やまねこマッサージ

ねがうこと、ゆだねること

小分けパッケージの乾燥剤

2013-02-28 | その他
お菓子などの食品パッケージに乾燥剤が入ってることが
多いけど、そういったものが小分けになっても、ひとつ
ひとつの袋にも乾燥剤が入ってることがある。

海苔の小袋、どら焼きの小袋等など入っているのを見る
と、細やかやなぁと思ったり、そこまでしなくてもと思
ったりw



猫の餌にもわりと乾燥剤は入っている。うちの猫たちが
好きなのが、「懐石」「懐石ZEPPIN」という日清のペ
ットフーズシリーズで、小袋に分包されている。

そのひとつひとつに乾燥剤(箱には脱酸素剤と書いてある)
が入ってる。さすが猫様仕様w。

ところが外国製のキャットフードには乾燥剤が入っていな
い。猫のツリは結石持ちなので食事療法用として動物病院
で薦められてるのをあげてる。ロイヤルカナンというフラ
ンスの会社が作っているやつなんだけど、4キロという大
きな袋にも乾燥剤は入っていない。



ほかの例だと、米国の「グニリーズ」というハミガキ機
能をもったのにも乾燥剤はない。欧米のキャットフード
は乾燥剤が不要なんだろうか、それとも消費者があまり
気にしないのか。


ちょっと国民性がでる気がした。

しりあがり寿「真夜中の弥次さん喜多さん」

2013-02-27 | エンタメ
映画「真夜中の弥次さん喜多さん」の原作しりあがり
寿さんの漫画も読む。「わけわかんない話」がゆるゆ
る、うだうだ、あるときは激しく物語が進む。

主人公、弥次さん喜田さんへ感情移入しにくい漫画だ。
ホモ達の愛に共感しにくいというのではなく、設定や
登場人物がはちゃめちゃだから。



しりあがり寿さんの心象風景というか、自由に飛び跳
ねる発想を楽しむタイプのフィクション。シュールレ
アリズムの作家達が喜びそうな・・でも日本のことに
関する注を相当つけないと外国の人には面白さは伝わ
らないw

リアル=現実と思いこんでいる世界のできごとだって、
自分の思い込みや幻想から離れられないとしたら、もっ
と自由に発想したっていいんだって気になる・・



映画にもなったけど、天野天街さんという方が芝居にし
た方が先だった。「百人芝居◎真夜中の弥次さん喜多さん」
2002年名古屋初演、2003年には北京、ハルピン、重慶と
中国公演、2004年には東京、2005年には名古屋再演があ
ったそうで、観てみたい。

天野さんとしりあがりさんの2005年の対談が残っていて
しりあがりさん曰く、

僕はね、もともとアニメではなく、特撮が好きなんですね。
アニメはリアリティを放棄しているじゃないですか。でも
僕は、ウソでも何かしらリアリティを表現したい。そこに
こだわっているのね。天野さんの芝居も、ありえないシチ
ュエーションなのに、そこにある感情があって、なつかし
かったりする。その方がリアルだと思うんだよね。ただの
でたらめじゃない。テレビドラマなんて単純すぎる。好き
だったら好きという感情しかその人にはないみたいな。

本作でも主人公達がリアルに言及したり、リアルを求めて
いくんだけど、夢か幻覚か事実か最後まで混沌としている。



「自分でもどうなっていくのか分からない」漫画を書き
たかったそうだけど、その手法を好む書き手は少なからず
いる。スティーブン・キングもそうだし、小説家には
いるとは思うけど、漫画では少ないのかな。

宮藤官九郎監督「真夜中の弥次さん喜多さん」

2013-02-26 | 映画
勘三郎さん弥次さん扮する映画「やじきた道中」のことを
昨日書いた
けど、彼がアーサー王として出演している「真
夜中の」が気になる。それどころか次男の七之助さん(兄
は六代目中村勘九郎さん)が喜多さん=主役やから、親子
出演だ。



しかも、宮藤官九郎さんの映画初監督作品だったとは・・
完全に見逃してた。2003年に具体化して2004年クランク
イン、2005年公開だから、「やじきた道中」に先行して
いたわけだ。



原作がしりあがり寿さん。弥次さん喜多さんが恋人同士と
いう、奇想天外な設定を生みだした漫画。リアルと妄想、
夢と現実、時代もとびこえ、ナンセンスと笑い満載の「
わけわかんない話」(本人曰く)ところどころ漫画やアニ
メも登場する。

それを脚本にして監督まで手掛けたから、はちゃめちゃで
わけわかんない映画の真骨頂だ。スタッフもキャストもノ
リノリで楽しんでるのが伝わってくる。



勘三郎さんのアーサー王って民にとろろ汁をふるまう役な
んだけど、どこかしらサイババ(懐かしいね)のパロディ
って感じだし、この役を引き受けるのがエライって思うw
(奇しくも勘九郎さんと官九郎さんは音読みが同じ)



弥次さん喜多さんはラブシーン、キスシーンはもちろん、
露天風呂でキンタマをひっぱるシーンまで。



大量増殖する荒川良々さんのシーンもおかしい。何度も演
技したのを合成していくらしい。



DVDのスペシャルエディション版が豪華。真っ赤な弁当箱
に2枚組DVD他が入っているとこまで気合いが入っている。



概要に関してはサイトまで

故中村勘三郎「やじきた道中」

2013-02-25 | 映画
団十郎さんの葬儀がいとなまれている。歌舞伎界は、
団十郎さん、勘三郎さんと二つの看板を失い大変なこ
とになってる。団十郎さんの前に、勘三郎さんのこと
を書いておきたいと思う。

といっても歌舞伎は観たことはない。NHKで勘三郎
さんを偲ぶ再放送
を年末やってたのを録画した。その
なかで映画「やじきた道中 てれすこ」とそのメイキ
ング番組のことを書く。



この映画は勘三郎さんの発案だったそうで、「もっと
明るくてのびのぴしてて。。な~んも考えて無いよう
な、でも人間味に溢れる男たちの映画が作りたいよね。
例えばヤジキタみたいな」と話したのが始まりとか。

そこに佐々木史朗プロデューサーが共感したそうで、
寅さん映画が必要だろうと。いいなぁ、そういう発想
で映画作りが動くって。

2005年50歳の時、勘三郎を襲名した頃の話だろうか。
映画が公開されたのが2007年のことだから。



弥次さんが勘三郎さん、喜多さんを柄本明さん、道中を
共にする花魁に小泉今日子という気心しれた主役を中心
にいい役者がイキイキと楽しんでいる感じがする。演技
は、ほんと随所にうまいって唸るところの連続。



タイトルになっている『てれすこ』はもちろんだが、『お
茶汲み』『浮世床』『狸賽』『淀五郎』『野ざらし』など
落語を素材にした内容が組み込まれている。落語は喜劇の
王道なのかも。



それから数年後、2012年12月5日お亡くなりになる。享年
57歳。早すぎる死を悼む。合掌。

沢木耕太郎『キャパの十字架』

2013-02-24 | photo
NHKスペシャル「沢木耕太郎推理ドキュメント運命の一枚」
で紹介されていた、キャパの「崩れおちる兵士」の事実に迫
る沢木耕太郎さんの長年の追跡。ここで書いたけど、書籍も
でたので読む。

NHKの番組が視覚的にも面白かったのに対して、本書によっ
てこの1枚の写真をめぐる論争の経緯がわかる。撮影された
スペインの村に3度訪問し、キャパの作品も管理・研究して
いる、NYの国際写真センター(ICP)を尋ねたりしながら、
事実へ迫っていく過程がスリリング。

いろんな人との出会いによって、核心に迫っていく。当時の
様子もわかるし。カメラが出始めでいかに貴重で、なかには
写されることがどんなに喜びだった人達のことは、想像を超
える。



整理すると、これはスペイン内戦(1936-1939)での最高の
戦争写真と賞せられ、当時の雑誌等で何度も使われ、反ファ
シズムへのシンボルだったらしい。

でもこの写真は実戦ではなく、軍事演習もしくは写真撮影の
ために演習のふりをおこなったものだとか、昔からこのかた
60年間諸説言われてきたそうだ。

ただこの本を読もうと思った疑問はそんなに解消されなかっ
たのね。というのも、もし撃たれて死んだ写真ではないのな
ら、兵士本人から「私は生きてます!」っていう反論がでる
のはまずいのではないかなぁと思った。

この被写体が誰かということは、1996年に特定されかけたん
だけど、反論もあがりまだわからないらしい。



写真が撮影されたのが1936年9月の上旬。まず世に出たのは、
フランスの「VU」誌の表紙に採用される。1936年9月23日、
キャパ22歳の時。キャプションがポイントなんだけど、「死
の瞬間の人民戦線兵士」。

兵士の死が確認できないと載せられなかった思う。それとも
フランスの雑誌だからいいかと思うだろうか。

雑誌「LIFE」に掲載されたのが翌年の1937年7月12日号。当
時すでに100万部の発行部数を誇り、当時世界で最も影響力を
もつ雑誌だった。

写真下のキャプションには小さな活字で「ROBERT CAPA'S CAMERA
CATCHES A SPANISH SOLDIER THE INSTANT HE IS DROPPED BY
A BULLET THROUGH THE HEAD(キャパのカメラは兵士の頭が銃で
撃ち抜かれる瞬間をとらえた)」との文章が添えられていた。

遅くともこの時までには兵士の安否を確認したと気がするけど、
そのことには沢木さんは触れていなかった。誰がどう撮ったか
ということへの考察は素晴らしいので、被写体への議論も進め
てもらえると嬉しいと思う。


1938年刊スペイン内戦の写真集。キャパとタローが著者

キャパ/タロー 二人の写真家展

2013-02-23 | photo
行きそびれていた横浜美術館の「ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 
二人の写真家展
」に行く。3/24まで。

横浜美術館が所蔵するキャパの193点を全部公開するのは初であり、
初期のパートナーだった、タローの83点をNYのICPから借りて日本
で公開するのも初とのこと。キャパの全貌を見るいい機会。


SPAGNA – Bilbao – Allarme aereo 1937

今回270点をこえる多くの写真を見て思ったことが、戦闘シーンは
意外に少ないこと、兵士の姿よりも一般市民の写真の方がはるかに
多いことだ。


Naples, Italy, October 2, 1943

キャパというと、崩れおちるる兵士、Dデイの兵士といった戦場の
写真イメージや トロツキー、ヘミングウェイ、バーグマン、ピカソ
といった有名人を撮ったイメージが強かったけど、戦争の影響を受
ける市民の写真が多いことに驚き、そこに彼の意図や狙いが何だっ
たのか考えてしまう。



世界的に有名になったキャパが「(第二次大戦後)中年にさしかかり
写真を撮る情熱が失せていた」という写真家・小説家の横木安良夫さ
んの解説も興味深かった(展示会カタログより引用);

1,赤狩りによってアメリカのパスポート剥奪の危機にあり、解決する
ための弁護士費用をマグナムに前借りして破産状態だったこと

2,腰痛を患い、仕事ができず肉体的にも精神的にも最悪の時

腰痛がなおりかけた頃、毎日新聞社の招聘で17日間日本に滞在した
んだけど、それによって写真を撮る情熱が蘇ったそうだ。合計2181
枚撮ったそうで、短期間にこれほど撮ったことはなかった。


Tokyo Station April 18, 1954

彼は庶民のありふれた日常を、精力的に撮る。もしかしたら、撮りた
のは個人で、戦場だろうが、有名人だろうが、無名だろうが関係なか
ったのかもという気がした。

「LOST&FOUND PROJECT」はアートか?

2013-02-22 | photo
2/2でOPEN SHOW CP+で発表をお願いした一人、高橋宗正さん
10/26に紹介していただいた「LOST&FOUND PROJECT」
時の話を忘れないうちに。

津波で失われた写真を、洗って持ち主に返すボランティア活動の
なかで、ぐじゃぐじゃないなって誰が映ってるかわからなくて、
持ち主が見つからない写真の企画展によって寄付金も集めている
PROJECTだ。


アルバムはページに挟まった泥を払い、ぞうきんで拭く

日本でも欧米でも展示会を行っているんだけど、欧米ではアート
とみなされるのに対して、日本ではそうではないという点が興味
深い。

欧米の場合、この写真をペタッと貼ればそれでアートというシン
プルさがあるのに対し、日本ではアートは胡散臭いと見なされる
傾向があるから、話し合いの場を作ろうという持ちかけになるそ
そうだ。



それで考えていたんだけど、これらの写真ってアートなのか?
プリントした写真を水で濡らしたり、海につけたりして、汚し
て作って行く作品だってある。

個人で撮ったパーソナルな写真の中にも、本人にはアートって
意識がなくてもアートになるってことはあるのか?

それともアートにしようっていう意志が必要なんだろうか、複
数の写真を発表しなければアートにならないんだろうか?



ギャラリーや美術館や書物で飾られれば、他者(ギャラリスト、
キュレイター、編集者など)がアートと認めることがある。

でももはや、発表の場所はキューブ(ギャラリーや美術館)か
らでることが多くなってるし、ネットだってある。

アートの定義も多様化して、それが加速しているかも。とはいえ
受入サイド、買い手がそこまで理解するかどうかがポイントかも。
それは作品や作家に戻ってくる。

郡山総一郎「FUKUSHIMA×フクシマ×福島」

2013-02-21 | photo
2/2のOPEN SHOW CP+で発表をお願いした郡山総一郎さんの
フクシマの写真集が完成したのは、その前日だった。間に合
わせていただいたのは、嬉しかった。



彼のフクシマの写真集はこれが2冊目。毎年の様にだしている。
1冊目「原発と村」がソフトカバー・B5・P94・ \2200だったの
が、今度の「FUKUSHIMA×フクシマ×福島」はハードカバー・
A4・P72とページ数こそ減れサイズも大きくなり紙も厚くなりと
質が高いのに\2500とお得感が高いw

  消費されていく写真ではなく、いつまでも残る写真

という狙いが込められている写真集だ。依頼仕事ではく、自腹で
撮ったものだけに、自由にやってる感じが1作目より強く出ている。

  ドキュメンタリーとアートの境界をとりはずし自由に撮りたい
  写真はどういう見せ方をしてもいいと考えている

放射能をどう撮るかという問いかけに悩んだそうだけど、自分の
感じるものを撮ろうと覚悟を決めたそうだ。



OPEN SHOW CP+の時、モデレータをお願いした横浜美術館の学芸
員の天野太郎さんから、「写真集にしたりプリントにして売ること
が、現地の人との関係性が悪くしませんか?」という質問がある。

郡山さんの返答が「今のところお世話になった方々との関係もいい」
とのことだけど「被写体が隠したい、見せたくないものを撮るのが
写真家で、石を投げられ、刺されてもいいって思っています」という
のが写真家というかジャーナリスト魂を感じさせられる。



天野さんが「写真集は、よく作ってくれたという結果になりやすいの
ですが、プリントにすると売るの?と関係が悪くなったりしますね。」
と言ってはった。

昨日書いた、今井智己さんの個展「Semicircle Law」は 同名の写真集
あって天野さんのエッセイが掲載されている。ギャラリー展示だから
値段も付いている。でも今井さんの写真には人物が写っていないから
地元との関係性うんぬんはない。

被災地や戦地の写真を写真集やプリントで販売することは、値段つけて
いいんだろうか、寄付金をいれなくていいんだろうかと、ちょっとした
葛藤が生じる可能性もあるが、それを乗りこえないと仕事として成立、
ないし継続性がなくなるのも事実。



フクシマの人々の変化について郡山さんが語っていたのが、最初はうまく
いくのかもという「希望」があったのが、時間がたつと「あきらめ」に変
わり、最近ではカネの話でコミュニティが崩壊しつつあると。

あそこはいくらもらった、自分はもらっていないとか。移住によって絆が
強くなるというのは幻想なのか。仮設住宅の駐車場に停めてある高級車を
狙った破壊事件が起きているらしい。それが原発事故の前から乗っている
車であっても。フクシマはどうなっているんだろう。



写真はどれも写真集からで郡山さんのFACEBOOKから。

今井智己・フクシマを撮ること

2013-02-20 | photo
ちょっと前に終わったんだけど、写真家・今井智己さん
「Semicircle Law」を六本木のタカ・イシイギャラリー で
見る。"半円の法則"という意味だそうだ。

震災が起こった4月から定期的にフクシマを撮ったもの。
これまでの今井さんの写真は場所性とは距離をおく写真、
どこで撮ったということに重きを置かない写真を撮って
来ているから、フクシマをどう捉えるのか興味があった。

フクシマに対するいろんな考えを、この写真は反映しないと
感じています。今回の写真は、あるルールに沿って撮り続け
られた資料のようなものです。



そのルールとは福島第一原発から30kmの圏内の複数箇所で、
原発の方向をフレームの中心に据えるというルールに基づい
て撮影したそうだ。撮影場所は海があるから半円の中に収まる。

福島第一原発が映っていてもそれはとても小さい。もしくは
映っていない写真もその方向には福島第一原発があるわけだ。
言われなければフクシマとはわからない。放射能は見えるはず
も映るはずも無いけが、放射能の影響も写真からは感じられない。



でもフクシマと知ってみるから、どうしようもない緊迫感と
こちらではなくあちらという諦念感を感じてしまう。そして
その場で、何を感じて何を見てたのか見えなかったのか考え
ている。

正当な意味で当事者ではない自分は、なにもしなければ他の
多くの惨事と同じようにこの惨事をゆっくりと忘れていくだ
ろうと思っていた。忘れるとは慣れること。車を4時間も飛ば
せば着く場所に空白の半円があるということに慣れたくはなかった。

それでもきっと慣れてしまう。

忘却のなだらかな坂を下っていくばかりの僕に写真は、自分が
見たものだけではなく、見えなかったことを思いださせてくれる。


バレンタインの悲劇 in 南アフリカ

2013-02-19 | 
昨夏のオリンピックで、義足のランナーがパラリンピック
のみならずオリンピックに出場して驚いたのは、はるか昔
のことのようだけど記憶にある。

このピストリウスさん(26)が殺害容疑で逮捕されたニュー
スは、世界で報道されている。南アフリカで起こった事件
なので、BBCのサイトをみると、トップニュースの扱いだ。

恋人を故意か間違って銃殺。しかも人気モデルのスティン
カンプさん(30)というのだから。



もう裁判なんだと思ったら、保釈するかどうかの審理が行わ
れている。検察は逃亡の恐れがあると言ってるみたいだけど、
南アフリカの英雄だから逃げも隠れもできないでしょ。オリ
ンピック選手だから追いつかないっていうわけではあるまい。



慎重に捜査をする必要があるから、事件に影響がないように、
刑務所に入れておきたいのかもしれない。



彼の豪邸に関する情報も、内部写真、そして平面図となんでも
公開されている。平面図はこの審理している裁判所で公開され
ていた。計画犯罪か事故か。



事故だったとして、彼がすることは辣腕な弁護士に依頼するこ
とではなくて、懺悔して、後悔して、彼女の夢(それが何か知
らないけど)の実現に一生をささげるとか、教会や福祉施設で
働くことなんかじゃないかな。

しかも彼の新恋人は現れにくいって思う。間違って撃ち殺され
る危険性があるんだから。いや、それでもつきあいたいって女
性もいるのかも。



警察は二人が大声で言い争っているという証言を得ているそう
だけど、疑いを持っているのは、「泥棒を追い払うだけのために、
4発も発射するのは多すぎるという点。頭を狙って確実に射殺す
る必要があったのかという点」という記事を読んで考えされれた。


事件の1週間前の写真

でも、仮に口論したとか、別れ話になったとか、で射殺するかな
って思うのね。かっとなって殺すこともあるだろうし、そういう
事件もたくさんあるんだけど、失うものが多すぎるからね。

うまくいかなければ、別れるだけのこと、結婚しているわけでも
ないんだし。でもそれは日本人というかボクの感覚で、愛や恋愛
が大事なことの1つに相対化されてきているからかも。

と思ってたらドーピング疑惑が浮上。察官が証人として出廷した
そうで、「自宅から筋肉増強剤や注射器が見つかった」と証言。

これはにおうなと思う。これが本当で公表される危機がピストリ
ウスさんに生まれたら。もしも、恋人のスティンカンプさんとド
ーピングを公表するしないで口論したのなら・・と警察は考えて
いるのではと思う。