ペタンク爺さん

ペタンクで遊ぼうよ!で20年

スカット爽やか

2010年01月31日 13時51分34秒 | ペタンク・日常
先日に引き続き、午前中早々と晴天の真駒内スキー場に向う。
そう今日から、本格的にコース作りにかかる、と言ってもスノーシューを履いて滑走コースの圧雪する作業、同時に出来ればサイドにツボ足でも登れる登坂コースを作くる、気の長い作業だが兎も角始めることにした、週間天気予報は全部雪だるまマークは付いているが、現場の地形からみて降雪が少ない地域、やはり天気予報とは関係なく日中は太陽が射し、所により春の兆しも感じられる常盤地域です、そんなこともあり体力勝負の作業なので、久しぶりにコカコーラーを買ってリックの中に忍ばせた、今日はパイプコースのスタート地点まで登りつめた、・・・・・そこで飲んだコカコーラーは表題通リの飲み物だった。
中間から下は、何本か繰り返しコースを踏み慣らしたので、テスト滑走すると、予定のゴール地点まで一気に滑り降りることが出来た。あと2.3日雪踏みに通う事にしている。
本格的に、使い出す2月の中過ぎには雪が解けてかたまり何処でも好きなところが滑れるようになると予想している。
その頃に山頂から一気に滑走する動画撮りを計画している。

遭難から一月ほど

2010年01月30日 13時57分46秒 | ペタンク・日常
人間なら当に、仏さんになっている長さだったが、飲まず食わず今日の来る日を待っていたかのように、誰にも発見されず待っていた、薄情なご主人を恨むことも無く。
12月末頃、真真内スキー場に橇のテストに通っていた、少し遠いのが難点と雪が少ないのが此処のスキー場の特性で営業していた頃は、水が豊富なので人口雪を作っていた。
年明けから、藻岩山に行くことが多くなり真駒内はご無沙汰していた、ただ暮れの最後の真駒内スキー場でのテスト滑走時に、大事な橇を一台忘れてきたことが自宅に帰ってが判明、しかし薄情にも、すぐ救出に出向くことも無く、気にはしていたが、半分あきらめていた方が本音で、今日一月ぶりかで出向き救出出来たことは、大げさに云えば奇跡なり。
朝からあまりのお天気のよさに、出かける決意をし途中即席ラーメンを買い込みお昼の準備をしながら到着する、到着時が同じ頃に女性4名のパーティーがスノーシューを履いて斜面に取り付いていった、最初は中央のリフトの左コースを昼食後は右コースに滑走跡をつける、今日のコース状態と誰かが登坂路をつけてくれているので、ビニプラ橇のこれからの滑走コースに決定する決心を固める。
そう、2月の20日(土曜日)から毎週土曜日を、この真駒内スキー場で橇の試乗テスト日と決めメデアを通して発表しようかと考えている。

●先行発表(発砲スチロールで作った橇・滑走テスト)
2月20日土曜日・27日
3月6日・13日・20日・27日の各土曜日
時間10:00~14:00
真駒内スキー場
ビニプラ橇の滑走テスト(10台)
関心のある方は、滑走テストに参加できます
その他、橇の滑り方、作り方も伝授します(全て無料)
現場携帯(090-5953-9399)遠藤
悪天候は中止
・・・・複数人数でコース作りからやれば、山頂からでも滑走できるようになります。
ぜひ遊びに来てください。


届いたエコポイント

2010年01月29日 15時14分47秒 | ペタンク・日常
昨年の夏、テレビが壊れてしまい国からお金が下りたときに、思い切ってデジテレビを購入した、この先を考えるとこのテレビが最後かなと少し寂しさを覚えた事を思い出す、日立の32型こんな大きなテレビを買ったのは生まれて初めて、映画の録画取りも簡単でシニアには向いている、その時のエコポイント15.000円分もう二月になろうとしている今日ようやく届く、電気屋さんの商品券でPC関係や家電に使えると思いこれにした。
途中行き違いもあり、半年近くになってしまいましたが、嬉しいことを先延ばししたのが良かったかとも思っている。

今日は、平和の塔の遊歩道コースの実測に行って来る、塔の前から入り口までは400Mはあるが、途中マイナス斜度があり使用できる最長コースは250Mだったことが判った。
勝手に個人的に、そり滑りコースとして遊んでいるのは構わないが。
何かで、計画を立てて使用となると少し難かしい事が判った。
個人的に、スチロール橇の滑り方作り方伝授します、ご連絡ください。
あなたも自前の橇作りませんか、橇爺さん遠藤。
(写真は29日の平和の塔)

凍て返る池の底には恋眠る

2010年01月28日 12時13分01秒 | ペタンク・日常
今日の名水汲みは、二日ほどのマイナス5度ほどの厳冬から一気に雨混ざりの小雪が降る朝になる、何時も通い続けている名水汲み取りのすぐ前に、祠が有ったが何の名称もかかれていなかったので、鳥居の上に龍が描かれていたので竜神さんかと勝手に想像していた。
ところが、今日偶然にも祠の前で年配の女性が、なにやらお経みたいな言葉でお祈りしていた、あとで一声かけ祠の由来をお聞きしたところ、不動尊との返事が返ってきた。

帰ってから、ネットで調べる
この不動尊は大日如来の使者として考えられています。
そもそも最高の悟りの境地に達している大日如来は、
一般にはなかなか馴染みが薄くかけ離れた存在なので、
不動尊と言う明王に姿を変えて衆生の救済に当たっているのです。

佛教の宇宙観・世界観では
「悟りの世界」と「迷いの世界」の二つの世界を考えます。
悟りの世界は如来を最上位として
次のように四つに分けます。

10、如来
9、菩薩
8、縁覚
7、声聞

一方迷いの世界は六段階に分け一番下の世界が地獄になります。

6、天界
5、人間
4、修羅
3、畜生
2、餓鬼
1、地獄

地獄から天界までの六段階を「六道」といい、
人は死ぬとこの六道を輪廻すると佛教では考えるのです。

悩み、欲界を輪廻する六道の迷いの世界にあって
欲望や執着を断ち切るように導いてくれる
ありがたい仏様が不動明王なのです。
一見恐ろしく見える憤怒の形相は
衆生を救済せんとする
慈悲の表れです。
このように不動明王は
私たち人間が持つ欲望、迷いを
断ち切ってくれるありがたい仏様です。

と言うことが判りました。(何時もお賽銭は上げておりました)
水汲みの前に、今朝は定期健診の緑内障の診察を受ける、あまり変化なし。
緑内障が判ってから、もう1年になろうとしている。

試乗用そり、あと2台

2010年01月27日 15時23分05秒 | ペタンク・日常
スタイロホームとビニールで作った(ビニプラ橇)、第1号から作り出して今日は、とうとう9台目になった、一台作るごとに改良が加えられ、作る速度も少しは速くなっている、2月14日に試乗会用として現在7台になった、あと2台の手がけ中の橇が出来上がれば9台になるので、試乗会の橇は完成したと思っている。
橇の基本設計で最初考えていた、木型、金型から作る橇では、設備資金だけで膨大になる、矢張りこの方法では、現状の橇の立場では所詮無理だった。
視点を変え、今この方面で進んでいる3Dでコピーするように作る方法が出来ていることに気が付く(これは協力者のアドバイスです)、早速そのメーカーに問い合わしていたら、回答が来た、1個単価は1,100円を超え10個単価で900円を切った、もう少し単価が低ければと、再度100個単価と1,000個単価の問い合わせをしている。
橇つくりの、行程もほぼ一番難しい部分を越えたかなと思っている、現在偶然にお近づきになった私より少し若い方がいる、誰にでも相談できないことでも、話し相手になってくれている、有り難い協力者です。ぜひ、仲間に加わっていただければと密かに思っている。
試乗会は、14日のほか日時場所を替えて雪のある間続けようと思っている。
また、施設のある所にも積極的に訪ねようと考えている。
その他、一般に情報を公開できない計画を密かに暖めている。・・・・なにかな?

2月14日月寒公園の橇試乗会会場確保

2010年01月26日 17時19分02秒 | ペタンク・日常
今日は、朝から忙しい一日で始まった、午前中創造学園の講義(異文化コミニケーション論~異文化に橋を架けよう~)があり、昼食もそこそこに10月に開催される運動会の総合役員会があった、12時半から始まった会議は13時では到底終らなかった、ただ前もって決まっていた会議なので、欠席は出来ない。・・・・・と言うのも午後から今取り組んでいる橇の特許関係で無料相談の予約を14時30分に入れてあった、先日は特許庁関係に、今日はその下部組織の弁理士会の相談日、何が何でもと会議も途中退席、何とか時間に間に合う、ただ、アイデアであり発明でもない、新案でもない発砲スチロールとビニールで作った橇は、これで申請して認めもらえる事はないとはっきり云われてしまった、となり拍子抜けしたが、これで心配していたことが解決されたとと思い、肩が軽くなったように思う。
そこで、帰宅後次の仕掛の段取りにかかる、そう、橇の試乗会の会場の確保、最も心配の無い近くのコースとして第1に上げていた月寒公園のそり山の、使用許可願いを豊平区土木課に申し込む、問題も無くすんなり無料で借りれられる様になった。
時間的と、他の行事と重ならない2月14日(日曜)9:00~15:00まで使えるようになる、タイミングを見計らって次はメデアへの取材依頼及び告知をお願いする段になる。
矢張り、新聞やテレビに取り上げてもらうことで、橇文化の認知にも繋がる。
写真は、駅の北口にある特許関係の団体が入っているビル(今日は便利士会)

積雪55センチ

2010年01月25日 16時14分57秒 | ペタンク・日常
我が家のベランダの外は、小さな公園になっている4月頃から11月頃まで、公園のあちらこちらでの花壇作りが盛んに行なわれている、この団地に移り住んでから15年は過ぎていると思っているが、小さいながら自分専用の花壇つくりを、本当に楽しみながら一年を過ごす、こんな小さな幸せに満足している住民も多数いる、だだ先輩達が年齢順のように抜けていくのも寂しい、春になって顔なじみの人たちが裏の公園に顔を見せたとき、ああ・・今年も元気で土いじりをと、ふと、安堵とも言えない思いをする。
北海道は、冬が長い今頃家の中で春を待っていると思っている。
ただ、冬は積雪1メートルにもなることもある、全く人影は無くなる、時折元気な子供の声を聞くこともあるが、長靴でも埋まってしまう雪の上、普通は遊ぶどころではない、昨年ほど前は、クロスカントリースキー専用コースとして、時折滑っていたが橇の滑走が頻繁になりスキーは、今年は一度も履いていない。
スキーに馴染むことを忘れないようにと、スノーシューを履いてスキーコースを作った、たまには、スキーも悪くないと思っている。
今年は、元気のよい若い自治会員の方が公園のど真ん中を小さな除雪車で開けてくれている、ボランテア精神此処にあり、と・・・・・思う

我が母校:鶴ヶ崎中学校

2010年01月24日 18時18分36秒 | ペタンク・日常
22日土曜日、殆んど忘れていた室蘭輪西町にある鶴ヶ崎中学校、その中学の吹奏楽部のテレビ放映がありで、いっぺんに時間が遡った、新聞の放送予告で日野晧正さんが中学校訪問に、目が留まりどんな番組かと興味を示していた。
また、吹奏楽部のレベルが全国レベルであった事も後で判った、人間ひとつでも秀でるものがあれば、それはそれで素晴らしいこと、学校で伝統的に秀でている事も、それは本当に素晴らしいことです、そんな鶴ヶ崎の名前、遡れば昭和16年鶴ヶ崎国民学校の第1回生で入学、その年大沢小学校が開校と同時に替わる、昭和22年新制中学第1回生として入学する、どちらも第1期生になる、最後のフィナーレーの様に今回の吹奏楽部と日野さんとの番組、どんないきさつで実現したのか、興味が湧く、それにしても番組は素晴らしかった、我が母校の最後の輝きを垣間見、故郷も捨てたものではないとつくづく思う。
学校が廃校され、学校統合で鶴ヶ崎の名前がなくなるのは寂しい、伝統は絶やさない努力を次世代の人たちに望みを托すしかない。
学校の写真は、わくわく工房より借用しました。

そう、今日は10時から16時まで例会のペタンク練習会、久しぶりでティールを多投し背中に張りを覚える、サポートしなければと思っている。むむむむむ・・・

偶然の出会い

2010年01月23日 15時24分37秒 | ペタンク・日常
昨年の二月に藻岩ロープウエーの乗車シーズン券を買った、なぜならば買った日から1年間1,500円と言うとてつもない安さ、2回に満たない乗車券購入代で1年乗れるから、そんな訳で写真つきのシーズン券をフルに利用している。
私の場合は、登りだけ利用し降りはロープウエーは利用していない、殆んど雪のある間だけの利用で、昨年から降りのコースで人に逢ったことは二人ほどしかいない、所が今日は2回下り降りたが二回とも大体同じような所で突然逢った、全く予想していないので、驚く、なにせ最大斜度30度近いと思われる雪山をスノーシューを掃いて登ってきている、つい話しかけ情報の交換もやってしまう。
最初に遇った時は、男女のペアで50歳前後、いとこ同士と言っていた、比較的小さめなスノーシューでの登り、降りはお尻滑りと言っていた、リックの背中にプラスチックの小さな橇をぶら下げていた、お節介にも、それでは雪の中に埋まってしまうよと言ってしまった。
二回目に上っていったら、展望台で昼食を食べているのに再会する。
ひと足お先と、降ってきたら1人でもくもく上ってくる人に遇う、ほぼ冬山装備、お年は70歳くらいですかと問いかけると、なんと60歳目の前との事、なんとも大変失礼な事を言ってしまったと後で後悔する、口から出た言葉はもう戻らない、でも気さくに話しかけてくれた、同じ月寒地区に住んでいる福井さんと名乗っていた、その他今日は老夫婦が小学生以下の小さい(孫)子供4人を連れて藻岩山頂に上ってきていた、話しかけると静岡から来ています、孫はこの他にもいますと話していた、いずれも話しかけた人達には名刺を渡しています。写真は山の中で出くわした福井さんとです。
藻岩ロープウエーは、3月一杯で終了し大改装を一年かけて始めるらしい。
リニアルオープンは、23年4月とのこと。

凍返る 藻岩原始の 森の中

2010年01月22日 16時41分05秒 | ペタンク・日常
先日、藻岩山頂530Mからスノーシューを履いて山頂直下の原始林を平和の塔を目印に下った、夏なら蔦類や背丈を越える夏草や足元は大きな石原が連続続くような、原始林そのもの森、もう降り積もった雪は1Mは超えているような雪の中、上から下に向っての移動なので何とか思い通リ下山できた、途中大木倒れていたり、大木の周りは雪が解けている様なところもあった。
兎に角、街からさほど離れていないのに静かだった、二月の句会の季語が「凍返る」大変難しい季語にてこずっていた、藻岩自然林のことを思い出し一句完成させる、提出句はまだ六句、むづかしい。・・・・・・つららでも使うか?
20年ぶりくらいと思う、昔お世話になったりんゆう観光のK氏(72歳)にお逢いした、突然の訪問で驚いたと思っている、私もめっきり白髪が目立つようになっているが、氏も予想していた通リ頭の白髪が目立っていた、昨年の4月藻岩スキー場にひょんな事で訪れたときに、まだ現役で頑張っていると聞いていた、そんなことでもうそんなに時間も無いと思っていた。
・・・・・私の夢の話を持って行って、ざっくばらんに話し込んだ、そう・・・ビニプラ橇の現状と未来について、2.3月に藻岩スキー場でメデアに呼びかけ手作りしたビニプラ橇の試乗会開催会場としてコースの借用を願い出た。
即答はもらえなかったが、かなり可能性が高い行事と確認できた。




都市景観:重要建築物・第4号

2010年01月21日 14時46分28秒 | ペタンク・日常
一年ぶりに、旧小熊亭のコーヒーを飲みに入った、2時間近くロープウェー裏にある「はらっばのある森」公園でビニプラ橇の滑走テストを繰り返していた、昨日のべた雪の上に5センチほどの新雪がかぶさり、まずまずのコース状態だった橇は試作品第5号と第6号の2台、少し改良しての5号と、少し長く(65センチ)した6号で、歩道脇に作ったコースでは、予想通りの滑走が出来ることを確認する、滑走面のサイドカーブを深くした事でターンのきっかけが容易になる、後半「はらっばのある森」公園内にスノーシューでコースを作る、そのあとを橇で滑ってみて、公園の中は広いので各自好きなコースを作るスペースもあるので、試乗会に使える会場として太鼓判も押せると思った。
雪の中で、持って行ったサンドイッチを出して昼食を食べていたら、見覚えのあるスキーヤーがロープウエー直下を滑り降りてきた、常連客だが今年最初の再会、5月には80歳になると云っていた、60歳からスキーを始めたと言っていた、元気な先輩爺さんです。
帰りがけ、甘いものをと旧小熊亭のコーヒーを飲みに入った。

試乗会を目指し

2010年01月20日 19時05分38秒 | ペタンク・日常
もう、一月も末に入ろうとしている、新年会が三個も続き橇作りが遅々として進まなかった、そんな中今度はプリンターが壊れてしまった、これ以上は駄目だと決断し修理に持ち込むネットで調べるとエプソン札幌があり修理を持ち込みで受け付けている事を調べる、朝食後駅前近くにあるエプソンに向う、修理代7.300円なり、新しく買うより良しと修理を依頼する三日ほどで出来るらしい。その間は・・・・不自由だが我慢ことにする。
ビニプラ橇は1号から始まって今日完成させた橇が6号にあたる、しかし現在手元にあるのは今日完成したものを入れても3台だ、途中まで手をかけている橇があと5台ある、全部完成しないまでもある程度台数が完成した時点で、試乗会を考えている、子供が主体なので黙っていても集まっている月寒公園が、まず最初と思っている出来れば土曜か日曜日に開催しテレビや新聞社にも情報を流そうかなと思っている。
二月に入って本格的なコースでの試乗会会場として、ロープウエー裏の平和の塔から滑り降りるロングコースでのビニプラ橇の宣伝が今年の一つのビックイベントになると思っている。
ここは、コースの全長が400Mもあり大人を含めての試乗会に出来ればと考えている。

大学(創造学園)の新年会

2010年01月19日 19時06分43秒 | ペタンク・日常
今日は、午前中学園の講義があった、カリキュラムは「蝦夷図の変遷」講師は古地図・郷土史研究家の高木祟世芝氏、年齢もほぼ同世代、兎に角地図に関しては博学と思った、ひょんなきっかけからこの世界に足を踏み入れ、独学で勉強したらしい、特に北海道の公式地図が作られたのは1700年、その古地図を見ると現在の地図とはおよそ想像出来ないような幼稚な地図(手書き)、そのあと1750年に発表し、1785年に印刷された地図が出される、これまでの地図は全く不正確(無論北海道の内陸には日本人は足を入れていない)、1800年に伊能忠敬が自前で作った地図の精密さに、幕府も本当に驚いたらしい、そのあと幕府の応援も得て日本全土の地図を作るのに17年かかっている。
忠孝も50歳で隠居し、江戸に出てそれから勉強し世間をあっと言わせる大仕事をやってのけている人なのだ、多少は知っていても短い時間であったが、再度勉強させられた、やる気になれば人は何かを成し得る事の可能性は、残っていると思わずにはいられない。
昼から、学園の新年会が豊平橋の近くにあるルネッサンスサッポロ、で行なわれた参加者は約60名でホテルから迎えのバスも来ていた、午後1時から4時までの三時間、課外活動部が大奮闘し、プランと言い運営と言い素晴らしい新年会のイベントを完成させていた。
素晴らしい人材が、この学級にはぞろぞろいる事を再認識させられる。
班別余興で、女性群から東京ナイトクラブを歌って皆でチークダンスをやるのでフランク永井の代役をやらされる、相手は松尾和子役、リードされっぱなし、なんとか尻尾を出さないで終ってほっとしました(全く歌ったことが無い歌、三晩特訓)・・・・・やれやれ・・・

名無し句会

2010年01月18日 16時25分06秒 | ペタンク・日常
今日1月の例会、新年会も兼ねた句会が始まった、正式には今回で2回目になる句会、会場は公民館の一室で、決して名前が無い句会では無いが、正式な名称は:俳句を楽しむ会と言って私の考えでは俳句の普及、底辺拡大を考えての会と思っている、公民館の階段の踊り場に会員募集のパンフレットが貼られているが:まず始めに、初心者歓迎・俳句を作ってみませんか・あなたの素晴らしいセンス、感情を詩にしてみませんか、きっと素晴らしい句になりますよ。と誘っている。
朝九時半より始まった、1月例会に新人が一人加わった、何日か先に入っていた私に後輩が出来たことで、また何となく味方が増えたように思えた事が自分ながら可笑しかった。
提出句六句、その中から今日は三句も票が入った、嬉しさが心の底からこみ上げてきた、こんな句でとおもいながらも・・・・
季語が新年と言いながら、季語なし俳句も含め票が入った句
友が逝き昭和ひとけたやせ我慢 野洲秀
新年やアットマークが飛び交って 野洲秀
新年やブログで祝うやもめかな 野洲秀
新年会は、近くのとんでん、指導者:墓田まさこ先生(昭和2年生)とツーショット。

新年会始まる

2010年01月17日 16時44分15秒 | ペタンク・日常
暗いうちから除雪車が直ぐ窓下の駐車場の除雪をやっていた、可也大きな音を出しての作業なので、朝方の浅い眠りのときなどよく起される、そっと窓を開けい見ると、何と我が家の車の上の屋根に30センチほどかぶっていた、今シーズン一番の雪、これは朝飯前の大仕事とと、とうとう暗いうちに起きてしまう、外に出てみた、若い自治会員が小さな除雪機で懸懸命に、歩く歩道だけを除雪していた、それにしても今日の雪は大変だった、久しぶりに除雪だけでひと汗かいてしまった、終りかけていたころにそれぞれ除雪部隊が出ていた。
今日は、11時から自治会の新年会がある、100戸ある会員の半分ほどしか出てこない、一軒で3名も出てきても全て無料、なのに年々参加者が少ないのはなぜだろう、二時間半くらいじゃんけん大会やカラオケ大会もあり結構楽しめるるのと、会員同士の親睦が深められ大変良いイベントと、私は思っている、そうカラオケのノルマが廻ってきた、別に曲を指定したわけでは無いが、スタッフは私の数少ない十八番を知っていて勝手に選曲してしまう、一年に1か2回の出来事です。
明日明後日と新年会は続く。
昨夜遅くまでかかって、ビニプラ橇の第5号を完成させていたので、新年会を終えてから月寒公園にテストに出かける、この時間は青空も出ていての日曜日の公園どちらかと言うと親子連れのそり滑り組、全部で50名ほどで公園の小さな山を賑わしていた。
サイネリヤの小さな可愛いポットを見つけ、仕入れてくる、心が和む。