2007年文化の日に、静嘉堂文庫と美術館を訪問してみた。
図書室の閲覧室にあった「道家蓬莱 陳宝�密(しん)」という額を眺められた。
研究者で中国人は、頭を低くして、畏れ入るそうである。
わたしもひとりで静嘉堂文庫や静嘉堂美術館へ行くのは勇気がいる。
頼山陽も石を集める趣味があったらしく、岩崎弥之助(彌太郎の弟)と似ているらしい。硯など拝見。それが普通の硯ではないのである。碧玉でできていたり、様々。
来るお客さんの服装が普通じゃない(高価なブランド)ので、いいところの人らしいとか服装で見てしまうが、貧乏人にでも向学心があれば得るものがある。
平成7年に今上天皇・皇后が行幸なさったらしい。
「宋」の書物を買ってほしいと天皇に奏上され、岩崎家(分家)が購入したらしい。
和漢書の宝庫のようである。実際に書棚は拝見できなかった。
一度にいろいろ書くのは、力がいる。今日は手抜きをする。
「道家蓬莱」貴重な秘蔵の書物、書庫
*清のラストエンペラー溥儀の家庭教師であった側近、陳 宝�密
ちん ほうしん
1847~1935。男性、福建省�罨県の出身。
清末の進士(科挙の試験に合格した学者)。故郷に福建師範学堂を設立。また福建鉄道 会社総理もつとめた。
宮廷では大臣を歴任し、清朝崩壊後は溥儀の側近侍講(教師)として溥儀に大きな影響 を与え、溥儀もまた大きな信頼を寄せたらしい。
以下、その意味を知る。文庫の方も解説してくださったが、この詩を知る。
詩の参考ホームページ
http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/photo/rs117.htm
宣州謝?樓餞別校書叔雲
李白
棄我去者 昨日之日不可留,
亂我心者 今日之日多煩憂。
長風萬里送秋雁,
對此可以酣高樓。
蓬莱文章建安骨,
中間小謝又清發。
倶懷逸興壯思飛,
欲上青天覽明月。
抽刀斷水水更流,
舉杯銷愁愁更愁。
人生在世不稱意,
明朝散髮弄扁舟。
宣州の謝樓にて 校書叔雲に 餞別す
李白
我を棄て去る者は 昨日の日にして 留む可(べ)からず,
我が心を亂す者は 今日の日にして 煩憂(はんいう) 多し。
長風 萬里 秋雁を 送る,
此(これ)に對し 以て 高樓に 酣(たけなは)なる可(べ)し。
蓬莱の文章 建安の骨,
中間の小謝 又た 清發。
倶(とも)に 逸興(いつきょう)を 懷(いだ)きて 壯思 飛び,
青天に 上りて 明月を覽(み)んと 欲す。
刀を抽(ぬ)きて 水を斷てば 水 更に 流れ,
杯を舉(あ)げて 愁ひを 銷(け)せば 愁(うれ)ひ 更に 愁ふ。
人生 世に在(あ)りて 意に 稱(かなは)ざれば,
明朝 髮を散じて 扁舟(へんしう)を 弄(ろう)せん。
※蓬莱文章建安骨:漢代の文学や建安体の気骨。
・蓬莱文章:漢代の文章。漢代の書庫。漢代宮中の書庫である東観のことを、蓬莱山にある仙人の書籍に擬えて「道家蓬莱」と呼んだことによる。
・建安:後漢末の献帝時代、建安年間(196年~219年)の曹操、曹丕、曹植の父子や、建安七子らの時代。
・骨:気骨。後漢末、献帝の建安年間、魏の都である建を中心に行なわれた建安年間(196年~219年)の曹操、曹丕、曹植の父子や、建安七子らの詩風のこと。五言詩で、慷慨、気骨の風を好んだ
さて、「行雲流水 竹浦」という額のお部屋で、天皇一行とご歓談なさったようだ。
(草書体)
*竹浦・・・岩崎小彌太の号
「菊活けて臨高閣の老蠧ぶり 」
*老蠧 ・・・本の虫
*臨高閣・・・昭和4年麻布鳥居坂本邸(現在:国際文化会館)のこと
昭和20年戦災で消失
諸橋轍次氏は、静嘉堂(これは弥之助の書斎の名前だったらしい)の室長。漢籍を講じる。
大漢和辞典全13巻 画数64画まであった。
「龍」を四つ 「龍龍
龍龍」
*手書き辞典 昭和18年第一巻戦争で消失
昭和35年全13巻完成発行
今日は、みなさん、ほのぼのムードで、まあ、良かった。
「みなさん、現代にもう64画も必要ないと思われるかも知れませんが、明治時代より
よほど記号化されている現代の字のほうが不安です。そう思われませんか?
明治に多くの文化財が海外へ流れてゆきましたが、財閥でも目利きはこうして日本に
散逸しないように、こうして保管して来ました。今こそ、ほんとうに文化の意味を思案
する時ではないでしょうか。」というような内容(すでにうろ覚え)を述べておいでだった。
わたしは、財閥で、同じく匹敵する、三井家が、東京国立博物館で陳列させていた茶碗を見て、あ、凄い、怒らせたら首が吹っ飛ぶと思った。勿論、岩崎家にも違う逸品があるのは有名。実物を以前、拝見したので、満足した。 (静嘉堂文庫のHPのトップに出る器であるので、誰でもご覧になれます)
わたしが、あっと思った三井家のは 国立博物館HPより・・・
青磁茶碗(せいじちゃわん) 銘馬蝗絆(めいばこうはん)
1口
龍泉窯高9.6 口径15.4 底径4.5
南宋 重文
三井高大氏寄贈
■解説
日本に伝わる青磁茶碗を代表する優品である。江戸時代の儒学者,伊藤東涯が記した『馬蝗絆茶甌記』によると,かつて室町時代の将軍足利義政がこの茶碗を所持していたおり,ひび割れが生じたため,代わるものを中国に求めたところ,明時代の中国にはもはやそのようなものはなく,鉄の鎹でひび割れを止めて送り返してきたという。この鎹を大きな蝗に見立てて,馬蝗絆と名づけられた。
ああ、三井・・・ひやっとした。
こういうものが、財閥には山のようにある。
首が飛ばない内に、静かに帰宅したのであった。