ペタンク爺さん

ペタンクで遊ぼうよ!で20年

遠藤農園空っ風対策

2015年04月30日 17時43分36秒 | ペタンク爺さんの一日

清田から真栄そして有明を通ってすずらん丘陵公園まで、その先は支笏線まで繋がる厚別川が流れている山と山の谷間になる街道があり、ここから札幌の南区に通じる抜け道になっている所で、川ばかりか風の通り道になっている、一年間この市民農園を使ってみて始めて判った事だった、昨年は皆さんが防風ネットを張っている人もいたので見よう見まねで、手持ちのネット(幅50cm)を利用していた、使って見て高さが足りなかったことに気が付いたが、有り合わせのネットを利用したのでそれはそれで良かったと思っている。

兎に角、空っ風の強い所なので防風ネットは欠かせないと思い、今年は思い切って幅1mの防風ネットをを買い込む、3,000円の出費だった、此れでほぼ完璧な風対策が出来ると10時頃から始まったネット張り作業を終わったのは、昼食時間を含め午後2時まで掛かった、ネット杭は昨年持ち込んでいた物で何とか間に合って出来あがった、周りの畑を見回しても防風ネットを張っている所はまだ見当たらなかった、完成して見て感じたことは空っ風を50パーセントくらい遮り穏やかになっている様に感じた。

一年生から、二年生になった小学生のように成長している事が感じられ、少し嬉しくなる。

ネット張り作業の次には、ベンチ等を置く畦道の整備と畦間に持ち込みの自家製未熟堆肥をマルチングとして引きつめこの上に余しているネットで抑え針金杭で固定しようと考えている、此れが完成すれば雑草が出てくる事が無くなるので今から楽しみにしている、畦全部でないが今年はマルチング栽培を考えているので昨年みたいに雑草取りは省けると、想像しているだけで嬉しくなる。

明日は、定期検診があり農園はお休み、2日の土曜日から友人の本間氏が何日か遠藤農園の助っ人として参加してくれる、直ぐ近くに住む頼もしい親友です。

風対策も出来る


畑の傍で山菜収獲

2015年04月29日 19時01分48秒 | ペタンク爺さんの一日

遠藤農園三日目

今日も9時には家を後にしていた、昨日までと違うことはお昼に帰宅しなくてもお弁当を持参したことで暫く使っていなかった、ランチボックスを捜しだし、妹に頼みご飯でなくお粥弁当を作ってもらった、農園の近くにはコンビニ

もあり、東光スパーもあるが健常者の為のお弁当や食材は売っているが、暖かいお粥だけは売っていなかった、そこでランチボックスが有ったのに気がつきお粥弁当となった。

退院後今だ普通ご飯は食べていず、お粥が続いている腸に優しいのと便秘が鬼門なので暫くはこの食生活は続くことになると思っている、気の毒なのはお付き合いで妹もお粥食事をつき合わさせているので申し訳ないと思っている。

弁当のおかずも相当気を使って用意してくれている、今日の農園は風が強く昨日と違って半袖シャツ1枚とは行かなかった、農園に行く前にホーマックに立ち寄り先日から目安を付けていた醗酵牛ふん堆肥40L483円を5袋買い込む、野菜作りは土作りから始ると今日は昨日までて作り上げていた8本の約一坪の畦に20Lづつ撒き畑に巻き込む、畦への堆肥撒き込みは午前中だけで終らなかった、お昼は車の運転席が食堂に早変わり、元気を取り戻し12時30分には午後からの作業に取り掛かる、堆肥撒きを終わらせ今度は防風ネット張りの杭打ちをする、明日からは防風ネット張り作業が続く。

今日は午後2時前には作業を終了、畑の側の市の雪捨て場の雪の写真を撮りに行くとフキの葉が目につく、此れはご馳走さんと山菜採り(山フキ)に早変わり、小さな小川にでセリも収獲出来、山にも行かずに畑の傍で山菜採りも出来た、早速夕食の食卓に出てくる蕗は山菜の王様だ。・・・・・・旨い。

雪を砕き作業が続く

山に行かないでも山菜(蕗)を収獲する

夕食に間に合う

セリも収穫出来た。

 


遠藤農園二日目

2015年04月28日 18時31分08秒 | ペタンク爺さんの一日

今朝は9時前には家を出ていた、昨日に引き続き農園のレイアウトを設計図通りに仕上げる事にと朝から張り切っていた、今日は取りあえず午前中だけの作業だけで終らせようと少し早めのお出かけだった、到着すると早々と二組ほどの農園仲間が作業を始めていたり、下見に来たりしていた。

一番に農園の物置を覗く、各自沢山の資材が物置一杯に足の踏み場もないくらいだった、遠藤農園の保管資材も相当量だった、大きなものでベンチまで保管してもらっていたので本当に助かっている、それらを車に積み込むと荷台一杯に、それを畑の一番近くまで持ち込む、そこから10M程は手で持ち運ぶ、昨日整備した畦道が幅1m長さ9mほどあるので相当の荷物置き場が出来あがっている、取りあえず使うものを畑の中に持ち込む。

午前中三時間ほどの作業時間があったが、巻尺を使って10mの幅の所を八等分して杭を打ち建築ロープで境目を出す、その境目を今度は鍬ならぬ各スコップを使って畦の間に40cmほどの畦道を掘る、この作業は午前中で終わらなかった、家を出る時お昼には終わって帰って来るからと云っていたので、11時半には農園を後にした、お昼は焼うどんを作ってくれた、昼食後の飲薬もあったのでどうしてもお昼には帰宅していなければならなかった、今日の農園の作業量が多くて午前中だけでは終わっていなかった、今日はまだ余力が残っていたので昼ご飯を食べると午後三時には帰って来るからと再度遠藤農園へ向かう、午後からも現場に到着するとまた一組の農園仲間が増えていた、結局畦幅95cm長さ4mの8本の畦(約畳2枚)が出来あがる。

結局今日の農園作業は、午前中では終わらず午後からも二時間ほどの農園作業が続いた、帰宅途中明日月命日の亡妻の好きだった、あんみつを買いに六花亭に立ち寄ったが品切れと云われ、もりもとに行く所が季節のお菓子かあんみつは無かった、やむなく其れらしいお菓子を買って帰る。

 遠藤農園で

団地の藤棚の下

 

 


市民農園一番乗り

2015年04月27日 17時21分24秒 | ペタンク爺さんの一日

今日の札幌の予報は今年一番の25度になると報じていた、ただ強い南風でベランダ下のビニールトンネルが強風で煽られ杭が抜け飛ばされてしまった、慌てて拾いに行き元に戻す、完全に補強をしたので今度は大丈夫と思っている。

今日は午後一番で市民農園に資材を持ち込んむプランを立てていた、自家製堆肥が相当量あって玄関内を占領していたので、これを兎に角現場に持ち込めればと車に積み込むといっぱいになった。

午前中、急遽木製で畦で使用するトンボを作る堆肥持ち込み後2015の作付計画書に従って畦づくり作業が待っている、自前の農機具を手製で完成させ午後から持ち込む。

幅5m奥行10m左1mの畦道を奥に向かって9m迄土を掘り下げ踏み固める、其処に持って行った堆肥6箱プラス8袋を積み上げる、2mの竹材の置き場所も出来たので置いてくる、今年の畦は入口から横に畦を切るので10mで8本切ることにしている、畦間畦道を含め畦1本1.25mで計算している今年はマルチ栽培を何本か採用する事にしている、畦間も40㎝ほど取れると思うので作業も楽になると思っている、今日も強い南風が吹き抜けていたが矢張り入口から見て左から右に抜けていた、此処は谷間の風の通り道で一定の風の方向があり、それに逆らわないように畦を切ったので今年は被害も少ないと思っている。

今日の午後から作業も二時間ほどで終了した、明日も農園作業を予定している、巻尺を使って畦幅に杭を打ちロープを張ってこうよと思っている、其れだけで二時間くらい経ってしまうと考えている、畔切鍬が無いので角スコップで間に合わせようと思っている、昨年普通の鍬は一本買ってあるが農園の物置に保管してある、今日は資材を持ち込んだだけだが、明日は物置に保管している資材も確認してみようと思っている。

 遠藤農園

 


遅いタイヤ交換

2015年04月26日 17時51分23秒 | ペタンク爺さんの一日

間もなく4月も終わり、5月の連休が近付いて来た桜の開花も10日以上早まって26日の今日の日曜日は円山公園のお花見は最高の人出を予想されている、気温も高く20度は超えている、体調が思わしくなく入退院が続いていたので、自家用車のタイヤ交換まで余裕がなかった、昨日高齢ドライバーの講習案内のハガキが届く、忘れていたが今年の10月が免許書の切り替えになっていた、まだ返納するつもりは無いので早速講習の予約をすると混んでいるのでと、9月3日が講習日と決まる。

つい先日、眼科で検査を受けた時に免許の2種を取れますよと云われているので心配していた目の検査も多分大丈夫と思っている。

午前中ベランダ下に保管していた、夏タイヤを引っ張り出す、力仕事なので恥ずかしながら妹に力仕事を他のみ車に積み込み近くのガソリンスタンドへ、今年は雪解けが早かったのでこんな遅くにタイヤ交換する車は無いと思った、昔は自分で簡単にやっていた仕事なのにと老体にやむなしと思っている。

午後からは、園芸士に時間を区切って始った、昨日JA清田から仕入れてきた花用の肥料を我家の花壇全体に穴を開けながら蒔き込んでいった、団地公園の石垣の狭いコーナーの杜若の根が混み過ぎて花付きも悪くなっていたので、石垣に添って3分の1ほど切り取り肥料を撒いて新しい土を足して行く、此れで3年くらいは大丈夫と考えている、2時間ほどの園芸士で作業は幾らでもあるが体力を考え遅くなっても少しづつ終らせて行こうと考えている。

明日もお天気好い、昼から自家製の堆肥が玄関先で邪魔になっているので、遠藤農園まで取りあえず持ち込もうと考えている、多分区画整備も進んでいると想像している。

 団地の櫻も咲いたよ

園芸士の足元は

 

 

 

 


清田旧街道を行く

2015年04月25日 17時41分25秒 | ペタンク爺さんの一日

今朝は布団を出る時間は8時になっていた、久しぶりにゆっくり寝る事が出来た、病院から出ている薬が効いていると思った、下剤のコントロールも漸くマイペース量が解って来て便通も楽になってきた。

今日は、市民農園の様子を見に行く事と大曲にあるエーケーに行き出来れば5月早々に耕耘機を一日リース出来ればと10時過ぎに妹を同伴し出かける、羊ケ丘通りは週末なので三井アウトレットの前を通過するので混んでいると思い36号線を東進する、札幌市内から郊外に出て行く車で通常の交通量をはるかに超えた車で混雑してた、エーケーに到着したが売り出しが始っているせいか駐車場は満杯に近かった、目的の耕耘機のリースは予約が一杯で一番早くても5月12日と云われてしまった、残念ながら今年は断念する。

昼食代わりにたこ焼きを買って食べる、三個ほど食べるともうお腹が満杯の様になってしまった、帰り道は羊ケ丘通りを札幌方向へ途中卸売スパーがあり買い物に立ち寄る、何時も素通りしていたが今回初めて入った、厚別店より広く商品も充実している様に見えた。

買い物を済ませ、いよいよ佐々木農園の現状を確認するために視察に向かう、私の予想通り今年は雪解けや桜の開花も早かったので畑起しは終っていると想像していた、予想は的中していて昨年の荒起しから見ろと見違えるほどで、もう其の侭種が蒔けてしまうほどに耕されていた、各区画も始っていて間もなく完成する様子に見えた、これは耕耘機で耕さなくても今年は大丈夫と確信でき、安堵して農園を後にする、帰路の道すがらホーマックに立ち寄ったり清田のJAにも立ち寄る、此処もようやく園芸コーナーも賑やかになっていた、ここは対面販売なので色々情報を仕入れられる、早速花に効く肥料を教えてもらい仕入れてくる、今年初めて挑戦するさつま芋の苗も扱うと云っているのであてにして待っている。

最後に清田街道の咲き始めた桜の写真を撮ってくる。

旧街道の櫻

JA清田


老人医療の恩恵

2015年04月24日 20時30分58秒 | ペタンク爺さんの一日

数日前から腰痛が出て来て睡眠不足にもなっていた、昔お世話になった整体指圧に二日ほど通ったが、一向に改善されず症状悪くなる一方に、堪らず掛かりつけの主治医の出番を確認し9時前には病院に到着していた、忙しい先生で10時にならないと外来に出てこない、早く受付を済ませていたので早速診察し、週一回外来に来てくれている整形外科の先生に診てもらいなさいと、直ぐ取りついでくれる、直ぐレントゲン写真を何枚も撮り見た結果を説明してくれたが、特別異常もないことが判明する、それでも更に詳しく調べますと一週間後の担当日の1日にMRIを撮る事に成る、再び主治医の診察で腰痛の場合はいろいろあるので診断は難しいと説明し、痛み止を出してくれることに、更に眠剤もお願いして診察は終わる。

病院の会計は810円で外来の安さに驚くくらいだった、院外処方の薬代は痛み止、胃薬、眠剤、と座薬の四種類を二週間分で合計支払いは640円だった、一昨日薬局で眠剤を買ったら12錠入って1.500円も取られていた、此れだけ比較しても後期高齢者の医療費が特別だと云う事も解ってくる。

帰宅後昼ご飯を食べてから、痛み止めを飲むと痛い事は痛いが我慢できる程度なので、先ずはほっとしている、座薬までやることもないと思っている、薬類は全部後発品と書かれていた。

週明けに続いて待望の5月に突入する、1日早々病院の検査が入ってしまい、一日は潰れる、そこでベランダ温室で作った堆肥や落ち葉、を持ち込もうと思っている5月に入る前々には、畑の貸主が荒耕しを終えているので土に巻き込む堆肥当を持ち込んで出来たら畑にばら撒いておければと今から考えているが、さてどうなる事やら。

夕食は家庭料理が盛り沢山、食べきれるわけではないが妹のおさんどんには何時も感謝している、今は何を食べても美味しい、食べる事が出来る幸せをつくづく感じている。

 

 


日々変わるコンデーション

2015年04月23日 18時03分09秒 | ペタンク爺さんの一日

昨夜は退院後初めて睡眠導入剤を飲んでしまった、夜9時には布団にもぐりこんだが布団に入ると目が覚めてしまうのが止まらない、12時過ぎてから眠剤をのんでしまった腰の痛みが収まらないせいもあったが、何日も仮眠状態だったので已む無く飲んでしまったが、目が覚めたのは7時前だった、久しぶりに睡眠を取ったと思ったが飲む時間が遅かったので起きても暫くは睡魔が残り爽快と云う訳には行かなかった。

11時に長生館の治療予約をしていたので今日は余裕を持って出かける、治療まで時間があったので昨日定休日で買えなかった近くの米屋に立ち寄る此処も先代の御主人は当に他界して代は変わっているが、お菓子は昔のままだ、沢山有る中から女房が好きだった三点を買ってくる。

兎に角此処の餡子は美味しい、滅多に出ないが葬式饅頭が出て来ることがあり、すかさず買って来ていた、札幌市内ではピカ一と私は思っている。

長生館での治療は小一時間もかかる、少し判ってきたが先代の院長には女の子しかいなかった婿さんを貰って子供の時代が現在で先代から見ると孫にあたると想像できた、時代の移り変わりが見えてくる。

治療した後は、もうお昼になっている自宅まで帰るには札幌の中心部を抜けて行かねばならない、八丁目辺りまで来て此処に老舗のそぱ屋が有るのを思いだし、それに店先に中心部としては珍しく駐車スペース二台分があるお店で、通りかかるとスペースが空いていたのでつい立ち寄ってしまった、外食も良いが普通の一人前では多すぎるのが悩みのタネだった、残してもいいからと最低のかけそばを取る、店は昼時で近くのオフイスビルからのお客さんで賑わっていた、周りの雰囲気に同化され丼一杯の蕎麦を食べてしまった、食べてしまってから後で苦しいめにあう。

 代表的な和菓子

円山長生館

そばの丸長

 


よもき゜団子が出来あがりました

2015年04月22日 19時49分48秒 | ペタンク爺さんの一日

暖かい一日だった、札幌の櫻の開花宣言が告げられた、ひょっとすると近くの早咲きの桜も咲いているかもと思い出かけて来る、残念ながら此処も一日遅れの明日には咲く状態だった、其の足で清田旧街道の桜並木も見に行ってきたが此処は週末に咲き出すと、私なりの判断をして帰路に着く、帰り道八紘学園のリンゴ畑近くまで入り込む、ひょっとすると山フキの走りが出ているかと期待して見回ったが、残念ながら見つける事が出来なかった、代わりに出てきたばかりのヨモギを摘んで帰ってくる。

自宅に持ち帰ると早速男の料理に掛かる、茹でてすり鉢で摺り上新粉を入れ水を入れ握れる状態に、少し小さめの団子を作り茹で上げる、出来上がった団子に黒砂糖シロップを作り団子にかけて出来あがり、簡単に出来あがったがシロップが黒砂糖では少しくどかった、普通のシロップか餡を又は黄な粉を使った方が良かったと出来あがってから気が付く、失敗は成功の元と気を取り直す。

今日の午前中は忙しかった、今日の予定には直ぐ向かいの回明堂眼科での目の検査が9時にセットされていた、其れでも二、三日前から腰が痛くてどうしょうと思っていた、此処は整体指圧が一番適した処置方法ではないかと40歳代の子育て時代に住んでいた長生館が矢張り同じところで開院していることが判り、その頃でも私より年嵩が有ったと思う院長先生にはお世話になった事を思い出した、ネットでの評判も良かったので何方がやっているのかと思いながら予約電話を入れる、眼科医院を出たのはもう10時を過ぎていた、円山に到着すると医院は建て替えられていて昔の面影はなかった、スタッフの先生達も孫の様な年齢に見える人たちだった。

保険がきかないので集中的に治療をお願いし、数日通うことにした。

今日一回の治療で可也矯正されて身体は楽になる、痛みはまだ残っているが一週間も通えばはっきりと結果が現われてくると信じている。

明日も治療に行くが帰りには、お目当ての米屋菓子に立ち寄り和菓子を買って来ようと思っている、本当は今日も立ち寄ったが定休日だったので、がっかりして帰って来ていた。

 よもぎ

直ぐ咲きそうな桜

八紘学園のこぶし

長生館の診療券

 


亡妻の嫁入り道具の五月人形

2015年04月21日 20時07分09秒 | ペタンク爺さんの一日

4月も20日も過ぎたので、そろそろお出まし戴いても好いかなと押入れの隅に埋もれていた5月人形を出して来た、白崎家の長女であった亡妻が父親には特別かわいがれていたのか兄や弟3人もいるのに、白崎家の男の節句の武者人形を嫁入り道具のように我家来て遠藤家の一員となってしまっていた。

遠藤家に来て男子の子二人の母親となって、父親の思いも理解出来ていたと思う、今年1年ぶりに出して来たが劣化が可也進んでいることも判明する、妻の父親の故郷は酒田で人形も此処から北海道に来ている、それ故少なくても70年以上に製作された人形と思っている、あと何回飾ることが出来るか。~~

退院して来てから全く運動らしいことはしていなかった、何ケ月もベット生活で運動が出来ないでいたので身体の柔らかさが全く失われていた、元気の良いときは朝起きるとストレッチ体操は短時間でも欠かさず行っていた、入院中に硬くなった身体の一番大事な腰が悲鳴を上げだしていた、睡眠時間になり布団の中に入っても腰が痛くて寝られられなかった、最初は判らないでいたが腰を中心にした身体が硬くなり直接腰に大きな負担がかかっている気が付く、何は無くてもストレッチ体操は再開しなければと思い昨日から始まったが、気持ちを高めるためにもと今日それなりのユニホームを用意しようと近くのゼビオの開店時間に合わせて見に行く、新作ニューモデルが目についたが手が出ない売値に諦めて、セール物を物色したがとうとう見つからなかった。

午後から、清田にあるアルペングループのDEPOに出向く、この辺のレベルが我家のレベルで此処では結構買い物をしてきた、其れもセールものだが今回も旧作とかサイズ切れので安売りをしているものを狙っている、たまたまルコックの上下を見つけたらサイズがS、LLだけ、Sサイズを着てみたらピッタリだった、昔はLサイズでMサイズになっていたが、ここ数年で二回りも小さくなっている身体を身を持って知らされている。

お蔭で安いものが手に入り新作ニュー製品の半額にも満たない金額で中に着るシャッツも含め目的を達した、明日からは気持ちを新たにして柔軟体操のストレッチに取り組む事にしている。

今日は便秘4日目だったが、とうとう出るものが出た二重の嬉しさになる。

 ニュージューャージを着込んで


2015遠藤農園作付計画

2015年04月20日 18時53分37秒 | ペタンク爺さんの一日

今年も市民農園に申し込んでいたが、後10日ほどで開園される昨年度と違っていろいろ経験したことも有り少しは余裕が出ているが、肝心の百姓爺さんに成るきるには未だ体力が回復していないのが気になっている。

其れでも何でも前向きに考え、オープンに向けて余念がない今日は今日とて枯らしてしまったボット苗の種植えをする、遅れを取り戻す為に1週間ほど居間の窓際で生育することにした、植えた後水を撒き新聞紙をかけて湿り状態を作る、今は夜中でも15度以下に下がることが無いので生育も早まり5月の連休が終わるころには畑に定置植えが出来ると思っている。

今年は畦の方向が90度変ったので、短い畦が8本出来る勘定になった、作年同様河村通夫の畳1枚に何が植えられるかを今年も取り入れ実践して行く、机上プランで設計図を作る、昨年も同様なことをやっているので昨年度の経験が役立つと思っている、この他害虫や病気のこともあり計算通り行くことは無いと思うが、それも俄か百姓仕事の楽しみでないかと思う。

出来あがる野菜は売り物になるような代物ではないが、我が手で作った作品には何物にも代えがたいと思っていた、高が15坪ほどの広さの畑だ出来た野菜は我家で食べきれる量でなく結局直ぐ近くの隣近所の人達に配達して歩いた。

昨年でも20種にも及ぶ野菜栽培に挑戦していたが、簡単に出来るものと難しいものもあり今年は作る野菜類も厳選して選び出した、今年は大和薯とさつま芋に挑戦する、初めてなので作付けは少ないが今年の経験で磨きが掛かってくる思っている。

昨年最初に出来た野菜は20日大根だった、今年もこれ等を含め楽しい野菜作りが始る、病後の体力回復が目的で始まっているので計画は計画として出来る範囲以内と特に気張らないように心かげて行くつもりだ。

昨年の畑の様子

 

 今年の計画書

 


土筆誰の子スギナの子

2015年04月19日 17時38分23秒 | ペタンク爺さんの一日

今日の日曜日は当自治会の総会が午後6時から開催される事に成っていた、総会前には退院出来そうだったので総務の役は出来ますよ、と安請け合いをしていた所が数日前に退院はしてきたが前回の退院後の様子とは全く違った体調に成っていた、退院早々前回の約束を撤回し総会には参加しないと断った、代役として妹を手伝いに出す事で私の最後の役員としての区切りをつけた。

昨夜も三時間ほどの睡眠で、午前三時には起きてパソコンに向かっていた、7時頃朝食を取ると一時間ほどで体調が狂いだす、矢張り居間に用意してある子布団に横になり熟睡出来るでもなく、時々短い睡眠をしていた、最後に目覚めるともうお昼近くになってい。

目覚めると、すっかり体調が戻っていた昨日と同じようなパターンで矢張り病人であることを嫌と云うほど認識させられる、其れでもお昼はかき揚げワカメうどんを作ってもらう、うどんはハーフサイズだったが残念ながら半分も食べられなかった、それでも昨日作ったビニールハウスが気になったので、覗きに行く、ベランダの温室は25度だったのでトンネル内は30度は超えていると想像していたが、二重保温していたプラスチックの蓋の中は更に高くなる事を認識しておくべきだった、一番先に芽を出していたキャベツの芽がほぼ全滅状態だった、暑すぎて蒸れて萎れていた。

体調が良ければ朝の内に様子を見に来ていたと思うが、体調不良には如何し様も無かった、後のポット苗はトーモロコシは順調に小さな芽を出し始めていた、その他も顔を出したのもあり来週には大いに期待できると思っている、萎れたキャベツは再度種蒔きをしても間に合うと計算している、ベランダ下の常設の水道蛇口を開きホースを繋ぎ我家の花壇まで届かせる、例年の様にタンクに貯水する。

杜若の中に何時も顔を出す土筆が出ていないかと覗きこむと、今年も忘れずにつくしの坊やが立ち並んでいた、何となくほっとするが親のスギナには邪魔者扱いで何時も抜いているが絶えることは無い。

春の花が咲き誇る日曜日でした。

春の花達

 

ハウス内のポットの芽

 

 

 


遠藤農園の作業進む

2015年04月18日 19時51分49秒 | ペタンク爺さんの一日

午前中は、非常にコンデションが悪く起きて来ても居間で横になってた、昨夜は午後10時にはベットに入ったが昨夜から体調が悪く腰が痛くて寝られなかった、下痢気味の所に決められたように睡眠前に下剤を飲んで寝ていたので昨日一日何回もトイレ通いをしていた、其れで腰の痛みに繋がっていたと思う、昨夜は下剤を飲まずにいたがあれやこれやで寝られないでいた。

やむを得ず、12時頃になって病院から貰っていた睡眠剤を飲んだが朝方1時頃には目が覚めていた、そのあと目が覚めると明るくなっていたが起きて来ての朝食は、自家特製の蜂蜜梅で食は進んだ。が

しかし、如何も体調が悪いその時は判らなかったが昨夜飲んだ睡眠薬は強いほうだったので、その効力が残っていたとあとで気が付く、お昼もお粥と特製蜂蜜梅で済ませる、今飲んでいる朝晩の飲薬の中にも便を柔らかくする薬が入っているので、睡眠前の下剤は昨夜は全く飲まないでいた、そのせいかお腹が漸く一日中穏やかになっていた。

前から気になっていた、ベランダのポット苗を管理するビニールトンネルハウスを作ることを決断し、まだ足元がふらふらしていたが妹を同伴させて清田のホーマックに出向く、そこそこの資本を投じ材料を揃えてくる、午後三時頃になって漸く空を覆っていた雲が途切れ青空が顔を出す、材料が揃ってしまえばじっとしていられない老体に気合を入れ直し、ビニールハウスの製作に取り掛かる、其のあとの力仕事は妹に任せる、ハウスが完成したのでベランダからポット苗を全部運んでもらう、女性でもありながら7歳も違うと乞うまで力の差が出ているのに漸く気か付かされる、齢には勝てないとつくづく感じる年齢に成っているのに愕然とする。

 好きなことをやっていると病気のことを忘れさせてくれる、良薬と云っても過言ではない、清田からの帰り道街道の厚別川にこいのぼりが泳いていた。・・・・・・・もう節句が来る、亡妻が持参した人形もそろそろ飾らなければ。

公園側から望む

厚別川上空で泳いでいたこいのぼり

 

 


一年一度のお洒落

2015年04月17日 18時33分34秒 | ペタンク爺さんの一日

床屋の思いで

もの心が付いた頃から、我家は商売を始めてた学校が冬休みに入り大晦日が近づいてくると私を筆頭に子供達が家の中で遊んでいられると商売の邪魔なるので、男の子の私には特に表て遊んでいてもらった方が親としては助かる、古里の輪西は雪が少ない方で其れでも雪が有れば手作りそりを持って大沢小学校の坂道まで滑りに行っていた、道路に沿って沢もあり遊ぶ所に事欠かさなかった、専ら手作りそりと竹スキーだったが、一度だけ本物の単板スキーを買ってもらったことが有ったが、ジャンプ遊びをしてあっという間に折ってしまった、親父は器用に折れた所をブリキで補強してくれていた、良く遊びこけていた少年時代だった、同じ場所で夏にはザルガニ獲りに興じる楽しい遊び場だった事を思い出している、今はどうなっているか知る由もない。

多分12月31日の日は決まって輪西町3条仲通りの角の金子散髪店に行かされていた、大晦日で床屋も混んでいたと思うが待ち時間は関係ない、床屋に行っている間は商売には邪魔にならないので遊び方々の床屋さんだったことを覚えている、待合室には漫画本が沢山置いてありこの頃の漫画ののらくろ、少年ダン吉、など懐かしい本の思い出も蘇えってくる、無論坊主刈りでバリカンだったが何時の頃から電動バリカンが主流になっていた、それでも上手にハサミを使う技には感心して見ていた。

二十歳頃になっていた頃は、同じ床屋さんに行っていたが今と違って髪の毛が濃過ぎ削いでパーマネントをかけ始めていた、其のうちにパンチパーマに変って行った。

現在の髪型は60歳頃からで、床屋さんに行かなくなっていた合理的に考えてのここと、経済的な事を考えてと思っているが、それからポニーテールは私の看板にもなってしまっていた、其れでも寄る年には逆らえず年々髪の毛が薄くなっていったが坊主になる様子はなかった、だだ黒髪に白髪が増え出し床屋さんで毛染めをする様になったのも数年前からで、老化が目立つようになると染めるようになった、今回も一年ぶりと思う、病後で目っきり老けている自分を鏡で見て、今日近くの床屋さんに行ってくる。

 今日の昼飯は自ら作った焼うどんでした


我家の山菜も顔を出す

2015年04月16日 17時53分09秒 | ペタンク爺さんの一日

何年も前になるが山から行者ニンニクを根付きのまま持ち帰り、花壇の隅に植えていた二年ほど前に花壇の花の入れ替えをやった時に、其処から移動して松の木の下に植えていた、一日中日の当たらない所だったので中々成長できないでいた、昨年あたりから可也スマートな行者ニンニクが顔を出すようになった、同じような所に日当たりが悪いので三つ葉のタネをばら撒きう植えをしていた、一斉に小さな三つ葉の群生になった、ただ食べたことは無かったが今年も雪が消えた後に相変わらず三つ葉が出てきた、今年は春一番で山菜採りにも行けないので我家の養殖アイヌネギを収獲する、三つ葉も山には自生している此れも一緒に摘み取る、其れに花壇の隅に植えていた長ネギが宿根なので今年も少し増えて来て花の中で大きくなりだしていた、此方も収穫すると今夜の惣菜が増えて賑やかになる。

退院手続きを済ませ、帰宅するとお昼近くになっていた、本当は中華の焼そばが食べたかったのだが自制し代わりに近くにある花まるうどんを食べに行ってくる、無論妹も同伴だがその足でスパー三軒の掛持ちで廻って歩いて来た、食料の買い出しで野菜類が高くなっていた、珍しくカスベの安売りを見つけ買って帰る。

矢張り我が家は落ち着く、妹は早速夕食の支度我家の採れたて食材を含め美味しそうな夕ご飯が出来あがりご馳走になった、久しぶりにお腹いっぱい食べたと思った。

カスベの煮つけに山芋と長ネギを添え、三つ葉の胡麻和え、アイヌネギの卵とじ、カブの即席漬け味も我が家の味なので食が進む、食卓の一輪挿しのアイリスの花から春の花の香りが漂う。

花壇の花を写真に収めてくる、仏壇の花も我家のお花で間に合うようになる。

夕食

花壇の花達