やまねこマッサージ

ねがうこと、ゆだねること

水俣病の裁判と再生

2012-10-31 | 環境
石川武志さんの「水俣ノート」の写真展を後にして、ご紹介
いただいたのが、渡邉 桐子さん。アニメ監督の杉井ギサブロー
組のプロデュースを長年てがけられ、この夏も新作「グスコー
ブドリの伝記」を公開されたばかり。



お話の途中で「私が自慢できるのは、水俣病の支援に関わった
こと」っておっしゃられたので、腰が浮いた。「水俣ノート」の
写真展を見てきたところなんです、と話が咲く。

これは偶然をこえたできこと認定やね。なんでも水俣病患者の
支援をしようと、なにもできることが無いと、仕事のかたわら
針灸マッサージの資格を5年掛けて取得し、患者のマッサージを
行ったそうだ。

多くの患者とのつきあいがあったために、裁判では原告の証人として
出廷したそうだ(1971)。水俣病患者と長年つきあって来た方2人に、
同じ日に会うなんて。



『地元学をはじめよう (岩波ジュニア新書)』という名著を思い出す。
著者の吉本哲郎さんは、水俣市の元職員。水俣病の混乱のきわみ
にあった水俣市を1991年から変えていく動きに加わったかた。



その中から、「地元学」といまでは呼ばれる、町の再生のために
地元にあるものを探し、調べ、地図に描き、新しく組み合わせ
元気を つくっていく考え方であり、手法だ。→吉本さんの
レジュメがこちらにある

水俣病を隠すのではなく、それをどう克服していくのか、環境都市
宣言をだし、日本の環境首都コンテストで2年連続一位を獲得。
その新しく地道な方法はとても新鮮だ。


水俣市、環境創造みなまた実行委員会制作

石川 武志さんの 「水俣ノート1971~2012」

2012-10-30 | photo
今週はたてこんで、ブログが書けなくなる。
これから思い出しながら、追いつかなくっちゃ。

銀座ニコンサロンで写真家・石川 武志さんの
「水俣ノート1971~2012」を見にいく。
1970年初期と現在の水俣病を撮った写真だ。

戦後を代表する写真家ユージン・スミスとの偶然とは
思えない様な出来事の連続からアシスタントになり、
水俣へ行く。

新婚時代のスミスさん夫妻と同じ部屋で寝ることに
なったり、スミスさんからフィルムを渡され、写真を
とることで水俣と自分と向き合いなさいといわれたこと
などなど写真とエピソードで綴られた写真展。



ユージンさんの視点と似た写真、違う写真。
彼に撮れなかった、彼の写真。あちこちに
落書きするのが好きだと言う言葉の断片の写真。


Love is the perfect four letter word.

石川さんは在廊中で、写真家のご紹介で電話でも
話していたので、いろいろ話をしてくださった。

「水俣病は事故ではなく、事件だ」と言い切る。
人々や組織が被害を拡大・継続しつづけている。

水俣市の城下企業として、先延ばしにしたり、
事実をもみ消した企業、そしていつまでも裁判での
決着をはかろうと謝ろうとしなかった政府、チッソに
やとわれたヤクザ、そして水俣産とわかると買いたたく
小売り、消費者。水俣出身とわかると婚約解消する世間。

ヒトの醜い側面がここにはある。今回のフクシマの
原発事故でも同じコトがおきつつあるのかもしれない。
たいした放射能でないなら、さっさと避難地域なんて解除
して再建を始めた方がいいって思う。



忘却してしまうと思えば、いつまでも水俣を特別視し差別する
世間。水俣の人達で水俣を離れない人達のことを考えたい。

山口由美さんが今年の小学館ノンフィクション大賞を受賞した
『R130‐#34 封印された写真─ユージン・スミスの「水俣」』は
石川武志さんの視点から、スミスさんの「水俣」にアプローチ
している。近々小学館から発刊されるそうで、読んでみたい

また本個展に関する写真集もすばらしい。たくさんの写真に
記録となる文章も豊富。写真展は11/6まで。

リングノートの解体

2012-10-29 | その他
紙の手帳を使わなくなって久しい。
googleカレンダーを使うようになったから。
PCからiPhoneまで連動しているし、昔の
ことも検索もできるし。

でもノートは手放せない。いろんなアプリも
試してみたんだけどね。書くって行為に、
整理したり、考えがうまれたりするって
思っているから。



そうやって長年書いたノートに昔の手帳が段ボール
いっぱいに仕舞ってある。ほとんど見ることがない
くせに、なんか捨て難い。

でも数年たっても見ないモノは、これからも見ない
から捨てようってこの週末決めたのね。

なので解体してゴミの分別をし始める。ノートは
リングタイプが殆ど。これは会議テーブルや電車の
なかといった限られたスペースで、半分に畳めるから。



これが手こずる。リングは針金だから、全部の穴を
逆に通していけば解体できるんだけど、えらく大変で
いつになったら終わるか絶望的になる。

それではと、紙がリングに残るのは諦めて、カッターで
紙を切り離す作戦にでたり・・と、そうこうしていると
ペンチを使ってリングが簡単にほぐれる無印良品の
リングノートに出会った。

たまたまなんだけど、エッジのリングをほどいた後は、
リングを引っ張ると、簡単にリングがなくなっていく
ではないの!

コクヨやマルマンも容易だ。etranger di costaricainの
はちょっと手強いけど、なんなくできる。それより
手こずるのは外国製のノート。



PAPYRUSっていうリングノートはシンプルだけに、
どうにも外れない。しかも気に入ってたから5冊もある・・
調べてみればスペインの製紙メーカー、ユニパペル社製
だとわかる。

解体するときになって、メーカーのことがわかるって
いうのも面白い話。



2時間くらい取り組んでたら、熱くなってきて
1枚上着を脱いだ。リングは針金の様になり、
集めると、ちょっとアートしてる感じになった。

中里和人さん「太古の光 〈Tunnel〉」

2012-10-28 | photo
OPEN SHOW TOKYOの続き。3人目の中里和人さんの
発表テーマは「限界的に暗い暗闇夜景と素堀トンネルの
世界」だったんだけど、素堀トンネルの話を書こうと思う。

妻有、大地の芸術祭で撮影された紹介ビデオ;


越後妻有地域(新潟県)と房総半島(千葉県)には、
たくさんの素堀トンネルがあるそうで、江戸時代から
掘られてきたらしい。



しかも、日本ひろしといえども、この2箇所にしか
ないと聞いて驚く。

地理が大好きな中里さんによれば、どちらも柔らかい
地層が走り、山間部の蛇行する川に少しでも耕地を
作り、農作物などの運搬するために掘られたらしい。


人工と自然が混沌とゆらめく風景の境界のような景色

光を体感する装置だそうだ。時間帯によって、光の
量と質が変化していく。。真夜中にもいくそうだが
宇宙遊泳をしているような感覚にもなるそうだ。

僧侶の修行として今でもこういったトンネルを
使うそうだ。



現代の技術で作られたトンネルではそういう
体験はしにくそうだ。江戸時代に手や道具で掘られ、
農業などで日用されてきた時間が非日常の感覚を
よびおこすのかもしれない。

中里さんのサイトはこちら。写真はタムロンのこちら
から。

北野謙さん・北京アート界の活況

2012-10-27 | photo
昨日に続いて5回目のOPEN SHOW
TOKYO
のコト。2人目の北野謙さんによる
中国、とくに北京での滞在制作と発表に
ついても面白かった。

北京の三影堂撮影芸術中心を主宰している
ロンロン&インリたちとの出会いによって、
大きなプリントの制作と展示会を実現していく。
2010年、北京には3ヶ月滞在したそうだ。
シンポジウムの様子はこちらなど。

《我們的面孔》北野謙攝影展の紹介記事より

三影堂撮影芸術中心はここここで触れたけど、
たぶん中国いやアジアを代表する写真集団で
あり拠点ではないか。



北野さんの話のなかで感じたことをまとめると;

1,北京で発表すること/成功することが世界に繋がる
   キュレイター、ギャラリストが世界から集まる

2,国家の後押し
   アートによる中国発進/理解がプラスであることの認識

3,芸術家が(写真家も)尊敬される風土

4, プロジェクトを成功させようとする気運

中国を批判しようが差別意識をもとうが何しようが
勝手だけど、写真家にとっていい環境、少なくとも
日本や東京よりも。



タクシーの運転手までも写真家を尊敬する気持ちが
つたわってくるという話には感銘する。

Miao Wang’s監督のドキュメンタリー映画に「北京の
タクシー
」という秀作があるのを思いだす。


高橋宗正さん「LOST&FOUND PROJECT」

2012-10-26 | photo
写真家によるスライドショーイベントOPEN SHOW
TOKYOも5回目
。3人の写真家をお招きしたんだけど
まずはトップバッターでお願いした高橋宗正さん。

311で流されたもので自衛官によって集められたものの
一つに、膨大な写真がある。それを持ち主に返すという
活動を「思い出サルベージ」と銘打って活動を
5月には始めていたそうだ。



その活動内容はここに詳しいし、DISCAOVERY
CHANELが制作した動画がYouTubeにアップしている;




体育館いっぱいにあった写真をキレイにする作業、
データベース化して住民が検索できるようにする作業、
ともに地道で気が遠くなる様な作業だったそうだ。



活動の資金や現地宮城県山元町への寄付金を集める必要性
にせまられた、高橋さんたちは経験のないなかで、
ポスター販売行ったり、助成金を獲得していきはる。

そして寄付疲れしている日本から海外に目をむけ、
「LOST&FOUND PROJECT」を立ち上げ、世界で
この活動を知ってもらう展示を行っていく。

海外の突破口がロサンゼルスで、渡邉博史さんのスタジオだ
と聞いて、驚いた!プロジェクトのサイトにも書いてあった
のに。



あとで渡邉さんが3回目、4回目にOPEN SHOWに来ていた
話を高橋さんにしたらこれまた驚いてた・・渡邉さんの
スタジオ展示が契機でアメリカでの活動が広がったそうで
とても感謝してはった。世界は狭いし、ライブの面白さを
満喫できた。。



その他、メルボルンとローマで開催したそうで、ここらで
海外展示は終息らしい。

コパアメリカへ招待、友人いや兄弟として

2012-10-25 | その他
南米サッカー連盟が2015年チリで開催される次回の
コパ・アメリカ(南米選手権)に日本代表とメキシコ
代表を招待するってNEWSが報じられていた。

4年に一度開催のコパ・アメリカってアジア大会みたいな
ものなのに、メキシコは近いからアリかもしれないけど、
日本も招待してくれる・・これはありがたいのかどうな
のか?

南米サッカー連盟の声明がよくって、
「メキシコと日本は南米のサッカー界の友人であり、
 兄弟のようなものだ」
って言ってるらしい。友人で兄弟だなんて言い方が
いいなぁ。言葉の力。



南米サッカー連盟(CONMEBOL)のサイトで確認
したろうって思ったけど、全編ポルトガル語・・英語
はない。南米のクラブチームの大会はCopa Bridgestone
Sudamericanaっていうことを知る。ブリヂストンが冠
スポンサーなんだね。(もとは日産自動車だったらしい)

世界のNEWSを検索すると2015って書いても
翌年2016年コパ・アメリカ特別大会がアメリカで
開催されるというNEWSばかりがヒットする。
南米サッカー連盟の創立100周年記念だそうだ。
こちらには招待されないのかな?兄弟なんだけど・・w

日本代表は出場したことが1回あって、1999年大会の
ことらしい。初出場。トルシェジャパンでパラグアイ
へ行ったらしい・・ほとんど記憶にないなぁ。
1分2敗で予選リーグを敗退したらしい。

2011年にも招待されたけど、311の影響で出場辞退と
なったのは記憶に新しい。



サッカー大国というかサッカー好きの多い南米は、
世界的大会が目白押しとなる。その間にはさまって
コパアメリカがある。

2014 W杯(ブラジル)
2015 コパアメリカ(チリ)
2016 五輪 (ブラジル)

行きたいなぁ。南米って行ったことないし。。
あれ、2015年はアジア大会もある。。コパアメリカへ
出場できるのかな?

ひかり通信へ

2012-10-24 | IT
iPhone5からようやくテザリングが可能になる。
かねてから準備をしてきたauが先に発表して、
あわててsoftbank追随する。。

新しいサービスを切り開いてきたsoftbankが
「あとだしジャンケン」とは残念だ。ここと
何度か触れたけど、米国では当たり前のサービスが
なかなかiPhoneで開始されなかったから。



これでiPhoneを4から5に買い換えようっと。
11月に2年縛りが終わるから、ちょうどいい
タイミング。

そして1年間続けたwi-maxという無線通信LAN
サービスはテザリングがあるなら解約しよう。
これでwi-maxを持ち運ばなくてもよくなる。

wi-maxは10月が解約月だというので、ちょっと
あわてる。自宅はADSLをやめてwi-maxに一本化
していたから、wi-maxをやめるなら、固定通信を
復活させる必要がある。

価格.COMで調べて驚く。なんと「auのひかり」が
2年縛りで、2650円/月。電話の基本料金も込み!



以前のADSL時代は、ADSL=2000円、プロバイダー
=2000円、NTT電話基本料金=1700円とざっと
5700円だったから、半額以下やん。

しかも光通信だから回線速度下り:最大1Gbps
=1000Mbpsとギガの単位に突入している。
理論値だけど、ADSLはたしか12Mbpsの契約
だったのでは・・

大人気の商品らしい。なんでもauの携帯電話と
契約すると、1480円/月・台が割り引かれる・・
これは魅力。softbankの魅力が「ただ友」だけ
ではないか・・?



工事が下手すれば1ヶ月先と言われた。でも実際は
2週間後の取り付けとなった。快適。有線接続は
さすがに早い。

でも家の中の無線LANはwi-maxよりちょっと早い
くらいの実感。wi-maxはたいしたものかも。2年後は
wi-maxの様な無線通信回線に戻るかも。

北野武監督『アウトレイジ ビヨンド』

2012-10-23 | 映画
暴力団の内部抗争を描いた北野武監督の
『アウトレイジ』の続篇を見る。

北野武は前作を60点と自己評価し、本作に
かける意欲を表明しただけあって、より
濃密な映画になっている。

タイトルからしてビヨンドだから、並の続篇とは
ちがって、前作を越えたできばえという自信が
なみなみ伝わってくる。



前作では巨大暴力団と傘下の暴力団3つが
殺し合って登場人物のほとんどが殺される。

生き残った各組のナンバー2が三浦友和、
中野英雄、加瀬亮が前面にでてヤクザぶりを
全開。

死んだはずのビートたけしが実はデマだった
いうちょっと苦しい設定のなか再登場。



前作でビートたけしの組は皆殺しされて、最後の
1人になる。そこからハリウッド張りに1人で
復讐劇を始めるのかと期待させたところで、出頭
しちゃうので、ちょっとはずされる。

そして刑務所入り、刺殺で終わって、感動をとった
のに生き返るとは。。w

続篇でも彼の配下の部下達の復讐にはそんなに
乗り気ではないという設定が微妙に複雑で面白い。
復讐に燃えるのは中野英雄で、ビートたけしも
引きずられるように中心になっていく。

たけしの組の唯一の生き残りが加瀬亮で、大組織に
拾われて大出世して、いきいきやっている。それが
たけしのカムバックに怯えて追い詰められる好演。



暴力団の抗争をたきつけていく刑事役の小日向文世も
前作以上に大きな役割を演じるけど、ひょうひょうと
してるけどたくらみを腹に持ったはまり役。

三谷幸喜監督『ステキな金縛り』でもあの世のボス役が
はまっていたけど、集団ではなくひとり異世界をもつ
ような役どころには欠かせない役者かも。



本作初登場する、関西系の暴力団役の神山繁、西田
敏行(北野監督に出演を志願)、塩見三省、高橋克典、
関東系の暴力団の頭ででてくる、中尾彬、名高達男、
光石研、個性豊かなヤクザが光る。



塩見三省はほんとおっかないし、中尾彬の凄みと
謝るシーンのギャップはたまらない。



壮絶な殺し合い。底流にあるのはなんだろう・・
国と国、テロと国、さまざまな抗争と共通するものの
匂いをかぐ。敬称略。

『情熱のピアニズム』監督について

2012-10-22 | 映画
昨日の続き。監督、マイケル・ラドフォードさんに
ついて。観たのは3作目。『イル・ポスティーノ』
と『ヴェニスの商人』を観た。この2作の監督だ
から見にいこうって思ったのもある。

昨日の『情熱のピアニズム』をみた後ふりかえると、
2作とも歴史の事実に迫る描き方が印象的。もとはと
いえばBBCでたくさんのドキュメンタリーを手掛けた
人だからなぁ。

『イル・ポスティーノ』(1994)は米アカデミー監督賞に
輝くんだけど、1950年代の一時期、祖国チリを追われた
詩人パブロ・ネルーダがカプリ島に身を寄せた史実に基づいた
映画だ。

『ヴェニスの商人』(2004)はユダヤ人差別を描写した当時の
ヨーロッパ社会に迫っていて、悲劇的内容だった。ヨーロッパ
人からすると、「今更そんな昔のことを強調しなくても」と、
思ったんではないかと考えさせられた映画だ。

当時はどの都市でも異教徒への差別は当然の様にあったし、
ヴェニスのユダヤ人は他の西欧諸国に比べ、格段に恵まれた
境遇にあったそうだし・・



『情熱のピアニズム』において、監督は、主人公のピアニスト・
ミシェルは初めて知ったそうだ。プロデューサから話があって
からリサーチを行う。

「ただの情報には興味がない、人間性に興味がある」と語る
監督は映画に登場する全員に保存影像を探してもらうと、
数多くの影像が集まったそうだ。

「この映画はミシェルを描いていると同様に、インタビューを
受ける35人の人々のことを描いている」

彼らがミシェルを思い出して語る様子の楽しそうな雰囲気は
年月がたったこともあるし、インタビューに応じた時点で
ある程度はあるにせよ(話したくない人は断ってるからね)、
とても観客を幸せな感じにする。

それは2人の元奥さんのインタビューに顕著だ。彼女達は今も
奥さんなのかと思うほど、彼との出会いや素晴らしさを語る
から。


最初の奥さん。西海岸で出会う。

もちろん突然連絡が途絶え、新しい女ができたと知る時の
落胆ぶりも話すんだけど、恨まれるどころか、素敵な思い出に
なってることが伺える。


2番目の奥さん。NYで出会う。

そしてミシェルは監督にも影響を与えていく。

「誰もが彼の虜になったと言っていた。彼は私にも魔法をかけたんだ」

「僕は時間を浪費したくない・・という生き方が編集のスピードも支配した。」

監督の人生観が語られている。

「私を(この映画に)導いたものは、開いた心をもち続けることだった」

最後にこの映画について

「障害をもつ人は、彼のような人に触発され、障害を持たない人は自身に
問いかける・・いったい自分は何を愚痴ってるのかね?」

その通りだと思う。感謝をこめて、オープンマインドに
暮らしていきたい。監督のインタビューはここと、パン
フレットから。

そういえば、監督はオックスフォードで学んだ後に教師に
なったのに数年後にフィルムスクールに入り直している。