みなりんの紀行文

写真とともに綴る、旅の思い出を中心としたエッセイ。
主に日本国内を旅して、自分なりに発見したことを書いています。

「横須賀美術館~菅野圭介展」

2010年07月25日 18時17分09秒 | 旅行記

私は初夏のある日、横須賀美術館までドラブImg_3848_3 イブしました。

椰子の木々が道路沿いにあって、宮崎へ行った時の様子を思い出していました。

京急ホテルが近くにあり、ここのレストランは元首相の中曽根康弘氏が、絶賛していらしたものの、予算の関係で今回は見送りました。機会があれば伺ってみたいです。

さて、海沿いにこの美術館はあり、三越デパートで三岸好太郎氏の妻だった三岸節子氏の展覧会が開催されていましたが、ちょうどそのあたりの時期です。

彼女は夫の死後、この菅野圭介氏と別居結婚して当時は話題を呼びました。

夫が天才で早死にしたせいか、菅野氏の名前になるのはいやだったのでしょうか。よくわかりません。

菅野氏の絵は、当初期待していなかったもP1040193 のの、伺って拝見してみると、独特の構図と色使いで、最後のほうの絵は商業ベース的で精神的に参っていたせいか単調でしたが、中期の絵など大胆な構図を取り、油絵ならではのタッチと色使いはおもしろく感じました。

美大出身の人と一緒で、興味深いと眺めていたので、私もつくづくと眺めて、ゆったり拝見しました。

フランドランの影響を受けて、「形態が単純化されていること、輪郭線を描かず、色の面によって描くこと、混色を避けること、そのため、ときには塗り残しが残ること」などが似ていると言われるが、他方で、個性は全く異なる。・・・・」

「たとえば構図感覚。古典研究や写生から練り上げられたと思われるフランドランの安定した構図に対して、菅野の構図はあくまで融通無碍である。大胆を通り越して破たんをきたしていることすらある。・・・・・・」

引用:横須賀美術館学芸員(カタログから)

私が感心したのは、「知恩院総門」という絵(1958年)で、全体の門を普通の人は描くのに、どーんと一部を描いてしまうP1040191 構図。この大胆さは、浮世絵の異様に誇張された画面構図のようで、ある部分を見えないのに想像して描いたり、誇張して大首の美人画にしてしまう日本人の持つ特質に通じるようで、単に西洋の物まねとは違う独特のものを感じました。

三岸好太郎氏は、割と万人が見てああ、と思うけれど、菅野氏は個性が強くて好き嫌いが分かれるだろうが、前衛的な絵が認められる現代において劣らぬ斬新さをすでに当時持っていたことに感心します。

面を切り取るような、いわゆる切り絵的な描き方をすると私は思いました。

彼の画家デビューは、彼の出身の東京府立六中(今の新宿高等学校)で開催された個展からで、彼に多くの人が期待を寄せたことだろうが、晩年はお気の毒でした。

美術館では、谷内六郎氏の美術館もあり、可愛らしく、ユーモアがあって、時間があればいくらでも眺めていたいと思いました。

展示解説の中に、昔の週刊新潮の記事で、「砂漠の民は何もないから、想像豊かなアラビアン・ナイトのような話が生まれた。現代の物にあふれかえった時代のほうが心貧しく不幸だ」というような内容が書かれP1040199 てあったような気がします。

谷内氏の物の見方にもいちいち感心していました。

谷内さんの絵を拝見していたら、昔の子はよく屋外で遊んでいたなあと思います。

最近はゲームソフトの影響か、元気に外で子供が缶けりや石けりや縄跳びをする姿を見かけない。昔がいいことばかりではないが、何か大事なものを失っているような気もします。

絵を見て、美術館から船をずっと眺めて、食堂へ行きました。

ここは船をぼんやり眺めているのもいいなあと遠くへ眼をやっていました。

それにしても美術館の施設は立派で驚きました。

横須賀と言うと米軍基地と言うイメージを持ってしまうが、メルヘンチックでもあり、繊細な個性あふれる画家の絵画が拝見できて、また伺いたいと思う美術館です。

海は青く、空はもっと澄んで青く、私の心も童心に戻り、時空を超えて、精神世界も実際の世界も、宇宙も思案すると、大きな世界の中の小さな自分でも、なんだか愛しく思えてくるから不思議です。

船の好きな方には、のんびりできる素敵な場所です。

私は一時楽しく過ごすことができました。

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