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ペタンク爺さん

ペタンクで遊ぼうよ!で20年

今年は春から福招く

2014年01月11日 22時02分00秒 | ペタンク・日常
札幌ペタンク協会創設から総会開催の回数は25回目になる、その総会が今日朝日ビール園を会場に開催された、今年は変革の年が協会会長が交替し役員も刷新された、数えると初代会長は斉藤一氏、二代目は小野氏、三代目平原氏、新会長に吉田氏が誕生し今日からスタートした。
昨年初代会長の斉藤氏が亡くなっている、振替えると25年経っているいることに気が付かされる、だだひとつ残念なことは協会創設から7年間くらいで会員総数が100名を超えることは無かった、あと少しで政権交代で協会運営から離れてしまった、その後現在に至るまで年会費は変わることは無かったが会員総数が100名に到達した年はない。
昨年は60名台まで減ってしまっていたが、組織のトップが替わることで徐々に明るい展望も見えてくると信じている。
組織内容が札幌のペタンク年齢が高いので、ひとシーズンの内に病気や亡くなる人も結構出てくる、多少の新会員の入会では会員が増加するまでに至っていないのが実情と思う。
私も協会運営に直接加わることは無いと思うが、地域の月寒公園をホームグランドにして独自な方法を含めてペタンク普及に関わっているし、此れからも体が動ける間は続けて行くつもりでいる。
過去には小中学生を対象にジュニア選手権大会や現在でも開催されている、北海道学生選手権は会員登録しなくても各大会に出て行くことが出来るルートも作っていた。

地道な底辺拡大のための普及そして、小、中、高、大学の全国大会と各地で予選大会が確立される頃には会員総数もビックスポーツ競技と肩を並べられるようになると確信してる。
シニアには勝ち負けよりも、楽しむペタンクを目指してほしいと念じている。

春一番に嬉しい出来事、協会新年会のビンゴゲームで一番くじを引いてしまった、副賞の他に2014ジャンプ今日競技ペア招待券を戴いてしまった、もう20年以上ジャンプ観戦はしていなかったので3月に入って少し暖かくなってきた宮様大会でもと今から楽しみにしている。

ジャンプ観戦ペア招待券を戴く
義弟の斉藤氏と




ホーマック無料工房

2012年03月07日 16時15分32秒 | ペタンク・日常
先月橇すべりに三脚を持参していった、固定カメラで動画撮りが目的だったが、天候が急変し予定の動画は撮れなかった、その日は一度ケースから出して使っていたのだが仕舞う時になりカメラをセットする台座を雪の中で落としてきたらしかった、数日後そのことが判りがっかりしていた。
ネットで、メーカーの修理等部品等を調べたが思う様に解決できず、そんなら簡単な部品なので得意の木製で作ってしまうことにした、自宅の工房でも工具を探し出せば揃っていると思ったが、作業場が荷物だらけになっている。
そこで、明るい暖かいそして広い作業場が無料で使えるホーマックのことを思いだした、工具は何でもそろっているが、ねじ一本とねじ山の太さのドリルだけ買えば工作室で作ることが出来るはずだった。

今日は、北川ダンス教室の個人レッスンがあり11時頃になってから出かける、お昼は釜揚げうどん280円で済ませ、その足ですぐ近くにあるホーマックに立ち寄る、考えていた部品を木部で作りねじ1本を埋め込み、それらしい台座が出来上がってしまった、セットすると申し分のない出来栄えで、仕上げはラッカーの代わりに油性マジックで色づけし三脚に組み込むと、もう何の違和感もないセッテングに仕上がっていた。

昨日から、一気に気温が高くなり向かいの五区公園のペタンクコートの積雪も、この間から見て20センチも少なくなり今日の所50センチほどになっていた、土の部分は水がにじみ其の儘では使用できないので、周りの雪を土の上にまき踏み固めその上で、練習をしている二、三日お天気が続けばコートも乾いてくると思っている。
こんなコートでも有れば練習は充分出来る、今日もティール、ポルテの投球練習をこなす。

三脚の台座製作
何でも木部なら
3月7日の五区公園コート


雪中ペタンクコート製作開始

2012年03月03日 18時01分46秒 | ペタンク・日常
三月入ったばかりなのに、ペタンクが室内で出来る札幌ではただ一か所のツインキャップが使用できない状態になっている、4月の雪解けを前にして様々な団体がツインキャップを貸切にしひと月のうち25日を独占してしまっているからで。
ルール上合法であれば仕方がないこと、三月に入ればぐっと雪が柔らかく太陽の暖かさも1月や2月の厳冬期とは、違ってきていると体でも感じる、何時もなら我が団地裏のベランダから見える小さな公園を利用し私専用の屋外ペタンクコートを雪跳ねをして作り練習していた、所が今年は玄関側の駐車場を含め表側の雪を全部裏の公園や芝生の上に2M以上積み重ねられている、雪解けが5月も半ば過ぎると想像している。

考えた末に、今日から向かいの五区公園を利用することに決めペタンクコート製作に取り掛かった午前10時ころから始まり、1時間30分ほどで積雪70センチの公園の隅に穴をあけて行った、と云うほうが当たっていた、始ったころは青空が見えていたが生憎結構本降りの雪が舞ったり安定しないお天気だった、昼ごはんを挟んで午後からも1時間30分この辺が体力の限界だった、最後の仕上げは明日の日曜日に出来れば4×12のコートが出来あがればと思っている。

体力回復のため、銭湯月見に行く行きも帰りも雪が舞っていた、今年はお雛様は飾っていないが昨日ツインキャップの帰りしな円山の米屋で桜餅と鶯餅を買って来ていた花より団子の方とこちらを選ぶ、夕食は久しぶりに手巻き寿司だった、やっぱり腹八分を超えてしまっていた。
今日から野球日ハムのオープン戦が始まっていた、銭湯のテレビの前で真剣に見ている人達がいて季節感を感じさせてくれた。

コート製作過程の動画を撮り、http://www.geocities.jp/moiwa_racing/
ソレューのホームページへ載せる、明日は練習日程も発表する予定。

ペタンクコート製作初日終了
久しぶりの手巻き寿司

遅い紅葉狩り

2010年11月07日 16時44分15秒 | ペタンク・日常
11月に入っても、街の中の紅葉が進まない様に見えていた、初雪があったがその後の気温も高く結構暖かく感じられていたから、今朝もベランダから秋の暖かい太陽が顔を覗かせていた、それに誘われるようにトンボが一匹ベランダの手すりに停まった。
おやおや、と思う直ぐ其処まで冬将軍が迫っているのにと、花壇を覗くと、また、雪虫が何匹も飛んでいた、明日は雨、またいよいよ初冬に入るかと覚悟をさせられる、それでも今日の小春日和、気にしていた平岡の紅葉狩りに思い切って出かける、平岡の樹木園近くに来ると駐車場待ちの車が列を成していた。
咄嗟に、今日は日曜日だった事を思い出す、それではと公園脇の道路に停める、ここも駐車禁止地帯だが、皆で渡れば怖くないを実践する。
お天気がいいので、公園の中も大変な人並み、良く見ると今日の日曜日が開園最終日で明日からは、春までお休みになる。・・・と言う事も判り、今日の混雑振りも納得できた。

たいして、大きくない平岡樹木園は市が管理していて、春の桜と秋の紅葉は札幌一と私なりに評価し何年も訪れている。

 公園入り
 案内板
 池のほとり
 紅葉のトンネル
 紅葉のトンネル02
 紅葉のトンネル03
 紅葉

創造の日のテーマーは?

2010年11月06日 19時09分09秒 | ペタンク・日常
この春、学園の専攻科が4月からスタートしていたが、創造の日が学習課題としてあり各班が研究課題を決めて取組みから始まり12月に入ってから三週続けて各班の発表会が年間行事の中に組み込まれていた、卒業の年には先輩達もその課題に取り組み、記録として足跡を残していっている、この発表会が終る頃には、冬休みや忘年会、新年会等そんな事をやっている内に、3月に入った途端もう卒業式になっている、入学したときは長いと思っていたが、あっという間の学園生活に思える、最近になって漸く級友たちとも親しく話せるようになったばかりと、少し寂しさが先にたってしまいます。

私の班もまとめ役が私で、近所の女性7名と男子2名と私の10名が月寒B班で、どちらかと言うと女性陣の賛同を得なければ、もう先には進めない環境で、その中で奮闘していると言ってしまうと、少し大げさかなと思っていますが。
同じ方向に、なんとか誘導でき私が考えていた、研究課題に取組む事が出来ました、それぞれ役割分担は、ざっと決めていましたが、数人を除き成り行き任せで付いてくるだけの人もいて、タイムスケジュールから行くとそろそろ纏める時期に入っていて、自分の役割と出来る事は完了していました、女性陣のリーダを含め数人も別行動で活動していたので、今日突然連絡を取る、即決で午後2時から資料を持ち合って私の家で打ち合わせとなる、パソコンでスライドを利用するので、予定には入っていたことで、数日早まっただけの事、最後は出かけていた妹も加わり、ほぼシナリオや役割も決まった。

このあとは、全員で本番さながらのリハーサルを含め2.3回は集まって話し合う事になる。

そんな訳で、資料作りなども含め殆んど自宅にこもる、昨夜遅くまでかかって昨日のペタンク大会の情報を写真を含め公開する、HP生きるの下段コーナー創造学園ペタンク大会記録から、そのページに繋がります。


第2回創造学園ペタンククラブ大会のカップは、坂口信子、遠藤泰子、大林さんチームが獲得する。

晩秋の月寒公園

2010年11月04日 15時24分01秒 | ペタンク・日常
昨日の文化の日に、ラスト競技会を計画していたが当初の天気予報が二日ほど後ろへずれ込み、昨日は一日中雨、今日も時々小雨がぱらつき秋の終わりを告げているようだ。
競技会、参加対象者が少ないので急遽日延べで明日の5日に変更の知らせをしてある、予報は雨が無いが一日中曇りで気温10度くらいと発表している。
朝から、競技会の最後の準備を始めていた、副賞は貰ってびっくりと思うもの、軽食のパンも買いに行く、試合数は3試合なくで午後1時頃には終っていると思っている、パンをかじりながらボールを投げる、こんなスポーツは滅多に無いと思う。

買物を済ませ、月寒公園に立ち寄る、晩秋の公園の紅葉も美しいが、池の中は鴨が沢山泳ぎ回ったり、岸辺に上がり休んだり、ほんのひと時の風景と思うが、なにか得をしたような気持になった、ただ不思議に思ったのが鴨に混じって一羽だけ「かもめ」の姿があった、思い出し、これはきっと札幌生まれの「かもめ」でないかと思えてならない。
・・・・声をかけて聞いてみたい衝動に駆られる。

お彼岸に、行かなかったので申し訳無いが、ついでにと平岸墓地に立ち寄る、お墓の周りも秋の景色がいっぱいだった、母の命日に合わせ菊を植えていたが、今年も花が咲いていて早いものは枯れていた。お墓の周りに紅葉を撒き写真を撮る。

帰ってから、近くの豊平区の土木課に出向く、昨日の競技会の中止し明日に順延した事を報告する、それから五区公園で明日のコートのライン引きを済ませる。万事終了。

 昼時の墓参り
 お墓を被写体
 お休み中の鴨達
 月寒公園は鴨の中継地か

雨の中の有明名水汲み

2010年11月03日 14時05分43秒 | ペタンク・日常
秋雨が続きそうだ、今日も朝から雨、裏庭の桜の葉が紅葉して美しい、ただもう残る木の葉も半分は落ち緑の芝生の上が、これまた赤黄に染まった葉が一面覆い尽くしている、雨はしきりなしに降り続いている、朝から学園の授業の一環として取組んでいるものがある、班ごとテーマーを決めて始まったもので、私にしか出来ない部分のPCを利用しての、スライド作りをPCに入っているソフトを利用して作り出した、・・・・こんな時、子供の頃から自分でナイフ一本で作ったり、プラモデルを設計図を見ないで何とか形にしていたのが、役立っていると思っている、自分のパソコンにも使われていないソフトが様々入っている、ただ必要が無いのでやらなかっただけ、この度はどうしても自前のスライド資料を必要に迫られ、一日二日、頭を冷やしながら机に向った、・・・・今日、漸くそれらしい作品が出来上がりDVDに収める、昼飯を食べ終わるとそれを持って、学園に向う、多分大丈夫と思いながら、発表時に使う学園のパソコンで試してみる。
・・・・・間違いなく、資料として使える事が確認でき、ひとまづ安心する。
その足で、有明の名水汲みにと廻る、有明は隣の区の街外れ水汲み場に熊に注意の看板が目を引く、雨の中をひと組の水汲者が家中の容器を持ち出してきたのか、私が組み終わっても、まだ、作業を続けていた。

 桜の紅葉が雨の中ですすむ
 雨の中の有明名水汲み
 先客もいた水汲み場
 熊注意の看板が目立つようになってきた


秋雨の通学路

2010年11月02日 16時49分53秒 | ペタンク・日常
一昨年の4月に入学した、シニア大學の創造学園の登校日は毎週火曜日の午前中で、我が家から三丁ほどの先の直線ルートにある、途中月寒体育館の脇の道を通学路にして通っていた、歩道に追いかぶさるように街路樹が途切れることなく続いている。

今日は、我が月寒B班の当番で朝の会の進行係になっていたので、雨の中傘を差し妹を伴って出かける、雨の中の通学路体育館脇の街路樹の下を進む、春は五月末に重桜が咲き誇り、秋は紅葉かえでが黄色と赤のコントラスも鮮やかに辺りの景色を一変させていた、雨が上がり日が差すと、これはプロ並みの写真も撮れると思った。
行きは、気が急いていたので帰り道の、のんびり帰路に写真を撮りながら帰る。
今日は1日雨模様、明日の文化の日のペタンク競技会を、雨の為順延し5日に変更と学生会の連絡時に知らせる。・・・・明日も雨らしい。

今日の、学園のカリキュラムは札幌大学の教授、李景先生で「朝鮮戦争の勃発60周年~朝鮮戦争を振り返る」のお話を語ってくれた、先生の年代はその戦争を見ていない世代になっている、それゆえ新しい世界観で見ていることが判り、大変参考になった。

自国の周りが、陸続きで他国なら歴史を振り返ると、様々な外からの影響を受けながら国が成り立っている事が判ってくる、それゆえ皆がそう思うように日本が島国であったことの恵まれた優位さに感謝するべきと思う。

雨の公民館の一階で、月寒地域の菊花展が開催されていた、初めて見学する係りの方に話しかける、・・・・毎年同好者が減っているらしい、結構広い室内は素晴らしい菊でいっぱいだった、これは先日訪ねた豊平公園の緑のセンターの菊花展より出品が多いと思った。
・・・・一年かけてこの数日間の為に育てた作品、自分の分身と思う、思いが伝わる。

 朝鮮戦争を振り返る
 通学路の街路樹01
 通学路の街路樹02
 通学路の街路樹03
 菊花展金賞


2011橇(そり)シーズンに向けて

2010年11月01日 15時00分00秒 | ペタンク・日常
一人で橇の研究を始めて、今年で三シーズン目に入る当初は、十勝岳(三段山)のパウダースノーの上でのスノーボード滑走からヒントを得て、ボードを半分に切って工夫して椅子と手で捉まる部分を作り滑ってみて、これはいけると思った。

札幌では、パウダースノーの急斜面のコース無かった、スキー場ゲレンデの隅でも滑らせてくださいと、スキー場を訪ね歩いたが尽く断られてしまった。
それではと、ただの山を探して滑っていた、その中で一番利用した山は白旗山の札幌台コースを利用させてもらった、時には、スキー場がシーズンオフで終了してしまったゲレンデを利用し、テストを繰り返した。
二年目に入り、スノーボードから、発砲スチロールを本体としてビニール、木部、ベニア、でのビニプラ橇に変更、試行錯誤の上現在の橇が出来上がっている。
ビニプラ橇の、特徴として少し器用な人なら誰でも作れる事が出来る。
制作費が安価、橇が軽い、橇が小さい、私が狙う最大の特徴として、ゲレンデ以外のパウダースノーの雪山でもボード並みのスラロームをやりながら滑り降りる事が出来る。

それ故、スノーシューと組み合わせバックカントリーもどきの雪遊びとして、冬の雪国の魅力が広まってくると思う。
スキーが滑れなくても、簡単に滑れるようになり、橇ごとぶつかり合っても発砲スチロールの橇では大怪我にはつながらない。

昨シーズンは、ビニプラ橇で藻岩山北斜面の林間コースの急斜面を滑り降りている、五月に入り手稲山スキー場がクロスしてから、山頂までスノーシューで行き、女子の大回転コースを一気に滑り降りている、春山のバックカントリーもどきも楽しいです。

今日、久しぶりに橇を引っ張り出す、そろそろ2011シーズンの新しい橇の制作に取り掛かるかなと思いも新たにしています。

 スノボー橇
 ビニプラ橇01
 ビニプラ橇02

豊平公園緑のセンター

2010年10月31日 14時23分38秒 | ペタンク・日常
10月最終日の日曜、朝がら小春日和、昨夜はぐずついていた鼻かぜが最悪になっていた、熱は無かったのだが鼻水が止まらず、ちり紙で間に合わずハンケチを使っていた、本当に久しぶりの風邪らしい風邪に、苦しんだ早めに布団に潜り込んだが布団の中で二時間も頑張ったが寝られなかった、こんな時のためにベットのサイドに太閤記(何回も読み返している)を読み出す、とうとう朝6時頃まで本を読んでいた、その後寝込んだが8時には目が覚めていた、気が付くと鼻水は停まっていた。

昨日の朝から風邪薬の漢方薬系の改源を飲んでいた、我が家の常備薬でこの薬で風邪くらいはほぼ治まっていた、今回もこの調子なら病院に行かなくても大丈夫と思っている。
それでも、近頃体力の減退を自覚して来ているので、12月に入ったらインフレンザのワクチン接種をやろうと思っている。

暖かさに釣られて、昼から豊平公園内の緑のセンターに出かける、丁度菊花展が開催されていると写真を撮りが目的だった、所がセンターに着いて早速被写体を見つけポケットを探ったが、肝心のカメラを忘れていたのが判る、それではと、もう一度家に戻って出直そうと思ったが、携帯でも写真が撮れることを思い出す、久しぶりで携帯での撮影会になった。・・・・肝心の菊花展の作品は今年は非常に少なかった、夏の暑さが関係しているのかなと素人考えが先立つ。

小さな池だが、今年も鴨が数羽泳ぎ回っていた。ひと時の休憩池かはてな

 菊花展01
 菊花展02
 紅葉が進む
 羽を休める鴨

雪の下から救い出す

2010年10月29日 13時34分53秒 | ペタンク・日常
先日の初雪は、予め承知していたので今咲き出してきている菊を雪の降る前に切り取っておこうと予定の中に入れていたが、気が付いたらもうすっかり忘れていた、雪が降り出しているのに、その中での作業は大変と今日まで伸ばし伸ばしになっていた、ここのところ結構行事が立て込んでいたのも、その原因と自分を納得させている。

今日は、径王寺のお坊さんの来訪から始まった、9時過ぎに玄関から断りも無く声をかけて上がってきた人がいた、振り返るとお坊さん、何日か前まで今日の亡妻の月命日を思い出しお菓子やお花を飾っていた、所が今朝になりすっかり忘れていた。
兎に角、慌てて対応する、時々忘れるのはいいとして月命日の日を忘れてしまっている自分に、少々戸惑っている。

近くのスーパーが昨日28日にリニアルオープンした、昨日はウォーキングに参加していたので行かれなかったので、昼前出かける、帰りしなにゼビオが何週記念と売り出しを始めていた、前から山歩き用のズボンが欲しいと思っていたので、立ち寄る、山用専門店を覗くと、高くて手が出なかった、それではとオフシーズンになるゴルフコーナを覗いて歩くと、綿パンツが通常の三分の一くらいで出ていた、色さえ我慢すればと真っ黒なズボンを1,990円で買うことが出来た、汚れが目立たないと満足している。

昼食後、先日の雪に痛めつけられていた我が家の菊たち漸く今日救出した、とりあえず切ってバケツに漬け込む、まだこれから咲き出す菊もあるが、11月は暖かく経過するとの予報に、安心している、まだ球根類は掘り出し作業はやっていない。
ベランダから覗くライラックの木、先日の雪の被害で根元から折れ下がった、明日にでものこぎりで切るつもり。

先日収穫した、ナラタケの乾燥きのこが出来上がった、これは完璧なり。
小袋に入れると、10個以上出来ると思っている。 
 我が家の菊たち
 ゼビオで買物
 乾燥ならたけ茸完成
 雪の重みで折れたライラックの木

ラストウオーキング

2010年10月28日 16時05分09秒 | ペタンク・日常
2009年の春から始まる、創造学園サークル活動の「ウォーキング部」の足掛け二年にわたる計画した行事の最後となったウォーキングは、北大キャンパスを中心に歩き回る比較的楽な設定で作られていた、ひと歩きした後の会食つきで、こちらの魅力も皆の参加意欲を掻き立てていたと思う、私もその一人だが、ひとり1.500円の会費で幾つかのメーニーューの中から初めて試食する野菜カレーを頼んでいた。

午前10時さっぽろ駅北口を出発し、偕楽園緑地に立ち寄る、此処は明治4年に札幌に初めて作られた公園で、明治13年に貴賓の接待所として現在札幌市の有形文化財になっている清華に上がりこむ、明治天皇も立ち寄っている所、少し遠回りし北大正門を潜る、クラーク会館で一休みし、農学部の裏側にある裏通りをポプラ並木方面に向って歩く、昨日一昨日降った雪で樹木の枝が立ち折られている所が目に付いた、歩く所は殆んど雪は無くなっていたが、初冬の佇まいも見られる風景もあった。

ポプラ並木を出てから、理学部の総合博物館に入る、北大の中は何処に行ってもノーベル賞を貰った名誉教授の歓迎看板が目に付いた、若い学生には大きな刺激になったと思っている。
此処を出て、直ぐ近くのファカルイィハウス・エンレイソウに入り昼食会になった、二時間ほどぶらぶらと歩いた感じだったが、程よい運動に空腹も感じていたので、注文していた野菜カレーは美味しかった。・・・・・お腹が空いていると何でも美味しく感じるのではないかな、と思える。

満腹になり、北大銀杏並木のトンネルをくぐって帰ってくる。
・・・・すっかり晴れ上がり、並木は美しかった、帰路は各自自由行動。

 偕楽園緑地と精華
 クラーク像の前で
 ポプラ並木にて
 理学部博物館前
 瓢箪池付近
 銀杏並木(銀杏を拾いながら)

雪景色(2010)

2010年10月27日 14時08分06秒 | ペタンク・日常
最近の天気予報は、かなり正確に予報が出されていると思う、昨日から今日に掛けての降雪はほぼ的確に当たっていると思う。
ただ、昔から言い伝えられてる自然現象を元に、予報を予知する術を持っていると思われる事もある、北海道の降雪期に雪虫が人の目に付くほど飛んでいるのを見て三日後には雪が降ると予知していたと思うと、科学の粋を集めて総合的に出す現在の天気予報に、匹敵する予知能力を持っていたと思うと、驚嘆をおぼえる。

こんな日は、別に慌てる事も無い、夕方にはほぼ雪は消えて無くなってしまうと思っている、だいたい、車のタイヤーはまだ夏タイヤ、スノータイヤと履き替えるとしても12月中頃が適当と思っている人が、普通、今年みたいに木々の青葉が残っている内に雪が降るとその年は根雪が遅いと言い伝えられている、それゆえ、今年の根雪は1月に入ってからと私なりに解釈している。
そんな訳で、冬タイヤとの交換はまだまだ先のことと思っているが、ただ12月初めには橇シーズンに入るので、山の麓まで車で向う事になるので、一般の人よりひと足早く冬タイヤにしようと考えている。・・・・雪もまた楽しい。

自宅の周りは、雪化粧、昼から買物に出歩く。
 雪に覆われた自家用車
 団地裏公園風景01
 団地裏公園風景02
 八紘学園校内01
 八紘学園校内02
 八紘学園の特売コーナーで漬物用大根売り


初雪・冬将軍来る

2010年10月26日 16時02分03秒 | ペタンク・日常
 
初雪(ベランダから望む)

とうとう、冬将軍がやってきたと云っても本隊の到来は年明けになるのが何時ものパターンで、本隊の露払いの偵察隊と言ってもいいと思う、長期予報ではこのあと11月は平均気温より高めに経過するらしい、12月に入って本格的な寒さと言っていた。
だから、降っても直ぐ解けてしまう様な雪は、誰も驚かなくなっていると思う、個人的にも10月末11月初旬には、まだ野外で行うイベントも予定されている、特に11月3日の文化の日には、屋外ペタンクの最後の競技会も予定されている、寒さは覚悟の大会で暖房用炭缶を準備しておくつもりだ。・・・・・多分暖かい日を想定している。

今日は創造学園の課外活動で、札幌市交通局高速電車西車両基地の見学だった、受け入れ側の希望で二班に別れ一時間間隔で訪れた、私達は後半で11時近くに二十四軒駅の車両基地に入る、道路の下に札幌ドームほどの地下基地があり、毎日60名ほどの人たちが立ち働いていると聞かされた。
滅多に入れない施設、質問に完成している地下鉄車両を何処から入れるかの質問、昔漫才の題材になった質問に、秘密のベールをあけて見せてくれた。

帰りは、大通り駅で降りお決まりの四丁目の海老天支店で天丼605円を食べる、滅多に電車では中心街に出ないので、ぶらぶらし丸井さんの地下で、今日の夕食のおかずのハタハタを買い入れ、中村屋の月餅を買って帰る。時々雨がぱらつく生憎の日だった。

 一時白くなる
 菊の花まだ咲かないのに雪
 地下鉄車両基地にて(授業の一環です)
 地下鉄運転席に座って
 地下鉄は、此処から搬入される。(ポッカリ穴が開く)

藻岩レーシングクラブのこと

2010年10月25日 14時00分07秒 | ペタンク・日常

藻岩レーシングクラブの旗

1975~76年に藻岩レーシングクラブが、北海道でも初めての、アマチャーの少年少女の為のアルペンスキークラブを藻岩スキー場を本拠地として産声を上げた、この年の会員は32名で第一期黄金時代を作り上げた、遠藤兄弟、石川兄妹、榎並姉弟の三組の兄弟がチームを盛り上げ全国でも活躍するようになる、中でも女子の石川園代はワールドカップまで参戦している。
このあとに、1977年に我満嘉治、小倉進が続き、1979年には藻岩レーシングの第二期黄金時代を作り出した、川端恵美、鈴木淳也、吉田美輝子、その中に浜辺秀樹をこの年の部員だった、翌年の1980年に阿部智行、寺島裕美、江刺家敦、の部員が加わり藻岩レーシングの名声を高めていった。

この頃は、親子一体で選手を育てる事に専念していた、親は親同士で子供たちのために最良の練習環境を作るのに、父母会も活躍していた時代だった。

あれから、もう30年も過ぎてしまっている、私と労苦を共にした戦友と言うべき女房も他界し三年になる、第2期黄金時代の主役の一員だった阿部智行君の母が67歳で亡くなった、そんな悲しいしらせが昨夜届く。

あの頃の、皆の夢を支えた勇者がひとりひとり消えて行く、悲しい事だが自然の摂理、じい~っと我慢するしかない。・・・・やせ我慢も許される。

冥福を祈る。
通夜10月25日午後6時
清田区清田1条1丁目3-83
やわらぎ斎場清田