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やまねこマッサージ

ねがうこと、ゆだねること

毎月21日 東寺・弘法市

2015-09-21 | カルチャー
9月は公私ともに多忙を極め、本ブログは書けなかったなぁ。
そんななか京都へ出張した時に、地元の方に東寺で弘法さん
の市が開催されると聞いて、行ってみた。

弘法市は、東寺で毎月21日に開かれ、北野天満宮(こちらは
神社)で毎月28日に開かれる天神市と双璧をなす、京都を代
表する毎月市だ。

東寺はその昔、嵯峨天皇より空海に下賜されたお寺さんで、
真言密教の根本道場として栄えたところ。一歩東寺に入ると、
広い境内が出店のテントや車で埋めつくされている。その数
1200とも言われる。



五重の塔はじめ、お寺さんの建物が見え隠れするのが渋く、
お参りする人も多いし、たいへんな賑わい。やっぱ聖俗あわ
せもつっていうのが日本人好み。

包丁の実演販売。半額に値引きする上に、もう一丁おまけす
るという、威勢よいけど怪しげw



骨董屋は多いけど、かわいいセンスのお店。東京で小料理屋
もやってはったそうで、いまでは三十三間堂近くにお店をも
ってはるとか。



この修行大師像にはじっとお祈りする人が多かった。建物中に
鎮座する阿弥陀如来像といった仏さまとは別に、空海信仰の強
さを垣間見た気がする。



暇なのか眠りこけてた瀬戸物屋さんの店主。



元気なおばちゃんがやってた履物屋さん。



南大門でも(!)お店を広げていた生姜漬け屋さん。


森岡書店「ミャンマーのすてきな手仕事をめぐる旅」展

2015-07-16 | カルチャー
茅場町で「盛岡書店」を営んではる森岡督行さん
2号店を銀座1丁目にオープンしはったので初訪問。

今度は1冊の本をとりあげ、その本から広がる世界を
楽しんでいただく、といったコンセプトだとか。本
好きにはたまらないし、作家にとっても得難い場所
ではないだろうか。

現在開催中といっても7/19までだったんだけど、春
日一枝さんの新刊「ミャンマーのすてきな手仕事をめ
ぐる旅」(グラフィック社)が取り上げられ、ミャン
マーの手仕事による布や雑貨が紹介。



ライターなんだけど、よく喋る。お知り合いから、ボ
クのような初対面の人まで、手振り身振りずっとあれ
これ気さくに話してはる。



少数民族の独立闘争などの影響もあって、旅行者が行
きにくい現状も話されていた。

本は160頁で買い求めたんだけど、写真がふんだんに
入ってて1600円とはすごいですねと話すと、たまたま
来ていた写真担当の・後藤麻由香さんと、安いって褒
められてると喜んではる。



建物は昭和4年竣工の近代建築。東京都の歴史的建造物
に指定されている鈴木ビル。soup stock tokyo代表の
遠山正道さんも参画してはるから、広い場所を想像して
いたら、意外に狭かった。

もちろん茅場町より家賃はだいぶお高いだろうけど。
場所よりも書籍の出版に力を注ぐとみた。雑誌などで
は2号店として紹介されているが、移転だった。



森岡さんによれば茅場店は閉めることにしたとのこと。
事情が変わったんだろう。銀座へいく楽しみが一つ増え
る。写真は春日さんのFBから

#8ゆる市と高田義一郎展

2015-03-22 | カルチャー
国立の高田邸が取り壊されるので、3月8日9日にイベントが
あったことをここに書いたけれど、国立本店による展示会
が始まり、この21日22日は「ゆる市」が開催される。



「ゆる市」は8回目。6回目に行ったことはここに書いたけ
ど、今回は大混雑。いつもは数店舗で開催するのが、高田
邸だけの開催だったから。

「ゆる市」言い出し人の一人、テラバヤシさんが「ゆる市
でなくて、こみ市と言われたw」と。奥さんのくらしの道
具を販売する「musubi」が古い家に馴染んでいた。



この家を建てた高田義一郎さん(1886 M19~ 1945 S20)
のことが、国立本店による展示会で書斎を使って紹介され
ている。



基本は医者だったんだけど、ふりだしは京都大学法医学助
手だったり、文部省在外研究生として独伊英に1年留学した
り、溜池に日本初といわれた小児科医院を開設したかと思
うと、保険会社の医長を勉めたり、大学で教授になったり。

健康のため移り住んだ、国立で一橋大学の校医にもなるけ
ど、日本で最初の知的障害者のための滝乃川学園の校医も
3年間つとめている。



その上、大正から昭和初期にかけて多数の著作物、それも
学術書よりも一般向のエッセイや小説が多く、面白そうな
人だったことが伺える。

一攫千金の利害に目を皿のようにしている都会生活は、
その渦中にいれば「それでこそ人生!」の思いがあろ
うが、ここ(当時の国立)から客観すれば、あまりに
馬鹿げた努力 であり、余に人生を酷使するものである
様に見える。

でも女性陣には評判が悪い。『変態性慾考』『変態医話』な
んて本も著してるし(どんな本かは読んでないけど・・)、
3回も結婚していて、3度目が21歳の女性である点。

なによりも、家にある女中部屋がよくない。ボットン便所の
隣の北向き部屋。他の部屋や廊下より1段低い床。室内排気
口が女中部屋に流れ込むようになっている。。医者なのに女
中部屋への衛生環境配慮がない。


女中部屋とは思えない洋服・雑貨の「Norubulingka」

高田邸仕舞の日

2015-02-09 | カルチャー
国立で数少なくなった、昔からの建物の一つ、高田邸が
相続の関係で取り壊されることになる。

その前にイベントをしようと、地元の器と小道具店「GR
AGE」店主・小田島千晶さんが「高田邸仕舞の日」とい
うイベントを企画し、2月8日・9日に開催。

ボクは8日(日)に行く。雨の中でも結構混んでいたんだ
けど、翌9日(月)の方がより盛況だったとかで、みんな
で驚く。



立川経済新聞のまとめを借りると、「高田邸は1930(昭和5)
年に国立学園町が作られた当初からある木造2階建ての住宅。
1886(明治19)年生まれの医師であり文筆家であった高田
義一郎さん」が建てたもの。

駅にもわりと近いので散歩すると、たまに横を通り、鬱蒼と
した木樹の間に洋館がみえていい雰囲気。中に入るのは初め
て。この2年は空き家だったそうだけど、綺麗に掃除されて
いて、剪定もされている。


廊下の天井がアーチになっていたり、


2階にあがる階段にもおもむきがあったり、


書斎だったところでは、画伯藤川さんが似顔絵を書いていた
り、古本泡山さんが書棚に古本を並べている。



隣の子供部屋で、作陶家のくまがいのぞみさんが壁に掛けて
はった花器が色が美しかったのと、穴が2ヵ所に空いてて、こ
うした針金などにも留めれれるのを買い求める。


ともこさんのサモサは揚げる横から売り切れるw

大正や昭和初期でお金もちが作った建物はとても丁寧。きっと
いい木が使われ、いい仕事がされたことが伝わってくる。戦前
の安普請の住宅とは佇まいもまったく異なり、貧富の差が大き
かったことも示唆している。お手伝いさんの部屋もある。

3月には「国立本店」が中心になって高田邸公開プログラム
あったり、「ゆる市」も開催されるみたい。

ベンガルと東北の刺子展・民藝館

2014-11-24 | カルチャー
本ブログの更新が遅れ気味。 淡路島や京都への出張が
あったりしてズルズルと。即時性の強いものはそんなに
ないからと追っかけながら書いてるけど、この企画展は
とてもよかったのに今日11/24までだから書いておくね。

駒場の民藝館でベンガル地方と東北の刺子展をやってる
んだけど、ベンガル地方の刺子のことをカンタって呼ぶ
そうなんだけど、これが素晴らしい。



ちらちらと実物や写真では見たことがあったんだけど、
これだけまとまって、祭礼用の実物を見たのは初めて。

婚礼や儀式のとき床に敷かれ、花嫁や花婿、
参列者が周りを取り囲むように座ってそれを
愛でます。

掛け布団用とかはもっとサイズは大きく、柄もこんなに
コラないそうだ。

中央に蓮の花を、四隅にペーズリーをいれるの
を基本とし、生命の樹や花、魚、馬、象、虎、
孔雀、蛇などの動植物をはじめ、神様を乗せて
練り歩く祭りの山車やハサミ、ナッツカッター
など身辺の品々まで生き生きと描かれています。



楽器あり列車あり、宗教的なものもなにもかもみんな
祈りとともに縫い込まれてある様だ。基本は女性が一
人でつくり上げるそうだ。

19世紀と20世紀のがあったけど、気に入ったのはいずれ
も前者のもの。



今回のカンタ・コレクションは自由が丘にある岩立フォー
クテキスタイルミュージアム
からの選りすぐり70点。代表
の岩立広子さんが初めてカンタに出会ったのは1970 年代。

これこそ自分の求めていたものだと感激

以来インド通いが続き、世界的にも類がないコレクションに
なったとか。カンタに限らないそうだけど。その自由が丘の
ミュージアムもいつか行ってみよう。

東北の刺子はカンタに比べれば、見慣れた感が強いけど、と
ってもいい柄のものがたくさんあった。

プロジェクションマッピングの最近

2014-11-10 | カルチャー
仕事がら、いろんなプロジェクションマッピングを教
えてもらったり、みてたんだけど、印象的だったもの
をいくつか;



屋内のもので、19世紀初頭に立てられたポーランドの
ドームにAntiVJ達が制作したO (OMICRON);



別の屋内作品。Joanie Lemercier さんと James Ginzburg
さんのNimbesという作品で、「観察と宇宙進化の関係、
知性と個性の概念を探るもの」らしい。





寝そべる様にして見ている

最後に淡路島のプロジェクションマッピングのディ
レクターでお世話になった石多ミチさん達の旭川雪
まつり2013年での子どもたちによる作品。



雪だるまだって被写体になる。イキイキと力強い。

プロジェクションマッピング&照明の多彩さ

2014-11-09 | カルチャー
昨日に引き続き、プロジェクションマッピング&照明の
こと。今年の初めにお話を淡路島からいただいて以来、
最新の動向をいろいろチームのメンバーから教わった。

その中でも特に印象的だったことを2つ;

1)プロジェクションマッピングの多様さ

昨今はプロジェクションマッピングがあちこちで見ら
れる様になったけど、屋外の駅、城、寺院などの外壁
から、屋内、什器はては人体まで多彩な表現へが広が
っている。

プロジェクションマッピングというのは、プロジェク
ターなどによって投影される映像と被写体とをマッピ
ング=重ねあわせることなんだけど、被写体の最大要
件は、プレーンな平面でないこと。


被写体の55面体オブジェの設営風景

だから、普通のスクリーンが一番苦手。のっぺりとし
てるというか何もないから、マッピング=重ねあわせ
の面白さがでない。

白いスクリーンや壁には絵や線を描くだけでも、マッ
ピングも対象として生まれ変わるから不思議。

2)LED照明の多彩さ

淡路島の作品にはLEDが数百の単位で設置されている
んだけど、その一つ一つを別個に点滅させたり、色を
変えたりすることが可能。100万色を超える色数から
自由に選ぶことができる。

 

各LEDをナンバーリングしてプログラムに対応させる

すごい時代になってきている。交換器とPCがあれば、
好きな色で自由なタイミングで点滅させることができ
るから、演出はアイディア次第。

プロジェクションマッピング&照明 in 淡路島

2014-11-08 | カルチャー
淡路島の個人宅からご依頼をいただき、プロジェクションマッピングと
照明を融合させる新しいクリスマスイルミネーションを制作してきたん
だけど、無事点灯が始まる。

3メートルの藤棚の上に、高さ4メートルの55面対のオブジェクトを設
置するから頂点は約7メートル。プロジェクションマッピングの映像を
投影し、下部に囲むように照明を配置。約8分間なんだけど、音楽もオ
リジナルで、それぞれが有機的な関係性をもつ。



1日3回18:00、19:00、20:00に点灯し、1/5までの予定。

ご依頼が個人というのも凄いことだけど、美しく品のあるアート作品と
いう方向性だったので、どこにもない日本ではじめてのものを目指せた。
クライアントにはとても感謝、ありがとうございます。



検討を重ねるなかで、『古事記・日本書紀』の国生み神話をテーマと決
まってきた。淡路島が日本の最初の島であるという神話。

神々に命じられたイザナキとイザナミが青海原に剣を入れかき混ぜる。
引き上げると、剣の先から一滴落ちたのが最初の島が淡路島という物語。

この物語をベースモチーフに、オブジェクトやプロジェクションマッピ
ングの演出­を構築していった。





チームのみなさんのクレジットを記すと;

オブジェ設計:トラフ建築設計事務所
照明設計:Tokyo Lighting Design
照明、オブジェ制作施工:株式会社コマデン
設備、施工、運営:有限会社たかなべでんき

アートディレクション、マッピングプラン:石多 未知行 (PMAJ)
コンテンツディレクション:殿内章久
テクニカルディレクター:石川雅大 (PMAJ)

音楽:KENKO

プロデューサー:桧垣康彦(HIBIKU Inc.)

いろいろお疲れさまでした!

ブラウンズフィールドと慈慈の邸での野点

2014-10-19 | カルチャー
昨日書いた、南房総の「ブラウンズフィールド」と「慈慈の邸」
だけど、夕食をご一緒させてもらったお茶の先生と生徒たちに
は、到着早々お世話になっていた。

彼らが野点をしてはるとかで、打合せをする前に僕たちとエバレ
ットさんの4人にお茶をふるまっていただくことに。



先生は、傳田京子さん。六本木や世田谷の教室でお茶を教えて
らっしゃる。武者小路千家流。そんなことは後から知ったこと
で、大きな木の下の草むらのムシロに招かれ「すみませんね、
カジュアルなお点前ですから」と話され、本格的なお茶会な
んて滅相もないって思うw

エバレットさんから「洞爺湖サミットで、茶の湯のプレゼンター
を務めた方」と紹介いただきながら、生徒さんがお手伝いされ
ながら、準備をすすめて頂く。

生徒さんのお見立てによる器を選ばせてもらう。小嶋亜創さん
といって長野で農業をしながら、作陶するそうだ。いい茶器。
それをさらりと自然に魅力的に傳田さんは説明される。



こちらは刺激がいっぱいでまわりの景色を楽しむ余裕もなく、
そういえば隣の木では書道のワークショップをやってはる・・
イギリス人も参加している・・面白そう。いい気が流れていて、
この場に身をまかせていたい。

金沢のお茶菓子を頂きながら、お茶をいただく。美味しいし、
気持ちがいい。野点でいただくなんて、何十年ぶりだろう。
外はいいなぁと思いながらおかわりもいただく。

みんなすっかり、打合せのことを忘れていた。でも百の言葉で
説明いただくより、エバレットさん達がしてきたことや、した
いことを身体が納得。



彼らは近所の海岸に行って野点をしてきたそうだけど、翌日は
早朝に早起きして、野点をたてたそうだ。こっちは目覚ましを
かけたけど起きれなかったというのに。

朝食の後、中島デコさんと慈慈の邸のスタッフに野点をたてて
差し上げるとか。豊かやなぁ。



正方形でオープンな建物。日本のようなアジアのような小屋で
4人が向かい合って、野点を楽しんでいた。ほんと、どうなって
いるのか、ここはどこなのか、不思議で開放される感覚だった。

写真はエバレットさん傳田京子さんのfacebookより。

昭和十~十八年満州・承徳の民芸品展

2014-10-11 | カルチャー
とても珍しく、かわいい中国の民芸品展が武蔵野美術大学
で開催中。11/29まで。美大の雰囲気が好き。


老虎帽(子供用の防寒帽)

満州国時代に、承徳にのこる遺跡の修復・保存のために建
築家伊東忠太の次男・伊東祐信(1909~1994)が、1935
(昭和10)年赴任したそうだ。

満州国占領下では承徳を始め数カ所で遺跡の修復活動を行
っていたことが意外、満州鉄道が整備されていくとその観
光を本土にPRしていたことも初めて知る。

伊東祐信が取り組んだのは清朝の離宮「避暑山荘」および、
その周囲に存在する「外八廟」というチベット仏教寺院。
赴任5年後には千恵子さんと結婚して二人で現地の民芸品を
収集していった。


耳あて

その数1000点!しかも戦争下に数度日本に送って(もちろん
船便で)無傷で残ったのが奇跡。

満州を中心とした中国民芸品を集めることは当時ブームにも
なったそうで、多数を買い集めたコレクターもいたそうだけ
ど、ほとんどが失われているそうだ。

中国にも残っていないそうで、二人のこのコレクションがど
んだけ貴重なものなのか想像を超える。


布老虎、ご近所の「王さん」作

日本人のブームに便乗して、日本人受けするような民芸品を
作る中国人も多くなったそうで(さすがの商魂!)、そうい
ったものではなく、承徳にあるローカルな民藝を集め、時に
は、彼らの子どものために作ってもらった素朴で味のあるも
のばかり。

保存状態もとてもよく、戦後玉川大学の出版部に職を得て、
百科事典の編纂に関わった祐信さんの整理法や、千恵子さん
はすべてスケッチして寸法も記入していったそうなので、
学術的な視線や保存法が取り入れられたんだと推測する。

満州で幼少期を過ごした、息子の伊東祐満さんがムサビの
出身だったこと、学長と長い付き合いだったことから、大
学に寄贈され、数年間の研究が終わったので公開されたそ
うだ。


泥人形(蛇、蛸、トカゲ)

祐満さんと学長によるトークショーが開かれる。二人は特
段、承徳の民藝品に詳しいわけではないので、ご両親の思
い出やお二人の交流のお話がメインでちょっと物足りない。

それを学芸員が補ってくれたんだけど、承徳時代、母親の
千恵子さんに遊んでもらった人(当時は小学生)や東京で
交流があった人達が紹介されたり、自ら立って自己紹介さ
れたのが新鮮だった。

入場料は無料だし、20pのカタログも無料と太っ腹。武蔵
野美術大学は民藝品のコレクションが充実していると、教
わったので、また機会があったら。