やまねこマッサージ

ねがうこと、ゆだねること

京都鳥居本の夜

2009-09-30 | 
京都へ打ち合わせの後、
祗園の料亭鳥居本で宴会が開かれた。

鳥居本は300年の歴史がある料亭。

元々は八坂神社の鳥居近くにあったのが、
茶人・織田有楽斉の築庭跡を譲り受け
移転したもの。

祗園の裏道から、一歩入ると別世界で
足が止まった。

玄関から女将が招く声で、歩きだした。

そこに多種多用な人達が集まり、
美味しくて刺激的で愉快な夜を過す。

高僧、画家、建築家、大学学長、キュレーター、
コンサルタント、アメリカ人留学生、そして僕。

忘れられぬいい夜だった。

不注意2連発

2009-09-29 | その他
晩ご飯を食べながら打ち合わせ
イタリアンを展開している半蔵門は
エノテカ・ドォーロで。

イタリアの話で盛り上がり、文化や映画で楽しく
話しているうちに0時近くになって解散。

歩きながらiphoneでメールを
チェックしてたのが裏目にでて、
止まっていたゴミ収集車に顔をぶつける。

ちょっと鼻柱から血が出たけど
じきに止まったので忘れていた。



電車に乗って、細長い赤い傷が
鼻についてる姿が窓に映って驚く。

こすっても消えるわけはなく、
かなり目立つ傷だ。
こりゃ絆創膏でも貼らなきゃいかんなぁ。
こんなとこ怪我したの生まれて初めてだ。



電車の席が空いたので、
座ってしまったのが2番目の敗因。

気づいたら寝過ごして高尾まで来ていた。
もう上りの終電はなかったので、
タクシーに乗る羽目に。

酔いが回っているときには、
それこそiphoneの目覚ましを
かけなければ・・

「寝過ごすのは自己責任だから
だれも責めれないですね」という
タクシー運転手の言葉が手厳しくも
ありがたく聞こえる。

Calderの飛び出す絵本

2009-09-28 | art
La petite galerie de Calderという飛び出す絵本の
ようなアートブックをいただいた。

CalderはUSAの彫刻家・現代美術家。
動く彫刻「モビール」の制作を
始めた人だ(1898ー1976)。

ニューヨーク近代美術館、箱根彫刻の森、
軽井沢セゾン現代美術館などで
作品を見たことがある。



その楽しい絵本がフランスの出版社から
アートシリーズとしてでているのが本書。

3次元の手作りあふれる紙細工がぞくぞく
登場するので、彼のアートの
雰囲気や創造性を感じることができる。

アートディレクションもかわいくって
楽しい。

黄色いページには20センチ位の細い鎖が
あって、自由にいろんなフォルムを
作れるのも奥が深そうだし。

おまけのシールが2セットもついてるし。



「モビール」制作の原点である「サーカス」も
飛び出す紙ものとして登場。

1920年代にCalderが針金や糸などで作った、
ピエロ、曲芸師、ライオン、馬などを、
サーカスという舞台の上で自らが動かしたもの。

その数は200を越え、30年以上にわたって
この上演会という名のパーフォーマンスは
続いたそう。

その貴重な映像が音抜きだけどこっち
見ることができるのもいい時代だなぁ。

大阪万博の思い出

2009-09-27 | カルチャー
大阪万博が開かれた1970年は
僕が小学校2年生のとき。

たまたま地元茨木市民だったから、
自転車で行ったこともあるくらい。
だから合計10回は行ったクチ。

アメリカ館の月の石には勿論並んだし、
ソ連館の吹き抜けにあった宇宙船に目を輝かせ、
日立館のフライトシミュレーターの操作席で得意になり、
将来は秘密科学基地の研究者になるって夢見てた。



細かいところでは、缶コーヒーなるものを
初めて見て100円で高いって思った。
(大人になっても100円なのが不思議だった)

中国製のうちわが100円なのは安いと思って買ったね。
その頃からダイソー商法可能性の洗礼をうけている。
(ダイエーが98円商法とかで一世を風靡してたなぁ)



その後折に触れ、大阪万博のことは目にする。
建築の世界に触れるようになってからは
設計担当だった菊竹清訓、丹下健三、黒川紀章たちが
メタボリズムの都市を実現したこと。

それに反旗をひるがえしたのが岡本太郎。
お祭り広場をぶち抜くという彼らが
嫌う考えで太陽の塔を打ち立てた。

その岡本太郎を起用した最高責任者の交代問題など
人間ドラマがいっぱいあった。

今でも万博記念公園に太陽の塔は残されている。
万博のシンボルだからだろうか。
岡本太郎の傑作だからだろうか。

岡本が表現しようとしていた
原日本人が無意識に働きかけ続けている。

横浜開港博Y150がコケた理由

2009-09-26 | エンタメ
横浜開港博Y150が明日で閉幕するらしいけど、
入場者見込みを大幅に下回るらしい。

見込みが甘かったといえばそれまでだけど、
有料イベントでの入場料収入が少ないのは痛かろう。

主催の財団法人「横浜開港百五十周年協会」の
見込みでは、入場料が45億円、企業協賛金が20億円、
市からの補助金は82億円で。総事業費約150億円。

入場料2500円が内容から見て高いって声は
ちょっとネットをみればあちこちにでている。

結果論だけど事業費100億円にして、
無料イベントにしておいた方が気楽で楽しかったのでは?

中華街やホテルなど周辺施設は潤ったって好評なんだし。
年間5000万人の観光客をあてにするより、感謝の気持ちですって
無料で楽しませちゃう。



入場者目標500万人というのも一人歩きしたみたいだし、
そのわりには面白いって声が聞こえてこなかったもんな。

僕らの回りはターゲットではないからそもそも
行った人があまりいないし、横浜の連中も行ってない。



動く巨大蜘蛛って映像でみたけど、あれが目玉じゃ後がしれてる
って思ったね。演出があんまりされてないから勿体ない。

BATONというアニメも20分ずつ3回の小出しで
3回行かなきゃ全部解らないって、ちょっとせこい。

営業時間がなぜか毎日22時まであるので、
相当負荷がかかったよう。

人気が沸騰してたら延長するのはわけないかったろうに。
おまけに会期も191日間と長いから人件費比率も高かったと聞く。

市民参加型の香りがしないし、世界の客への視線も感じられないし、
おおわくの設計自体が古いの上、愛情も感じられない。

赤坂な日

2009-09-25 | tokyo
ランチミーティングに赤坂に行ったきり
一日いることに。

2度事務所に戻るタイミングはあった。
最初は3人でランチミーティングが終わったときに
次のミーティングに誘われた時。

断ってもよかったんだけど、
現れた人がハーフっぽいのに日本人名の
名刺をくれたのに驚いて、ちょっと興味があったから。
場所を北野アームスのレストランからロビーに移動。



一番赤坂っぽかったのは、日本医師会のドンだった
武見太郎さんの息子敬三さん(元参議院議員)が
通りがかった時に、打ち合わせしてた方が挨拶を
しに行ったとき。

来年の参議院戦況も厳しいかも、
彼は自民党で前回落選してるから。
ふっとここが政治の中心地でもあることを
思い出した。



ランチミーティングの結果をうけた動きがあって、
再度ミーティングに。
今度は隣のエクセシオールカフェで。

それも終わったのでここでオフィスへ戻っても
よかったんだけど、1時間半後には、
また赤坂で別の方と会うから、
そのままいることに。

PCがあれば基本的には
どこにいてもいいんだけどね。



夜は赤坂うまやに連れて行って
いただいたので、夜半まで赤坂にいた。

JR九州が展開している居酒屋で、
なかなか雰囲気もよかった。
市川猿之助ディレクションとのことで
2本目の焼酎にいっていた気がする。

原産地偽装

2009-09-24 | 
国産って偽って中国産のものを使うことは
もうできなくなった。

しかしながら国内ではあちこちからの
混ぜ合わせはよくある話。

神戸牛たって神戸で育ったわけではない。
兵庫県で育ち神戸でさばいた牛のこと。

遠州灘のふぐは天然物国内モノの6割を
占めるになったが、それでも下関港を迂回させて
東京に出荷したほうが値段が高いと現地人は嘆く。

灘の酒と言っててもメーカーモノは
オケ買いといってあちこちから仕入れて
灘で製品化している。



つまり原産地の定義次第だ。

たとえば静岡茶の定義は
「静岡茶とは県内産茶葉を100%使用したもの」
それ未満は「静岡茶ブレンド」という区別になっている。

2003年頃は県内産茶葉を50%あればいいだとか、
それじゃ甘すぎるから80%にしようとか、
それでは生産量が激減するので70%あれば
静岡茶として認めようという議論があった。



それもこれも、味覚がいい加減で、
値段を判別できるほどはちゃんとしていない。
しかも知識で入った情報が味覚を左右する。

誰も正確な定義は知らないし、
知らなくてもいいように
ブランドを高める普段の努力がされている筈。

ドラマ白洲次郎

2009-09-23 | 
NHKドラマスペシャル「白洲次郎」
3夜連続であった。1回が90分。
NHKの場合は正味の90分だから、
270分たっぷりドラマを楽しませてくれた。

白洲次郎の高校時代からサンフランシスコ
平和条約締結に奔走するころまでを描いている。

自分の信念を貫いた「かっこいい男」としての
イメージ位しかなかったので、どんな時代を
どう悩み、どう生きたのか物語から目が離せなくなる。

妻の正子が進行役としてナレーションを語るのも
なかなか面白い。彼女がもがきながら、
自分のしたいことを見つけていく課程も
丹念に追っていっている。



脚本、配役、音楽どれもいいんだけど、
撮影場所がしびれる。英国留学先は海外ロケだし、
次郎の実家の豪邸、正子の実家の豪邸、
戦前戦後の国会、GHQ本部、近衛文麿の「荻外荘」、
吉田茂の「目黒の公邸」などが生きいきと蘇っている。

近衛文麿の「荻外荘」は荻窪に現存する。
非公開だけど行ってみたくなった。
ここを撮影に使ったんだろうか?

白洲夫婦の終生の住み家となった
町田の武相荘はセットを作る念の入れよう。
本物の武相荘の撮影も交えて凝った撮影。

疎開という言葉がまだない戦争緒戦に、
当時の田舎である町田に移り住み、
食糧難を予言したかのように農業を始めた。



さすが構想2年かけただけのことはあるし、
なみの映画より凝ってるし面白かった。

面白そうと思った方は、11月にちゃっかり
DVDが発売されるそうだからそちらを。
また再放送もいずれあるかも。

栗をゆがく

2009-09-22 | 
ここのところ頂き物が重なった。
秋田の林檎ジュース
栃木の豊水梨
京都の阿闍梨餅
千葉の珈琲豆
そして近所の東村山の栗。
秋だからか、連休だからか、
季節のものばかり嬉しいなぁ。

栗をゆがいでむいて食べてると
茶人利休を思いだしていた。



安土桃山時代は砂糖や米がまだ貴重だったので、
利休が茶席で提供したお菓子は
果実や木の実を使った素朴なものが
多かったらしい。

利休は晩年の1590年から19年にかけて、
『利休百会記』として記録に残る
百会の茶会を開く。

焼き栗などの栗菓子はその百会のうち、
二番目に多い53回だされている。
(ちなみに一番は麩の焼きで63回)

高価な材料を使うのではなく、
身近でとれる旬な材料を使った茶菓子を
ふるまったのも「わび」の考え方なんだろう。

細身の三日月を眺めながら
当時の栗菓子を思い浮かべていた。

富士Qハイランド

2009-09-21 | エンタメ
視察がてら富士Qハイランドへ。

連休も3日目だというのに中央高速も
まだまだ下りが渋滞している。
渋滞が少なくなった頃を見計らって、
14時半過ぎに車で出発。



富士急ハイランドのライド群が
高速道路から見えてきたあたりに
「富士箱根伊豆国立公園エリア」
を示す看板があった。

しかし高速道路をおりて
あたりを車で回ったんだけど、
国立公園って感じは薄い。

ジェットコースターが歓声とともに
行き交う遊園地周辺には、郊外で
ありがちなロードサイド店舗の集積が
見られた。



富士急ハイランドは富士急電鉄の
レジャーサービス部門の中核で、
鉄道部門よりサイズが大きい。
この不況&デフレ時代に増収増益のようだ。

久しぶりに園内に行くと、大型アトラクションが
増えていてかなり敷地もめいっぱいになりつつ
ある感じ。

そういった大型ものの設計はスイスの会社なんだけど、
フジヤマ、ええじゃないか、鉄骨番長など
デザインやネーミングなど日本風が増えている。

お土産物もそれに呼応した面白そうなパッケージ
デザインものに人気があるようだ。



テーマパークの域は狙ってはおらず、
あくまで遊園地。「ディズニーほどの
本気度はないな」と語っているカップルの
声を耳にしたけど、分を知ってはると思った。

ところが夜になると、イルミネーションが
なかなか上手いのには驚ろいた。
テーマパークレベルと言っても
いいかもしれない。

イルミネーションは投資もそんなに
かからないから、これもうまいと思う。

写真スポット満載で、みな嬉々として
写真を撮りあっている。

通常は18時閉園だから延長開園のときは
狙い目かも。