ペタンク爺さん

ペタンクで遊ぼうよ!で20年

2010爺の10大ニュース

2010年12月31日 15時48分19秒 | ペタンク爺さんの一日
この世に生を享け、78回目の正月を迎える子供の頃第二次大戦があり子供心に戦争の悲惨さを感じ取っている。
子供の頃の夢物語が実現化され、新しい文化として定着している、変らないのは人間そのものではないかと思う事もある、この歳になると何時終っても良いように心構えだけは持っていなければと思っている。
ただ出来れば、明日命が尽きるまで余りボケもせず、山菜、きのこ採りが出来る身体であって欲しいが偽らざる心境です。

今年の爺さんの10大ニュースをまとめて見ました。

①富士登山
体力テストも兼ねトレーニングなしで登攀9時間30分、きつかった。
 富士登山

②親友工藤君逝く
高校生時代からからの友人、予想もしていなかった。
 工藤君と山菜採り

③妻の三回忌
早いもので、もう三年も経ちました。
 最後の旅は永平寺へ

④自治会役員に復帰
はまなす自治会の総務に、何かと雑用が増える。
 自治会のお花見

⑤創造学園での活動
運動会、文化祭、ペタンク倶楽部の創設
 創造学園ペタンク倶楽部大会

⑥橇で大滑走
(発砲スチロール、ビニール製)のそりで手稲山山頂、藻岩北斜面滑走する。
子供のそり遊びとしても、テレビで取り上げられる。
 子供のそり遊びテレビ取材受ける

⑦句会に入会するが解散
 文化祭に出した、私の句

⑧妹(芳子)札幌より岡崎に転居
 岡崎に転居した妹(真ん中)

⑨日本ペタンク協会と合併

⑩月寒公園再開発プロジェクトに参加




2010最終そり滑走と動画撮り

2010年12月30日 16時53分01秒 | ペタンク爺さんの一日
昨日に引き続き、午後から白旗山登山を予定に入れていた、午前中は小雪が降り続いていた、久しぶりに清田にいる友人を訪ねる、その彼も70歳になっていると話していた、お互い同じ速度で年を取り合っているので普段は気が付かない、思わず月日の経っているのを自覚させられる。・・・・
山に向う途中、蕎麦屋を発見し飛び込む、明日の年越しそばを作っているのか家族が忙しそうに働いていた。
暖かい蕎麦とかしわを注文するが、かきたまてんぷらにひかれ変更する、そばは更科系でなく色は黒く、かきたまはコップをひっくり返したような天ぷら、美味しかったが量が少々多かったなと思った。・・・・近頃は胃袋が小さくなっている。

白旗山は、まだ正式にはオープンしていなかったがクロカンスキーの人たちの車が10台を超えほど停まっていた、まだ雪が少ないのでグランドを中心にフラットに圧雪車の跡が付いていた、まだカッターをつけるほどの雪は降っていない。

札幌台コースに向うが、今日は入り口まで足跡が付いていたがコースは一面雪で覆われていた、昨日何本か滑走跡を付けているのでコースの中だけは、らくらくツボ足で歩ける状態で、もう私の為の専用コースにもなっていた。
これまでの、滑走動画は自分の目線で見える風景を撮りながら滑っていたが、三脚を利用する事を思いつき今日始めて自分と廻りの景色を撮りながら滑走する。
ただ、バランスを撮りながらの滑走は非常に難しかった、それでもその内上手に撮影出来る様になると確信している。・・・・初めてにしては先ず先ずの出来と思う。
今日も撮影してきた動画をYou Tubeにアップする。
橇文化を考える会
http://www7.plala.or.jp/ikiru-yasuhide/soribunka.html

 かき揚天ぷらそば
 今日のスタート地点


2011シーズン初動画撮り

2010年12月29日 16時16分02秒 | ペタンク爺さんの一日
朝から雪が降り続いていた、気温が高いので湿雪に近い、車の周りの雪跳ねから始まる、午前中お坊さんが来たので、山に向ったのは11時を過ぎていたと思う、自宅を出て15分くらいで白旗山競技場下の駐車場に着いてしまった。
今日も、スキーコースは開放していなかったが、山歩きする人たちのために、一部の駐車場を開放したらしい、道路に停められるより管理する側としては無理からぬと思う、この時期は無理するとまだツボ足で殆んど歩ける、カンジキコースは自然開放になっているが、正式にカンジキの貸し出しは1月中頃と思う。
スキーが無くても、何も持たなくてもモデルカンジキコースなど完備されていて、短い所で1時間ほどで廻ってこれる。・・・・雪の北海道らしい遊びだ。
先客の車が1台停まっていた、私も今日はスノーシューを履いて先客の足跡を辿って山に向った、雪は降り続いていた、予定のコースにたどり着きスノーシューで一昨日つけたコースを辿ってリユ-ジュコースもどきを作った、今日は深雪用の橇も予備に持って行ったが、まだ出番は廻ってこなかった、その内パウダースノーを滑りまくりたいと思っている。

雪が小降りを見計らって、動画2.3本を撮る片手運転でカメラを操作しての滑走は、少しテクニックが必要で、独りで撮る場合はこの辺が限界です。
この後、You Tubeにアップします。
橇文化を考える会:http://www7.plala.or.jp/ikiru-yasuhide/soribunka.html
HPに掲載

 今日もただ独り
 此処が中間点
 滑走スタイルです


ささやかな正月飾り

2010年12月28日 15時51分21秒 | ペタンク爺さんの一日
毎年押し迫った28日に正月飾りをするのが、我が家の暮れの行事に定着している、たいしたことはしないが、お正月の雰囲気をかもし出す小道具が必要と思い用意しているもので、亡き女房もこれを眺めていたと思い出している。
明日29日は月命日で、先月来たときから12月も来ますよと云って帰っている、少しは仏壇も綺麗にと心がける、今日早めの昼食を終えてミニお供え、それに正月用料理の材料も揃えるのに豊平の東光ストアーに向う、他のスパーより割高だが正月くらいと、少しの贅沢、矢張り品物は確かな事は東急から東光に変っても同じで、広くも無い店内は賑わっていた。
買物の後、すっかりご無沙汰していた山鼻温泉屯田湯に立ち寄ろうと、入浴の準備をしていった、温泉と言っても、外観や入浴料は銭湯と全く同じで、どう見ても温泉浴場に見えない、矢張り近所の常連客で賑わっているのは、いつもと変らなかった、久しぶりだったのでほぼ1時間ほど、たっぷり温泉に浸かって来た。

明日は、午前中お坊さんが来るので帰ってから、先日の続きの白旗山札幌台にそりすべりに行こうと思っている、一向に雪が降る気配は無い。

 お正月飾り
 藻岩ロープウエー駅は解体されていた
 山鼻温泉屯田湯前で

札幌台リュージュもどき

2010年12月27日 15時24分30秒 | ペタンク爺さんの一日
先日白旗山の下見に訪ねたときは、自然歩道の駐車場まで入って行けた、そうまだ雪が数センチ降った後だった、市内は先日降った大雪も連日気温が高い日が続いているので、国道からはすっかり姿をけしている、それに引き換え1本裏通りに入ると氷のアイスバーン道路になっている、危なくて危なくて、よほど用心しながら歩かないと転倒する。
札幌は、雪が降らなくても気温が低いので、非常に危険状態が続いている道路状況で、用心が肝心なり、札幌市で用意してある道路にまく滑り止めの砂利砂が、大いに活躍している年の暮れです。

白旗山は、常設のクロスカントリーコースもあり、雪さえ付いてしまえば市内から近いので大勢のスキーヤーが集まる所だが、少しは標高が高くなるので雪が残っていると想像を逞しくして、今日先日に続き白旗山に入る、入り口近くになり急に雪量が多いのが判った、これならと常設の駐車場に入れようとしたら、門が半開きで鎖が掛かっていた、暫くするとクロカン関係の車が出入りしたので、そのあとすぐ先に見える所定の場所に車を停める、先客が一台停まっていた。

どうやら、クロカンコースは全面開放で無いらしい、グランド中心に練習している状態と見えた、何とか滑走できると私なりに解釈している。

目的の、札幌台コースは入り口から少し歩いて入らなければならないところで、シーズン初めの冬山のバックカントリーコースとしてもお勧めと思う。
山歩きの人なら易しい山で、縦走し有明方面とか、滝野方面とか、西岡水源地にも繋がっていて、結構楽しみながら足慣らしとしては恰好な場所だと思っている。
ただ、車で来た場合は同じ所に戻らなければならない。
今年は、白旗山にも熊が出没し驚かされたが、雪山は安心して山の中を歩く事が出来る。

林の中にある、歩道コースは雪が飛ばされずに残っていて、それに山は矢張り気温が低いので雪質も最良の状態に近かった、何人が足跡をつけてくれていたので、其処を利用しリユージュコースを作る、最長250Mほど最大斜度20度、平均14,5度くらい、何回か滑った後一気に250Mほどを滑りきる、・・・・最高だった。

昨日から、カメラの調子が悪く携帯で写真を撮る、帰り道遠回りしてカシオ札幌に行く、修理は1万円ほど掛かる、との話で、直すより新しく買った方が良いと決断し、帰宅後近くのヤマダ電機で購入する、500万画素から1,500万画素に機能もアップしたカメラとなる、デジカメになってから三台目、消耗品となったカメラです。


 札幌台へ
 雪は充分だった
 ここから始まる
 三台目もカシオ

月寒公園のそり遊び

2010年12月26日 16時30分32秒 | ペタンク爺さんの一日
昨日から、札幌市の小学校は冬休みに入った、多分今日の日曜日は買い物客で街の中は大変な混雑状態と想像できる。
近くにある、スポーツ用品のゼビオにワックスを買いに行った、私達がスキーに関わっていた時代と違って、スキーも下火になっているが、矢張りボーナスが出た土曜、日曜日は親子の買い物客で賑わいを見せていた。
なにはなくても、子供にかける愛情はお金の金額に比例するのか、なんとも言い切れないところもあるが、効果はあるのは事実なのかもしれない。
子供を育てる段階で、一緒に親も育てられているのも現実だと思う、ただやり直しが出来ない、その時その時の判断で、過去として記録されている。
親子であっても、それぞれ個別の生物なのだ、生活環境で考え方も変っても親の遺伝子は子供に伝わっいってる、何処かで親子が同じ行動パーターンが出てくると思う。

60歳から、第2の人生が始まると思っていた、運良くと云っていいか判らないが子供を大勢育てられて、続いて孫の時代になり曾孫まで行くとなると、最低90歳くらいまで生きて行かねばならない。・・・・・それが幸せなのか判らない。
そんな人は、滅多にいない。

今は、他人の曾孫くらいの子供達を対象に「そり遊び」で遊んでもらっていると言う方が正しいかもしれない。
昨年、月寒公園の近くの女の子と友達になった、一緒におじいさんとも友達になった、今日の日曜日は遊びに来るはずだった、如何した訳か現れなかった、代わりと言って良いのか名古屋から来たと云う小学校1年生の女の子とお母さんと、お友達になる。
お昼くらいまで遊んで帰ることになったが、話を聞くと29日まで公園の近くの実家にいて、そのあとお父さんと小樽やニセコのスキー場に行くといっていた、本州は冬休みが短く1月も初旬に新学期が始まるらしい。
女の子から、しきりに明日も来て遊んで欲しいとの要望があったが、明日は白旗山の札幌台のバックカントリーを予定に入れていたので、約束できなかった。
月寒公園のそりコースも雪不足で、雪面が硬く良いコース状態とは云えない、もうひと雪降って欲しいと思っている。

久しぶりに、寿司職人モドキになる、と言っても寿司の巻物で時々気が向くと始まってしまう、そり遊びの帰りスパーに立ち寄り冷凍マグロとキュウリの粕づけを買って帰る、何回も手を洗い始まった、これにしても助士がすぐ傍にいるので、この辺だけは一流職人並みで、出来た製品は、見た目でないと云わざろうえないレベルです。

 可愛い名古屋の小学校1年生と写真に
 鉄火巻き
 決して売り物ではない・・・・

帰ってからメールを開く、約束していた女の子がノロウィールスにかかったらしく、救急病院に行きますとの連絡がお爺さんから入っていた。
心配だが、二三日すれば回復すると思う、正月明けにまた誘うつもりです。
・・・・病気に負けないで頑張ってね。・・・そり爺(じい)






GLAY開演5時間前

2010年12月25日 15時27分48秒 | ペタンク爺さんの一日
土曜日には「きたえ~る」のトレーグは今まで来たことはない、シニアなのだから平日の一般の人が来ない時間を選んで通い続けていた、と言っても11月あたりから週にしてせいぜい3回ほど、それも山に雪が積もりさえすれば「きたえ~る」通いも終ってしまう、雪が降りそうで降らない日が続いているので、今日も出かける、終ったのが11時過ぎ、トレーニング室を出ると、GLAY開演5時間も前と思うが若い人たちがもう並んで待っていた、女性が圧倒的に多いのがすぐわかる、地下鉄から伸びる地下路には大勢の観客が短時間に集まってくる事を予想し、カラコーンを延々と並べてあった。

お昼は、先日テレビで放送されていた月寒8丁目駅近くの開店したばかりの蕎麦を探した、想像していた蕎麦屋のイメージからはかけ離れていた、日本料理店の店構えで、慣れないと少し入りにくいと思った、自称蕎麦通、せいろ650円を食べてみた、外見蕎麦の太さ、味等は東屋系と判断した。真冬にせいろは寒々と感じるが、蕎麦の味は冷たい蕎麦に限る、しかし今度来たときは天ぷらそば熱々を食べてみようと思った、多分冬はこちらのほうが美味しいと思う、ランチは3時まで割安だ、夕方から日本食もやっているようだ。

明日26日の月寒公園での橇の試乗会の準備を済ませた、橇は全部で9台で車の後部座席に乗せる、前から欲しいと思っていた簡易テントを見に白石の秀岳荘に出かける、小さくて、安くて、軽くて、安いと言う条件に合うテントを探した、私の考えていたものに近いテントを発見、夏用だが使う目的に合っているので購入する、定価の半額の値がついていた。・・・・組み立て簡単なので、明日早速使用します。

 GLAY開演間もなく
 GLAY開演間もなく02
 GLAY開演間もなく03
 自称蕎麦通
 テント新調




あと数日で2010年も暮れてゆく

2010年12月24日 14時36分41秒 | ペタンク爺さんの一日
師走も押し迫ってきているが、現役時代と違いいたってのんびりしている年の瀬です、食べるものにしても普段と変わりない日々と思っている。
子供時代食べるものに窮していた頃は、正月にしか食べられないものが沢山あった、その頃の親達は正月には散財をしていた、シャッツの一枚くらいは新しくしたり、お年玉を用意したり、我が家では31日~元旦にかけてクリスマスの贈り物が枕元に置いてあった。
たくさんの愛情表現のあらわれと、今にして思い起こしている。
本当に、楽しい良き時代でもあった。
子供達の成長とともに、親達は老いて行った、母は54歳で子宮ガンで亡くなっているが今なら治療方法も進歩しているので、もう少し長生きしたのではないかと思う事もある。
父は再婚し80歳まで生きている、その年齢までもあと二年のになった。

今週は、何かと忙しく「きたえ~る」通いも今日一日で終るかなと思う、トレーニングを終えて玄関を出ると明日から始まるらしいイベント関係のトラックが列をなして並んでいた、良く見るとGLAYK横文字と彼らの写真がトラックの壁面にデカデカと書かれていた、ロックミュージシャンと一瞬思う、この分野の音楽は私の好みではない。
でも、札幌にも大勢のフアンがいると思う、明日は賑やかになる。

昼から、ホーマックに必要なものがあり買物に出かける、園芸コーナーでキノコノ培養のセットを見つけ、物好きに買い求めてくる、キノコノ種類はマッシュルームで40日くらいで食べれるようになるとの説明書き、二月には収穫できる予定です。・・・・?

 GLAYトラック群
 GLAY イラスト
 キノコ培養セット



月寒公園そり山での初滑り

2010年12月23日 16時09分36秒 | ペタンク爺さんの一日
今日は、朝から雪が降り続いていた、いま手がけている橇は2011シーズンとして作り出してから8台目になる、この辺で一区切りで製作は中断し、滑走テストに力を入れようと思っている。もう作り初めから見ると作業手順も、手馴れてきて制作時間が短縮している、昼前には仕上がらなかった、昨日の小豆の残りでお汁粉を作ってもらい美味しく頂く。
しきりなしに雪がちらついているが、家の中から見ていても雪は湿雪のように見えた、昼から最後の仕上げで8台目の橇を完成させ、待ちきれずその橇を持って月寒公園そり山コースに向う、雪は大量の水分を含んでいて本州の温かい地方の雪質だ、現地に到着天候も悪く、誰もいないかと思ったら、子供達がもうそりすべりをやっていた、何でこんな時間にと思っていたが、今日は祭日であることをすっかり忘れていた。

何本か試走を繰り返す、興味深く私の橇を見ていた子供達に「滑ってみるかい」と声を掛けると、すぐ飛びついて来た、26日にこの橇の試乗会をやるからと、滑りに来ないかと誘いを掛ける、我が家の近くのあやめ野小学校の6年生トリオだった。
つい、自分の小学生時代を思い出していた。

雪は、明日明後日とちらつくとの予報に期待をし今日は早めに引き上げる。

 小学生トリオと
 そり山には先客が
 子供は雪の子だね


そり試乗会

2010年12月22日 14時40分37秒 | ペタンク爺さんの一日
2011ニューモデル「ビニプラ橇」の試乗会を、雪が降ってコース使用出来る事を想定し、小学校が25日が終業式の翌日の26日(日曜)に月寒公園の橇コースで開催しようと決めていた。
先日の大雪がそのまま残っていれば、何の支障もなくコースは使用可能だったが、そのすぐ後に降り続いた雨ですっかり溶けてしまっていた、・・・・・本当にこの時ばかりは子供のようにがっかりした。
ここの所、また気温が下がり雪だるまのマーク入り予報が出ているが、なんとも降って何ぼでないかと、近郊のスキー場経営者の心境にもなっている、どうも我ながら可笑しい気がする。
ニューモデルを作り出してから、今日で7台目を完成させた、在庫の一台を含め全部で8台あれば今年初めての「ビニプラ橇」の試乗会が出来るとひとまずほっとしている。

今夜から低気圧が通過するらしい、ついでに雪の置き土産をおおいに期待している。

自家製のトマトビューレーを作って食べだしてから、もう10年以上になると思う、朝食のパン食には欠かせぬ食材で体調がこれで保たれていると信じている爺さんです。
一度に作り置きし冷凍保存で欠かさず食卓に上っていたが、底がみえ今年最後のトマトビューレー作りの素材を探しに出かける、野菜一般は兎に角高くなっている昨今、安いトマト探しは何時も苦労している、運良く1個50円ほどのトマトを見つけ個数にして30個くらい買いだめをしてくる、今夜辺りゆっくり製品に使用と思っている。

正月が近づいてきているので、滅多に飲まないがアルコールをと、果実酒を引っ張り出した梅酒は、ほんの少し、こくわ酒が大瓶で残っていた、もう5,6年は経っていると思う、それに同じ頃漬けていたこくわのはちみつ漬けが出てきたので、果実酒のカクテルを作ろうと考えている、小分けして食卓の上に何時も置いておこうと思っている。

 2011「ビニプラ橇」ニューモデル
 トマトビューレ作り
 果実酒カクテル作り

今日は忘年会

2010年12月21日 18時44分29秒 | ペタンク爺さんの一日
シニア大學「創造学園」の今日は二学期の最終日で、三週続いて開催されてきた最後の班の創造の日の研究発表が行われた、最初は近くにある(独立行政法人)産業技術総合研究所北海道センターの開発内容の研究発表でした、私も前々からこんな所に全国でも数箇所しかない国の研究機関があることに気が付いていて、一年に一回夏休み期間に一般に開放していたことは知っていた。
生憎、何時も何かの行事と重なっていて見学には行けないでいた、今日の研究発表で少しは理解できたと思った。
研究発表の最後は、「豊平川桜並木推進運動について」だった、上流ミューヘン大橋から下流東橋まで河川敷7キロに2,000本の10年で植えると20年後には見事な桜並木が豊平川に出来上がると云う夢物語のような研究発表だった。

たまたま、今日の授業の進行司会は私が当番であった、先週の発表会がいずれも時間オーバーしていたので、今日は午後1時から札幌駅前「ポールスター札幌」で学生会の忘年会が組まれている事もあり、役員だけで授業開始時間を繰り上げたり、中間休み時間を短くする約束事を決めスタートしていました。

お蔭様に、忘年会の方が気になっていたのかほぼ予定時間に終了し、それぞれ大挙してホテルになだれ込んだ。もう2年近くになる同期の桜打解けて楽しい忘年会になった、私の班10名の余興は、全員で青い山脈と高校三年生を歌う。

忘年会が終って、皆と別れ妹と二人久しぶり大通りとかデパートめぐりをし、最後は丸井今井のファミリーレストランに入り、眼下に大通りの賑わいを眺めながら外食を楽しんできました。・・・・明日から冬休みです。・・・・学生時代を思い出します。

 忘年会会場
 北洋ビル内で
 大通りで妹と

未来のアスリートの為に

2010年12月20日 14時21分20秒 | ペタンク爺さんの一日
日本はなんだかんだと言いながら、国際スポーツと言われる競技には国を挙げて支援している、日本の国力から考えると多いとか少ないとかの議論は出てくるが、上を見ても仕方が無いが下を見ては限りがない、国に頼らず社会も又個人でも個々に支援活動をしているのも現実だ、よく言われることだが各競技団体の理想形は競技人口がビラミット型が良いとされている、ただ各スポーツは日本には元々有ったスポーツではなく、途中から日本に取り入られ育てられて来ている、それらの普及に携わった人たちは時代時代大勢いたと思う、それらは、理想的な経過をしてこなかったにせよ、各スポーツ団体ではままあることだと思う。

それらを、否定するのは自分を否定することに繋がっている事に気が付かなければ。
最初の一歩が、いかに大事という事を若い世代に知ってもらいたい、そして新しい事に挑戦する勇気を持ってもらいたい。
そのあとに続く人は、そのきっかけを土台に大きく飛躍するのは、これは又別の偉業として評価されるものである。

二十数年関わってきた「ペタンク」、現在残念ながら札幌には大小に関わらず本物のペタンク専用コートは、これまで作られてはいない。
ゲートボールの衰退とともに、西区農試公園のゲートボールコート4面のうち、二面をペタンク専用コートにした、ただ普通の土コートなのでルーレット投球の試合になるので、国際大会の砂利に近いコートでの試合になると、投球方法が全く違ってしまうので、各地方から出てくるチャンピオン程度では、国際大会では通用しない。
ただ、全国でも少しずつ砂利コートが作られ、其処を練習場としている選手が現れだして来ているのも現実です。

ひょっとすると、平成28年度完成の月寒公園再開発で自由広場の一部に本物の「ペタンク」専用コートが出来る可能性が出ている。
そんな、嬉しい情報は隠しきれない、2月中旬に月寒公園再開発最終案が発表される、長年夢に見ていたペタンク環境が出来る事を夢見ています。
20年も前から、ジュニアペタンク環境作りをやってきた、せめての置き土産に、未来のアスリートた達のための環境と思っている公園が月寒公園です。

フランスの一般公園のペタンクコートの写真をネットから借用し掲載しました。

 フランスの公園風景01
 フランスの公園風景02
 フランスの公園風景03



2010ラスト練習会

2010年12月19日 15時37分38秒 | ペタンク爺さんの一日
2010最後のペタンク練習会が駒岡保養センター隣の、駒岡地区会館で開催された、この会館が使われだしたのは札幌ペタンク協会の運営に携わっていた20年も前になる、年末には年越しペタンクとか年が明ければ、新春ペタンク大会とか、時には一泊を保養センターに宿泊を入れたペタンクを冬期間入れて、春5月のペタンクシーズンまで盛り上げていた事もある。

別組織で活動しだしてからも、づう~と冬期間は使われ続けてきた、豊平区に住んでいるので、どちらかと言うと使いやすさも一因と思う。
2010のペタンクを振り返ると、ここのところ自分の為の練習少なくなった女房が病気になってから、皆を引っ張ってきていた立場から、若い世代にバトンをタッチし独りになってしまい目的目標を失った、妻は私のペタンクの最大の理解者であり協力者それにスポンサーでもあった、これは致し方の無い事だと思う。

お釈迦様でも、死があるのだと諦めに似た感情になる、創造学園に入学したのも環境を変えようとしてのことで、お蔭さまでまた新しい友達も出来、学園の中にペタンククラブを立ち上げた事は、本当に嬉しい出来事だった。
冬期間でも、室内練習会に参加する人たちも出てきて、新たな楽しさも増えてきた。

二十数年、ペタンクに携わってきたが全国の組織の一本化は、昔からの夢だった、頂点が世界選手権なのだが、それ以上の国際大会もある、100年も超える国際スポーツと思っているが、これに携わり利用しようと云う人も出て来たり、スポンサーの関係で、ねんりんピックと深い繋がりができ、老人パワーが発揮されるのは良いが、それが老害になってしまうと言う現実もあり、思惑、しがらみ、と混迷してきたペタンク界。

此処に来て、あと1、2年で組織の一本化は実現の運びとなる様相を示し始めている、願わくは、全国の地域組織のリーダーは若い世代に譲ってほしいものだと心より願っている。

一般人として、地域の朗報として月寒公園の坂下野球場の一面が、一面削られて誰でも使用できる自由広場に変る事だ、ただ完成は平成28年です。
その広場の中に、ペタンク専用コートが含まれているかも知れません。?・・・・・

 今日の駒岡室内コート
 久しぶりに駒岡の温室に入る
 屋外と温室との温度差が大きくカメラも曇る



朝から大雪の気配

2010年12月18日 14時47分51秒 | ペタンク爺さんの一日
ひとシーズンぶりに、午前中、車の周りの除雪をやった、少し気温が高いのか湿雪に近い雪だった、自治会のミニ除雪機も稼動し玄関先を含む歩道の除雪もやっていた。

12時から、先日行われたパークライフウィークエンドの懇親会があり、早めの昼食を済ませ歩いて会場に向った、平日の土曜日の午後だったせいか参加者は予想していたより少なかった、一月の下旬第5回計画策定委員会があり、二月中旬に第3回シンポジュウムが開催され、最終案の提示と云うスケジュールになっている。

1月の策定委員会に提出する素案を、今日開示してもらった、説明を聞き最後の要望など話し合った、詳しい内容迄は発表できる段階ではないが、私からの要望は、高い確率で取り入れられると云う感触を得た。
最終案の提示日の二月が待遠しい。

3時近くかかった会議を終えて、歩いて帰ってきたが小雪だが絶え間なく降り続いていた、明日は駒岡のペタンク練習会、向う車は定員5名一杯です。

明後日は、傘マークが付いているが白旗山の札幌台の初すべりを考えている。
スノーシューが必要かなとも思っている、多分明日の日曜日はバックカントリーの人たちが歩いてくれるので、コース作りをしてくれる事を期待している。

 月寒公園再整備計画素案 スケジュール
 再整備計画素案
 再整備計画素案02
 再整備計画素案03
 パークライフセンター

醜い政界

2010年12月17日 13時33分30秒 | ペタンク爺さんの一日
保守代表の自民党の長き渡る政権で、様々な首相が誕生し消えていったが、最後は大多数の国民に信頼を失い、民主政権に替わって行った、国民もよほど自民党政権には、愛想をつかしたと思う、首相も人材がいなかったのか、日本国を任せてと言う大物政治家も出てこなかった。
様々な、弊害が長き政権たらいまわしの様相を示していたことはいがめないが、世の中が良かったのか平和な60年だったと思う、その60年の中にどっぽり使って生きてきた昭和一桁代、間もなくそんな心配をしなくても良い世界に逝くことになる。

自民から民主政権に替わった、期待が大きかった分落胆も大きい、蓋を開けてみて民主党内にも本当の首相になれる人物がいないのに、がっかりしている。
兎に角、小粒だ、近隣諸国との摩擦が生じてきている、世界観を持っていない人間が政治家になっている、先を見る目も100年先を見ながら政治を行う政治家がいないのではないか。
党内一つをまとめ切れない、民主党は政権担当する資格は無い、極論だが自民党に政権を返して下野し勉強し直して欲しいと思う。

高校卒業しても、三割程度の就職さきがない北海道、世の中が悪いは口実で政治が悪いのが一番だと思う。・・・・・平成の龍馬が現れないか。
今の天皇も、私と同世代、そろそろ代替わりと同時に世の中が変わって欲しい。

先日、雪がちらつく季節になって我家の前の五区公園の遊園具の取替え工事が始まっていた、今日「きたえ~る」の帰り道通りかかったら、工事が盛んに行われていた、見るとほぼ出来上がっているように見えた、看板には12月が完成になっているので、間もなく検査がありその後、工事関係の材料が取り払われ、年が変わる1月には出来上がっていると思う。・・・・遊具は前のものと同じように見えるが、少し年齢を下げた幼児から小学生低学年の子供達を対象にしているように見えた。

 五区公園の遊具交換工事
 間もなく完成か
 看板