天皇・皇后両陛下のご成婚50周年の前日だった。
江戸城の名残が見える。
枝垂れ桜がお堀に映える。
さて、和田堀公園にて、お写真を拝見する。むきたての玉子みたにつるつるお美しかったと言う新聞社の記事が印象的な皇后陛下。
わたしは今上天皇のことはあまり存じ上げないが、美智子様のことはなんとなく理解しえる。ほんとうにご苦労があったと思う。
東宮御苑に入って、三の丸尚蔵館にて、煌びやかな 屏風絵などを拝見する。国華というもの。
わたしは今上天皇のご成婚記者会見のお言葉が印象的だった。
御製歌は、拝読することがあるが、庶民を随分思案なさり、実は昔知り合いだった共産党の方も感心しておいでだった。戦争はお嫌いである。
和歌に戦後の平和を詠われた歌がおありだった。
ご自分の意志でなんでもおでき になるわけでもなく、日程は管理されている。わたしの父母がのんびりしているのに、全然違う。
皇居は花が咲いていて、綺麗であった。一時整備中で、拝見した時と違うイメージであった。
池面に、遠く、皇居が見えるほどの高いビルが建っている。これが景観の邪魔になる。
景観を損なわないようにするのは大事なことである。
春爛漫という感じである。皇居の中の売店では、雅子様のお印のハマナスの模様の小箱があったり、宮内庁では全力を挙げて、雅子様に心配っておいでだ。
美智子様が失語症になられた時、実はわたしも声が出なくなると言う時期があった。仕事柄、マイクを持って苦しいけれど人に話していたから、人ごとではなかった。ストレスか、なんだか自分でもよくわからなかった。
昔はここまで一般の人は入れなかったのよと、友人は言う。
氷室という場所があり、昔、ここに大奥の女性で折檻を受けた方が入れられたらしいが、なぜ残っているかわからない。
ただし、城の石垣は凄いと思う。どんな山城でも石垣は立派で、どうやってここまで建てたか、非常に不思議である。
皇居の車が出入りする場所である。友人は眼がよく、黒塗りの車に7・3に髪を分けた方が
元近衛師団の建物の傍を通る。
わたしは、僭越ながら、皇太子ご夫妻に、誠実で口の堅い、趣味を同じにするご夫婦でおつきあいのできる友人のような方々が必要だと思う。
ダイアナ妃のようにならないため、雅子様には個人情報のきちんと守れる、影のような方も必要であり、そこに今上天皇と皇后の意向を伝達する役目も必要になり、人選が難しいかと思われるものの、大事なことである。
さて、庶民のわたしはこういう 話題はこれくらいにして、千鳥が縁を目指す。
花見は、これで最後であろう。それにしても明日は天皇・皇后ご成婚50周年、よく桜がもったと、めでたい気分がいやでも高まる。
天皇制がどうかと言うより、おふたりが連れ添っておいでで、美智子様の懸命なお姿を拝見し、やはり心打たれるものがある。
わたしは両親の金婚式に何かしてあげたい。それにはもっと稼がないと・・・・。
しかし、ご成婚写真展のほうは人混みが凄かった。
パレードに使用された馬車が一階にあった。拝見する。
ご成婚時は華やかで、シンデレラというより、国のため非常なご覚悟で想像を絶する家庭環境にお入りになったことと思う。
わたしたちは、申し訳なさでいっぱいである。いや、よくわからない。
パレードのコースを歩くイベントを企画しようとしたら、わたしの家族以外に仕事がいってしまって奪われた。そこで、もう関係なくなった。
しかし、このルートは家族と歩いたことがある。
最終地点は、渋谷の常磐松(國學院大學前辺り)である。東宮仮御所があった附近である。
ここは道幅が狭く、当時はどうだったか、気になっていた。ここを歩くのは、今は大勢では楽ではない。
まあ、歩こう会は難しいかなと判断したが・・・。
左のようになっている。
また、大きさは思ったほどではなかった。
華奢な感じで、上品である。
後ろから拝見すると、下記の左である。角度を変えると、右である。
ひとひとりの背の高さよりそう高すぎず、遊園地の観覧車くらいの空間にお席がある。
わたしは院展の凄い日本画を鑑賞し、とりあえず、写真展は見られず帰宅したのであった。
馬車が見やすかったのは幸いだった。
皇太子ご夫妻が、こうして何十年か後に、良かったわねと述べられるように、早く雅子様のご容態が良くなられることをお祈りします。