ペタンク爺さん

ペタンクで遊ぼうよ!で20年

私の寶もの写真

2012年02月29日 14時19分53秒 | ペタンク爺さんの一日
29日が亡妻の月命日だった、もう4年もの月日が経っているのに時の流れの速さが感じられる年齢になっている事に気が付かされる、いつものように午前9時過ぎには豊平の径王寺のお坊さんがお参りに来てくれる。
お寺との繋がりは、微かだが私の代になっても続いている、先祖からの日蓮宗で遡れば鎌倉時代まではっきりしている家系だが、私の所など遠藤家の末端のその外くらいかなと思っている、私も生まれは先祖地の新潟の海岸で目の前に佐渡島が見える所だ、60過ぎてから数回は訪ねているが、先祖が最初に住み着いた所は佐渡島で、そのあと11代目に対岸の五ヶ浜村に移住したと云われている。
遠藤とは、藤が付くから藤原系と想像できるが昔父がお酒を飲むと先祖は藤原鎌足と誇大妄想なような事をよく口走っていたことを鮮明に覚えている、鎌倉時代に北面の武士という身分だったので、全く嘘話とも云えないと思いもしていた。

最近、プロ野球の選手のように現役を過ごし引退を勧告されているが、まだ現役で通用すると年契約で球団に居残っている老選手の心境で、今年はともかく来シーズンは約束されていない、春のキャンプに参加できると思いだけでも持ち続けている。

50才を過ぎたあたりから、生涯スポーツとし何かと考え探し求めていた時にペタンクに出会う、これが現役を終えた後の人生に素晴らしく楽しいものにしてくれた、紆余曲折はいろいろあったが、それも今となってみれば楽しい思い出に代わっている、孫との楽しいひと時もペタンクと一緒に過ごしてきた。
その孫も今年は20歳、短大を卒業して厳しい世間に飛び込んでゆく、後は自分で運命を切り開いて行かなければ。
明るい希望を持って船出してほしいと心から願う爺さんです。

宝物の写真(最後のツーショット)




藻岩山とウバユリ

2012年02月28日 16時47分34秒 | 橇爺(そりじい)モード
近頃、藻岩北斜面の第3ルート専用コースとして使用している、一昨日スノーシューを持参し特に緩斜面のルート内を上下し三往復ほどしてコースを作っておいた、昨日はダンスサークルがあり山には行けなかった、今日は朝から時々太陽が顔をだしていた、橇すべりには絶好と11時の一便に間に合うように藻岩に出かける、団体客が来たのか臨時便が少し前に出ていた、中間駅に着くと西線に住むスキーの先輩が臨時便で上がって来ていた、昨日も来たが大荒れでスキー場側のゲレンデが大雪(20センチほど)のため急斜面は圧雪されなかったと云っていた。
先輩と別れて、いつもの第3ルートの入口から降り始めた途端私の名前を呼ぶ人が現れる、驚いた、こんな所に遠くから姿を見て呼び止めるなんて、少し戻り確認すると前年度ロープウエーが動かない時にバックカントリーでそりを引きながら上がっていた時にどちらかか忘れたが声を掛け合い、お近づきになった女性だった、と云ってもおばあさんではない、私のブログも見ていただいているらしい、連れが居て登攀途中だった、動画撮りに来ていると知らせ第3ルートのスタート地点も教え、別れる。

昨日少しまとまった雪­が降りコースが判らないほどになっていた、一本目の滑走は非常に難しかった、緩斜面に入りもう橇が滑らない尺取虫のように前に通った跡を辿ってゴールまで下がる、一度そり跡を付ければもう止まることは無いので、12時30分くらいの便で上がる、お昼を食べていないので中間駅の二階にある立ち食いコーナーでコロッケ130円2個を食べ昼飯とした。
すぐ隣にある、展示館に入ってみる立派な建物だ、表には朝お客さんを運んだと思われる雪上車が止まっていた。

結局2本目で繋がった動画が撮れる、ゴール付近まで道路に出ないで沢づたいに降りて行くルートになっているので、このコースは私の橇以外入れない所を選択したと思っている、沢の途中でウバユリの木が一本懸命に立っていたのを切ってくる。この辺はウバユリのほか水芭蕉も姿を見せる所だ。

ウバユリ
モーリス号
木の下をくぐる

まだ寒い 二か月あとの 桜かな

2012年02月27日 15時34分21秒 | ペタンク爺さんの一日
今日も真冬日、気温はマイナス2~3度、時折太陽が顔をのぞかせているので暖かく感じる斜度45度くらいの斜めから太陽が照りつけている、マイナス気温でも暖かく感じるようにようになったと云うことは、春の前触れかと思うことにしている。
ただ、一日の時間帯で気温の乱高下が出てくるのも今頃の季節感と云ってもいい、それだけに鉢上げしている数個の花たちも、管理者により過酷な環境になっていると想像している、花が咲いている間は愛でられるが、花が散った後の植物は大概過酷な運命を辿っている、年末に花が付いたシクラメンを買って楽しんでいた、終わってから少し気を使って管理していたら、又も花が付きだした、可愛いやっだ。

それに引き替え、5月にポットで種から植え、花壇に移植し秋になっても花が咲かなかったので鉢上げし室内で可愛がっていたが一向に成長しなかった、段々管理の手が遠いていたら、見るも哀れな姿に今にも命を絶とうとしているように見えた、久しぶりに肥料の入った水をたっぷり吸わせる。
4月になると、暖かくなるもう少し辛抱してくれることを心から願っている。
ベランダの外の庭は、今年は雪の山になっている、それでも春の気配はないかと表に出てみる、マイナス2~3度くらいでは道路の雪は解けてグチャグチャになり黒い舗装道路も出てくる。
テレビでは河津桜が開花したと報じている、一度だけペタンク大会の会場になったので訪れたことはあり、狭い町なので良く覚えている、さて我が家の桜はと雪山に登り覗いてみると心なしか花芽が膨らんでいるように見えた、それにしても後二か月ほどの時間が経過しないと花は咲かない、5月が待ち通しい札幌の人です。

午後から、ようやくベランダ掃除を終え弱り果てている鉢植えの手入れをする。

河津桜・今年の桜を借用しました
ベランダの外は雪の山
鉢植えの手入れ

朝一仕事

2012年02月26日 17時32分53秒 | ペタンク爺さんの一日
冬の間の野外での行事は、その日の天候に支配されてしまう、特に北国の北海道は4~5ヶ月の期間は降雪と低温気温に支配されてしまうと、予定はがらりと変わらぞうえない、6時から9時まで太陽が出てくる時間で其のあと曇りから雪が降ることになっていた。
お天気さえ良ければ、藻岩山滑走が1本出来ればそれ以上望まなくても満足している。
天候に合わせて、6時頃麓を出発しバックカントリーすれば太陽が出ている時間に滑って降りれる、ただ体力的にハード過ぎるので、すこ~し予定を変え9時前には自宅を出た、ロープウエーの駐車場はまだクローズ状態だったので近くの広場に停めて、北海御廟のお墓のなを通り抜け平和の塔へ通じる散策路に入る、途中からロープウエー真下のルートへの分岐点で散策路から外れて沢に降り、真下ルートから道路に出ないで橇専用のルート作りにかかる、持参したスノーシューを履き低くてもフラットなコースを選択し沢添いに北海御廟の所まで、行ったり来たり立派な橇専用コースを作ってしまった。

これで、道路は一切通過しないルートが出来あがる、鉄塔真下の中間点に白樺の木が倒れていて今までは迂回していた、迂回するとマイナス斜度になるところがあり、何とかしたいと思っていた、今日はその白樺の木の下をくぐって通り抜けるコースを完成させ、最後の新しいコースへつなげることが出来た。
完成後、今日手がけたコースを一気に滑り降りる、目線が低いので丁度リュージュコースを滑っている感じだった。
滑り終わるとお墓の中の塔の前で終わる。
降りてくると、一便に乗る乗客を乗せたバスが到着したばかりだった、ロープウエー営業前に一仕事終えた橇じいさんでした、其の頃から雪が降り出していた、こんな日に展望台に行っても何も見えないよ。

帰宅後、先日滑走面を破ってしまった橇の補修作業にかかる、ベランダではまだ寒いので七輪に炭をおこす、ビニールで密封しているのでガスがたまる、部屋の戸をあけはなし仕事にかかる、ベランダは一変にゴミが散乱する、少し鑢でけづったりしたので仕方がない、完成したが突然来客、掃除は明日になる。



お墓の前がコールです

お昼は藻岩山のコロッケ

2012年02月25日 16時02分38秒 | 橇爺(そりじい)モード
週に三日は藻岩山に上がっている感じだ、毎朝11時が一便でどちらかと云うと純然たる民間と違って、とにかくゆったりと構えている感じる、バックが札幌市のなので体質的に半官半民なのかと思っている。
今シーズンからリニアルオープンし、施設は立派になった山頂の展望台も昔の田舎の食堂のような感じは全くなくなってしまった、まず料金が高くなり往復1700円にもなる、年に一度くらい訪れる市民などは大した影響はない、どうやら観光客にターゲットを絞っているので、山頂には豪華なレストランが入っていて、売店もない飲み物の自動販売機があるだけ。
館内の一部には、入口を別にした登山者の為の休憩所があるが、なんとなく少し狭い感もある、弁当を持ち込んで食べていたが、近頃は山頂直下コースを止めているので展望台まで登らなくなった、今日も11時30分のロープウエーで上がる、その前にボストンベークに立ち寄り角食1本と調理パンを買っていた、中間駅の片隅でパンをほうばる、一旦外に出て駅の外階段を上がってゆくと、から揚げとコロッケ売りのコーナーがあるのに気が付く、パンを食べた後だったが、ケースに並べられているコロッケが美味しそうに見え1個だけ買う。
130円だった、それにアツアツのコロッケ表に出て歩きながら食べる、中はジャガイモいっぱいだった、食べ終わってこれなら何も用意しないで来ても、コロッケ2個と牛乳1本飲むと昼飯になると思った。

昨日に引き続き、同じルートに入った今日はスノーシューは持参していなかった、昨日付けた足跡を辿ってスタート地点にツボ足でも埋まることは無かった、雪が固くなり安定したコースになりつつあった、途中整備されていない所もあり一二度止まったが、何時ものゴール地点まで難なくたどり着く。

明日はお天気がいまいちどうするか、朝起きてから考えよう。

小さな売店
お墓の中がゴール


簡単料理の山蕗の煮つけ

2012年02月24日 16時31分44秒 | ペタンク爺さんの一日
毎年5月の中過ぎ頃、越冬用として北海道の山蕗を採り出したのはまだ若かった40歳代に遡ると思う、その頃は大通り20丁目の現在夜間緊急センター前で、市電が走っていたころは曲がり角から二軒目で遠藤釣具円山店を開いていた、其処から今の盤渓スキー場裏辺りで簡単に其れも沢山採れていた、直ぐは食べず一度湯がいて塩蔵保存は家計の足しにもなっていた。
何と言っても、北海道の山菜の代表は山ふきを置いてないと思う、それは簡単に保存が出来るからで、その他は根曲り竹の竹の子だが、蕗と同じ保存で塩蔵では、食べるときに塩出しをしてしまうと風味が無くなるのと、少し消化が悪いので沢山食べるには向かない。
それに引き替え、フキは癖がなく菜っ葉類に属するので食べ過ぎても大丈夫だ。
何日か前から、塩蔵フキを引っ張り出し毎日水を替え塩出しをしていた、今夜も昨日作った赤飯があり此れと蕗の煮つけが合うのではないかと、今日も男の料理シェフに変身する、至って簡単油で炒め調味料を入れ最後にお醤油味で仕上げる。

前日の夕方から降り出した雪が朝までに20センチ以上積もっていた、久しぶりにまとまった雪、いの一番に車の除雪でスタートする、今年からリースで借りているバケットがしっきりなしに、駐車場側の雪を裏の花壇畑の方に移動していた、もうベランダ前の広場も二階の高さになっている。

気温が高く湿雪だったが藻岩山北斜面ルート3に向かう、山頂近くは風が強よかった歩いた足跡を消す。
雪が重たく滑りにくかった、小さな雪崩を起こしながら急斜面を降る、緩斜面に入りルートの消えたコースは橇が滑らず、スノーシューを取り出し歩いて降りてくる。

車の上に20センチ
藻岩神社前
今日のスタート地点

今日の動画橇世界にアップする。


明日から宮様スキー

2012年02月23日 18時17分49秒 | ペタンク爺さんの一日
今日のお天気は、午後を過ぎると湿雪が予想されていた、11時の初便で上がり藻岩山の第3ルートに出かけるつもりでいた、朝になりお水が切れていると知らされ、急遽藻岩山行きを辞めて有明名水汲みに切り替える、清田の町並みが消えてからややしばらく雪原の中を走ると、有明小学校が見えてくる、その手前を左折すると水汲み場がありその場所まで管理している地主が除雪も受け持っている、そんな経費の事もあり協力金と云う形で100円程度受け取るようにしているのが、良くわかり大金などと思うこともない。
私が着いた短い間でも、4~5台の車が出入りしていた。

札幌に戻るようにし、白旗山競技場に入る出てくる前トイレに寄ってこなかったので競技場の立派な施設を利用させてもらう、明日から始まる宮様スキー大会のコースオープンで到着した10時頃には、競技スーツに着替えた選手たちが試走を繰り返したり、下り坂を利用しワックステストをしていた、その選手たち横を通り抜け札幌台に向かう、今日は三脚を利用し固定カメラで数カットを撮りためるつもりだったが、三脚の頭が行方不明になっていて、結局予備の簡易三脚を手で持って滑り、なんとか無駄足を踏まずに済ませる、相変わらず雪が少なくコースは踏み固められてた、途中の東屋をベースキャンプにして早目の昼飯もここで済ませる、珍しくその横をシニアのカップルが長靴にストックスタイルで通り抜けて行った、多分札幌台山頂から白旗山に向かうのか、下に降りたら中央道路に沿ってスタート地点に戻るのか想像はついた。

結局短い時間だったが、2本の動画をまとめ撮り出来、成果は上がった。(橇世界にアップ済)
夕方から雪が降り出した、気温が高く湿雪だが雪不足なのでどんな雪でも降ってくれさえすればと思うのだが、明日の宮様スキーのワックス合わせは難しくなると、しなくてもいい心配をしている。
明日からの週末で藻岩山も視野に入れている。

昼ごはん

朝蒸かしの赤飯です、しかしお昼には冷たかった、でも美味しかった。

橇工房はベランダに

2012年02月22日 15時28分20秒 | ペタンク爺さんの一日
2011年中に製作していた橇は10台ほどになっていた、イベントとか橇の貸し出しの予定もなかったので2012シーズンに変ってからも、新造船ならぬ、新しい橇の製作はしていなかった、雪が降るまでに破れていた滑走面のビニール張り替えだけで元通りになり短時間で復元できていた。
2012シーズンに入ってからも、雪が少ないところを無理やり滑ることもあり草やササなどでは破れることもないのだが、雪の中に隠れている木の枝や倒木の上を通過するときに滑走面を破っていた、ビニールの張り替えだけなので作業手順も決まっている、先日も白旗山札幌台のグループ滑走時に、現地到着と共に一台の橇に傷を付けてしまいそれでもその橇で最後まで滑っていた。
団体で動くときは、数台の予備橇も持参しなければとこの時気が付く。

週初めは橇以外の予定が入っていて、今日みたいにお天気が良くても橇を担いで向かうことは出来ない、遅くてもお昼には山に入っていないと山の気温は午後から一気に下がってくるので山での一日の後半は早目に切り上げてくることにしている。
小さな狭い橇工房があるが、照明が暗いのと玄関先なので寒いので、真冬になるとなかなか使い勝手が悪い、2月も後半になり太陽の暖かい光がビニール越に射して、太陽が陰るまでは、暖かく明るい橇工房に使えると仕事場を今日からこちらに替える。

ネットを通して頻りとサカタのタネ屋さんから花の情報が入ってきているが、札幌て゛は5月からが花壇作りが始まる、ハウス栽培の種まきでもまだ早すぎる、使わない間は多様性をもったビニールハウスとなっている。

今日は、ダンス教室の女性の先生に恰好よく踊れるようになったと云われ、こんなたわいのない言葉につい嬉しさがこみ上げてきた。
帰り道の寄り道は、日量パン工場の裏手の一角にある直売所に久しぶりに立ち寄る、一抱え買って320円だった、市価の半額以下で売られていて結構固定客もいる、開店から3時間くらいで全部売り尽くしとなっている。・・・・特別美味しいとは言えないが、庶民には嬉しいお店だ。

日量パンの直売所
久しぶりに立ち寄る

安い買い物だった

2012年02月21日 18時43分46秒 | ペタンク爺さんの一日
2011年に長男から買ってもらって使っていたパソコンで、正式には何処かに習いに行くわけでもないのに、自前でホームページを作るまでになっていた、時々はサポート役の先生がいてその場その場の処理をしてもらい動かしていた。
PCの保存能力を超え、微かな知識で外付けハードデスクがあれば、何とかなると近くのヤマダ電機で簡単に付けられるからと買って帰り自分で取り付けたが、そう簡単なものでなかったのか取り付けに失敗する。
考え末に、10万円を超える最新のパソコンを入れ替えてしまった、その上ひと月ほど私のパソコンの先生の教室に通いホームページビルダー15の勉強を始めて受けた。
70歳をとうに過ぎ80歳にも手の届く年齢になっている、ただの爺だけでなくもう老爺になってしまっているせいか、兎に角物覚えが悪いが、パソコンの性能も良く色々なソフト類も入っているのですこぶる使い勝手がいい。
橇滑りで様々な動画を撮っているが、それを編集しタイトルを入れたりバックミージュックを入れてYouTubeにアップし影だけを私のホームページの橇世界に貼り付け公開している。

一週間のうち2回から3回を橇滑り日に決めて、通っている場所は藻岩山(北斜面)と白旗山札幌台が私のホームグランドだが、これは3月いっぱい続く、4月に入り手稲スキー場がクローズすると今度はしばらく手稲山に代わって行く、此処はバックカントリーになるので1日1本が限度だ。
手稲女子大回転コースを一気に滑り降りる醍醐味は、格別なものだ。
車道を下りるコースもあり、その上今年はリフトの下の直下コースも挑戦しょうと思っている。

締めくくりは、5月のニセコアンヌプリ山頂からの大滑走で今年も計画に入っている。

2012シリーズのネーミングは
Foam(泡)橇(そり)  

午後からツインキャップでペタンク練習、終了は16時過ぎていた。

ワルツ、ルンバ、タンゴ、チャッチャチャまで

2012年02月20日 15時25分34秒 | ペタンク爺さんの一日
社交ダンスサークルも二か月を経過した、入会前のひと月ほど前から正式にダンス教室に週一度ほどワンレッスンを受け、基本的なブルース、ジルバ、マンボを習った近頃になり何とか曲がりなりにも踊れるようになりだしていた、サークルの方は会員が80人ほどいて、殆どの人が1年以上経過しているので、皆さんお上手だ。

朝全員が集まり、シニアサークルの象徴のようにラジオ体操で始り、全員で三曲くらい基本的なダンスをする、一曲ごと相手を代えて踊るのだが、時たままだ習ってもいないダンス曲が入る、そんなときは冷や汗と脂汗をかきながら必死にしがみついていると云っていいと思う。

旅の恥はかき捨ての心境になり、その日の勉強会を消化している感じだ、そのあとは初心者だけ別教室に移り先生一人に数人の生徒だけで、上手な人達に仲間入りできるまでレベルを落としてのレッスンが始まっていた。
ダンスがこんなにも沢山の種類があり、ひと通り覚えないとダンスパーテーにも参加できないと認識させられた。
ふた月近く、ダンス教室では教えてくれなかったダンス種類の、ワルツ、ルンバ、タンゴ、チャッチャチャ等のレッスンをさせてもらっていたが、教室やサークルが終わり一歩外え出た時からダンスの事など忘れている事が多かった、と云うより習ったことが記憶に残らず一回一回忘れているで、これでは記憶力が著しく退化しているのでなかなか覚えられないと、切実に実感していた。

でも、無駄のような勉強会もほんの少しずつだが、記憶に残る部分が出てきた、サークルでレッスンを受けているワルツ、ルンバ、タンゴ、チャッチャチャは約2時間の中で毎回同じようなことを教えてくれている、もうそろそろ少しでも身について来てもおかしくわない、と
自分に気合を入れて来ている、社交ダンスの色々な名前だけでも覚えたことに進歩があると思っている。・・・・・まだまだ先は長い

帰りに八紘学園の校内を抜けてくる。
滅多に車は通らないポプラ並木

道央園交流ペタンク大会

2012年02月19日 18時24分08秒 | ペタンク・試合
今年初めて第3回道央園交流大会に参加する、毎日のように豪雪のためJRが不通になったり国道が通行止めになる極寒の道央で、暖かい室内で結構な人達が集まってペタンクを楽しめる会場に、西区琴似地域にある土のコートのドームは、200万都市の札幌でもたった一か所しかない、残念だがその昔自前でビニールハウスを建ててペタンクをやっていたこともあるが、限られた大きさで1コートで限界だった、毎朝ビニールの屋根の雪下ろし、ハウスサイドの雪はねなどと管理に相当負担がかかっていた、此れでは練習は出来るが皆で集まり競技会までは発展することも出来なかった。

今日の交流大会で利用している、琴似のツインキャップ土コートは粘土質でボールが走ってしまい非常に難しいコートだが、ペタンクばかりでなく、多目的に野球、サッカー、テニス、ゲートボール、グランドゴルフ等の夏のスポーツの各団体も利用するので、ペタンクに都合の良い土質には出来ないのが良くわかる、特にペタンクはシニアが多いので平日の午前と午後に当てられ、土日祭日、ナイター時間にも入れてくれないので、まだ若い現役のペタンカーや学生等は冬の間練習場所を封じられている。
今日も、会場を三分割しテニス、野球、それにペタンクで、それでも60人の人達が競技会が出来るコートが出来あがり、真冬のペタンクとしては有り難いことです。

大会は札幌市内と此処から一番近い安平やむかわのペタンク仲間たちが来てくれる、今年で3回目になりリーグ戦後順位決定戦で勝っても負けても6試合戦える、名前の通りの交流大会で久しぶりに逢う人たちもいて楽しいところもある。

結果は、予選と決勝リーグとも各1勝しか出来ず最後は張りつめた緊張も切れてしまい、最後の試合は散々だった、トリプルスなので一人では如何しても勝てない所がある、なにせ4~5ヶ月ボールに触っていない人もいるので、仕方がないところです。
正味、6時間のペタンク三昧の日曜日でした。

大人のそり遊びin札幌台

2012年02月18日 16時34分07秒 | 橇爺(そりじい)モード
近頃の札幌気象台の予報で気が付いていたことがあった、降雪期になり今年の札幌市内の予報の的中率が非常に落ちていると思える節があった。
連日の様に札幌市内の空模様は太陽が出ない曇り空で一時小雪が舞うなどの予報が多かった、所があんに反して朝から太陽が出る日が多いのに気が付いていた、天候が悪いのに好くなるのは何の支障もない、間違っていても全く文句も出ないが、今日は違っていた数日前から天気が約束されていながら時々小雪が舞う生憎の土曜日になった。
それでも約束していた大人のそり遊び、白旗山札幌台での講習及びデモンストレーションを決行する。
今日は、本間氏を誘い美しが丘の原田氏の自宅まで立ち寄り白旗山の駐車場に着いた時間は10時少し過ぎたくらいだった、土曜日のせいか車は7~8台ほど止まっていて先客も早々と来ている様子だった、ここはどちらかと云うとスノーシューを履いて白籏山や札幌台あたりを歩いてくる人たちで、橇遊びは私たち以外に居るわけもなかった。

原口氏は、橇すべりが初めてなのだが生憎雪が降らない日が続いていたせいか登攀ルートは道路並みになっていた、初めてにしてはスピードが出るので少し難しくなる、登山道路の横にスノーシューで短いコースを作り滑り方の指導をする。

気温も低く、早めにコース途中の東家に向かうなんと珍しく先客が居た、私たちも持って行った即席ラーメンを作り早目の昼飯にした。
昼飯もそこそこに三人でラスト滑りの動画を撮りながら降りてくる。
お天気が良ければ、もっともっと楽しいそり遊びになったのにと、天候の悪さを嘆く。

もう少し条件の良い日に再チャレンジを記し、帰路につく。
札幌ドームで、日本モーターショウを開催しているお蔭で、この辺の住民は渋滞に巻き込まれ難儀をしている、共振会場の広い駐車場も使われている、そこからシャトルバスも出ている様子だがゾロゾロ会場に向かって歩いている人もいる。・・・・やれやれ暫くは大変だ

お昼は札幌台特設店で、即席のラーメンを食す。
今日の動画も橇世界に載せる。

今日も独り芝居

2012年02月17日 16時43分04秒 | ペタンク爺さんの一日
札幌を除き、周りの市町村では大雪や吹雪に見舞われ、時には国道も通行止めやJRなどが頻繁に運転が出来なくなり、交通網も遮断されている。
それに引き替え、札幌はいつもと変わらない厳冬期で経過している。
札幌のお山の藻岩山も、もう少し雪がほしいところだが、どちらかというと雪不足の方になるかなと思うくらいだ。
今日も曇り空で雪かちらつくことになっていたが、予報に反して朝から青空が出ていた、撮影には好条件と数日前から考え準備していた小道具を持参し藻岩山に一人で出かける、正式にはスキーやボードは滑走禁止の北斜面だが、小さな手作りの橇は自然も破壊することもないしと、一人で密かに挑戦している橇爺さん、取るに足らないことと思われていて、規制するにも難しいのかなと思っている。

そなん訳で、最近流行してきたスノーシューなどを履いて歩いて上り下りする人もいる、登り1時間もあれば中間駅くらいには着いてしまう、昔からあったが早朝ひと登りしてスキーやボードで北斜面を滑り降りる元気者も今でもいる。
そんな、手軽な山が藻岩山なのです、橇滑りも大勢では目立ちすぎるので、今日も独り芝居になる、今日の動画は前面からの撮影に挑戦する、ルートは不整地自然の山のままなので撮影には苦労する、1本目ルート途中の難所をスノーシューに履き替えコース作りを始めた、ルートは着いているが斜面に斜めに切っているのでエッチの付いていない発砲スチロール製の橇ではトラバスが出来ない、どうしてもフラットでないと横にながれてしまい、安定した滑走が出来ない、ここが橇のアキレスキンで、フラットな斜面であれば45度の斜面でも滑れる、藻岩のルートはダンヒル(直滑降滑り)でスピードが出る所は、靴のかがとを使う様に橇のテールを立ててスピードをコントロールしている、藻岩に限らず他の山での橇滑走は同様な条件で滑っている。

藻岩山よりお尻滑り・YouTubeにアップし、橇世界に貼り付ける。

滑り終わって




明日からまた寒気が

2012年02月16日 18時54分01秒 | ペタンク・練習
札幌のどちらかよ云うと東の端の入口的場所が月寒だ、市内でただ一か所の室内でペタンクが出来る農試公園ツインキャップはその反対の西の端の入口的場所の琴似八軒、途中最短距離でルートを取るとすすき野や大通りを通り抜けなければならない、朝のラッシュ時間や夕方の帰宅時間は通常の倍以上の時間がかかる、そんな時間はさて置き、ペタンクに開放されている午後1時から午後5時までの、昼からの部に組み込んでいるので、こちらの都合もあり12時30分には地元をスタートしている、上手にルートを選び上手く車の流れに乗って行っても30分はどうしてもかかる。

今日は、月寒公園近くの友達を誘い幌平橋を渡り行啓通り経由で石山通りに出た、予報では日中でもマイナス気温のはずだったが、交通量の多い幹線道路は道路は溶けて舗装が丸出しになっていた、お蔭でツインキャップの駐車場に到着時間は丁度13時だった。

もうこの時間では、それぞれ相手チームを見つけ練習試合は始まっていた、今週末この会場を使っての大会もあるまで結構な人達が集まっていた、別格の手稲曙ペタンククラブの少し年齢の高いシニア組も8人ほどいて、こちらも試合中だった。
私たちも、四人で行っていったのでダブルス2チームにして練習試合の仲間入りをした、ここのルールで練習試合が終わり、勝ったチームはその場に負けたチームが勝ち残っているチームの所に行き、次の練習試合が始まることになっている。

その場その場で、ダブルスやトリプルスに変更もあり選手の入れ替えも出てくることもある、そんな練習方法を今年から取り入れている札幌協会です。

今夜の夕食は、午後6時になる昨夜から作っておいた押し寿司、少し押しが効きすぎていたが素性の知れた寿司職人の作、充分味わって食べる、見た目は悪かったが美味しさは他に負けていないと太鼓判を押す。

今日の夕食は見た目より

夕食は午後五時が定刻に

2012年02月15日 18時35分44秒 | ペタンク爺さんの一日
父母と一緒に過ごした戦後から昭和30年頃まで、21歳で独立して親父の家を利用して衣料品店を始めていた、それから数年25歳に女房をめとる、それまで三度三度母親の食事支度や時には同居していた妹たちが食事の面倒を見ていた、妹たちが三人もいて、どちらかと云うと大家族の部類に入っていたと思う、長いことそんな生活が続いていたのでそれが普通と思っていた節もある、その頃父は何もしていなかった、毎晩晩酌が始まるのが午後4時ころから5時頃だった、ゆえにそのころの夕食は親父のペースに合わされるがごとく早かったことを覚えている。
皆の食事の間、店番を替わるので私が一番先に食べて店に出て行ったものだ、自然に早飯食いになったのもうなづける、そんな癖が今でも抜けきらないのか我が家の夕食は今でも午後五時が定番になっている。

最近は、お金を掛けないが食べることに一生懸命だ、生きている間しか食べられないのだと、よくテレビで放送される料理番組を見て今日の夕食のおかずが決められることが多い、この間は十勝豚丼だったが次の日は其のたれを利用し、冷凍イカを買って来て一夜干しにし豚丼のタレを熱しさっと裂きイカをあぶっただけにして、柔らかい焼きいかソテーが出来あがった。

今晩は、二食分のご飯やおかず作りになる、明日は午後から5時近くまでペタンク練習会になっている、妹も同伴しているので夕飯支度は出来ない、そこで私の出番で押し寿司作りになった、数日前から買って用意してあった〆サバを使い手製で作ってある箱を利用し完成させた。

今晩のおかずに、おでんを用意してあり同時進行型で無事夕食も済ませる、イカの足だけが残っていたのでこれは天ぷらにする、食生活もバラエティーだ。
押し寿司作り02
イカゲソの天ぷら
今夜はおでん