ペタンク爺さん

ペタンクで遊ぼうよ!で20年

河村通夫流白菜づけ

2014年10月31日 19時01分24秒 | 市民農園
今日は真栄の市民農園(オーナーは佐々木さん)の最終日だった、丁度清田から滝野すずらん公園を経由し真駒内方面や支笏湖線へのルートにもなっている道路で、街道沿いは札幌の雪捨て場が集中している所でもある、私が借りた市民農園の表側は雪捨て場の一か所にもなっている所で白旗山に入る道路の交差点でもある、もうそこから畑が見えてくる解りやすい所でもある。

初めての素人百姓も5月から始まっり今日まで6ヶ月、長かったような短かったような夏の畑通いが続いた病後のリハビリ―も兼ねていたので、多少体調が思わしくなくても畑に出ていれば気がまぐれ知らず知らずに体を動かしているのに気が付かされる。
それにしても、はじめてのお百姓さんは散々だった、自然農園を目指したが其れは至難な業だ、収獲した野菜も流通に乗るような代物ではない、自分が作った野菜だから食べるようなものだが、こんな規格外の野菜は買うことは無い、つくづく農業で生計を立てることは至難なことと実感させられる。

ただ、市民農園はお金で買えない貴重な経験をさせてくれる、自分が育てた野菜を食べること、食べたい野菜を育てる楽しみ、どんな出来ばえであれ捨てることは出来ない。
作品は散々な出来栄えであったが、誰の手助けもなく一年間やり通した、ネットの河村通夫氏の受講生で畑のイロハを始めている、何時も思うことは「失敗は成功の元」をもっとうにしている。

今回の秋大根の収獲で一気に漬物モードにスイッチが入る、一昨日大根を掘って竹内宅の所で干してもらっている、4.5日くらいに漬け込む予定にしている、最初は玄米漬け(1斗樽)と沢庵(1斗樽)なのだがあくまでも予定。こちらは、竹内キサさんの指導を受ける事にしている。

今日は畑同様、ネット河村通夫氏のつけものレシピからバケツで白菜漬けを実践する、畑家からの帰り道清田JAに立ち寄り白菜1個100円を三個購入してくる、早速下漬けをする、明日水が上がったら本漬けもやることにしている、薬味は昆布、するめ、唐辛子、ニンニクを入れる事にしている。
来週には食べれると思っている、今年は完全に漬物モードに入った感じだ。

春まで資材保管小屋
赤カブ間もなく食べれるよ
河村通夫つけものレシピ
河村通夫の白菜づけレシピ
我が畑の野菜の漬物

一年七か月試練を乗り越える

2014年10月30日 17時29分26秒 | ペタンク爺さんの一日
日本人の二人に一人は癌に罹るとと云われているが、いざ自分が当事者になるなどとは考えたくもなかったが、確立から見ても50パーセントでは此の病気からは逃れ慣れないと覚悟を決めておかなければならないと、思うところが多かった。
癌の発症が運よく早期に見つかっていれば、負担も軽くなる、ただ癌が見つかるのは可なり進行してからの方が多い、最初はあまり自覚症状がないことで定期的にがん診断を受ける環境になっていなけば早期発見は難しい。
体質と遺伝子生活環境で個人差は出てくる、私の母親が癌で逝っていたのでその遺伝子は私にもあるので若いころから意識はしていたが、だからと云って予防が出来るわけでない、出たとこ勝負でその時点で最良の方法を見つけるしかない、私の場合も進行4まで行っていた宣告されたとき、咄嗟にとうとう来てしまったが、それでも全摘出でなく四分の三摘出を告げられた時は、微かに希望の陽もさしていたように思えていた。

あれから今日で一年七か月が経った、退院してからも1年間は抗がん剤治療が続いた、辛い1年間だったがこの年カーリングサークルにも顔を出して頑張っていた事、よく続けたと思う。
4月から抗がん剤治療も終り、薬類からも解放される、今は三か月検診で忘れた頃に病院に出かけるだけになった、CT検査で何の異常も見られないのも確認された。
とうとう最大の試練を乗り切ったと感じた今日の診察結果だった。

次の定期検診は翌年の1月末で、様子を見ながら三年経過すればもう大丈夫とも云われた。
今年の市民農園で、気力、体力、耐久力、それに筋力も少しは付いて来た、作物を作る楽しみも味わえた、趣味が1つ増えて生きる喜びにもつながると思っている。

午後から、大根葉の整理をして干す、買い込んでいた赤カブの酢漬けを始めた、今夜の夕食に出す白菜梅サラダを作る。
暫くは我が家の野菜が食卓を飾ることになる。

秋を惜しむ菊の花






白菜梅サラダ(男の料理)
赤カブ酢漬け(男の料理)

峠が雪の日に大根干し

2014年10月29日 18時49分09秒 | ペタンク爺さんの一日
昨日中村勘三郎さんの三周忌の事が報じられていた、そうだ妻泰子と同じ年に逝ったことに気が付かされる、あっという間の三年間であったことにも再度気づかされる、29日の今日は亡妻の月命日だった、9時過ぎにはお坊さんが早々とやって来ていた。
挨拶も「寒くなりましたね」が最初に飛び出す、雪が降っていないが朝から寒い冬の日の始まりだった。
今日は昨日一足先に畑の大根掘りと、大根洗いを終わらせ車の後ろ荷台に乗せたままの大根を、今日は竹内宅に持ち込み家の周りに干す段取りになっていた。
昨日から予報を注視していたが、朝から晴れるのテレビ解説に昼近くになれば温かくなるので大根干しは戸外での作業にも楽に出来るなかなと気安く構えていたが、12時を過ぎ竹内宅に到着した時点でも、空は雲で覆われていて寒さは今年一番と思える厳しい日に思えた。
テレビでは頻りと中山峠は42センチの積雪情報を流していた。

始ってしまうとさほど時間がかからないので空の様子を見ながら、大根干しが始まったのは午後1時30分頃だった、竹内キサ先生の指導を受け妹の活躍も始まる、どうも男の出番が少ないのも良く分ってくる、漬物は女の専門職と思えるが男の手出しもあると思っている。
兎に角ひと夏種蒔きから始まり、足掛け三か月で製品に仕上げた秋大根は大型スパーのルートには絶対乗らない規格外の最低商品なのだが自分で初めて作った野菜に凄い愛着を感じている。

大根を収穫して見て解った事だが、種蒔き後多少は間引きをしたり最初は草取りもしていたが途中から全く人の手は入らなかった、自然農法のように大根の意のままに放置したままだった、それただけに手間が掛からない野菜だと間違った考えを持ったのも事実で、後に先輩達から聞くと途中様々な手入れ作業もあったことも判ってくる、決算すると種蒔き後6割くらいがなんとか食べれる大根に育ったと締めくくる。
来年は、今年の教訓を生かしせめて規格外製品から抜け出そうと肝に銘じる。

それにしても、寒い一日だった竹内キサ先生にも手伝ってもらい曲がりなりにも大根干しを終わらせる。
何日か後、いよいよ漬物作業に移ってくる、樽から重石、それにそのまま竹内宅に保管を依頼している。
漬物の種類、沢庵漬け、玄米漬けの2樽が今年の作品になる。

今年の作品の全て
すだれに編んでぶら下げる
大根葉も作品になる

お昼は白菜の焼きそば(男の料理)
白菜のサラダ(男の料理)

一日早く大根大根収穫

2014年10月28日 18時01分25秒 | 市民農園
昨日今日と北海道の気温は一気に下がり冬モードに入った、中山峠の雪模様がテレビで放映されていた、この春から市民農園の仲間入りをして10月いっぱいで終わる遠藤農園の最終収獲野菜になっていた大根の抜き取り作業を私のスケジュールに合わせ29日に行うことにしていたが、今日午前中に何の予定も入っていなかったので明日の大根掘りを少しでも軽減させるためと、大根を抜くだけは今日終わらせておこうと朝の9時には家を出ていた。
予報では、曇りのち雨または雪が降ると報じていたが出かける時間には太陽が覗くまずまずの条件に、これなら仕事が可也進むと感じていた。
8月に秋大根の種蒔きは前後三回に分けて撒き時が前後していた、一番早かったのは沢庵用大根で此れは本当に順調に育った感があった、ただ試験掘りしてみるとねじれ大根になっていたので、大根が長い大根だったので畑の深さの耕し方が足りなかったのか真直ぐ伸びずに曲がったり今日の収獲で判ったことは二股大根が多かった。

今日収穫終了後、棚卸をすると種蒔き時150粒あったと思われる全ての秋大根が漬物に出来る作品は半分以下の60本程度と思っている、市販している大根と比べると売り物にならない規格外作品が圧倒的に多かったのが判り、農業初心者の出来る作品はこんなものかとはっきり解っただけでもひとつの収獲であり良い経験になったと思っている。

最初はスコップを使わなかったら抜けないと思っていた大根も、殆んど手抜きだけで終わった、それではと直ぐ大根洗いに進む、丁度12時頃雲っていた空からバラバラとあられが降ってきた、とうとう初雪が来てしまった。
それでも用意していた合羽を着て、大根全てを収穫し大根洗いも終らせてしまった、残っていたのが夏に苗で植えていた白菜5株を序に収穫すると、もう畑の中には収獲するものは無くなっていた。

車の後ろの荷台は大根と大根葉でいっぱいになっていた。
明日は竹内宅に持ち込み大根干し作業になってゆく、明日はお天気もいいみたい。

青首大根収穫
夏に植えた白菜も収穫
洗い終わった青首大根
洗い終わった沢庵用大根

2014スワンダンスパーテー

2014年10月27日 16時53分39秒 | ダンスモード
スワンダンスサークルに入会して三年も経過していたが、少しダンスが面白くなっていた二年目に胃癌が見つかってしまい、手術やその後の回復を待って1年ほどサークル活動を停止していた。
足元がふらふらして定まらない日が続いていた、今年の5月から始めた市民農園の農作業も体力回復の原動力になったと思っている、畑には三日もあげず通い続けていたこともあり知らず知らずに耐久力もついていったと思っている。
同時に、私の健康源として朝飯前に長々と続けて来ていたストレッチ体操を復活ししたことで、完全に体の復元には届いていないが、ストレッチ体操も八割方戻っていると感じている。
何をやるにも体の柔軟が必要で、体を柔らかくしてから其々の運動機能の回復やトレーニングに繋がって行き傘寿は傘寿の健康な体つくりをと考えて動きだしている。
サークル初年度に勇敢にもダンスパーテーに参加した、音楽が流れて女性からのお誘いを受けても断っていたことを思い出す、それでも踊れる種目には勇気を奮いだし踊りの輪に溶け込んでいた。

今日は同じサークルのダンスパーテーだったが、途中休学していたこともあり未だ初心者グループと仲間で、今日も主催者の好意で初心者だけのテープルを用意してくれていた、お蔭で3時間のダンスパーテーも気楽に過ごすことが出来き楽しいひと時を過ごさせてもらった。

今回の事もあり、せめて同じサークル内のダンスパーテには、喜んで出られるようにダンスの基本をマスターしてダンスの楽しさを堪能したいと思っている。
年末年始には続けさまにパーテーが続く、この辺を目標に特別レッスンを受けようかなと考えるようになって来ている。

ジャスマックホテルでダンスパーテー

ペタンク競技札幌市民大会

2014年10月26日 18時01分45秒 | ペタンク・試合
今日ペタンク競技札幌市民大会が西区農試公園ツインキャップで開催された、半年くらいペタンクボールを手にしいいなかったがこの大会だけはペタンク協会創設期の盛り上がって来ていた頃で、その頃は㈱スポーツインジャパンの役員に籍を置いていたので、会社の社長はじめ会社の皆さんの強力なバックアップもあって協会設立から第1回ペタンク競技札幌市民大会開催までにこぎつけていた。
主催 uhb北海道文化放送になってもらう、
後援 札幌市、北海道教育委員会、札幌市教育委員会、札幌商工会議所、日本ペタンク協会、北海道新聞社、道新スポーツ、FM北海道、札幌日仏協会、札幌市老人クラブ連合会
協力 ㈱スポーツインジャパン
協賛 余市ワイン、北海道ナチュラル

以上が団体及び企業の応援を戴いたが、全て私が開拓したものだった、兎に角会社の仕事をほって置いても仕事をしていた様に思う、会社には殆んど利益還元は無かったので申し訳ないと思っていた。
大会役員は市長の板垣四氏、札幌市議会議長の吉野晃司氏、名誉大会長に町村信孝氏、大会長斉藤一氏、副大会長に文化放送から渡邊壽氏、道新から水上武夫氏、その他道義の高木繁光氏、岩本允氏、市議の磯野開史氏が加わっていただいた。
これ等の下準備は様々な人たちからのアドバイスや応援を得ての事だが、スポンサー探し等ペタンク爺さん一人の動きで完成させ準備を整えた。
兎に角忙し期間だったが充実して協会創設期のひと駒と懐かしく思い出している。
この後、7年くらいは毎年会員も増えて行きペタンクの普及に大きく貢献したと思う。

市民大会は、途中で札幌市体協に登録したので今年で札幌市市民体育大会の一環で開催しているので体育大会は55回目だがペタンクが加わっての第1回大会は1989年に開催しているので、ペタンク大会の方は今年で第25回目になる、それにしても歴史が加わって来ているが未だに若い世代の参加を心から願っている。

懸案だった日本ペタンク組織の一本化もとうとう達成し、6月日本オリンピック会(JOC)への加盟申請が承認団体と認められた。
あれから、25年もかかってしまったが漸く視界が広がったのは確かだ。

プログラム表紙
プログラム裏表紙
大会役員名簿
大会役員のご挨拶
大会役員のご挨拶02
表彰
第1回の優勝は女性の二人組だった。

 

札幌ペタンク市民大会は1989年から始った

2014年10月25日 20時09分28秒 | ペタンク爺さんの一日
札幌ペタンク協会の創設は1988年の4月に中島体育センターで開催され5月に協会が誕生している、その年のに協会設立記念大会が開催され、池田町からの参加選手を得て盛会に終わる。

札幌ペタンク協会設立記念大会

期 日  1988年9月18日
会 場  豊平川自由広場・幌平橋上流
主 催  札幌ペタンク協会、北海道文化放送
後 援  北海道教育委員会、札幌市教育委員会、北海道新聞社、道新スポーツ
      FM北海道、札幌市老人クラブ連合会
協 賛  ポッカコーポレーション、三洋電機、ナチュラル北海道、日立製作所
賛 助  北ガス
協 力  スポーツインジャパン
大 会  名誉大会長 町村信孝、名誉副大会長 佐藤豪一、名誉顧問 工藤万砂美
役 員  顧問 高木繁光、岩本 允、岩尾泰三、大会長 斉藤 一

大会成績

優勝
竹内 茂(池田町)
横田仁孝(池田町)

準優勝
今井広美(福住中央)
坂本直通(福住中央)

三位
石井発雄(池田町)
小野田義則(池田町)

1989年この年に札幌ペタンク市民大会が創設される、今年で25年目になる長い月日の経っているのを実感させられる、この年満80歳になっペタンク爺さん明日開催される市民大会に参加申し込みをしていた、近頃殆んどペタンクのボールに触っていない、70歳頃はまだ上手になれると練習にも熱が入っていたことを思い出す、病気に取りつかれていなければまだ上を目指していたかも知れないが、体力気力が萎えた此の頃はペタンクは参加する事に意義があるに変わってしまった、明日も友人の本間氏と二人練習なしのぶっつけ本番で大会に挑む、会場は西区の農試公園のツインキャップで室内なので安心で予定では午前中の予選だけで終わると思うのでお弁当を食べて帰る予定を立てている。

第1回ペタンク競技札幌市民大会

期 日  1989年8月6日(日曜)
会 場  中の島公園催し広場(中の島公園内)
主 催  札幌ペタンク協会、北海道文化放送  
後 援  札幌市、北海道教育委員会、札幌市教育委員会、札幌商工会議所、
      日本ペタンク協会北海道新聞社、道新スポーツ、FM北海道、
      日仏文化協会、札幌市老人クラブ連合会  
協 賛  ナチュラル北海道、日本清酒(余市ワイン)
協 力  スポーツインジャパン
役 員  名誉大会長 町村信孝、大会長 斉藤 一、副大会長 渡辺  壽
顧 問  高木繁光、岩本允、磯野開史、三平圭祐、三浦弘、佐々木隆一

第1回  大会優勝者 鈴木恭子、金沢弘子(豊平区西岡)

午後から男の料理で南蛮味噌と焼林檎を作る、夕食は豚丼でした。

男の料理01
男の料理02
焼林檎はダッチオーブンで
完成したが少し形が崩れている。












10月24日雪虫飛ぶ

2014年10月24日 18時34分37秒 | ペタンク爺さんの一日
今日は朝からカンジキ作りの必需品の湯沸しセットを作る、と云っても仮設で簡単に組み立てられるもので安全と安定を重視しブロックで作り出す、無論火力はロケットストーブで本格的にテスト使用をする、燃料は材木の木端で間に合い頗る燃費が安く済むので有り難い、思惑通りのストーブを確保し使用できることが確認できたので今後のカンジキ作り教室でも利用できると思っている。
窯はただ組み立てて置いてゆくだけなので、何処にでも貸し出しも出来る代物でエコのカンジキ作りには向いている。
午後から、この間から花が終わったプランタンから土を取り出しテントに広げて天然消毒を兼ねて広げていた、今日はその土を混ぜ合わせ土嚢袋に詰めて行く、合計10個の袋が出来あがる、来春に新しい土と混ぜて再利用することにしている、秋の園芸には欠かせない作業で、園芸士の仕事はまだまだ続く。


忙しい一日だったが、合間を見てバイクで竹内宅に打ち合わせと農作業の手順を聞きに行ってくる、大根は29日に収穫し竹内宅に持ち込むことにした、家の周りに大根干しも了解を得た、収獲した大根全部は我家だけでは消化できないので竹内宅と半分分けにすることにしている。

沢庵漬けもと麹漬けを始めて挑戦するので、私ばかりでなく妹の力を借りねば出来ない仕事で、未知への挑戦になるので二人とも竹内キサさんを頼りにしている。
明日は一足先に、料理用大根を収穫して来て今日花壇の隅に作った越冬畦に、キサ先生から教えてもらった方法で保存しておくことにしている。
雪の中からでも、時には収穫し食べれる様になるのではないかと想像を逞しくしている。

我が団地公園にもとうとう雪虫が飛んだ、二、三日後に里にも雪が降るか?

立派な仮設窯完成
団地にも雪虫飛ぶ間もなく初雪か

ロケットストーブ既製品発見

2014年10月23日 20時33分03秒 | ペタンク爺さんの一日
今年から動き出した根曲り竹カンジキ工房で、竹を曲げるために如何しても必要な設備にスチーム箱か又は湯沸し鍋か必要に迫られ、大きな湯沸しで代用し火力に山で使うバナーを利用して始まっていた、燃料に白灯油を使うので工作時間がながくなると燃料代が嵩むのが悩みだった、燃料を切らしたとき黒岳夏山合宿で使っていた、マナスルを思いだした、この頃燃料は灯油を使っていたが何の問題も起きていなかった。
少し心配して決行を躊躇していたが、コールマンのガソリンバーナーに灯油をいれ使う、暫くは問題も無く使えていたが突然火が消えてしまった。
その後、何度か使えるか挑戦したが全く復活することは無かった、新しく買うか又は修理が効くのか確認はしていなかったがガソリンバーナーを使い続けると燃料費がネックになると暫しとん挫する。

前々関心を持っていた、ロケット(又はジェット)をストーブを手作りして、今回の様な作業工程に向く道具と思っていたので手作り方法を真剣に研究していたこともあり、もうのんびりと構えていられないので何処かで既製品が作られていないかとネットで検索していた所、札幌のススキノの近くにある老舗の福本商店が取り扱っていることが判明する、ネット上では如何わしい取扱店もあるので商品購入時には何時も緊張するのだが、今回は地元の老舗店だったので迷わず注文していた。

今日午後から宅配便で届き、早速テスト使用をする、予想していたようなテスト結果に大満足だった、製品もステンレス製で立派なストーブで手作りでは材料代も手間もかかってしまうので買った値段ではできないかもと思ってしまう。
ストーブの上に大きな湯沸しにたっぷり水を入れるので、土台が安定しなければと思い早速ホーマックに出向く考え抜いた末にブロック5個で窯らしいものを仮設し特設湯沸し窯が完成した。
明日にでも本番テストで機能を試すことにする。

今朝は久しぶりに遠藤農園に出向く、昨日のテレビで農園の近くにまで羆の出没がが報じられていた、残っているのは秋大根だけだが少こ~し成長が遅れている様に感じた、収穫日を29日に予定しているのであと数日だけ残っているだけ、我家の畑は被害なかったが隣近所の畑の豆類が羆でないがえぞ鹿に綺麗に食べられていた、ひと夏苦労して育てた野菜が動物達の越冬準備の食料となってしまった。

当事者はくやしいでしょうね~

仮設窯も出来あがる
煙筒農園の様子
今日の収獲は
エゾシカの被害を受ける近所の畑
花壇の花で豪華に飾る

モミジ色づく

2014年10月22日 17時01分25秒 | ペタンク爺さんの一日
此のところ朝晩の気温は一桁代が当れ前になってきた、街中で気温はマイナスにならなくてもプラス3.4度まで下がってしまうと、高い山は雪が降っていると思っても不思議でない、道路でも峠は雪が降っていなくても道路はブラックアイスバーになっていて用心して走行しないと大変な事故にも繋がってくる、各スタンドでも早めのタイヤ交換を呼びかけているが、早くからスノータイヤを履くと本格的な雪道になるまでにタイヤが摩耗するので、各自それぞれタイヤの交換期は、それこそ自己責任で決めるしかない。
私も対象者だが、その年により12月いっぱい道路に雪が積もることが無いこともある、少なくてもここ数年12月20日頃まではスタットレスに履き替えていない、スキーモードがなくなっているせいなのだが、数年前から始めている橇世界は、雪が降ってもブッシュだらけのコースでは橇の滑走面を直ぐ破ってしまうので初すべりから慎重に滑るタイミングを計らなければならない。

それ故、橇の活動までにはまだ二ヶ月以上ある、夏の間発泡スチロールの果物入りの箱を集めていたが、がさばるので中断していたが、もうそろそろ集めねばと思っているエコの手作り橇なので完成しても出来るだけゼロ円に近づくことが橇世界で宣言しているので、手間をかけてもお金を掛けずをもっとうにと取り組んでいる。

今日のお昼は一人だった、そこで早速男の料理、少しむづかしいものに挑戦する、お得意のダッチオーブンを使って「きゃべつの丸ごと煮」を作る、この料理はベーコンを使うのでキヤベツとの組み合わせが絶妙な味を曳きだし、小さ目なキャベツだったが半分ぺろりと食べてしまった。
もう一品は、一匹60円の秋刀魚を使い「秋刀魚の黒酢煮」に取り掛かる、下ごしらえを終えて黒酢の代わりにすし酢を使い酒、しょうゆう、みそ、砂糖で煮込む、最後にネギをはなって完成。
此方の方は夕食のおかずに、味わってみていないので少し心配だ。

昼から庭師に、花壇とプランタンの整理をする、花壇の隅でひと夏中堆肥作りしていたものをほぼ出来上がっていたので土嚢袋に入れる、先日の2袋と合わせると9袋になっていた、近々遠藤農園に持ち込み秋の内に畑にばら撒くつもりでいる。

作業中気が付いたら、団地内のモミジも赤や黄色に色づき始めていた。

もみじ色づく02
赤い絨毯
プランタン整理始る

きゃべつの丸煮
秋刀魚の酢煮

来期に向けてのオーガニック

2014年10月21日 19時30分45秒 | ペタンク爺さんの一日
紅葉も里にも下りてきた、この間から我が家の裏の小さな公園の木々が色づきだし早いものでは木の葉をしきりに落としていた、少し風が吹くと木の葉は移動し物陰とか風が動かない場所に集まり始めていた。
此の時期になると今年に限らず落ち葉を集めて、コンポストとか特別作った堆肥箱に入れて春まで置いておくとそれなりの堆肥が出来あがっていて春の花壇の土の再生に欠かせない大事な再生原料となっていた、花壇だけなら何時もの落ち葉集めで終わるはずだったが、今年から市民農園の畑作りが加わったので、来期も続けて行くことにしているので、種蒔きや苗植えが終わった畑に自然の材料の落ち葉でグランドカバーを実際にやって見ようと考えていたので、畑も15坪ほどあるので可也の落ち葉の量も必要ではないかと思い、土嚢袋30枚を用意していた、この間から少しづつ集めて置いた落ち葉を今日遅くなって袋に詰める、これから毎日のように落ち葉は舞い落ちる、お天気の良い日を見計らいボツボツ始める仕事としておくことにしている。

昼食後新しく始る組織の発会式で、集まるメンバーは私を除き女性3名で年齢も40歳50歳代の現役でまだ子育て中の若い人達、その中に80歳の爺さんが一人メンバーに入った。
現在再開発中の月寒公園を拠点にプレーパークを立ち上げるための打ち合わせで、札幌市に正式に申請し活動を始めようとしての動きで、会の代表や事務的な処理をする人も決める、私は齢が齢なので身軽にしてもらいスタッフの一員と云うことで取りあえず動き出い事になった。

年内に団体認可が下りた後に11月末から12月初めの土曜日の4時間くらい、一回だけでも子供達を集めようと決まる、目玉企画として可也難しいテーマーだが「たき火」をテーマーに申請することになる。
ダメもともあり挑戦する価値はあると思っている。



焚き火(ネットから借用)



食にこだわる80歳

2014年10月20日 17時42分02秒 | スキーが全てだった
天皇家の美智子妃殿下とは同期で、結婚噂が飛び交った頃から注視していた、同じ10月生まれで私の方が何日か早く誕生している、当時民間から選ばれたことがら皇室とは一気に距離が縮まった感があった、美人と云うより美しい女性と映ったのもこの頃だった、皇室は近親婚も多く出来れば全く遠い縁者からの血が入ればと思っていたのは私ばかりでなかったと思っている。
美智子妃殿下は此れから大変な苦労が待っていると思っていたが、嫁に出した正田家もお付き合いが大変になると余計な思いを抱いていたこともあり、今思えば可笑しくもあり余計なお世話と思う。

今日の月曜日は、スワンのダンスサークルのレッスン日だった、一週間に一度のレッスンではサークルで教えてもらっている時だけはダンスモードになっているが、一歩教室を出てしまえばダンスのことなど頭の隅に入る余裕も無い、次の週になれば習ったことのどれ程が覚えていたのか自分自身に疑問を感じる所もある、兎に角物覚えの悪いのは今さらでないと思うとダンスは私には向いていないとつくづく思う。

それでも、何かの魅力に取りつかれているのか辞められないのが不思議だ、そのうちそのうちと足掛け三年になっている、来週は年に一度のダンスサークルスワンのダンスパーテーがススキノのジャスマックホテルで行われる、11時30分から昼食飲み放題も含め午後3時まで、志向を凝らしてのパーテーで一度参加したことがあるが、狭いホールでの踊りになるので混んでいるので誤魔化しながらの踊りも出来るので何とかなるかなと思っている。

レスンの帰り道、激安スパーに立ち寄る兎に角このスパーは野菜と果物が安い、と云っても商品は一級品は取り扱っていないが競値がつかないようなものから規格外の商品が主体だが、現物を見て理解し承知して買ってきている、今日は白菜100円、トーモロコシ3本100円、リンゴ10個200円の合計400円の買い物だった。

帰宅後、自ら料理するトーモロコシを茹で、焼りんごをダッチオーブンで作る。

1個20円のりんご
3本100円のトーモロコシ
100円の白菜

行く秋を惜しむ

2014年10月19日 19時12分34秒 | ペタンク爺さんの一日
今日も朝から秋の空が高く高く澄み渡っていた、午前中に予定の仕事を熟し今日も昼から妹を伴って羊が丘展望台に出かけて行く、晩秋をまえにしてバイクの写真を撮るために展望台を撮影会場にしょうとの考えだった。
車にバイクを乗せ途中の走行はカットしての撮影会で、モデルも高齢のため限られた時間で終わらせないと出来ない相談なので、先ずは到着後人混みを避けて入口から緩やかな上り坂をルートに何本か老人モデルが出演する、頭の中で考えている様な写真が撮れるか全く自信は無かったが、現場でのカメラを見ての確認は目のハンデーもあり無理だった、帰宅後PCに取り込んだ後での編集で何とか使える部分もあり、全く無駄でなかったことが解った、お蔭てまちひとつ写真技術をマスターする。

デジカメの新しい機能が又一つ自分の物になったので、今度は冬の雪の中でも試すことにしている、屹度いい写真が撮れると信じている。

展望台には久しぶりに入場したが、入場料が一人520円で二人で1040円も取られるかと思ったら札幌市民は半額ですと云われ、なにかおお得をしたように感じた、展望台の中も風もなく今真っ盛りの秋で紅葉も今一番と思える今日の昼下がりだった。
新郎新婦が、丘にある教会で式を挙げている風景をバックに、左に視界を移して行くと札幌ドームをバックにクラーク博士の銅像が青空にくっきり見えてくる。
何とも、長閑な秋の一日だったもうすぐ雪虫が飛び出すことと思いつつも。










友軍また一人逝く

2014年10月18日 20時45分45秒 | ペタンク爺さんの一日
女房の従兄妹は凄い人数がいて、名前と顔が一致しない人たちが多かった、今夜通夜がある従兄妹は妻の母親の弟の長男で子供のころから交流が絶えないあいだ柄だった、年齢も近寄っていたので気軽に何でも話し合うる間柄と思っていた、亡妻の葬式の時には元気な顔を見せていたが、突然の訃報が従兄妹でも年長の竹内宅から連絡が入った、今夜は私が竹内氏を迎いに行って出かける事にしている。

女房の親やの親の代に、奈良県の十津川から滝川地方のに移住して来ている、新十津川から妹背牛、朱鞠内などに開拓で入った人たちで厳しい開拓時代を凌ぎ子孫が北海道に住み着いて行った経過がある。
どちらかと云うと、農業を主体に考えての移住であったと思う、稲作を根付かせたのもこの人たちではないかと思っている。

今夜竹内氏を迎えに行って石丸善雄氏のお通夜に行ったてくる、家族葬と云いながら今から十数年前にいとこ会で案内を打た数は34家族だった、札幌に定住する家族も多く参加を絞っていたと思うが今日の参加者の半分以上は「いとこ」関係だった。

北海道の石丸家を継いでいるのは、今夜の善雄氏だったが子供は女の子なのでこの後は私等では判らない、石丸家は「石丸吉三郎とスエ」さんから女の子が3人四人目に忠さんが誕生し善雄氏に繋がっていた、男は一人でこの後も二人の女の子が誕生している、末の女の子は今年百歳を超えている、妻の母親は石丸の三女でその子に三男三女を誕生させていた、その長女が私の妻になっている、その兄妹も残っているのは二人の妹だけになってしまった。

今夜の通夜の宴席に従兄妹の齢の順序の様にテーブルの席が決まってしまった、従兄妹のトップは早来の小坂氏で直ぐ下に竹内氏につながるがどちらも90歳には到達している、それに今回も車を運転して参加して来ていてまだまだこの先黄昏老人ではない、子供達もそれぞれ60歳代になっているので、先輩として私の目標になっている人達です。
私は、明日別件の要件があり竹内氏を残し帰宅してくる。

今日も昼食後、秋晴れの天候に誘われ八紘学園校内までバイク探訪に行ってくる、途中日糧パンの直販店に立ち寄ると目的の蒸しパンが一個だけ残っていたので買い込んでから今度は八紘学園の直販店で牛乳を買う、校内は季節ごとに代る風景に何時も足を止めてしまう嬉しい所で魅力は尽きない写真の被写体です。

バイク探訪
バイク探訪02
越冬準備着々
我が月寒の由来は

雨の日はカンジキ作り

2014年10月17日 16時06分37秒 | ペタンク爺さんの一日
今日も午後からカンジキ作りを始めた、生竹の柔らかいうちに曲げれる所まで曲げて置いたが完成までには、そうは簡単には曲がってくれない少し無理をすると折れてしまうので、微妙な所で固定し少しは落ち着かせているが、ここからが問題で直截火を使うと部分的に熱が入ることもあり全体のバランスを見ながら作るには直火では難しい、昔船釣り用の竿を手作りしていた炭を使い曲がっている竹をまっすぐに火を入れる事で竹に焼が入り丈夫になる、先だけはグランファイバーを使って作っていた。
カンジキは反対に小さく小さく丸めて行くので、竹に負荷がかかりむづかしい、結局湯煎で全体に熱を入れなければならないのだが、細長い鍋など無いので苦労している、何とか大きな鍋を利用し作業を続けているが鍋が大きいとお湯が中々沸かない、専用の用具が無いので苦労している。

今日の作品は昨日のと違って、少し活動的に使えるカンジキで工夫してストッパーを取り付ければ、昔マタギが使っていたカンジキの原型だ、竹を木に代えればカンジキそのものとなる。

親父もマタギで無かったが、冬期間の山女釣りにはカンジキを持って出かけて行ってた。
5、6年前ごろから雪が降るとカンジキならずスノーシューを履くようになった、目的は手作り橇の滑走テストには欠かせない道具で、自然の山をスノーシューでトレッキングし降りは手作り橇で滑り降りる遊びで、最初の頃はスキー場へ行きゲレンデ滑走を頼んだが、何処も断られた経緯がある。
今は、ゲレンデは諦めてスキー場がクローズしてから徒歩で登り滑る事を繰り返している、ゲレンデ以外でも滑れるので深雪滑走の醍醐味も味わえる、新しいスポーツと思っているが、一向に同好者が増えないのが寂しさは隠せない。

今年も、そろそろ橇工房も始めなければと思っている。

カンジキ第2作完成

橇工房も間もなくオープン
今年はアンヌプリ滑走再開する