私は1934年の犬年生まれ、もうこれだけでも犬とは縁があり親からも大きな期待をもって生れて来たと、この歳になってようやく解かって来ている。
両親と濃密な関係にあった満25歳まで、今にして思へばそんな自分の末完成の人格が厄を起こしいたことが良く判って来る、20歳代には自宅を利用し衣料品店を経営していて特に母親は耳新しい病氣の子宮ガンを患つていた、そんな事もあり密に私の嫁さんを探していたのだ、生きている間に愛する我が息子に嫁と孫を見たがった事が良く判る。
其れにしても素晴らしい連れ添いを探してくれた、大家族の長女で苦労して來ていたので姑小姑の家族の中に同じ満25歳で嫁いで来た、よく年に長男が生れ入院先の北大病院に見せに行ってい、翌年の孫が歩き始めたころ54歳で旅立つた。
母親が亡くなって間もなくして札幌に出ている、札幌に出て息子をの為にと生れてはじめて犬を飼った、その項は円山地域で釣具店を出しタクシードライバーも兼務していた。
神経的ストレスで十二指腸潰瘍を患い入院する、子供達に犬の飼方や扱い方を教育していなかった事が原因で、ストレスで犬が人をかじる樣になり、私が退院してからも治らず札幌市に引取ってもらつた。真黒で毛が長くコロと呼んでいた事を覚えている。
それ以後生き物を飼う事を辞めた、矢張私には犬猫とは縁が無さそうだ。
何気無い心使い
両親と濃密な関係にあった満25歳まで、今にして思へばそんな自分の末完成の人格が厄を起こしいたことが良く判って来る、20歳代には自宅を利用し衣料品店を経営していて特に母親は耳新しい病氣の子宮ガンを患つていた、そんな事もあり密に私の嫁さんを探していたのだ、生きている間に愛する我が息子に嫁と孫を見たがった事が良く判る。
其れにしても素晴らしい連れ添いを探してくれた、大家族の長女で苦労して來ていたので姑小姑の家族の中に同じ満25歳で嫁いで来た、よく年に長男が生れ入院先の北大病院に見せに行ってい、翌年の孫が歩き始めたころ54歳で旅立つた。
母親が亡くなって間もなくして札幌に出ている、札幌に出て息子をの為にと生れてはじめて犬を飼った、その項は円山地域で釣具店を出しタクシードライバーも兼務していた。
神経的ストレスで十二指腸潰瘍を患い入院する、子供達に犬の飼方や扱い方を教育していなかった事が原因で、ストレスで犬が人をかじる樣になり、私が退院してからも治らず札幌市に引取ってもらつた。真黒で毛が長くコロと呼んでいた事を覚えている。
それ以後生き物を飼う事を辞めた、矢張私には犬猫とは縁が無さそうだ。
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