ペタンク爺さん

ペタンクで遊ぼうよ!で20年

薄暮ペタンク初日

2010年05月31日 19時47分23秒 | ペタンク・練習
一年ぶりで、八紘学園の寮を訪ねる、そう6月6日にこの学園のグランドで開催される北海道ペタンク学生選手権に参加する学生さん達にペタンクの指導をする為、普段は全くペタンクボールに触ることは無い、この大会に参加するための、特別の練習会で一週間ほどで選手に仕立てて大会に参加させてきていた。
今年も、午後5時前に寮に着き持って行った宣伝要項を食堂の壁に貼らさせてもらう、食堂は夕食の支度は終っていて学生達の帰ってくるのを待っていた。
グランドに出て、皆の帰りをペタンクのデモンストレーションをやりながら待っていた、今年の1年生は30数名とのこと、此処にも少子化の影響が来ていると思った、普通の学校と違って子供達は素朴だ、夕食を食べ終わって2年生チームが集まって来た、昨年準優勝したチームが残っているので、今年はと張り切っている。
暫く振りのペタンク、ほんの少しの指導でゲームが始まっていた、そこへ1年生のグループが顔を出しした、ここはペタンク爺さんの出番で、ブッツケ本番でゲームを始めさせる、一試合終る頃には、要領が会得できたのか、盛んに自分流の投球方法を試していた、それでも基本は大事なので、短時間であったが少しは指導できたかと思っている。
明るいうちから始まったが、薄暮を通リ過ぎ、照明無しのナイターになっていた。
明日も来て指導すると約束し帰宅する。
今日は、午後1時まで野牛山で竹の子採り、兎に角ひさしぶりで山も熱かった。

緊急ペタンク指導練習会

2010年05月30日 12時09分26秒 | ペタンク・練習
北海道学生選手権大会は、2000年7月に北海道ペタンクリーグ主催で開催された、それから2006年まで7月開催が定着していた、組織の名称変更で2007年から、JPBU北海道が2009年まで主催していたが、この春から日本ペタンク協会と合併し、主催は札幌ペタンク協会と北海道ペタンク協会が後援で、改めて継続開催となった、同時に7月開催からひと月早く6月6日が開催日になり、慌しく感じられる今年の大会になった。
この所、開催会場は月寒にある北海道農業専門学校(八紘学園)のグランドを借用してやってきた、同時に此処の学生にも呼びかけ大会に参加してきていた、数年前だが八紘学園が優勝した事が有った、昨年も準優勝に輝いている。
ただ、この大会だけに参加するため大会開催日まで、殆んど1週間くらいでペタンクの指導を受け、特訓をして参加して来ている、今年もペタンク爺さんにお呼びが係って来たので、急遽学校と連絡を取り31日の夕方から特訓をする事に決める。
此処の学校は2年生で、春から秋までは殆んど野外での農作業の実践をしている、全寮制なので5時で作業が終るので、そのあと夕食を食べ終わってからの日没までの短い時間が貴重な練習時間となる、ペタンク爺さん、選手の勧誘をやったり講習をやったり、大会日まで毎夕方から八紘学園の寮に通う事になる。
此処の学生達には、練習量は他の学生達には敵わないが、一番大事なものは「ハート」で此処の学生の最大の武器はハートで全てクリアー出来ると解いている。
写真は、昨年の特訓風景。

宇宙人にあらず

2010年05月29日 16時19分41秒 | ペタンク・日常
今日の竹の子採りは、市場が休みのため学園の創造の日のテーマーで取組んでいる、竹の子水炊き瓶詰めを作るための材料としての竹の子採りで、本来ならグループのメンバーも一緒に収穫に加わって貰いたい所だが、山に慣れていない人には危険が伴うので、どうしても一緒にとは誘えない特に女性なので無理な話だ、と言う事で収穫してからの後の作業をお願いして、午後1時に集まってもらうように手配してあった。
いっもの入り口に到着したのは午前7時頃、晴天と土曜日とが重なり、いっものケートの鍵は開けられ私も含め一気に4.5台入山する、途中道路のアッチコッチに車が停まっていて早ササヤブに繰り込んでいる人達もいた。
どうしてか、人の集まるところに人が集まる、群れる習性を不思議に思う、そんな所を通過し私が開拓している獣道から入る、昨日は同じところの入り口付近だけで採っていたが、今日は本命の一番奥まで入り込む、一年も経過しているので景色が変わる、万が一を考え所どころ目印を縛りつけ奥へと進む、途中結構大きな広場に出る、ここを基地にしてこの先の竹薮へと入り込む、まだ日当たりの良いところは出ているが、全体にはまだ早かった、それでもどうやらこうやら袋一杯を収穫し、背中に背負い竹薮の中の坂道を車の所まで持ち上げる、結構しんどい仕事だ。・・・・・好きでないと出来ないと思う。
お昼過ぎには、帰還していた予定の午後1時少し前にはグループのメンバーの女性二名が到着し早速下処理を始めた、終ったのは午後三時を過ぎていた、今日の収穫したものは一晩水に付け灰出しをすることにした、昨日下処理していた竹の子を瓶詰めにし、圧力鍋で熱処理をする、その内の完成した製品を手伝ってくれたメンバーの二人へのお土産とした。

先日から、何回か竹薮に入り込んでいるが、大事な顔に切り傷が耐えなかったので、つい思い出した厳冬期に使用する覆面をかぶる事にした、少し熱いが我慢する事にする。

中央市場へ初出荷

2010年05月28日 16時52分27秒 | ペタンク・日常
例年から見ると、相当遅くなったが市場に出荷するほど収穫があり、初出荷に至る。
数日雨の日が続いた後、今朝も山に入ったがササが濡れていて合羽を着込む、気温が低かったのでさほどの暑さも無かった、ルートBから入り本命の奥まで入ろうとしたが、入り口付近から結構な太さの竹の子が出揃って待っているようだった、それではと奥まで入らず兎に角取り出した、A地点にラジオを木にぶら下げ付近から取り出す、ラジオの音がぎりぎり聞こえる所にラジオBを置き更に竹薮の奥と云うように、安全を期しての竹の子採り、自然に必要にかられて、このスタイルが私の竹の子採りの秘伝と云っても良い。
その前に、竹を切ったり目印を付けたりして獣道が出来てのスタイルです。
相当昔から、このルートに通い続けていたが、最初は造林の林道が付いていてオートバイで入っていた、その内林道の端から竹が占領しだし、この頃は林道の跡さえ無くなる所も出て来た、それに数年前の風台風で大木が何本も行く手を塞ぐように行く手を塞いだ、そのせいもあって、このルートは私の専用となっているので、また是も良しとしている。
今日の出荷は15キロ、残り自家用の瓶詰めにすることにする。
ひと背負い20キロが限界と思う、明日も入山予定だが市場は休み、瓶詰めにする事にしている。

区の樹木は林檎(花盛り)

2010年05月27日 14時32分06秒 | ペタンク・日常
春の訪れは桜から始まった、山懐は「えぞえんごさく」で紫色に「二輪草」で真っ白な花が足元を彩る、街の公園ではタンポポが黄色一面に埋め尽くす。
春の季節のうつり代わりはダイナミックだ、今は遅咲きの八重桜(寒山)が満開に、その他の桜は最早葉桜になっていた、人の世と同じとつくづく思う。
私の住んでいる地区は札幌の東に位置し、豊平川を挟んで豊平町と言われていた、その後札幌市に合併され豊平区になって行った、今はすっかり無くなってしまった林檎畑が、広々と広がっていたと言われている、その名残を残すのに道路の街路樹に林檎の木を使い、秋には林檎がたわわに実る風景で昔を忍ばせている、収穫した林檎は市民に毎年配っている。
今年は、ライラックの花が満開にならないうちに、林檎の花が咲き出した、もう満開に近いところもあった、りんごを美味しく食べて、それに林檎の花も奇麗で、二度楽しませるりんごの木は素晴らしい樹木と思う。
林檎は、暖かいところでは育たない、北方系植物と聞いている。

アウトレット北広島

2010年05月26日 15時32分59秒 | ペタンク・日常
開店してから、もうひと月ほど経っていると思う札幌の東のはずれ、千歳の方面に向う道路沿いに札幌と北広島市の境に位置し住所は北広島に属す。
この付近は、札幌の中心部から移ってきた新聞社や大型店舗が前々から有ったので、これでまた集客する条件が更に条件が良い、周りはまだまだ空いている土地があるので、大規模な商業都市になる要素も含んでいる、此処まで来ると輪厚のゴルフ場も目と鼻のさき、高速の入り口も近いの千歳までは20分ほどで着いてしまうと思っている、雨が続いているので先日入りそこねたアウトレットに行ってくる、平日だったが駐車場は結構混んでいるように見えた、車のナンバーを見ると北海道内の各地から来ている車も結構目に付いた、此処を目当てに遠くから来ているのが判った、あまり知らないようなメーカーもあって見て歩くのが楽しいかもしれないと思う、ただひと回りした後は疲れきっていた、昼食だけは期待して来ていたので、いろいろ思案したあと、かきあげ海老天とそばを注文する、この食べどころハワイで食べた所と同じシステムで、大勢で来ても各自好きな物を注文し食べるので、これは好評だと思った、兎に角騒々しいが、こんな食文化も楽しいと思う。
今日は、何時も持ち歩いているデジカメを忘れ携帯のカメラで撮影する、使い慣れないので面倒と思っている。

花壇と家庭菜園

2010年05月25日 15時07分10秒 | ペタンク・日常
種まきをしてから、二週間はとっくに過ぎている一番早かったのは連休前に直蒔きをしているが、花の種は小さいし芽も小さい、出てきているのもあるが、一向に目を出す気配さえ無い物もある、畑ばかりではない蒔くところがなくプランタンや鉢に種まきをしている、それも表立って植えられるものは、花が原則で野菜栽培は禁止されている、これは団地内では無理からぬ事と思う、それでも野菜栽培を諦められない場合は、各自のベランダ栽培となる、今もプランタンに先日植えた手無し豆が漸く芽を出し喜ばせてくれている、それに鉢植えで大葉の苗を買ってきて並べている、それからトマトの苗1本、これが今の所の菜園の全貌だ。
最近は、種よりも苗の種類も増えスイトコーン、エンドウ、など野菜の苗の種類が増えている、花も咲いている花の苗を売り出している、育てる楽しみが無いのは一考させられる、これも世相かなと思わずにいられない。
花の他にベランダの手すりを利用し葡萄のデラウェアがある、もう10年近くになるので毎年沢山の葡萄が実る、それに団地公園内の石垣の側に木苺、これは採り尽せないほど実がつき近所の子供達の楽しみにもなっている、その他1本あったブルベリーも今年は三本買い足し並べて植えた、どうやら根付き安定しているので、楽しみがひとつ増えている。
それにしても、今年は寒さが続いている何時もなら初夏のような日も時々有るはずだが、我が家のライラックはいまだ花が咲かない、何と言っても札幌はアカシアの花が咲く頃が、一年中で一番いい季節、それが訪れるのを心から待ち望んでいる。・・・・・・・・・・やっぱり札幌祭り(北海道神宮祭)の頃になるのかな?・・・・

竹の子初出荷

2010年05月24日 14時34分18秒 | ペタンク・日常
西の方から低気圧が進んできていた、三日前に本格的に竹の子採り入り、初日に古傷の左ひざを痛めてしまっていた、手当てが早かったせいか、あまり腫れもせず痛みもせず、完治と行かないが安定していた、それではと今日の入山となった、予報では夕方から雨のはずだったが9時頃現地に着いた頃には、霧雨が降り出していた、今日のところは北向きの斜面なので一番遅く出て来る所だが、シーズンを前にして全コースを廻っておく必要があった。
しかし、矢張り予想通リ一週間は遅れていると思っている、ここは竹が太いので出てくるのも遅くなるのは必然と思う、本当にまだ走りの走りの竹の子を採り終えたが、これ以上は無理と何時もの野牛山麓に廻る、雨の中を矢張り季節なので車が4.5台入っているのを見た、あまり取れている様子は見えなかった。
明日、明後日と雨降りの日が続く、この後木曜日に焦点を合わせる事にし帰路につく、竹の子も雨の中で収穫しているので汚れている、それではと近所に竹の子の初物と届けて歩く、残りは、明日は創造学園の登校日、何人かに差し上げる事にし袋詰めにし、本日の収穫は全てお使い物になった。
まだ太い竹の子では無いが、初物としての価値観が高いかなと期待している。
写真の一山を10軒に分け終え、今日は一本も残さなかった。

ダッチオーブン

2010年05月23日 15時42分52秒 | ペタンク・日常
日曜日、天気が良いが風が強く折角の太陽の熱も風がさらって行く、今日の気温は20度くらいに上昇するはずだが、10時頃になっても肌寒い日曜日、それでも明日から雨の日が三日ほど続く、それを見越して近郊の山は山菜取りで賑わっていると思う。
例年なら竹の子の最盛期に入っていると思うが、今年に限り10日ほど遅れていると思う、兎に角植物全体の成長が著しく遅いように感じる。
それでも、その時期になると楽しみにしている人たちが山に入るのは自然の事と思う、それにしても、早々と数件の遭難騒ぎで話題を提供している、行方不明者も出ている、こんなところと思う場所で熊に襲われ犠牲者が出てしまった。
熊にしてみれば、我が敷地内に無断で入ってきた人間は、熊のほうから見れば無法者となっていると思う。
山に入る場合は、それなりの準備と心構えが必要と自覚している。
そんな訳で、よほどでなければ人を誘うとまではなかなかなれない。

先日少しはなれた所に、アウトレットがオープンしていた、開店してから数週間経過しているので、日曜でも少しは空いていると思い、午後から出かける、所が目的地少し手前から左側帯が車が動かなくなっていた、遥か先の駐車場入り口までの長さを見て、今日の入店はあっさり諦めた、此処まで来てと、そのまま通リ過ぎAKに入る、買物はトマトの苗1本、それに食品売り場で、マトンの塊を見つけ焼肉にと買う、そう今日は暫く使っていなかった、ダッチオーブンでの焼肉、味付けは塩コショウのみ、きっと美味しい夕食になると思っている。
五年物の、自家製梅酒に、こくわの砂糖漬けを入れて、一杯としゃれ込みます。

買物はスパーで

2010年05月22日 15時53分23秒 | ペタンク・日常
今の所、一週間ほどの食料を数軒あるスパーをその時のチラシを見ながら決めて買物にあるっている、車で行くので多少の多さでも苦にはならない、車がない生活は考えられない、一番心配している緑内障も今の所進行していない、免許も切り替えたばかりなので、暫くは安心している。
ようやく、気温が上がりだした札幌も遅く咲きだす八重桜が所により満開になっている、町内会のエリアにある八紘学園の校長の庭の中にある枝垂桜が満開だった、昼食後スパーの梯子をして最後に八紘学園の学園の直販所に立ち寄る、お天気がいいのと土曜が重なり、グループでやって来る人たちで賑わっていた、今此処に来る人たちの目的のひとつは学校の乳牛で作ったソフトクリームが目当てだ、来場者の90パーセント以上は食べて帰っていると思う、無論私も同じ。

昨日収穫して、茹で上げてある根曲がり竹の水炊き瓶詰めを制作途上、間もなく完成し最後はレッテルを貼って仕上げる事にしている。
二週間ほどしたら、ビンを空け異常ないか確認作業が残っている、成功することを信じている。

竹の子採りの下見

2010年05月21日 15時20分37秒 | ペタンク・日常
本格的に取り出す前に、何時ものようにルートの確認に出かけている、殆んど自分だけのルートつくりを毎年している、工夫して自分だけが判る目印を付けたり、笹竹を切り開いたりしながら、その年の特別ルートを作っているが、微かに前年度の付けたルートを辿りながら完成させている、一年経つと微かな獣道も笹竹に覆われている、周りの地形を確認しながら今年も、何時もの竹の子採り場まで、たけのこ場Bのルート作りが出来た。
本格的に採取する所は、まだ3.4日後の週明けと見ている、ルート途中の暖かいところではしりの竹の子を採る、残念ながら帰りしな竹を踏んで足を滑らし、左ひざ内足靭帯を伸ばしてしまった、帰宅後近くの近藤整形外科に行き処置をしてもらう、先生はまだ元気に診察を続けておられた、スキー関係で多くの子供達がお世話になっている。
処置が早かったので、2.3日安静にしていれば、また山歩きは差し支えないと自己診断している。
写真は、ラジオを聞きながら足を引き釣りながらササヤブから出てきたところ。
見た目は、なんの異常もない。

食品保存

2010年05月20日 12時38分36秒 | ペタンク・日常
山菜採りの下地は、親父に付いて沼釣り、川にヤマベ釣りの帰りしな、フキやわらびを採って帰っていたことあり、どうやら親父譲りとも思っている。
札幌に移り住み、特に円山地域に住み着いた30歳後半から入山が始まった、一年のサイクルの中に入ってきていた、山菜で一番易しく収穫できるフキが最初の山菜保存の始まりと思う、冬場の野菜の代用として大いに役に立っていたと思う、その内竹の子採りにニセコ迄行くようになり、同時に6月中旬まで積雪が残るニセコに子供達のスキー練習とセットになっていた事もあった。
春の山に入るのは、北海道に住む人間としては最高な至福の時でもある、今年も始まったばかりの山菜採りは、学園の食品保存テーマーと重なり、いやがうえにも力が入ってくる、前年までは塩蔵が主体だったので、さほど難しい事はなかった、それを今年は、ビンから取り出したら直ぐ食べられる水炊き保存にしようと、現在研究中、本命は竹の子ときのこと決めている、間もなく竹の子は本格的になる、失敗は許されないと、出始めたこごめを勉強材料として、ただいま取り組み中、昨日収穫してきたこごめを朝から、瓶詰め製品に完成させた。
この後、二週間後くらいに開けて見て、成功しているかどうか確認する事にしている。
成功している事を願っている。

新ルート作る

2010年05月19日 18時24分26秒 | ペタンク・日常
五月に入り、いよいよ山菜シーズンになってくるが、札幌近郊には恰好の国有林がいたるところにある、兎に角恵まれていると言ってもいい。
前シーズンの秋、写真のゲートから出ようと山から下りてきたが、いつの間にやらビックナ土嚢がゲート前を塞ぐように積み上げられていた、やむおうえず、遠回りになるが入ったゲートに舞い戻り山から出て来た。
今日、1人で保存研究用のコゴメ採りに行ってきた、今頃はコゴメ直ぐ取れてしまい、それではとたらの芽採りに移ったが、足元を見ると竹の子のはしりが出始めていた、上を見たり下を見たり竹薮の薄いところを歩き回る、ウドもようやく顔を出し始めた、と云う訳で今日の山菜取りは五目採りになってしまった、自家用だけでは少し余分に採れてしまい、それから帰ってから届けるところを考えながらの、山菜取りになってしまいました。
今は、まだはしりで保存には向かないので、旬を食べるが一番いいと思っている。
近道になるので、ひょっとしたらと、写真のゲートに来て見たら、驚いたゲート横には左右2本の新ルートが出来上がっていた、その他土嚢も一部移動されルートは開いていた、この様な結末に営林署もどんな対処をするのか考えさせられる。と思う。
国有林は、なんだかの規制はやむをえないと思うが、ルールを破られてはもうどうしょうもないのかと、考えさせられる出来事でした。

帰ってから、こごめ、たけのこ、たらの芽をセットしレシピをつけて、今日は近くのお友達の三軒にお届けして来ました。・・・・明日は雨、この後3.4日後に入山予定。

道産子の苗字とルーツ

2010年05月18日 16時01分58秒 | ペタンク・日常
北海道の歴史は、新しい、明治維新、廃藩事件と急激に本州から移住してきた人たちが今の北海道民を形成されていると思っている、私のルーツは父親の代で来道している、その後私の子供に孫が出来ているので北海道人になって四代になった。
出身地は、新潟県の海岸で佐渡島が望める陸の孤島とも言われた、五ヶ浜村で其処が私の誕生地である、何でそんなところが私のルーツかと言うことは、子供の頃から父親に刷り込みのように聞かされていた、そんな証拠が新潟のルーツに記録が残されている。

日蓮の佐渡流罪が決まりました。その際彼を護送して佐渡に渡った中に、遠藤左衛門尉藤原正遠(えんどうさえもんのじょう・ふじわらまさとお)がいました。
3年後の文永11年(1274)2月14日、日蓮は赦免となりましたが、佐渡にとどまっていた遠藤氏は81歳で重病だったため、この世での日蓮との再会は困難と名残りを惜しんだところ、日蓮はその枕辺で自ら判を刻んで、霊山浄土での再会を約束したといわれています。
その後、遠藤氏は11代まで佐渡に在住し、12代遠藤冶部左衛門定通 の時に五ヶ浜に移住して、代々庄屋を勤めました。
移住当時この地の5ヶ所に村があり家数60軒ほどでした。その5ヶ村を一村にまとめ、「五ヶ村」と名づけて村方取立てを申し出たものと伝えられています。現在でも本家は当地に留まっている、還暦の年に里帰りした時に父の妹が存命でお逢いする事が出来たのは今でも幸運と思っている。

と言うわけで、私のルーツは人に自慢できるものでは無いが、鎌倉時代まで遡る事が出来る、今日のカリキュラムで道産子の苗字とルーツの授業で一気に甦ってきた。


山菜採りと創造学園

2010年05月17日 14時56分25秒 | ペタンク・日常
創造学園の専攻科の授業の一環として、創造の日があり1グループ10名くらいで、12月に発表会がある、各グループでテーマーを決めて取組む授業がある、私が入っているグループでは食品保存をやる事にし、スタートを切っている、保存の中でも私が一番得意としている山菜採りを組み入れ、山菜の水炊き保存に踏み切った、その手始めに今日は車二台で本命のコゴメ採りに出かける、場所は支笏湖線の厚別川上流に入った、先日下見に来ていたので無事目的の山菜は収穫できた、少し山道沿いを歩き回り、女性ばかりの一行としては結構な運動量になっていたと思っている、予め用意して行った天ぷらの道具をセットし自らコゴメの天ぷらを揚げ試食してもらいました、山で食べると何でも美味しくなるのは、家庭では出来ない野趣豊な環境に他ならないと思う。
山菜取りも初めての人もいたり、本当に楽しい授業の一環でした。
帰宅後、山菜部の数名で早速コゴメの水炊き瓶詰めに挑戦する、整理から始まり、製品が曲がりなりにも出来たのは二時間を経過していました。
でも、瓶詰め4本作りましたが決して成功とは云えないように思っています、今日の経験を土台に、近いうちにもう一度山菜収穫に行かなければと結論付けています。
今日のところは、5月末から6月上旬にかけて竹の子採りのメッカにもなる所です。
此処では、遭難騒ぎも無いところです。ただ入り口辺りは無法ごみ捨て場に変貌しつつあり、本当に嘆かわしいと思います。・・・・お昼時道路の真ん中で店を広げ食事になりましたが、平日なので、こんな所までは、誰も車で入ってくる人はいませんでした。