日本美術探訪を「かざり」「あそび」「アニミズム」
という三つの鍵で再編集してきた辻惟雄さんが「浮世」を
どう考えてはるかーー『17・18世紀の美術 浮世の慰め』
岩波書店という格好の書がある。
江戸の寛永年間には「浮かれ楽しむべきこの世」を意味するのが
ひろがり、仮名草紙で表現される時代気分になったらしい。
しかし表現者たちの多くは
この人間観察のするどさ。しかも、
と、辻さんが人気の火をつけた岩佐又兵衛が自然とでてくるわけだ。
しかも浮世絵の元祖とも呼ばれているのだから。
ボクも大好きな絵巻「山中常磐」といった大名が争って買い求めた
絵巻物だけでなく
花見遊曲図屏風
豊国祭礼図屏風
といった小さな風俗画を多く描き、当時の人達が「浮世」を強烈に
感じていたらしい。これらの絵が岩佐又兵衛の直筆なのか、
又兵衛工房の作なのかはおいといて。
岩佐又兵衛は大名の子だったのに、絵師として遍歴の生涯を
送らなくてはならなかった。曽我蕭白といい江戸の浮世絵師が
活躍する前の「上方派」は放浪せざるを得なかったのだろうか。
という三つの鍵で再編集してきた辻惟雄さんが「浮世」を
どう考えてはるかーー『17・18世紀の美術 浮世の慰め』
岩波書店という格好の書がある。
「うきよ」という言葉は現世をあらわすものとして平安時代
から用いられている。(中略)仏教的厭世観にもとずく現世
否定の意味合いがそこにある。だが16世紀になると、戦国の
動乱の中で、「夢の浮世にただ狂え」(『閑吟集』)というように
刹那的な現世享楽の「浮世」観が生まれる。
から用いられている。(中略)仏教的厭世観にもとずく現世
否定の意味合いがそこにある。だが16世紀になると、戦国の
動乱の中で、「夢の浮世にただ狂え」(『閑吟集』)というように
刹那的な現世享楽の「浮世」観が生まれる。
江戸の寛永年間には「浮かれ楽しむべきこの世」を意味するのが
ひろがり、仮名草紙で表現される時代気分になったらしい。
しかし表現者たちの多くは
浪人の辛酸をなめた人であり、それゆえ、かれら「浮世」観の
裏には従来とおりの「ままならぬ憂世」観が貼りついている。
裏には従来とおりの「ままならぬ憂世」観が貼りついている。
この人間観察のするどさ。しかも、
そのような微妙な矛盾を孕む「浮世」を視角化したのが、寛永年間の
風俗画といえる。こうした「浮世」の表現者として注目されるのは、
(中略)「浮世又兵衛」の異名をとった岩佐又兵衛の存在である。
風俗画といえる。こうした「浮世」の表現者として注目されるのは、
(中略)「浮世又兵衛」の異名をとった岩佐又兵衛の存在である。
と、辻さんが人気の火をつけた岩佐又兵衛が自然とでてくるわけだ。
しかも浮世絵の元祖とも呼ばれているのだから。
ボクも大好きな絵巻「山中常磐」といった大名が争って買い求めた
絵巻物だけでなく
花見遊曲図屏風
豊国祭礼図屏風
といった小さな風俗画を多く描き、当時の人達が「浮世」を強烈に
感じていたらしい。これらの絵が岩佐又兵衛の直筆なのか、
又兵衛工房の作なのかはおいといて。
岩佐又兵衛は大名の子だったのに、絵師として遍歴の生涯を
送らなくてはならなかった。曽我蕭白といい江戸の浮世絵師が
活躍する前の「上方派」は放浪せざるを得なかったのだろうか。