写楽は謎っていう気がしていた。曰く、誰が
はっきりしていない、制作期間が半年は短すぎる、、
そして本屋にいけば、写楽の謎に迫るという
類の本がいっぱいあるから。
でもちゃんと自分で読んだり、調べていないから
謎って思いこんでいただけってことが、狩野博幸
さんの「江戸絵画の不都合な真実」(2010)を
読んでわかる。
1979年の美術全集に彼はこう書いたそうだ、
「中野三敏の二論文の綿密周到な考証によって
写楽の実像がほぼ結びかけている。」
なのに写楽謎説は増殖を続けている。
それは、と本書で、江戸時代の身分制がわかっていない
からだと。身分制が法的になくなった戦後に数多くの
写楽説が生まれたのはそこに原因があると。
歌舞伎役者はいまと違って、身分的には低いというか、
士農工商の外側にいた。だから武士や狩野派の画家が
歌舞伎を楽しむことはできても、役者達のすがたを
描くことは許されず、いわゆる浮世絵師の仕事だった。
「諸家人名 江戸方角分」に「号写楽斎」が住んでいたと明記
なのに徳島藩の武士、斎藤十郎兵衛が
役者絵を描いたことがわかっている。
描いてはいけなかったけれど、非番の時に
身分を隠して描いたものだったんだね。
非番が半年か一年交替だったから、その
半年を利用したそうだ。
そこまでして描きたかった斎藤十郎兵衛に
逆に興味が湧く。
はっきりしていない、制作期間が半年は短すぎる、、
そして本屋にいけば、写楽の謎に迫るという
類の本がいっぱいあるから。
でもちゃんと自分で読んだり、調べていないから
謎って思いこんでいただけってことが、狩野博幸
さんの「江戸絵画の不都合な真実」(2010)を
読んでわかる。
1979年の美術全集に彼はこう書いたそうだ、
「中野三敏の二論文の綿密周到な考証によって
写楽の実像がほぼ結びかけている。」
なのに写楽謎説は増殖を続けている。
それは、と本書で、江戸時代の身分制がわかっていない
からだと。身分制が法的になくなった戦後に数多くの
写楽説が生まれたのはそこに原因があると。
歌舞伎役者はいまと違って、身分的には低いというか、
士農工商の外側にいた。だから武士や狩野派の画家が
歌舞伎を楽しむことはできても、役者達のすがたを
描くことは許されず、いわゆる浮世絵師の仕事だった。
「諸家人名 江戸方角分」に「号写楽斎」が住んでいたと明記
なのに徳島藩の武士、斎藤十郎兵衛が
役者絵を描いたことがわかっている。
描いてはいけなかったけれど、非番の時に
身分を隠して描いたものだったんだね。
非番が半年か一年交替だったから、その
半年を利用したそうだ。
そこまでして描きたかった斎藤十郎兵衛に
逆に興味が湧く。