ペタンク爺さん

ペタンクで遊ぼうよ!で20年

生れ故郷を偲ぶ

2013年02月28日 15時34分05秒 | ダンスモード
ふるさとはかわるのだろうか、生まれた所は目の前に佐渡島が見える周りを山で囲まれた海岸の村だった少し高台になっている家の前を降ってゆくとそこは砂浜だった、海岸線に沿って道路があったと思うが私が生まれた頃はどちらの隣の村に行くには道路が通じていなく小船が交通手段だったと思っている、無論今でも港は無く砂浜に船を引き揚げてあったことを記憶している。
誕生後、三歳で生まれ故郷を両親と一緒に飛び出したと云ってもいいと思う、詳しくは判らないが両親は切羽詰って故郷を捨て、その頃は水杯で別れ北海道に渡っていた時代だと聞いていた、苦労して室蘭市輪西町に定住し、私が小学1年生の時に、旧制中学1年の兄と二人で生まれ故郷に帰った、兄は私と違って小学6年までは祖父の所で育ち、中学へ入学する時点で室蘭の親もとへ、すぐ下の妹と二人家族が増え兄弟も6人くらいになっていたと思う。
兄は親よりも祖父に育てられているので、学校が夏休みになると故郷へ帰ると聞かなかったらしく、一人で行けるならとひも付きの様に私を付けて故郷帰省を許したと云っていた。
その頃は青函連絡船に乗り、新潟の故郷入りには峠を通るルートしかなくこの旅で一番印象に残った峠越えだった、今思うと兄は故郷を目の前にして逸る心を抑えての足取りだったと思うが、小学1年の私には寂しい森を抜けての初めての峠道は、遠く遠く感じていた、後年通った時はこの峠もトンネルが出来ていたが峠道を選んで越えたがあっという間の通過だった。
1993年還暦を迎え50年以上経ってからの故郷入りは、この時の小学一年生時の記憶が故郷の全てたった、運よく父親の妹か存命で縁者にお会いできたことは本当に嬉しかった。
あれから、20年近くなる故郷には海や山があるだけ、時々思い出しては胸を熱くしている。

今日はダンスデーサークルボラーレも半年に近づく、そろそろ初期のステップをマスターしなければと思っているが、雪融けと共に冬眠から覚めた様に趣味が広がる、忙しくしているのが良いのか良く判らない。

峠から見る故郷五ヶ浜村





カーリングサークル二日目

2013年02月27日 18時34分47秒 | ペタンク爺さんの一日
昨日に続きカーリングサークルの二日目に入る、昨日の疲れと云うより使わくなっていた体が急に動かされ悲鳴を上げたと云う方が正しいと思うが、あっちこっちの体の痛さがで出来ていた朝だった、運動前にはストレッチで体をほごしておかなければと、10時から始まるレッスンに30分も前に着いていた。
段々馴染んで来たホールの玄関を通って二階のフロアーに上がる、床がフローリングになっていてストレッチするには最適と目星をつけていた、昨日のウエア―から一変し下着の上はジャージ上下で動きやすくし、その上にウインドブレーカー上下のスタイルにしていた、30分近く時間をかけて充分ストレッチ体操をこなす。
カーリングの独特のスタイルフォームにも少しづつ慣れてきて、今日の練習会には充分対応出来ると思っていた。

今日の参加メンバーは、男子4名女子2名の6名で今日から加わった一人を除き前日の特訓をクリアーして来ているので今日は楽しさが加わると期待しての教室になった、昨日の復習から始まり今日はとうとうレーンいっぱいを使っての対戦ゲームまで行き、三対三の対戦に今日はスキッバーを務める、ペタンクと同様で個人戦でなく団体戦なのでチーム内の戦力が勝敗に直ぐ繋がってしまうので、初心者同士の試合やゲームは各自自分に合わせた事柄を勉強して身に付けて力をつけるしかない。

この後、2回同じような勉強会を得て3月5日にクラブ結成会議を開くことになっている、この日も勉強会があり終わってからの会議になるが、私は勉強会は今日で終了し結成会議だけには参加する旨伝えた。
この日の会議で、クラブの形が出来上がり練習日程なども決まってくると思っている。

3月は日照時間がなが~くなってほしいと願う、29日は亡妻の月命日に今日お寺からのお参りあったが同席できず。

2月27日の八紘学園のポプラ並木



動き出したカーリングサークル

2013年02月26日 18時20分45秒 | ペタンク爺さんの一日
シニア大学の創造学園のスタッフでお世話になった澁川氏が、今は同じ建物にある町作りセンターに移っていた、相当前から月寒体育館のすぐ裏に建設されるカーリング場が出来上がったら、カーリングクラブを作りたいと話をしていた、そんなこともありカーリングには興味もあり、少し年齢も高くなり過ぎたかと思いながらも、カーリング場が完成してから無料体験教室に一度だけ参加していた、親友の本間氏にはペタンク仲間にもなっていただいているので、彼とは直ぐ話が通じ合う仲だった、クラブ結成となると少なくても10名が集まらなければと思っていたが、同期の友達にはカーリングまで手を出す人はなかなかいなかった、そんなときに澁川氏からクラブ結成を開始したので仲間に入らないかと誘いを受ける、早速本間氏を誘って組織に統合する。

そして、今日がそのサークルの会員同士の初顔合わせと初練習会が午前10時から始まった、今日は未経験者と精々1.2回程度の講習を受けた計7名がカーリング協会の女性指導員に従って2時間指導を受けた、最初は寒かったが動き回っているうちにダウンのベストを脱ぎ捨ててしまうほど温かくなっていた。

今日の練習会では、フルレーンを使う所まで行かず参加者を二班に分けてミニゲームで実践感覚にしたる、練習は兎も角ゲームになるとペタンクの経験が大変参考になり楽しくなってゆくのが今日のシニアカーリングサークルの練習会だった。
私は引き続き、明日も同じ時間に練習会に参加する事になっている、タンスレッスンより早く一人前になるかなと期待はしている。・・・・先は長い。

シニアサークル初練習 ←YouTubeへアップしています。


動画アップソフト

2013年02月25日 18時50分15秒 | ダンスモード
ウインドーズ7に替わってから、1年半近くになった様々なソフトも内蔵されていて、98を使っていたころを振り返ると隔世の感がある、2002年にPCに首を突っ込んでいるのでもうひと昔の10年を過ぎていることに気が付く、脳細胞だけはまだ鍛える余地があるのかほんの少しづつと思うが、今まで知らなかったことを身につけだしている、70歳辺りからPCを含め習い事が一つ一つと増えている、それまでもペタンクや山菜キノコ採りにデーターの記録、素人園芸士、それに近頃加わった社交ダンス、始まったばかりのカーリングとひと月ごとの日程表の製作には、相当力を入れて作り上げている、それもこれも今の所至って健康に生活できているからで、最近では体ひとつが最大の財産と思うようになっている、父親の存命年数に限りなく近付いて来た、あと1年で親父を超す。

人生の後半の習い事で人生を大きく変えてくれた最大の功労者は何と言ってもパソコンで、これにより私の世界は広がっていった、セブンに変わってから動画撮りと編集しYouTubeにアップし始めた、当初は幼稚なものだったがPCの中に入っているソフトを利用し進歩して来ていた、そんな中今回はウインドーズ内のソフト使用にトラブルが起き、買い求めているヤマダ電機に持ち込んだ、簡単に2~3日から一週間もかかるとの話に唖然とする、本体が壊れた訳でもないのにと、PCに入っていた東芝のソフトを使うことで問題解決かと思ったが、帰宅後作業をするが編集は出来たがYouTubeへのアップがどうしても出来なかった。
矢張り、パソコン内部で異常が発生しているのか、と、矢張り入院しなければならないかと非常に困惑している。


問題解決する。
ソフト交換・ウインドーズから東芝へ。
札幌台リュージュコースを滑る。 ←動画YouTubeへ

日曜日の札幌台

2013年02月24日 18時11分43秒 | ペタンク爺さんの一日
昨日は朝からお天気が良かった、一夜明け起きたばかりには昨日から雪が降り積る様子はなかった、太陽が出で来れば久しぶりに札幌台へトレッキングを予定していた、雪質も春の雪に近づいてきていたのでひょっとするとルート作りしなくても何処でも滑れるようになったかと、確認することも今日の予定に入っていた、ところが9時頃から雪が降りだした諦めかけていたら、お昼近くになり雪の降り方が穏やかりなる、それではと早めのお昼ご飯を済ませ白旗山に向かう、カンジキやスノーシューの人たちの専用と云っていい駐車場に先客の車が3台停まっていた、途中スキーコースと並行しているが日曜日に関わらず誰一人走っている人はいなかった、残念ながら連日雪が降り続いているせいか札幌台ルートの登攀コースは、足跡は付いているが外れると雪が柔らかく埋まってしまう、やむなく今日のリュージュモドキコースを距離を短くし、スノーシューでコース固めをする、緩斜面の短いコースだったが動画撮りをする、独り舞台なので同じところを登ったり下がったり滑ったりと、もう何往復も繰り返し予定の動画も撮り終える、帰宅後Windows Liveムービーメーカーを利用し編集していたので早速作業に取り掛かったが、突然作業が出来なくなっていた、こうなるともう私の手には負えないので、ヘルプを呼ぶしかない、やれやれ暫くかにもなかったのにと落胆しきり。


そり滑り



サンルーム活躍季節到来

2013年02月23日 18時00分30秒 | ペタンク爺さんの一日
今朝の目覚めは8時を過ぎていた、朝からサンルームを透して太陽が居間の中まで差し込んでいた、何時もなら朝一番にストーブのスイッチを入れていたが、寒くないのだ、ベランダの寒暖計を覗くと8時頃の時点で25度くらい指していた、朝食を済ませ気になる温度を確認すると、もう30度を超えていた。
仮設サンルームは春を通り越し初夏の季節になっていた、先日まで居間が橇工房になっていたせいもあり、要らなくなったものやゴミの置き場にもなっていたサンルームを、此れではいかんと大掃除が始まった、肝心の使う所だけ徹底的に綺麗にする、ベンチも外に向かって置きなおす、陽気に誘われ作晩秋種蒔きし生長がストップしてしまったポットに、新しい種をまいた、花には少し早いと小松菜とアスパラ菜の野菜の種をまく、この種の野菜は一年中ベランダ菜園で収穫できるが、暖房設備のない我が家の温室ではこれからがシーズンになる、夜になると今でもマイナス10度くらいまで下がるので、生長して行くか結果があるだけと始めてしまった、そんなタイミングを見計らったようにサカタのタネ屋さんから園芸通信の本が届いた、ぐっとタイミングで、この本を参考に今年の花のタネを選定するのが楽しみで、限られた予算の中から頭を悩ます季節になる、遅くても3月中旬にはネットを通して発注するのが、園芸の始まりになって来ている。
昨年は、菊作りが始まっている、株分けした鉢が積雪1M以上の雪に埋もれている、今年はどんな園芸になるのか春が待ち遠しい。

ベランダ温室を綺麗にし、日向ぼっこで横になれる所も作る、80センチほどの狭い空間だが様々に利用できる。
温かい温室から覗けるベランダの外は、除雪して積み上げられた雪が2階の高さと同じくらいになる、ツボ足では歩けないがスノーシューを持ち出し歩き廻り写真を撮る。

サンルーム30度を超える
種蒔きも始まる
日向ぼっこ
園芸通信届く

瓢箪から駒が出た?

2013年02月22日 19時01分31秒 | ペタンク爺さんの一日
先日から道産豆を使って煮豆作りに挑戦していた、今回は三作目でとら豆を使って作っていた、何せどちらかと云うといい加減なシェフが気ままに作っているので、材料の分量は計って始まることは無く、目分量で作り始めている、今回は同じ作業で3回目になっていたので、大分自信があったつもりだったが、前段階で豆が柔らかくなったので砂糖を入れている時に、外野席から声が掛かってきた少し砂糖が足りない砂糖を足してはとの専業主婦からの指摘を受け、これくらい、これくらいと砂糖を足していった、豆が鍋の中で踊らない程度の火力で可なり煮詰める、今度は塩を少々入れて石油ストーブの上へ、沸騰しない程度の火力で時々鍋の蓋を取って監視していた、後で判ったことだが砂糖の量が多かったので余り煮詰めないで完成させるべきだったが、まだ豆が浮いている状態でストーブからおろし完成したと思っていた。
まだ、余熱が残っている状態の時は完璧に煮豆が完成していた、ところがすっかり冷え切ってしまった煮豆を見ると、もう煮豆を通り過ぎていた、何だろうとよくよく考えて見直すと甘納豆が出来上がっているではないか。
予想もしない結果に、甘納豆の作り方はこれでいいのか、と首をかしげている。瓢箪から駒?

日曜日の大雪の橇イベントに、雪踏みの為にスノーシューを持って行った、さて使う時点でバンドの金具が紛失していることが判り咄嗟に紐で結んで使用し事なきを得ていたが、今日部品を買いに近くのイオンに行く、ついでに食材コーナーを見ると先日から小樽近海でニシンが昔のように獲れだし、濱は賑わっているらしい、その旬のニシンが一匹100円未満で売られていた、高卒後南小樽の繊維問屋の丁稚時代に毎日ニシンの煮つけを食べさせられていたことを思いだし、買って帰る。

ながら属で同時進行でスノーシューの修理もやっていたので、ニシンを煮過ぎ魚の形を壊してしまった、そんなことは問題なかった食べてみると生姜がたっぷり入っていたので生臭さもなく久しぶりにおさかな一匹完食し美味しかった。

此処までは煮豆だった
春を告げるニシン

大雪のなか奄美から春の味覚

2013年02月21日 18時41分47秒 | ダンスモード
連日道内は雪害に悩まされている、鉄道が寸断され道民の足を奪ってている、今年に限り大雪が続く日が多いのは滅多にあることでない、偏西風が大雪の原因を作っているらしい、西高東低の真冬の気圧配置に寒さも厳しい。
目が覚め、窓越しに外を見ると風で吹きつけられた雪がガラスを曇らせるほどになっていた、やれやれ今朝も雪の始末から始まるかと起きだす、まだ7時過ぎたばかりだったが、いの一番に防寒具に身を固め出動お願いする愛車の除雪を始める、強風が共なった雪で全体に同じ厚さの雪でなく吹き溜まりで物陰に雪が隠れるように溜まった雪だった。
車のエンジンを掛けヒーターで中から温めることも同時に始めていて、今日の朝はそのままエンジンを切らないで置いた、無駄なようだがアイドリングは仕方がない雪国の事情になっている。

今日はボラーレのダンスレッスン日、9時少し過ぎた時間に家を出る道路に出た途端車は渋滞していた、雪道は早め早めに動き出さないと平時の時間帯では動かない事情が生じるが、予定の時間には会場に到着したが、まづ何時も会場のドアーが開かず待っている人がいた、こんな日の朝はみんな遅れて来るのは当たり前か、と思った。
兎に角今日のレッスンは、バスが遅れているとか、車を出すのに時間が掛かったとレッスンが始ってからも加わった人も何人もいた。

レッスン終了後、平岸のボストンベークに立ち寄り食パン1本を買ってから帰る、帰宅すると昨日ヤマダ電機に行って交渉してきたテレビメーカーの出張修理班が来て直していったとのことで、費用は掛からなかった。

もう一つ嬉しい南国の便りが届いていた、沖縄にいる遠藤家の八女が嫁いでいる山岸家から珍しい奄美特産のたんかんが送られてきていた、日本の南と北のはずれ・・・・・遠くに遠くに行っちゃったものだ、もう何年になるのだろう?・・・・

甘くて酸っぱい南の国の味がした。


ダンスレッスン

向こう三軒両隣

2013年02月20日 15時33分17秒 | ペタンク爺さんの一日
すこ~し範囲が広くなるがるが我が町内会の範囲内である所に、北海道農業専門学校:八紘学園があり広い庭を持つ学長の公宅が木々の間から垣間見える、まだ一度も訪ねて行ったこともない、その敷地のはずれに学園の神社があるが普通の神社とは違っている、農業に関わる神社だが冬の間は雪の中に埋もれていて訪れる人も稀と思う。
道路を挟んで今は使われているかどうか判らない石造りのサイロ塔が二本ある、この辺の道しるべと学校のシンボル的存在と思っている、午後から此れも町内会に入っているヤマダ電機月寒店があり、もう2~3ヶ月にもなると思うテレビの録画機能不全で不便を強いられていたが、何とも無ければ無いで我慢比べしていたようだったが、ようやく何とかしようと動き出した、簡単に備え付けのマニアルを見ていても、どうにも理解できずヤマダ電気に出向く、買った時の保証書を持参して見てもらうと、5年保証で14年まで期限があることが判り、高額費用も掛からないことが判った、後日メーカーからの連絡で出張修理に来てくれることになり、ひとまず一件落着となる。

帰りしな、町内巡回か八紘学園校内をかすめて帰ってくる、こちらは東はずれで西はずれには月寒カーリング場が出来、町内に加わった感がある、こちらのカーリングはシニア組の新チームに私も加わり、この26日、27日に初めての顔合わせを兼ね練習会が組まれていて、いよいよカーリングも動き出すことになっている。
他流試合まで行けるには、可なり練習を積まなければと思う。

昨日に続き、北海道産の豆(うづら豆)の煮豆を作る、出来上がりは少し硬かった、途中までマニアル通りにやっていたがポットから出して煮詰める段階で、昨日作った砂糖に塩が入った残り汁で煮込んでしまい、これが原因で少し豆が硬くなってしまった、後一種あるとら豆で完璧なものを作ることにする。

雪に埋もれる神社
うずら豆の煮豆



越冬したトルコ桔梗

2013年02月19日 16時47分45秒 | ペタンク爺さんの一日
昨年春に遅くなって種蒔きしたトルコ桔梗、前年からの残り種だった、余り期待していないで花壇の片隅に植えていたが成長が桁外れに遅かった、無論花芽の形跡も残さないうちに晩秋を迎えていた、ただ大きくならなかったが枯れるわけでもなく、もうすぐ冬将軍を迎える季節になってしまうと、その一本のトルコ桔梗を鉢上げし仮設のベランダ温室に取り込んだ、そう秋になっても元気にしていた鉢物も一緒に温室棚に並べていた、秋が過ぎ初雪が降り、本格的な冬将軍が到来したころには、青々していた鉢物も気が付くと寒さのためかすっかり枯れているのが窓越しに見えていた、ベランダの仮設温室は暖房設備がないので、雪は無いが表の気温とさほど変わらないが、日中太陽が出てくると一気に20度を超えることもある、高低の差がすごく大きく植物には過酷な条件の環境であったことが良く判る。

生きている植物は全く無いと思っていたら、寒さも峠を越した2月半ばになっても青さを残し必死に生きている花の芽が有るのを発見する、羆と一緒で只今越冬中なのか成長もしていないが頑張って生きている、愛いやっだ。
このまま、室内にも入れず同じ条件で春を待たすことにする、三月ともなれば仮設温室内も日中は30℃近くになることもある、春は待ちどうしい。

昨日買ってきていた豆三種、昨夜のうちにそのうちの紫花豆をポットに入れ熱湯を入れ一晩ほっておいた、昼頃になり開けてみるとすっかり膨らみ皮も柔らかくなっていた、この方法は何で知ったのかもう忘れているが、大変便利な調理方法で時々利用している、今日もそのあと砂糖を入れ煮込み最後に塩少々いれて完成させた、ずぼらなシェフには向いている、食べてみると決して市販している煮豆にも負けないと思っている。

煮豆完成


17日に撮りためていた、手作り橇とそり大会の動画を編集しアップした。
エコ手作りそりと・そり競技大会←ここをクリック

ウインドショッピング

2013年02月18日 18時11分39秒 | ペタンク爺さんの一日
札幌雪まつりが終わる頃が、真冬からの折り返しで地点になっていて僅かづつであるが春に向けて季節は動き出していると感じている、今年は昨年の岩見沢市の様に札幌市内には例年にない連日降雪が続き市内の積雪も1m20cmにもなっている。
今日も明け方から少し湿った細かい雪が降り続いた、昨日と違って雪の大きさが違うのか地上に積もる雪の厚さは邪魔になるほどでもない、いずれにせよ2月に入っても日照時間が短いのが癪の種になっている。
真冬でも三日に一日は太陽が顔を出してほしい、札幌はどちらかと云うと日本海季節に支配されている、それゆえ雪が多くなるのも仕方がない地理的な位置と云える、少し東の苫小牧から日高そして釧路平野にかけて冬の間は極端に降雪量が少なく、太陽が出てくる日が多く太陽パネルの発電基地としてスポットが当てられている。

今日はダンススクール帰り、通り道の生協に立ち寄る外は雪が降り続いていたが食品売り場は結構な人混みだった、供給する店の商品は野菜果物類は本州や遠くは九州からの物で売り場を埋め尽くしているが、その中にあって北海道産の野菜がと思っても、北海道産の野菜は高くなる、ただ安いと思ったものに北海道産の豆類が何種類も山積みしてあった、普通スパーでは見かけない豆もありそのうちの、うづら豆、とら豆、紫花豆を買って帰る。
早速、紫花豆をポットに入れ沸騰したお湯を注いだ、明日になればすっかりふくらみ柔らかくなっているはず、其のあとは砂糖を入れ煮豆に仕上げる、明日の夜には食卓に載っているはずだ。

道草し、家近くのスポーツショップ「ゼビオ」に立ち寄る、ウインドショッピングなのだがペタンクで着る春物ウエア―が飾られていた、無論ルコックで今年はこれあたりかなと目星を付ける。
店内は、一斉に冬物商品のセールをやっていた、正規の値段では買えないが70パーセント引きの値札のダウンベストを買ってしまう、いつもシーズン終わった掘り出し物を探し出すのも楽しい。

北海道の代表的な豆



「とよひらおもしろスノーパーク」盛会のうちに終了する

2013年02月17日 18時48分20秒 | 橇爺(そりじい)モード
今朝起きると、一番心配している降雪状況で寝室の窓から見える駐車場の愛車を覗くと車が見えないほどの雪に覆われていた、チクショウと思わず口に出る、目の下の歩道を見ると20センチほどの雪が積もっているのが見えていた。
スキー大会の役員時代を思いだし、兎に角現場にと昨日のうちから後部座席をつぶして満杯になっている車を何とか引っ張り出す、今日も朝早くから我が団地の除雪車か動き回り駐車場だけは雪が消えていた、役員の8時現地集合に親友の本間氏を伴って到着した、グランドの中まで車が入れるようになっていたが、そこからテントの所まで、まずダンプを引っ張り出し歩道作りから始まる、昨日コースは完全に出来上がっていたが、20センチほどの雪がコースをすっかり隠していた、元気のいい大学生たちが段々集まってきたお蔭で荷物運びもあっという間に終わる、・・・・それからが大変だった、ますコース内の雪踏みから始まり掘り下げていたコース内の雪を排除したり、開式の始まる10時頃まで約2時間コース作り会場作りにスタッフ全員で働く、区長が出席し開式が始まるころには若い力の結集で何とか間に合ったということに収まる。
10時から始まった大学生による、子供達への橇作りの講習指導も順調に始まっていた、前半は札幌大学と後半は北海学園大学の学生さんたちが交代で、子供たちに橇作りの指導、お昼を挟んで1時近くまで4交替で行われた。

指導が終わるころには、その中から1時から始まるそり競技大会の選手に、各大学30名づつ選手団を結成し、大学対抗橇大会となった、最後の選手滑走は学生のリーダーも選手になり締めくくる。
競い合うルールは、滑走距離で10点ライン20点ライン30点ラインと障害物を越える100点ゲットがあり、この方法で競われたが正確ではないが、500点台と700点台で勝負がついた。
後日改めて、正式記録を発表します。

動画も撮りためましたので、何日か後にアップするつもりでいます。

そり滑り練習始まる
スタート地点の様子
競技は始まった
大学生スタッフ01
大学生スタッフ02

ラスト前出

2013年02月16日 18時14分23秒 | ペタンク爺さんの一日
夜半に雪が降っていた、薄暗い時間から我が団地の除雪バケットがエンジン音を高らかに動き回っていた、若い会長のオペレーターなので見ていても機械自体が若々しく動いているような錯覚にも見えてくる、朝までに20センチ近い雪が車の屋根に積もっていた、除雪車が動き回っている間にと車の周りの除雪をし雪をそのままにして、車を移動する、すると近くで除雪しているバケットが今停まっていた駐車ペースをあっという間に綺麗にしてくれる、本当に有り難いといつも思っている。

此れだけ降ったら昨日遅くまで掛かって完成近くまでしてあった、橇すべりの月寒会場、雪払いやら昨日残していたコース最後のクニック個所に降り積った雪を集め穴埋めにと10時には家を出た、これで前出が5日以上にかり前日なのでラスト前出となった、スキーと関わり連盟の役員を50歳を過ぎてもやっていたことを思いだす、本命はアルペン関係だったがスポーツイベント会社に役員として加わり、クロスカントリースキー、モーグル、フリースタイル、などの裏方や運営に関わっていた、5月になるとスノーモービルを中山峠スキー場に置き、クロカンコース探しに無意根山など乗り回しいた。

雪を相手のイベントには、圧雪ピステが一台加わってくれれば会場も綺麗に早く出来上がる、今回は専用スペースも狭いので私一人の人力でだけでも少し時間をかければ何とか出来るが、今年ほど雪の降り方のスタンスが短いと人力では大変だった、開催二日前になってから会場の移動を迫られたこともあり、無駄な動力を強要されたが今日の4時間ほどの雪いじりで、ぎりぎりようやく完成した。
コース整備後半に、お天気も良かったせいか、多くは親子ずれの橇滑りグループがコース周りに集まってきた、すかさず声をかけコース整備終わったばかりのコース内を滑ってと、こちらからお願いしそりを滑らしコース整備お手伝いをしてもらった、すると次々と加わる人が増え、雪積みしたコース内が綺麗になってゆくのがはっきり判った、後はコースを解放したまま帰路に着く。
振り返ると、結構長かったように感じた今回のイベントだが、いよいよ明日が本場で朝8時には現地に集合する事になっている。

雪を集めクニックを埋める
橇テントも立ち上がる
ほぼ完成し作業終了する

一寸の虫にも

2013年02月15日 18時56分44秒 | 橇爺(そりじい)モード
二月に入りいよいよ月寒公園で開催される「とよひらおもしろスノーパーク」に今年から参加する事になっていた手作り橇作りと橇滑り、そのコース作りに大雪が降った翌日の6日から現場に入って行った、自然状況を出来るだけ損なわず利用することが最善と思っている。
コースレイアウトは、関係者立ち合いでスタート地点の場所も決められインクでマーキングまでしていた、この日は20センチも積もった雪を剥ぎ其処を基準に、まずスノーシューでコース内を踏み固めた、幅は8Mを計りスタート地点の高低を無くすために高い方を削り低い方に、その上周りの雪を低い方に積み上げてほぼ水平になるまでにした、コースの最後にクニックがありその部分に持ち込んだダンプで上から落としていった、可なり平坦になって行った。
この日は大雪の後だったが、子供たちが橇遊びに来ていたので、深雪のコースは滑れるまでコース作りから始まらなければならないので、ほぼコース全貌が出来上がったのでコースを解放し子供たちに滑ってもらっていた、8日にはコースも固まって来ていたのでコース全容を計り全長55M斜度最大20度、最低10度、平均13度くらいと計測していた。
コース幅は60センチで隣との間を60センチで4本作ると全幅が6Mで出来上がると計算していた、コースそのものは本来ならパーマネントコースにしたかったが、橇運転未熟な子供達にはストレートコースしかないと、諦めてストレートコースにしていた。
この後、9日、10日、12日と現場に入りコースを少しづつ完成高いものにしていった12日は関係者全員で現場に入り学生たちのテスト滑走もしていた、コース作りは最初から私一人の作でこの年になると若者と違って仕事は早くは出来ないが、じっくりゆっくり長い時間をかけてやるので仕上げの完成度は高くなる。
今日は、最後の仕上げと友人の本間氏を伴い9時過ぎには山に着いていた、午後から大勢の学生たちも集まってくることになっていたので試走してもらう橇を8台ほど持ち込んでいた、午後から学生が加わり一気にコースは完成していた。

所が引き揚げ時間も迫る中、お上の責任者が最初の約束と違うコースを移動し作り直してくれと横暴とも思われる注文に、私は貴方が雪の上にインクでマーキングをした所を確認しコースレイアウトを決定していった、と主張したが聞き入れなかった、明日明後日まで迫ったのにと、私は引き上げると宣言した。
今日は、私の橇イベントに協力してくれる札大、学園大の学生さんたちが20人以上も集まって来ている、取りなしのH氏の学生の為にも納めて続行しようとに、私も冷静になり最後は学生全員がひとつの目的のために結集し、午後3時には最初のコースから外れた所に、新コースを完成させていた。
始めてやる橇滑りイベントなので、お上も良く理解できていなかったと思った。
兎も角、前向きに明日も2時間ほど現場にと思っている。

雪いじりは長い経験がある。・・・・・・

2月14日はトリブレット

2013年02月14日 22時35分05秒 | ペタンク爺さんの一日
今日14日は、バレンタインデーでダンスボラーレのレッスンに日にもなっていた、11月から初めてそろそろ四ヶ月になろうとしているが新しいステップが加わって来て、ダンスの悩みは倍になってしまっていた、スワンのサークルでは一年二ヶ月になっているので、初歩のステップをようやく覚え身について来たのか、こちらの方は踊り終わってもパートナーには謝ることはほとんどなくなって来ていた。
こちらは、少し自信がついて来て楽しさも覚えるくらいになっていたが、それに引き替えボラーレの方はまだまだ期間が短いレッスンなので覚えきれていない、ただ周りの上手な人の様子を見ながら動いていると云っていい、ステップは兎も角皆の踊りの輪からはみ出ないように付いてゆくのが必死で、終わってからパートナーに謝ってばかり、運動時の汗と冷や汗油汗で、終わるころにはへとへとになる。
それでも、一年も経てばと休まず通い続けている、今日はダンスの女先生からと会の代表(女性)からチョコレートを貰う、小さくてもとても美味った。

ダンスの補習授業を終えて帰ると午後1時近かった、遅い昼ご飯を食べ17日にそり作りテント内に展示するプレゼンテーション資料を作りはじめる、意外と時間が掛かり全部完成しなかった。

夕食も早めに終わらせ、午後6時から月寒公民館で始まる月寒公園利活用・管理運営検討会議に出かける、今日は今年から始まる月寒神社周りの工事概要の説明もあった、此処にあったパークゴルフコースが高台野球場の裏側に移り昨年から工事が始まっていて、今年末で完成することになっている。
こちらの、跡地の工事も5月から始まり12月末までに完成するとの説明があった。
今年は第2期工事で、26年は公園の中心部あたりで始まり、27.28年で一番関心のある坂下野球場界隈の工事が始まり完成するとすべての工事が終わることになっている。
長生きしないと、完成した月寒公園は見ることはできない。
会議は午後9時30分にも及ぶ、3時間は過ぎていた。

そりのプレゼンテーション
月寒神社から公園を望む
会議も後半
三時間の結晶