でも、友人って、ほんとうはそんなにすぐ仲良くなれるわけではないんだよね
韓国語が優れていて、英語を話せて当たり前で、日本語なんて全然意味が通じないから嫌いと、英語の元教員が話す。
反論すると、十言葉が返って来るから黙っていた。
わたしは、どこの国も言葉も大事にしたい。母国語は特に。
わたしは、東京の人だから、東京の言葉なんて嫌いと言う地方の方とも話したことがあるけれど、言いたいことはわかっている。では平安朝言葉で話してみたらどうかと思うけれど、それもできないと言う。自分の話している言葉が一番らしい。
他国を思いやり、その国の言葉を大事にすることは大切である。
しかし、日本語の標準語を否定する必要もないと思う。
韓国を重んじるなら、なぜ、高麗王のお墓に参拝しないか、わたしには理解できない。ただ、拝見するだけでお仕舞い。わたしはお墓を見学したら、やはり冥福を祈る。
高麗神社には綺麗に桜が咲いていた。ようこそ、高麗の里へと。
大事なことは、信頼関係をいかに築くかということで、相手を思いやり、優しさをどこまで持てるかということなんだよね。
折口信夫先生もいらしたのかと確認した。
今泉忠義先生も・・・。太宰治も。
桜に思うのは、どこで咲いていても美しいものは美しい。
そして、心を穏やかにさせる。
韓国語は漢字をなくしてしまった。それは残念である。
日本は、中国との親近感をまだ感じるのは漢字のお陰だと思う。
韓国の方でも在日韓国人の方は聡明な方もいらして、遠い時代に国籍を取得した人もしない人も、今はもう区別がつかない。
英語教育は、必要だろうが、国語ももっと力を入れなければならないだろう。
ただ、英語の教育の必要な人と、必ずしも必要でない方もいる。
どの程度が必要かは、自分にはわからない。やはり、話せることは大事だが、内容もともなわないとならないだろう。
宮司さんと話す女性。枝垂れ桜は、もう終わりである。花から葉桜に変わっている。
高麗住宅が見える。中に神棚が飾ってあった。ここは韓国の人だけのものでもなく、日本というのともちょっと違う。
それは聖天院で感じた。
韓国独立運動の記念の建造物がある。
戦争で多くの方が外国人始め亡くなった。
日本軍による虐殺も凄かったらしい。しかし、日本人もしなくていい犠牲をあまりに残酷な結末で迎えた。東京大空襲は、ほんとうに必要だったか。原爆投下は必要だったか。
パゴダ公園に宗教指導者らが集い、「独立宣言」を読み上げることを計画したとされる。非暴 力を求め、日本に真の友好関係を訴えたとされる。
日本人として、申し訳ない気持ちを抱きつつ、韓国ファンが、単に韓国人は綺麗だからとか、そういう外見でしか韓国人を見ないのは気の毒である。
日本語は、日本人の祖先が苦労して創り出したものであり、そこには深い意味がやはりある。
韓国の方には様々なことは、胸に去来するだろうが、それでも彼等は同じ人間であり、いい方も大勢いらっしゃる。巾着田へ道案内してくださったおじさまは、丁寧だった。地元の方だろう。
日本と韓国が真に友好関係を結ぶように祈らずにはいられない。
この菜の花畑をご覧になって、日韓友好の日に遊びにいらしてくださいとのこと。
遠くて伺えなかったけれど、みなさんが幸福に歩める時代になりつつあり良かったと思う。
もう春なんだ。桜も遠くに見える。
でも、国語(日本語)なんて、という時代にまたなった。
英語教育をするなら、聖書も読まなければならないだろう。
わたしは人をいやだなと思うと、そう述べてしまう自分を恥じる。
聖書にふさわしくない人間だと悔やむ。じっと堪える。
朝、日が射すと、人を許せる時は許さないといけないと思い直す。
これから自分にはどんな試練が待っているのだろう。わからない。
でも、物事をなるべく良く思案する習慣を身につけないといけないと思った。
でも、どこか友人とちぐはぐにかみ合わない時があって、淋しい気分になる。でも、元気出さないとね。