平さんが近年取り組んではる、重力によってペイントが落ちて
ゆく作品や、重力によって形づくられるオブジェもある。無重力の存
在、重力の存在。普段意識していない力がかかっている。

星の光も昼夜、地球に降り注いでいる。昼間は見えないだけで。谷川
俊太郎さんの「20億光年の孤独」を表示する電光掲示板がある。宇宙
芸術の代表作なのかも。5月5日ライブの時、松本雅隆さんのリクエス
トで俊太郎さんが朗読してくださったのを思い出す。

スライドライブ[写真家 山谷佑介 ×アートコレクター 宮津大輔] 

2014-06-19 | photo
OPEN SHOW TOKYOを開催したんだけど、今回もかなり
面白かった。写真家 山谷佑介さんをお招きして、サラリー
マン・現代アートコレクター 宮津大輔さんに対談役をお願
いしたんだけど、ぶっちゃけトーク満載でw

山谷さんは素をどんどんさらすタイプ。お姉さんがいる、弟
タイプの典型だって思ったけど、写真家としてのスタイルを
生みだす資質の一つって思う。

かたや宮津さんが、年齢的にも上ってこともあるけど、兄
貴のようなつっこみと、まとめ方で濃いライブになる。



彼の写真家としての立ち位置は簡潔には言えないけど、フ
ランスのシュルリアリズムやドイツ表現主義がベースとか。

東松照明さんとの出会いによってストレート写真に目覚め、
70年代に活躍した日本の写真家へのリスペクトをもちつつ、
アンダーグランド・コミニティを撮りたい・・といったら
乱暴すぎか。



2冊の写真集や数冊になったZINEの写真をスライドで見せて
たけど、ZINEもいい。1冊目の"Tsu gi no yoru e”のことは
ここに書いたけど、2冊目"ground "ほんといいなぁ、独創
性にあふれてて。




彼が遊んでいるライブ、クラブ、アングラカルチャーの香り
というか臭いがいい。それは今回紹介しはったZINEにも溢
れてる;

2011年~2013年の間にタイ・バンコクで撮ったパンクカル
チャー をまとめたZINE『yumemiru koro-wo sugitemo』。
日本のパンクがおっさんなのに、バンコクは若くでエネル
ギッシュだそうだ。パンクカルチャーの洗礼が最近だから。



欧米のパンクス、アナーキスト、アーティストにとって生活
スタイルとなっているスクワット、というカルチャーのこと
も教わる。

ロンドンに撮りに行ったけど、ロンドンオリンピックの影響
で一掃されてて(東京もつまんなくなることもあるかもね)、
ミラノで滞在できたそうだ。それをまとめたのが『goin'home』



会場にお客として参加くださった、キュレイターの荻野章太
さん
、今回の開催に尽力下さったYUKA TSURUNO GALLERY
鶴野ゆかさんへも宮津さんがマイクを向けたら、簡潔に答え
て下さり、対談が立体的になる。

おかげで、2013年6月にNADiff a/p/a/r/t 、2014年2月にPOST、
YUKA TSURUNO GALLERYで立て続けに個展が開催した経緯も
ちょっとわかる。

写真評論家、写真家、写真好き、山谷さんの新妻、仲間など多士
済々が参加。二次会も盛り上がる。

伊藤裕之・写真集『One Cat, Three Lives』

2014-06-18 | photo
20年ぶりに帰国した伊藤裕之さんの写真展を見たことはここに
書いたけど、新しい写真集『One Cat, Three Lives』をこの4月に
上梓。意訳すると「猫と彼女とボクと」って感じか。これまた
New York Timesに1年前に発表。凄いなぁ。写真はそこから。

ニューヨーク市立大学へ留学中、ガールフレンドが猫を連れて
きた時から、別れの日までのこと。もっぱら彼女と猫のこと。
所々に文章があるから、なにを考えていたかがちょっとわかる。



家飼いだから、ほとんどがアパートメントの中のプライベート
写真。ほとんど彼が撮ってるけど、彼女が撮ったのもある。青
春私小説のような写真集。そんなとこまで見せていいの?って
ドキドキする。

しかも、別れるし、彼女は東京へ戻って結婚する。こういう写
真を発表することに、よく元カノがOKしたなぁ、と思う。本名
だって、公開されてるし、旧姓やけど。彼女はアーティスト一
家やから夫一家もアーティストで理解があるのかも。



1995年に猫を飼い始めてから、2012年に亡くなるまで。2011
年に父親の葬式で20年ぶりに日本に戻り、ニューヨークに帰った
のが5ヶ月後。再会すると、体重が半分になってエサもろくに食べ
れなくなってる。



彼以上に猫が寂しくて病になる。胸をうつ。

「夢を追いかけて」若い聾者の写真展

2014-06-17 | photo
新宿ニコンサロンで「夢を追いかけて」と題して、若い聾者を
撮った写真展が開催中なだけど、まず彼らの明るさに驚く。

卒業アルバムかオーディション用って感じ。撮り方・プリントも
いいんだろうけど、しっかりこちらを見る視線が強いせいもある。
横顔の人の写真が3枚ほどあるけど(それは彼らが望んだそうだ)
そんな明るさを感じない。



在廊中だった写真家・高田啓一さん(65)にお聞きすると、読唇
術を働かせるから、「ほら、撮りますよ」と言って撮る瞬間は皆さ
ん私に注視されますね、というお話だった。



でもキャプションに書かれたアンケートは暗い、というか切々たる
ものが多い。

「全く情報保障がなく大学の講義の内容が分からなかった」
「入学前に〈情報保障を付ける〉と約束されたのになかった」
「情報保障がないため講義の内容が分からず、毎晩泣いていた」

情報保障という聞きなれない言葉が、どの人の写真にもある。
聴覚障害者に対するコミュニケーション支援のことで、手話、
FMマイク、ノートテイク、といった方法のことと教わる。

アルバイトや就活では、門前払いも多いし、採用されても配慮し
てくれない職場も多いとか。障害者年金がでるから、それじゃ働
かないでいいや、っていう生徒がでないように、仕事の意味を伝
えたかったそうだ。



写真家の高田啓一さんは長年聾学校の教師を務めた方で、2008
年から12年にかけ、余暇や退職後の時間を利用し、18都府県の
聴覚障害者の学生79人を訪ねる。

先生の権威はあまり効かず、先輩や知り合いの紹介というツテが
ないと撮らしてくれないそうだ。



彼らの要望として多かったことのひとつに、邦画の字幕化がある。
洋画は字幕文化が浸透しているのが、聾者には幸いに働いていた
んだね。

電話は聞き取れないから困った機器だったそうだけど、スマホ等
の浸透でメールや文字情報が増えたことは、少しは過ごしうやす
くなったかも。

聾者への理解や支援は少しは進んでるようだけど、まだまだ昔と
変わらない面が多いそうだ。6/23まで。

阿佐ヶ谷・老舗和菓子屋「鉢の木」

2014-06-16 | 
父の日の贈り物に、阿佐ヶ谷・和菓子屋さん「鉢の木」の品物が
いいんじゃないかと思いつく。嫁さんもボクも家族で阿佐ヶ谷に
住んでたことがあった。(まだ僕たちが出会う前、たまたま)

なので阿佐ヶ谷の和菓子は懐かしいかも、って思ったのね。「鉢
の木」が立川伊勢丹で催事出店を行ってて、久しぶりに食べた。

新作の和菓子[ASAGAYA NO NAMIKI]も美味かったけど、あん
みつが絶品。こだわりの伊豆の寒天がかなりいい。あんみつは2
日しかもたないから、[ASAGAYA NO NAMIKI]と冷やして食べ
る夏菓子を贈る。



自宅用にまたあんみつを頼むと、奥さんが氷で冷やす昔の冷蔵庫か
ら取り出しはる。無くなったご主人がどこからか見つけてきたもの
だそうだ。冷やすところもこだわってますね、と伝えると、冷蔵庫
との差はないと思いますよ、と笑う。



昭和26年に阿佐ヶ谷で露天商として創業した老舗。おつかいもの、
というよりご自宅で食べる用に買っていくお客が引きも切らない。
阿佐ヶ谷駅を降りて、パールセンター街に向かうと、入り口にある。



店名は「鉢木」という能の一曲からとったそうだ。貧しい武士が、
大事にしていた鉢植えの木を切って焚き、精一杯のもてなしをす
る物語。wikiより

久しぶりに阿佐ヶ谷で降りたら、駅ナカとかできてて、ちょっと
変わっていたけど、変わらぬ老舗もちらほら、残っている。

W杯・日本初戦・敗戦

2014-06-15 | その他
ワールドカップ初戦、コートジボアールとの試合で、本田選手のゴー
ルを除けば、いいところなく2-1で敗戦。初戦の敗退で一気にワー
ルドカップを見る気力が後退。

割が合わない、て感じもする。予選を勝ち抜き、国際親善試合を通じ
た4年間の応援が、初戦で砕かれる。



前回大会は初戦に1-0で勝ったこと、そして勝つ戦術に(たとえ急
ごしらえでも)心酔できたまま、決勝トーナメントまで応援できた充
溢感があった。

4年前のブログを読み返すと「前回大会のような不完全燃焼とは違っ
て誇りのような満足感があるのが気持ちいい。」とある。8年前の
「不完全燃焼」な感じに逆戻りだ。

日本サッカーは進化している、と言われることが多いが、他国も進化し
ているとすれば、それ以上進化しないと、世界との距離は追いつけない。



負けたのは残念。勝負だから勝ち負けはつく(引き分けもあるけど)。
でも負けても、昨夏ブラジルで開催されたコンフェデレーションズカッ
プの様に日本代表の存在感を示せれば、まだ納得感がある。

昨年11月ベルギーに、アウェイで勝ったのは幻か。その当時「創造性の
ある日本が赤い悪魔を痛めつけた」「これぞバルセロナのフットボール」
と現地メディアに言わしめたチームはとは別人。なぜだろう?戻るのだ
ろうか?



コートジボアールは個の力、経験で日本の上なのに、準備、組織力、戦
術力も上回った感じ。FIFAデータでいくと、支配率は日本42%はありと
しても、シュート数が違う。前半4(枠内3)-10(4)。後半にいた
っては3(1)-9(5)。ほんとシュートが少なかった。

本田が3本のシュートを放ち1ゴール。岡崎、香川、大迫は0本だった。
理由はともかくFWがシュートできなければ、ゲームを支配できない。
公式ハイライト動画はこちら


サッカーW杯開幕と西村PK判定

2014-06-14 | その他
ちょっと忙しくって、ブログが遅れがち。それでもサッカーは
しっかり見てるのでw,途中日を飛ばして、サッカーのことを
書いておくね。数日後だと、気の抜けたビールになってしまう。

W杯初戦のブラジル対クロアチアも見たんだけど、西村雄一主
審の判定が世界で話題になってるね。1-1で拮抗していた後
半26分、クロアチアは反則でPKを西村主審にとられる。



ブラジルFWフレッジ選手がクロアチアのDFデヤン・ロヴレン
選手に倒されたプレーにPKの判定をしたのね。ロヴレン選手に
イエローカードを提示した西村主審は、クロアチアの選手たち
に詰め寄られ猛抗議を受ける。


この動画がいつまで見れるかは心もとないけど。

至宝(とかスーパースターとか、呼称がうなぎ登り!)ネイマー
ル選手が決めて、2-1と逆転し、流れが決定的になる。試合後
も西村審判に対して、クロアチア代表監督を中心に猛烈な批判が
展開されているのはご存知かも。

日本人が開幕戦で主審を務めるっていうのには、ちょっと誇らし
い気持ちにもなったし、こうして批判をいろいろ浴びると、ちょ
っと考えてしまう。



これに対して、穏健だけど本質をついた談話を読む。1988年フ
ランス大会(もうそんな昔かぁ)の2試合で笛を吹いたタイのピ
ロム・アンプラサート元主審は、PKの判定は決しておかしなも
のではなかったとGOALタイ版に語っている;

PKに関しては、彼にはあれを取る権利があった。ルールは
明確であり、規則通りに与えられたPKだ。エリア内で相手の
ボールキープを妨害すれば、接触が激しかろうと軽かろうと
PKを取ることができる。あとは審判の裁量次第だ。

審判の裁量権の範囲。サッカーほど審判の裁量が大きいスポー
ツはないのでは。1点とかせいぜい2~3点しか入らないのに、
主審の裁量で1点を与えることができる。

サッカーほどホームが有利なスポーツがないのも、主審の裁量
が大きいことに起因すると言われている。ホームが有利なのは、
サポーターの応援や選手が自宅から通えるとか、あまり影響し
ない。

その条件なら、他のスポーツでも同じだからね。審判員は意識
的か無意識的にかは知らないけど、身の保全というか、保身を
ちょっとだけはかって、ホームチームに有利な判定をすること
がときたま(もしくは、まま)ある。



この試合、逆のケースを考えてみればいいかも。もし西村主審が
クロアチアに有利なPKの判定をしたと。命の危険とまでは言わな
いけど、滞在中ろくろく散歩や外食だって、いやホテルの中だっ
て、安らかには過ごせないかも。嫌がらせだってありそうだし。

それが、いまの西村さんは、褒めらることがあるかどうかはわ
かんないけど、少なくとも快適なブラジルライフを送ることが
できているに違いない。勝手な妄想だけどw

桜と梅は親戚?

2014-06-13 | 農・生物
さくらんぼの季節。梅干しおにぎりの後で、さくらん
ぼをデザートで食べてると種が、小梅干しの種に似て
るって嫁さんが言う。言われてみると、確かに大きさ
も形が似てる。


この写真は、「小さな星の会」というブログから。

もしかしたら、親戚やないの?植物分類上は。って思い
つく。花の感じもなんとなく似てるし。検索してみる
と「福梅本舗」っていう和歌山の梅干し屋さんが、わ
かりやすい種の分類図で説明してはる。



桜も梅も、バラ科サクラ属で一緒やん。あてづっぽう
でもあたると、ちょいと嬉しいw梅にはスモモと杏が
とても近く、桃も親戚だってわかる。

奈良時代は花といえば梅だったのが、江戸時代には桜
人気にすっかり逆転して、花といえば桜。好みの変遷
はあれど、そもそも似たようなもの。



ALL Aboutのサイトでは三浦 康子さんって方が「「桜・
桃・梅」の違いがわかりますか?」と題して3つの花の
写真を載せてはる。桜はなんとなくわかるけど、梅と
桃の違いは、わからないねぇ(答えは、彼女にならっ
て、一番下に)。

春に楽しんだ花が、実も楽しめるんだから、なんか豊か
な気分。

写真の答えは、左側より、桃/桜/梅だとか。

ニックレン・日本初個展「辺境の生命」

2014-06-12 | photo
コニカミノルタプラザで昨日書いた、高砂淳二さんの「ASTRA」展の
隣では、日本初となるそうだけど、ポール・ニックレンさんの「辺境
の生命」展
を開催している。同じく6/26まで。

野生動物や自然環境をテーマとするフォトジャーナリストで、その分
野での第一人者。カナダ人。大学卒業後は野生動物の生物学者として
働き始めたんだけど、データを取って発表するばかりの日々に、疑問
を感じるようになり、生物学者の仕事を辞めたらしい。



学者向けよりも、一般の人に伝えたいって思ったんだろう。ネイチャー
・フォトジャーナリストとして、活躍を始める。たくさんのテーマのな
かからピックアップしてあり濃密度が高かったけど、文章を読まないと
理解が深くならないなぁと思う。

「ナショナル ジオグラフィック」誌に16 本の特集を寄稿しはったんだ
けど、そのうちの2本の掲載誌が置いてあったのね。それを読まないと
写真だけでは彼のメッセージは伝わらない。



皇帝ペンギンは氷上ではおちおち歩いてるけど、水中では素晴らしい泳
ぎをするってことは、水族館でもお馴染みかも。それが海中から氷の上
に飛び上がる時には、2メートル近くもジャンプするとか。

飛べない鳥のペンギンが、空中で飛べる鍵を握るのは「泡」。研究者出
身のポール・ニックレンさんらしく、研究者とさまざま検証を重ねて謎
に迫っていって面白い。



もうひとつ面白かったのが、カナダ西海岸に面した森に、白い毛に覆わ
れたクロクマがいるとか。普通、黒色のクロクマが劣性遺伝により、白
い体毛の個体が生まれることがまれにあるそうだ。

先住民はその希少さ・神秘さから、白いクマを恐れ敬い、「スピリット・
ベア(精霊のクマ)」と呼ぶ。仲間内でさえ秘密。おかげで、毛皮商人が
クロクマを大量に狩っていた時代でも、この白いクマの存在に気づくこと
はなく、生態が守られたそうだ。


どちらの特集も表紙を飾ってるのは凄い

やっぱり、ナショジオも英語版を眺めるのも悪くないけど、やっぱり日本
版を読もうって思う。英語は気合を入れないとわからないからね。写真は
ポール・ニックレンさんの素晴らしいサイトから。

伊藤裕之・写真集『One Cat, Three Lives』

2014-06-11 | photo
20年ぶりに帰国した伊藤裕之さんの写真展を見たことはここに
書いたけど、新しい写真集『One Cat, Three Lives』をこの4月に
上梓。意訳すると「猫と彼女とボクと」って感じか。これまた
New York Timesに1年前に発表。凄いなぁ。写真はそこから。

ニューヨーク市立大学へ留学中、ガールフレンドが猫を連れて
きた時から、別れの日までのこと。もっぱら彼女と猫のこと。
所々に文章があるから、なにを考えていたかがちょっとわかる。



家飼いだから、ほとんどがアパートメントの中のプライベート
写真。ほとんど彼が撮ってるけど、彼女が撮ったのもある。青
春私小説のような写真集。そんなとこまで見せていいの?って
ドキドキする。

しかも、別れるし、彼女は東京へ戻って結婚する。こういう写
真を発表することに、よく元カノがOKしたなぁ、と思う。本名
だって、公開されてるし、旧姓やけど。彼女はアーティスト一
家やから夫一家もアーティストで理解があるのかも。



1995年に猫を飼い始めてから、2012年に亡くなるまで。2011
年に父親の葬式で20年ぶりに日本に戻り、ニューヨークに帰った
のが5ヶ月後。再会すると、体重が半分になってエサもろくに食べ
れなくなってる。



彼以上に猫が寂しくて病になる。胸をうつ。