ペタンク爺さん

ペタンクで遊ぼうよ!で20年

老化は40歳歯から始っていた

2014年09月30日 18時38分29秒 | ペタンク爺さんの一日
人生の後半で70歳代に突入した辺りから、老化が一気に進んだと証拠を付きつけられた感がある、自主トレでランニングが消えてしまっていた、オフになると「きたえ~る」の体育館通いが細々と続いていたが、一番最初に始めるのはマットの上でのストレッチ体操で長いときは30分もかけていた、次にランニングマシーンを30分を当てていたが、時速4キロで歩くだけで平地は最初の5分程度で徐々に斜度を釣り上げ、山登りの練習みたいな事をこなしていた、ランニングを止めてから久しい。

其処を終わると、多少は筋力トレもやっていたが殆んどは体を柔らかくすることや、バランス感覚のトレーニングを主体に約1時間30分ほどが私のプログラムだった。

何と云っても実践トレーニングが私の最大のプログラムで、春は「山菜採り」が始り里山を巡り歩きで脚力を付けていた、真夏は山から少し離れているが秋は「キノコ採り」が始り趣味と、実益と体力強化がそんなに無理なく出来ていた様に思っている。

雪が降り出すと、昔はスキーだったが今は手作り橇の世界にはまり込んでいる、子供の頃は木製で親父の大工道具を持ち出してトンカチとやってたことを思い出す、今でも当時作っていた設計図がすらすら書き出せるくらいだ、此の頃の手作り橇も一般には無いデザインで今でも通用する橇と思っている。
だだ、この橇は余り雪の深い所では通用しない、リュージュコースとまで行かない硬い坂が最適コースで古里の室蘭地域は降雪が少ないが気温が低かったので、この木製の橇が遊具となったと思っている。

現在は札幌のどちらかと云うと雪の多い所、子供の頃作っていた橇は通用しないと考えた末に作り出した橇。

橇(そり)はオリンピック「リュージュ」「スケルトン」「ボブスレー」の三種目で、冬季競技会の仲間入りしていますが橇に係る人達が一部の人に限られた競技になっています。
北国に住む子供達は、小さなそり山でそり滑りを大勢経験していると思います、それが其れだけでオリンピックまでと飛躍する考えが生まれてきません。
橇に関する全ての環境が整っていない、各競技種目の底辺の広がりがないのも環境です。
現在市販されている(そり)では競技橇まで繋がらないと思います、まずは子供たちの中にそりの面白さを伝え、発展的に自作橇で自然の山々を滑走する醍醐味を知ってもらう、と共に現在ある各スキー場の一角にそり専用ゲレンデを解放し、リフトや可動歩道で歩かなくても滑れる環境作りで幼児や子供達でも容易に橇を楽しむことが出来る環境作りが肝要で。
後は、用具の橇(そり)の材質で、金属製や硬いプラスチック製では危険なので人にぶっかっても大けがに繋がらない材質と、操作性に優れた(そり)が求められると思います。

現在私が製作してる橇(そり)は、発泡スチロールを本体に作り、基本的には子供や大人の雪の中での遊び道具として、安価、安全、小さく軽いのが、この橇の大きな特徴で器用な人なら作れてしまう。
滑り方も、練習次第では短時間でスラロームも出来るようになり、誰も滑っていない雪面を雪煙を上げながら滑れるようになる橇作りを実践しています。

間もなくウインタースポーツの季節がやってくる、橇もスポーツとして脚光が浴びる日は?

70歳辺りから目(緑内障)、耳(難聴)がはっきり現われたが歯は40歳頃から老化が始っていた。
脚力だけはまだまだと今でもトレーニングに励む日々が続く。

手作り橇完成品
ニセコアンヌプリ山頂から滑り降りる


菜洗神社と八紘学園

2014年09月29日 19時18分00秒 | ペタンク爺さんの一日
札幌市豊平区にある[八紘学園]。
広い敷地の中には農場、牧場、花畑などが点在し、北海道らしさを誇る観光スポツトの一つでもあります。
この敷地内には、札幌市の文化財にも指定されている洋館(黒沢記念館)や石庭がありますが、菜洗神社はここに隣接して造営されています。
この神社の狛犬は大変精緻に作られている芸術的にも価値の高いものだと言われています。
のどかな牧歌的な空間の中で、この神社と牧舎やサイロが歴史の流を感じさせてくれます。
奥に佇む社殿は木造のこじんまりとした祠ですが歴史の重みを感じさせてくれます。
この神社は、江戸時代[菜洗(現在の千葉県市川市)に在住の旧拓銀頭取岡田信氏の敷地内にあったものを昭和15年に八紘学園の園長が引き取り現在地に移したものだそうです。
狛犬は社殿の前に対で設置されています。
札幌は軟石の採掘でも有名で札幌軟石の建造物が市内各所に現存していますが、かつては色々な面で軟石が活用されていた様です。
この狛犬も軟石で造られており、この狛犬の足元の球の[透かし彫り]が精緻で大変貴重な作品であると言われています。
神社敷地内に現在もラワン蕗のような巨大なフキが繁茂していて、昔々の北海道原野の風景を垣間見せてくれています。

今日は午前中「スワン」のダンスサークルがあった相変わらず一歩前進二歩下がるの繰り返しをしている、社交ダンスは男性がリード役で確かりマスターしていればお相手の女性はただついて行くだけと云われいいるので、男性には厳しくなっていると思っている。
最初にステップを完全に覚え、音楽に合わせて踊れるように、女性を上手にリードする、初級ステップから上級ステップへ、そしてダンスパーへデビューと何時になったら出来るのか、年忘れ、新年パーテーには間に合うか、ぼんやりと考えている。

フキの畑の様だ

菊花咲き乱れ







カラスが泣くから帰る

2014年09月28日 21時29分35秒 | ペタンク爺さんの一日
上野幌神社
今日の曰曜日は日中雨の予報が入つていた、作曰久し振りにキノコ探しで動き廻ったがのが堪えたのか午前中は朝ごはんを食べ終えてゴロゴロしてしまった。
昼からめい子の子供が今年も遠藤果樹園の葡萄狩りに来る筈だったが、急に熱が出てきたので後日に変更される、それではと神社探訪続きをと厚別区を廻ることにする、出発は午後二時を過ぎていたが国道36号線を一旦清田区に入る、JA清田に立ち寄り副食を買い込む、一気に国直274に出て北広島方向へ向かう間もなく雪印園芸店がすぐ近くに目的の上野幌神社があるはずと更に進む、 神社は森の中にひっそり佇んでいた、普段は人影もなし、この時点で午後4時を指す所だった厚別区はまだこの近くに三社があったが、今日は畤間切れと帰路に進路を取る、帰り直は8割方登りが続きハードな行程となった、漸く月寒の八紘学園のポプラ並木が見えて来ると元気が湧いて来る、西側に見えて来るレンガ作りのサイロ、夕日がサイロのすき間から漏れだして絵のようだ、カラスが泣きながら空を過ぎて行く思わず童謡の「夕焼けこやけて」思い出す。

へとへとになり我家に辿り着く、今日も一日元気に過ごす。
明日はPCも退院して来るタブルツトも今日迄だ。
普段は人影もなし
月寒町内会のサイロです

落葉キノコは大根おろしで

2014年09月27日 20時12分02秒 | ペタンク爺さんの一日
落葉キノコは大根おろしで
今年は様々なマイナス條件が重なり秋のキノコとりは止めていた、この一年間は特に山から遠ざかっこいた最大の要因は山に入るだけの体力が備わっていなかった事だけで、少し動けるようになったと思っていたら今度は尿道結石で一週間くらい入院迄させられる羽目に合う、これが弱っている体には堪えた、大病の後体重が52キロ前後で安定していたのだが、つい最近はとうとう50キロを割るようになった。
別段胃腸も異常も示さず、どちらかと云うと快便が続き食べる方も副食で補っていたので体重は増えると思つていたのに、体重が減リだしたことに驚かされた、それでもプラス思考に捉え興味がもてるバイクのBMXで市内の神社探訪を初めていたが、山の紅葉がニユースがテレビから流れて来ると、つい今日はあの檀家の所へお伺いすればなにがしかのお布施が頂けると誘惑には勝てず昼飯を食べ終えると、常盤林道へ向かっていた、今秋はこのルート内の落葉松が伐採時期と判断され伐採業者が機材を持込始めていたことで、林道を壊してしまっていた、トラツクの轍が深々とついてしまい、所により危険な箇所も出来てしまいもう強硬は無理と判断しこのルートは閉鎖する。
それて"も人口付近でならたけと落葉キノコのお土産をもらって帰ってくる、来たついでにと気になっていた空沼林直入口の崖崩れ跡を見に行く、国道でさえ復旧が出来ていないのに矢張無理だった、此処もあきらめて帰路につく。

夕食に落葉キノコを大根おろしで食べる旬は美味しい。
今日は散髪屋でカラーと髭剃りをしてもらう、少しは男前が上がったかな?
常盤林道で
ナラタケと落葉キノコです。

ゴンボ掘りに畠へ

2014年09月26日 18時15分44秒 | ペタンク爺さんの一日
今日の全収穫です。
ゴボウの山
今夜は栗ご飯でした。
我家の菜園の野菜類の中で、お盆の項からゴボウは大きく成長しているのが判っていた試掘をしてみたが、立派に成長しもういつ収穫しても良いと思っていた、試掘の時に判つたことはゴボウの収穫は半端な労力では出来ないと気づかされていた、素人の私が作つたゴボウだが長さが40センチから長いものでは50センチになっていた、上から引っこ抜ける大根やニンジンの様に収穫出来れば良いのだが、最低でも30センチ以上ゴボウの横を掘下げてサイドからそっと土から離すと言う作業になる、それでも途中から上からひっぱつて下の部分を切つてしまっている。
売物でなぃので見た目が悪くてもと自分を慰めていた、初めてがら収穫が終ったのは1時間は優に越えていた、お昼は途中で立ち寄った東光のお弁当を畠の眞中で戴く、ゴボウ掘で力を使い果たしたので後は残つているニ、三の野菜を収穫し水洗いする。
自家用車の後ろのドアーを開け自称自慢の野菜を並べる、結構な量に満足する。

PC緊急入院4日間

2014年09月25日 19時02分58秒 | ペタンク爺さんの一日

使っているご主人様も時々緊急入院している近頃だが、主人に似てPC迄も体質が似かよって來ているが前回の治療も短期間の入院でほぼ完治していたが、体内の中に不必要なものまで取込んでしまい1年も経っていないのにPCの操作を重くしてしまつた、パソコンは外線と繋がっていてこそPC本来の機能を発揮する。
朝オープンするとメールだけでも2.30本入って入ることもある、一見し必要不必要か一気に判断し処理しているが此れもやむを得ない文明の利器を使用するオープン化こそ未来に開けた一本道と思う、それに無料有抖を問わずソフトが氾濫している、沢山の中からどれが本物で自分のに必要なものか判断して取込むのはその人の自由だ、結局この辺は自巳責任の世界で、パソコン歴10年ほどだが沢山の失敗を繰り返している。

今回も外から入って末る情報で脅かしのようなものが入つて来ると、ひよっとすると此はどうしても必要なものかと手を出してしまう、一度入込むとどんどん深みに引っ張り込まれることに気がついて途中ご中断するがPCの中にはそのウイルスがパソコン操作を邪魔をする。
パソコン操作は冒険その物だ、基本操作を勉強していないシニアにしてみれば、末知の世界の扉を開け開け進む様は、本当に冒険その物と思っている詐欺に引っ掛かんさえしなければパソコン一台壊したしたくらいは安いものだ、沢山の情報や夢がパソコンの中から飛び出してくる。

退院予定は月曜曰の午後。

今日は町内会の八紘学園内にある菜洗神社に出向く名前に相応しく神社の周りは人の背丈ほどのフキが狛犬の周りに生えていた。
昭和15年千葉市から学園内に引取られ現在に至っている。
この後、広島県からの移住者が多い福住地区にある厳島神社に向う幾つかの変遷があったが現在は伏見稲荷と北野天満宮を合祀している。
これで豊平区の神社探訪は終わった。


その後直ぐ近くにある

神社探訪と歴史

2014年09月24日 20時35分19秒 | ペタンク爺さんの一日
私が住む月寒地域はには、地名そのものの月寒神社があるが神社の由来は明治33年に遡るが現在の地に移転したのは大正7年でこの年幣帛供進神社に指定されている、昭和46年に社殿、社務所が造営され現在に至っていて。
祭神は・倉稲魂命、大山祗神、市杵島姫命、宇摩志麻遲命
初詣では、ここでも北海道神社の御札も戴けるが、今では月寒神社の御札しか戴かないのが通例になってしまった、第一直接氏子として何がしを納めていないが、例年自治会の会費から神社に寄付を納めているので間接的には私達も月寒神社の氏子になっている。
それ故、月寒地域の人達は殆んど月寒神社の氏子と云って過言ではないと思う。
そんなこともあって、お神輿が町内を廻って歩くのも良く理解できる。

さて、今日も昼から神社探訪続編となる豊平区がまだ残っていた、平岸の天神山にある相馬神社に向かう平岸街道から山のてっぺんにそびえている神社に見えていて、身近に感じていたが今まで一度もお宮まで行ったことは無かった、あまりの急坂になっていて迂回道路もあったがダートで厳しい坂道だった。
この地は明治4年に岩手県からの入植者が始りで、大正5年に現在の位置に昭和28年に神社本庁所属宗教法人になっている。
祭神・天之御中主大神

すぐ隣に鎮座するのは、天満宮だった此処は天神山の五合目あたりで裏から回り道もあり楽に辿りつけた、祭神が菅原道真公で学問の神様なのでそれらしい絵馬が沢山掛けられていた。
物珍しいのが立派な舞殿が有ったのが印象的だった。

平岸天神山付近から豊平に向かって平岸街道が続く、緩やかな降りが続きバイクもこんな時は快適に思う、豊平3条2丁目に有るはずの八二稲荷神社を探すがそれらしいものは見当たらなかった、隣りの区の菊水に菊水神社に変更する、ここは直ぐ見つかったが公園の隅に小さな社殿がひっそり佇んでいた、この辺は豊平大門通りで旧白石遊郭のあった通りで私も子供の頃通った時の記憶が微かに有るだけで今はその面影も無くなっている。
たかが神社を訪ね廻っているだけだか、先人たちの歴史の後が垣間見えてくる。

帰路は月寒に向かって緩い登り坂になっていて、キツイトレーニング続く。


天満宮
絵馬がずらりと
舞殿が物珍しかった
菊水神社は祠のようだった
白石遊郭の痕跡がここにあった



80歳からの手習いinBMX

2014年09月23日 19時44分05秒 | ペタンク爺さんの一日
間もなく80歳の誕生日がやってくる、壮年期時代に見えていたこの年齢世代は生と死が同居している遠い遠い別の世界の様に眺めていたと云う感もある、その頃はまだ周りの時間がゆっくり動いているように感じてた、生活にも充実感が溢れていたと思っている、その辺に到達するには先の先の未だ遠い先の様に感じていたのも事実だった。
60歳を期に定職から離れて見て、映画で黒沢明監督・志村喬の生きるを見てこの年代の厳しさを心に焼き付けたのも此の頃だった、それから数えても20年もの月日が流れているのに驚きを隠しえない、60歳代はまた゜まだ現役と変わらない活動をしていた、疲れが溜まってもすぐ回復していたように思う、70歳を期に老化が一気に進んだと思えたのは、70半ばの75歳の年に最愛の女房に先立たれたこと、普通ならこの辺で参ってしまう処だったが、幸運にも若い妹が同居してくれるようになり生活環境を充実、維持させる事が出来現在に至っているが、其の5年間の短い間に外科手術を3回もやっている。
老化の進行と同時に、老人特有の病気が出てくるのも自然そのものと思う。

妹と一緒に生活するようになってから、一番先に付きつけられたのは緑内症で治らぬ病気だった、次に胆嚢結石で入院、間もなく胃癌が発見され胃の四分の三を摘出する、ついこのあいだ尿道結石で一週間ほどベットに繋ぎ止められた。

5月から始まった市民農園は、病後のリハビリ―感覚で始めていたが、もうそれだけでは追いつかないと昔スキーのジュニアチームに陸トレの一環として取り入れていた自転車(BMX)を今度は大人の私がトレーニングの為に取り入れた、本来は里山を中心に走り回ろうと考えていたが、今年も羆の情報がしきりに流されていることで、キノコ採りを兼ねた里山バイクは中止した。
代わって、街中を走ることにしたが目的も無くではと市内の神社探訪を企画し先日から始めていた。

今日は、真栄の遠藤農園まで車でそこから有明神社と三里塚神社を探訪する。
帰りは、自前の野菜を土産に帰宅する。

小さな賽銭箱
里塚霊園の路上花売り屋さん
三里塚神社で
里塚音頭の碑

さっぽろ神社探訪in豊平区

2014年09月22日 20時25分34秒 | ペタンク爺さんの一日
午前中は二週間もお休みしていた、スワンのダンスサークルがあった、通い始めて足掛け4年は過ぎていると思うのだがいまだに初心者グループに入ったままで、私の後から入会してきた人たちにも置き去りにされ今年も新人たちに混じってレッスンを受けている。
何といっても、病欠で1年間のプランクは言い訳にもならないがこの齢で新しい事を覚え込むのに大変苦労しているのが現状です。
その時に覚えたと思っていても、週一回ほどのレッスンでは出て行くともう忘れいいる事が多い、今年から担当している初心者コースの先生はレッスンが終わった後に来週にはすっかり忘れていると思うけど、家に帰って復習&予習はしなくてもいいよと、思わぬ言葉をかけてくれる、それにそのうち覚えられるからと、老人ダンサーには本当に優しい先生です。

今日も二時間のレッスン中に、マンボ、ブルース、クイックステップ、ワルツ、タンゴ、ジルバ、等の種目でのレッスンで種目が替わると前のステップが忘れる日々を繰り返ししているように思う、其れでも先生の云うそのうちに覚えられると気持ちを大きく持つ事にしている。

昨日から昨日のイベントの記録写真を整理していた、写真だけで100枚は撮っていてるイベントの後の記録は運営以上に大事な仕事で記録が出来あがってイベントが終わったと云える。
10月3日に開く月寒公園インホメーションセンターでの写真展とスライド発表会の準備は出来たかなと思っている、動画のほうは簡単な「パークライフな一日inプレーパーク」でYouTubeに昨夜アップした。

午後からこの夏から新しく始めた神社探訪シリーズの続きを始めた、今日は豊平神社と豊平川神社、それに中の島神社の三か所をBMXに跨り走破してきた、驚いたのは水車町の裏通りの複雑さで6丁目のつばめ自動車に10年以上勤めていたのに、もうすっすり忘れていたのか余り知らないでいたのか、いずれにせよ別世界を探訪して歩いたように思った。
そのうち、札幌市の全ての神社を探訪出来ればと又ひとつ挑戦するものが増えた。

豊平神社で
豊平川神社の由来
中の島神社で

パークライフな一日

2014年09月21日 17時19分01秒 | ペタンク爺さんの一日
この春月寒公園フアンクラブ名で活動してきた組織が、少し堅苦しい名前の月寒公園市民協議会に変更したが愛称として月寒公園フアンクラブ名を残したままでスタートを切っている。
月寒公園再開発プロジェクトの末端で公園利活用会議に首を突っ込んでから、もう3年を過ぎてしまっている、昨年は高台野球場のうらにあった自由広場を18ホールを持つパークゴルフ場に作り変えてしまった、春にオープンし自治会のパークゴルフ大会も此処を利用している、一番良いと思うのは近いのと利用料金がの安さなのだが、殆んどがショートコースなのが難点と云える。

午前中から各コーナで準備が始まり、一時間ほどで舞台装置が出来あがる、打ち合わせ通りお昼はお弁当を持ち合ってピクニックが始まる、自分たちの弁当の他に一品余分に出し合う、此れが中々好評で私もおにぎりの他に遠藤農園で収獲した男爵いもの煮っころがしを出す、様々な家庭料理が出て来て思わぬごちそうにもあり付けたり、作っていったおにぎりは1個で残りは若い大学生に平らげてもらったり、老若男女賑やかな昼食会(ピクニック)となった。

昨年は月寒公園ファンクラブとして主催したイベントは月一回のペースで三つほど運営した、今年も昨年同様プレハブのインホメーションセンターを開設していたが、みんなで一緒に行うイベントは
今日開催した「パークライフな一日」で。
・公園で植えていた芝桜の無料配布
・ノルデックウォーキング
・ストレッチ
・ブックカバー
・プレーパーク
などが13:00から16:00 迄

私たち5名が幼児子供を対象としたプレーパークをお手伝いし、考えていた企画の
①落書きアート
②紙鉄砲で遊ぼうよ
③ターザンごっこ
・を準備から運営まで熟す。
プレーパークはこの他に何種か同時開催していて、男女年齢に合わせたコーナーに様々参加していたのが印象的だった、我々のコーナーも頭の中だけで考えだしたイベントも実践してみて大成功だったことが立証されたと確信した。
すっかの自信を付けたが、頭だけでなく実動も伴うのでさすが疲れが出ていた。
ともあれ、お天気も良く万々歳です。
落書きアートも午後3時頃終了し、写真に記録する、同時に動画も撮り、この後写真展と動画はネットにアップすることにしている。(次回開催の参考になる)

芝桜配付会
賑やかに始る
プレーパーク管板
ターザンごっこ
紙鉄砲で遊ぼうよ
らくがきアート
らくがきアート02

バイク古今

2014年09月20日 21時35分31秒 | ペタンク爺さんの一日
レーシング時代スキーの夏トレの一環にバイクを利用していた、BMXとロードで普段はランニングが基本だが変化を求め登山ランニングトレで円山公園の八十八か所を良く使っていた、無論藻岩山ランニングトレは旭山公園方面からのルートもあった、一番ロングと思ったのは真駒内スキー場側から林道を利用した空沼岳ランニング登山でその頃は、車も山小屋まで行くことが出来ていた。

バイクは、BMXを利用してトライアルバイクの誘導で常盤あたりの山の中を連れ回していた。
後にロードに代り支笏湖線のサイクリングロードを使ってポロピナイまでの走行をしていて、サポートに車の後ろに父兄から作ってもらった二輪台車を付けて走っていたことを思い出す、冬になるとスノーモービルの運搬に使ったり大変活躍した牽引車だった。

バイクの懐かしい写真が出て来て、みんな若かった初々しい顔が輝いていた。

私のバイクは、老化を少しでも遅らせようとして始まったトレーニング方法で少しでも楽しく出来る手段としてバイクを利用しているが、バイクに乗ると大人が普通に歩いているのを必要以上の努力もしなくてもあっという間に追い越して行ける、此れが徒歩なら先ず付いて歩けない、歩行速度が遅くペースが合わない、今年はとうとう10月10日の歩け歩け運動に参加する事を断念している。

バイクなら、子供が初めて自転車に乗れ一気に行動半径が広がったように、私もバイクをサイボークの様に乗りこなし生活空間を広め楽しんでいる、其れが自然に体つくりに通じていると信じている。
昼から白石区に向かって走り出した、私が住む月寒から南へ向かうと緩やかな登りで北へ向かうと其の侭緩やかな降りになっている、今日の目的地は大谷地神社で22.23日のお祭り準備の真っ最中だった、其処から西に向けて国道12号線に出て行く、途中下白石神社に立ち寄る、此の頃から雨が振り出し予定していた白石神社を省略し帰路に着く。

帰りは緩やかだが上り坂が続く、厳しいトレーニングになる。

BMXトレ藻岩スキー場駐車場で

空沼岳登山トレ

大谷地神社は22.23がお祭りです
下白石神社で

秋大根順調に育つ

2014年09月19日 20時47分25秒 | ペタンク爺さんの一日
秋の空は急変する女心のように、昨日も雨が降ったり止んだり一日中長雨はないのだがうっかりすると出かける時は晴れていても帰り道で通り雨に遇う、傘も用意していないので暫く雨宿りして帰って来ることもあった。
今日の予報も傘マークが付いている所もあり、バイク探訪は少し難しいと考え午前中はキッチン作業を始めていた、どちらかと云うとアイデア料理に入るが、昨夜のカボチャの残りでパプキンパイを作ってみた。
材料・カボチャ、カンパン、澱粉、黒砂糖に塩少々
材料全部をすり鉢に入れ混ぜ合わせて小判型に伸ばす
次にフライパンにバターをひき両面が軽く焦げ付くまで焼く
パプキンパイの出来上がり、砂糖が安くお菓子になってしまった。

天気が不安定なので、午後からのバイク探訪は中止にした、21日に使う小物文具を清田区のコーチャンズまで買に行く、帰り道にある遠藤農園に立ち寄る雨後の様子伺いだったが畑の中の雑草繁茂につい草むしりが始ってしまった。
夏野菜収獲期も過ぎてしまい、少し寂しくなったが8月に入って蒔き出した秋大根が順調に育っているのを見ると、嬉しさがこみ上げてくる、少し細めの沢庵大根が一番早くざっと数えると70本は超えている。
その他おでん用とか、青首大根とやら7.80本が後に続いて順調に育っている採れた後の事を考えると少し空恐ろしくなって来る、沢庵漬けは竹内キサさん宅に持ち込むことにしているが、後の大根の保存方法を今からどんな方法で出来るか検討中で、一度収穫してから土中に戻し落ち葉で蓋をしておこうと思っている、それならベランダ下の花壇が終わった後にでも可能かなと、今から想像して雪の季節の楽しみのひとつにしようと考えている。

夕食は妹が用意していた、南極料理で昨日残した野菜天ぷらにホタテを焼きトッピングして「かき揚げ丼」の完成とパプキンポタージュが夕食に。

青首大根
ゴボウも収穫期
きゃべつも収穫期

南極料理でかき揚げ丼

秋は菊の季節です

2014年09月18日 20時51分52秒 | 橇爺(そりじい)モード
9月に入り日照時間が短くなった、日の入りが早くなるといよいよ菊の季節になって来る三年ほど前菊作りを目指して春早くネットでサカタさんから数種類の菊の苗を取り寄せた、一年目は沢山の鉢を揃え菊鉢づくりを本格的に作り出したのだが、後から判った事だが兎に角手がかかる花と云う事を身を持って知らされる。
それに、難しいと云うのが菊作り1年目の感想だった、秋の菊花展の作品を見せられていたので展覧会に出品するわけでないので人まねで、三本立てやら天涯菊、ドーム菊と先人達の足跡を追うがとてつもなく差やハンデーがあるのに気づかされる、何れも1年で失敗し挫折を味わう。
如何もこの年に成ると、粘りが無いあっさりと菊作り入門は入口だけて終わってしまった、其れでも教材の取り寄せた菊の苗が残っているので、越冬させては春に新芽を摘み挿し木で菊を絶やさないように管理してきた、好い菊は其の侭にしておくと消えてしまうので春に新芽を出すと挿し木で増やす方法で、菊の種だけは生き続けている、去年から鉢から花壇に直植えをしてしまっていた、今年の春から夏にかけて成長した菊を、春遅くその成長した菊を釜で刈る様に剪定していた、背立ちを低く抑えるのと花芽を沢山付けさせるようにした作業で、大輪より小菊、中輪くらいに抑える荒治療で菊を苛めて作ったつもりだった、9月も中頃になり租の菊達が花を付けだした、菊はシーズンが長いので仏花に利用出来る期間も長いことが一番重宝しているところで、1年間の花壇の花づくりの最後を飾る花と思っている。

今は、花壇を賑わしている花は菊の他に、ジニア(百日草)、秀明菊で、遅咲きのアスターが花をいっぱいつけている、まだまだ賑やかな我が家の花壇です。

今夜は、自家製ゴボウと人参とピーマンを材料に野菜天ぷらを、それにカボチャ一個ままダッチオーブンで焼く、少しくらいで作っても美味しくないと豪快な男の料理で、どちらも作り過ぎて余してしまう、其れではと明日は余り物でかき揚丼とパプキンシチューをと南極料理に変化する、お昼にはパプキン団子かパプキン焼いもを作ることにしている。

菊花いろいろ







バイクトレin厚別

2014年09月17日 17時46分38秒 | ペタンク爺さんの一日
今年のキノコは最近にない様相を示している、8月末に一気に気温が下がりそれ以後秋の気配は徐々に秋気象をした走った、それに台風が前線を押し上げ北海道でも秋の長雨や集中豪雨で山は随分と水を吸った感があった、9月に入って一雨ごと朝晩の気温が下がりキノコの発生には最も適した格好になっていた。

これだけの条件が揃えば、何時もの年なら迷わず山廻り(檀家廻り)を始めているはずなのだが、大きな手術のあとで体力が著しくなくなってしまっているので、昔の夢を追っても無理と観念し其れでも少しでも体力を回復しようと細やかな努力をしている現状で、5月から始まった市民農園もリハビリ―の一環として始めた所もある、夏から秋にかけて収穫が始まっているが馬鈴薯掘りも大変だが、ゴボウが収穫期を迎えているが、2.3本は取って食べているがまだひと畦くらい有るので大変な労働が必要で百姓の苦労を身を持って経験している。

基本である足で歩くは、今一番苦手にしている所で脚力の衰えを一番感じている所です、足を鍛えるに面白さが加わる道具にとBMXを取り入れたのも考えての末で、今の所週に数回はバイクに跨っている、本当は山にバイクでも持ち込んで檀家廻りをやりたいところなのだが、体に自信が無いので今は入山を見合わせている、それに今年は羆も早々と里山まて現われだしているのと、先日の豪雨が私の行くキノコ山界隈から、そして厚別川に流れ落ちていて、昨日まで幹線道路も流され通行止めになっていたほど、山は大水が出ている、そのあたりから支笏湖線は大被害が出た所で今でも通行止めになっている。

国道でも、回復されていないのでましてや空沼岳林道などはどうなっているか判らない状態で、大雨の前ゲート迄下見に行ってるが、入口あたりから道路が決壊していたのを見て来ているので、今年はこのルートへの入山を諦めている。
まず、力を付けようと小雨の中隣りの厚別にある平岡樹木園まで走ってくる。
ルートは住宅街の車で走ったことが無い道路を選び、通過風景を楽しみながら走っているので苦しさも和らぐように思える。

平岡樹木園





竹細工(根曲り竹)紙鉄砲作り

2014年09月16日 16時20分15秒 | ペタンク爺さんの一日
古里は室蘭輪西で幼稚園から高校まで過ごして小さな町は、私の世界の全てから始まっている小学校5年生の8月が終戦で、此の頃は日本を代表する日本製鉄所があり、その城下町が輪西町だった小学校もこの小さな町に二校あったと記憶している、戦後の6.3.3制が始った最初の年に新制中学に編入されている、二つの学校ら集まったので一クラス60名くらいが12.3クラス有ったと記憶している、現在の少子化時代とは全く教育環境が違っていた、此の頃は進駐軍が捨てた缶詰を利用してブリキのおもちゃが出回った時でもあったが、我々下町の子沢山の家庭では高嶺の花だった、子供でも遊び道具を工夫して作り出し遊んでいたことを懐かしく思い出す、男の子の中では三角ベースが流行していてボールは布きれに糸を巻きその上から少し厚い布で包み上手にボールを作っていた、手作りではファストミット型が作りやすくキャッチャーミットとしても使っていた、子沢山の我が家でお袋が器用に布製のグローブを作ってくれた、そりを大事に毎晩枕の上に置いて寝ていた子供時代だった。

小さな町に竹屋さんが2軒もあった、どちらも男の同級生がいて一緒に遊んでいた時代で、竹屋さんの店先には北海道独特の竹(根曲り竹)がおいてあり、竹屋の親父は土間みたいな店先で根曲り竹を半分から四割くらいにして角を落とし竹皮だけにする、此れを使って手カゴ類、背負いカゴ、ご用籠を作って軒先にぶら下げて売っていた。
竹細工で企業にも使われていたものとして、石炭運びにつかうパイスケも竹製で日本の木と紙と竹の文化に繋がっている。
根曲り竹は、山側の国有林にはいれば少しくらい勝手に取って来ても咎められることもないと思っている。
先日キノコ採りの下見で山に入ったが、ついでにと数本戴いて来た冬になったら根曲り竹で和カンジキ作りを考えていてたので、取りあえず見本作りに取ってきたもので今回はプレーパークに利用しようと考えていた紙鉄砲作りをする、子供の頃に作った記憶を頼りに久しぶりに作る、早速飛ぶかどうか試してみた何十年振りに紙鉄砲作りが成功する、21日に活用できればと思っている。

根曲り竹を使って


今夜はダッチオーブンで野菜たっぷり
あかねが出てきた