「秋の正倉院展と南山城のお寺めぐりと奈良の円成寺へ」
私は、長年の夢だった、奈良の正倉院展へ行きました。
奈良は亡き父が「昔の国際都市で美しい聡明な女性が大勢いたんだよ。」と「奈」という字を入れた名前を私に名付けてくれました。
父が大切にしていた、並河萬里さんのシルク―ロードの写真展を眺めていて、やはり正倉院展には行かないと後悔しそうでした。
昔、中学時代の修学旅行で奈良の大仏様を拝見して、こういう人と結婚したいと思ったのがきっかけで、今思うと不遜だったと思います。
学生時代にひとり、朝早い時間に伺うと、昔は僧侶が走るように朝のお勤めをしていらして、今と違って多くの侍者である仏像に囲まれた大仏様がいらしたような気がします。
奈良にはのんびりと吉城園を散策してから、ランチを奈良ホテルの三笠でいただきました。大きな振り子時計のそばでアインシュタインが弾いたというピアノを眺めて座っていて、あまり時間を気にしないで過ごしていました。振り子時計の時を告げる音色をしっかり耳にしてから帰ったくらいです。
レストランの窓からも、二階の踊り場からも、興福寺の五重塔がたいへんよく眺められて、樹木の枝に小鳥がさえずっていて、ゆったりとしていながら歴史的に重みのある貴重な時間を感じました。
正倉院展では聖武天皇ゆかりの遺品が多くあり、眺めながら正倉院の宝物はよく戦後も残ったものだと感心しましたが、どうやって守られたのか不思議でした。聖武天皇の僧衣、楽器、小刀、箱など細かい細工がたいへん見事でした。
鏡は素晴らしい宝石が散りばめられたもので、イランなどシルクロードを経て運ばれたものでできており、琵琶は楽器を奏でる楽人を描いた、紫檀に似せた色の琵琶で、背面はやはり螺鈿が見事に細工されていました。表面には「東大寺」という文字も拝見できました。
私は大工職人の孫なので、モノ作りが好きで、昔、小学校の工芸の先生から、のこぎりの扱いがいいとお褒めをいただいたことがあります。刺繡をしたり、絵具を扱って筆立てをこしらえたりもしたことがあり、今回出品された緑がかった水色に近い色合いの箱の色は、周りの同級生からその色の配合を教えてほしいと同じ色合いを真似されてしまった色合いと同じで、ちょっと嬉しく思いました。懐かしい色です。
小刀も飾ってあり、昔はこういうような小刀で鉛筆の芯を削ったものです。
説明を始めてたらきりがないくらいのものを数々拝見しましたが、最後の方で拝見した光明皇后のお経まで拝見したら、聖武天皇のお顔を想像できない(おそらく大仏様に似ていたらしいということを後に本を読んで知りました。)けれども、法華寺で昔拝見した仏像のことを思い出し、足を今まさに踏み出そうとした姿が光明皇后のお姿を写したそうで、光明皇后のお顔はあの方かと威圧を感じるような権威を感じて思い出しました。皇后の権威は後の藤原氏の繁栄につながっていくのがよくわかりました。古代の戸籍も残っているので、この時代に律令制度の完成をみたという歴史本の解説も納得できました。
聖武天皇の影が薄い印象があったけれども豪華な色を織り重ねた上に黄土色の糸を織り込んだ僧衣に、ああ、実在の人物だったと現実味を覚えました。東大寺のあの見事な琵琶を奏でたのは天皇ご自身だろうかと思いました。
翌日、家族とドライブをして、恭仁京の跡地を通りましたがが、海住山寺の眺めは壮観でした。
川と山のそばにあり、家族は洪水があって危ないのに、どうしてここに都をつくろうとしたのだろうと言うので、不勉強で答えられませんでした。おそらくここまでの間に都を移さないとならない戦禍とかあったのかなあと言ってしまいました。
聖武天皇は飢饉、洪水、疫病の流行など多くの課題があり、何度も遷都された記憶があり、仏教で国を鎮護しようとなさったと学びました。
毎年正倉院展を拝見したくても仕事や舅姑の介護もあってできなかったので、今回は念願がやっとかないました。
自分が自由になったらもっと仕事をして旅も自由にと思っていたのに、今回は自分が年を意識して生活を余儀なくされて、なかなか思い通りにならないと思いました。
翌日は京都と奈良の県境の南山城の寺院巡りをしました。
仏心熱い娘の伝説が残る国宝の仏像を拝見できる蟹萬寺を訪れて、その後、浄瑠璃寺へ向かいました。
南山城の九体阿弥陀仏像や吉祥天像で有名で、以前、今より若い頃に奈良在住の方が連れて行ってくださった場所で、家族にもお釈迦様のお導きの使者のような老紳士だったわと話して、その道をあの時の逆コースで回りました。
浄瑠璃寺は京都の寺であり、平安貴族が浄土を模した庭園で、藤原道長が昔造営した寺は今、残っていないものの、同じような九体阿弥陀仏像を今も残している唯一の寺です。今は一体が東京国立博物館で一般公開されていて、お留守になっています。
その後、岩船寺に伺い、まるまると大きなお身体の黄金の阿弥陀如来像を再び拝見しました。世の中が苦しい時こそ大きくなるのですと以前、教わりました。丹塗りの三重塔近くの梵鐘を鳴らして、感謝の意を表しました。
その後は以前行かなかった、国宝の五重塔のある海住山寺を拝見してから、忍辱山円成寺へ伺いました。庭園も本堂近くもモミジがもう赤く色づいていました。
イチゴノキの実も赤くなり、以前出会った老紳士が「一期一会」ですからと別れに述べておいでだったので、その樹木は「一期」と書くのではないかと思いました。孤独に打ちひしがれた時に私の魂を救ったのはその老紳士の言動であり、夫以外にその方にたいへん恩を感じました。日本人男性の節制ある、紳士的な、大きな責任感と見守る視線の優しさを感じました。
老紳士と言っても、あの時はまだ初老だったのかもしれません。家族がどうしてそう親切だったのかと尋ねるので、私がほんとうに仏教に関心があると感じて、秘仏の吉祥天像を是非見せてあげたいと思ってくださったのでしょうと答えました。昔は簡単にここまでひとりで行けなかったからと。あの時、お寺の方々も見送ってくださったのよと説明しました。
日本の秋は穏やかな西方浄土の色合いに染まる夕暮れのように静かで死をも美しく感じさせてくれます。浄土とはあの世だけではなく、この世にも垣間見られるのでした。
山を下りてからは、僧の忍性が再興した般若寺の美しいコスモスを再び目にして、祈りを捧げました。
行き場のない人々をここで救ったと伺っています。コスモスが揺れるたびに、父が好きだった花だったと思い出し、風に吹かれても倒れないこの花は「柔良く剛を制す」という言葉も想起します。
奈良は、『伊勢物語』に「昔人はいちはやき雅をなむしける」と作者が述べた「初冠」の春日の里もあり、あの時代で「昔」なら現代はいったいどうなのだろうと考えてしまいます。
高校時代に伊勢物語を全部読みなさいと古典の先生に言われて読んだのですが、たいへん興味深い作品で、今回の寺院巡りとは違った歴史的な側面も見受けられます。伊勢物語全部はさすがに記憶が最近はあいまいですが、今回の旅で聖武天皇をもっと知りたいと思うようになりました。
では、おやすみなさい。