小石川植物園へ先日行きました。
桃の花がどんな力があるのか、古事記から気になって、植物的に知りたいと思い、なにか無性に自然に触れたかったのです。
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ここに来るたびに、泉鏡花の『外科室』 を坂東玉三郎さんが映画の監督をなさっていて話題になり、わたしも映画を観賞しましたので、思いだします。
伯爵夫人と青年医師が出会う舞台がここで、いつも躑躅が咲くと行きたくなります。
あの映画は映像が綺麗で、なぜ結末がああなったか、わかるような気がします。
「俺はあの女と遊んだ」とか豪語する男性がいたりしますが、たいしたことはないのです。
黙って秘密にしている恋ほど中身は濃いのです。
この二人の恋はつながりがどれほどか(いわゆる肉体的なつながりとか、いうことではなく)わからなくても、真剣に想いやったのでしょう。
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好きな男性に執刀されて外科手術台に上がり、秘密を漏らしてはいけないからと言う理由で麻酔はかけなかったのですが、やはり好きだと言う強烈な思いが消えはしないし、ますます強く意識したのでしょう。
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藤の花が綺麗で小さいけれど、咲きほころび、椿も咲いていて、桜も咲きていました。
桜は、「晩都」という名前の種類でした。
薄いピンク色で、春の名残を感じさせます。
まさにいろいろな種類の花が咲き誇っていました。
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椿は、「光源氏」という名前の椿が咲き、へーと思いました。どうしてこういう名前がついたのか気になりました。また、形の様々な可憐な椿が奥のほうに咲いていて、散策も楽しいものでした。
躑躅だけなく、緑が背景にあると印象派の絵のように明るく、すがすがしい光を感じます。
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躑躅の花の開花は、まだ時期的に早かったのですが、旧東京医学館本館を背景に写真を撮影すると、なるほど絵になります。
鯉が池にたくさん集まって、パクパク口を開けていて驚きました。
「赤く燃え花も紅葉も春の日に明るく映えて見る心地なり」
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池のほうへ行くと躑躅が池の面に映り、華やかというより、静かな美を見せていました。
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やがて、柴田圭太記念館へ向かい、中で桜草の展示を拝見しました。
江戸時代には、野性というより、武士階級が盆栽のように育てていたらしく、様々な種類があるので、手のひらに乗る可愛らしい中に、武骨な男でも可憐で弱い弱しい花を愛でる習慣があっておもしろいし、またその桜草も見事でした。
名前もなかなかしゃれていて、凝ったものです。
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ここの受付で、ぼんやりしていた私は今の
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時期にハンカチの木の花が咲いているのを知り、慌てて園内の奥へ向かいました。
途中、大正天皇が命名なさった「ユリノキ」などもあり、山本周五郎の小説で有名な「樅の木」など非常に多くの大木がありました。
ハンカチの木は、遠目にはよく見えなくても、幸いなことにカメラのレンズをズームアップしてよく拝見しました。
別名「幽霊の木」とか「鳩の木」とか言われますし、ハンカチの木の花には花言葉はないそうです。
ハンカチの木は、まるで豪華客船が出港する時、人々が白いハンカチを振ってお別れをする時の様のように木に揺れていて、「また逢う日まで」という歌を思い出し、「いつまでも絶えることなく、友達でいよう。今日の日はさようなら。また逢う日まで」という見事な心のこもった姿で、まっすぐに空に向かってハンカチを振り続けているように、私には見えました。
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それは「再会を約束する」という意味で、幽霊とか言う前に自分は花言葉にしてみたいと勝手に思ったものです。
なお、この歌以外に思いだしのは、「神ともにいまして」という讃美歌であり、「また逢う日まで また逢う日までお別れ今日は みなさん、さようなら」と勝手に覚えていました。実は歌詞は微妙に違います。
小石川植物園は、何年も何年も来る人に「おいでなさい」「また来てくださいね」と花々が無言で咲いている優しい場所であると思いました。
花が目当てでくることもあるけれど、やはり背景の緑の美しさがなんとも言えず、花の持つ色合いを引き立たせます。
心が荒れそうな時は、やはり自然に触れるといいかも知れないと思いますが、通り過ぎたガイド付きのグループ方々には「木を見てわかるようにならないとね、駄目だ」という言葉を大きな声で言っていたガイドの方もいました。
あれって思い、わからないのでガイドが役立つわけで、教育にしてもそうですが、教師は子供がわからないと言うのを懸命に説明し、優しく教えてあげて繰り返す努力、そういう伝承が社員教育にも言えることですけれど、いつも最初から知っている人なぞいないのですから、根気よく大切なことを繰り返し説明する人の、教え方の問題もあるなあと思いました。
私は、グループでガイド付きで来る方も いていいと思いますが、ガイドの方の話し方でこの人はどういう人かわかるので、けして知らないことを侮るようなことのないガイドさんがやはりいいものです。
だいたいの方は、植物園の自然美に恍惚として来る方も多く、詳しいわけではありません。ただ、やはりもっと詳しくなったら、楽しみ方は倍増することでしょう。
藤を見られると思わなかったけれど拝見できて、ハンカチの木の花が見事に咲いていて、また逢う日までと植物園を去ってゆきました。