みなりんの紀行文

写真とともに綴る、旅の思い出を中心としたエッセイ。
主に日本国内を旅して、自分なりに発見したことを書いています。

奥武蔵の竹寺(神仏習合寺)

2009年03月28日 23時34分24秒 | 旅行記

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時は春、奥武蔵(飯能)の竹寺に行く

ドライブ渋滞できつかったよ

へー、明治政府が廃仏毀釈できなかった東日本の唯一の場所らしい

牛頭天王様がいらして、薬師如来様もおいでになるなんてね

Img_0954  僕は運転するのが途中いやになったよ 

ほんとうに わがままな君は言Img_0956_3  い出すときかなくて行かされる羽目になった

丑年に吉縁を結ぶらしい

俳句寺と言われて、あちらこちらに句碑がある

寺には俳句の色紙が多く見受けられた。茅葺屋根をご覧よ

鄙びた雰囲気がいいなあ  ちょっとした画家になれそうだが

ハイキングコースで寄るにはいいとか誰かが言っていたなあImg_0958_2

Img_0960_2 瑠璃殿に飾ってあった絵画や書をみたかな

大勢の方がいらしているみたいだよ 来て良かったかな

蘇民将来の伝説が『備後風土記』にあって、ここのお守りになっているよ

Img_0961 Img_0959 柳田国男氏が言うことには、奈良朝時代からではなくて室町時代からの言い伝えらしいよ

詳しいことはよくわからないけれど

牛頭社と八王寺が合体したんだ

ほらご覧よ 竹で出来た鳥居があるでしょ

一句  竹寺の竹トンネルも春浅く (宮田重雄)

Img_0963 僕も一句 丑年に神仏拝む竹Img_0966 の寺

まっすぐ行けば稲荷神社

先に進んで左手に上がればまた牛頭神社の鳥居の茅の輪

君も一句詠み給へ

一句 輪をくぐり吉縁結ぶ春の寺

Img_0968 平成11年に焼失したが建て直

遠く見渡せば春霞かかり、麓Img_0969_2 はほんのり桜色

山が見えて気分が晴れてくるというもの

檀家もなく信者も途絶えがちなこの寺は万葉植物の精進料理でもっているらしい 

身体にはいいだろうが、あいにく時間がなくてね

Img_0976 正式名は医王山薬寿院八王寺

天安元年丑年、東国霊場として、山岳信仰の場になり、千年余り経ると言う         Img_0984_2

神仏習合している

君の好きな信仰のあり方だね 日本の昔の姿

一句  

神仏おわします日本寺

車買って良かったかなあ

ほんとんど君のためみたいだけれど

こんな山奥普通じゃ行けないよ ほんとうに車がないと行けない場所だったよ 僕はほんとうに辛抱強い男だな 自画自賛で終わりにしよう

 


早春の吉野梅郷

2009年03月16日 07時45分23秒 | 旅行記

今頃は、きっと晴れ間に美しく咲き誇っているだろうか。Img_0858_2

わたしどもが伺ったのは2月の下旬。そう、しかも曇天で小雨も降っていた

年を重ねた女性ふたりと、年下のわたくし。

同じように年輩の女性の集団とすれ違う。「清くつつましく美しく、わたしたちみたいね」

永遠の乙女たちは、そう呟いて、微笑みあっていた。高雅な梅に、きよらかさはとても大切。

Img_0863 Img_0855  美というのは、宝石のように煌めく眩しい若さ以外にも宿る。

それは、晴れ間の匂い誇る満開の花の下ではなく、咲き初めた花びらの恥じるかのような風情や、散り行く間際の花のもののあはれにも通じる。

年輪を重ねて、成熟した内面の輝きを静かに抱く。

それはけして、華やかな薔薇ではなく、非常に慎ましいものである。

Img_0860 奈良時代、梅は白いものを詠じていた。「雪の色を奪ひて咲ける」と。

紅梅が日本の文献に現れるのは、平安時代に入ってから。

「梅花は照れる星に似たり。」と菅公は述べている。

古典中国では、梅を「氷雪」「氷玉」と形容する。「「艶をひめながら冷えた美しさ」と形容するのであろう。

瑞々しい美しさを持ちながら、現世の俗臭を抜けきったすがさがしさ、妖艶豊麗に根ざししながら、生々しい肉体の温かみを離れた柔らかさをイメージすると、白梅ほど適切なものはないと、小西甚一氏は『文学語文』(昭和33年12月)で述べている。

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紅梅は、「春風に媚びるのを恥ず」のである。

この吉野梅郷は、まるでこの日、遠くの山々が薄墨の水墨画のような景色で、仙境に佇む気分になる。

冷えた清らかさは仏の世界に通じるらしい。Img_0886 梅は仙界的な美である。

以前お話をしたような気になり、重複するかも知れないが、禅宗の道元無上の悟りは「雪中の一枝の梅花」であったと言う。

これから、だんだん温かくなり、春爛漫になろうが、この寒さに先駆けて咲く花の心を秘めておこう。

          


クイーンメリー2日本初入港~横浜

2009年03月07日 08時13分58秒 | 船の写真

3月6日、開港150年にあわせて横浜市が誘致した。Img_0907
フランスのアトランティーク造船所が受注を受けた豪華客船である。

全長345mという船体は2003年の建造当時、客船としては史上最大を誇っていたが、今では世界第三位くらいになると思う。(年内に、22万トンの巨大豪華客船が造船される予定である)
クイーンメリー2は、全長345m、全幅39.9m、総トン数151,000トンで、過去日本に寄港した客船の中で最大となる。

乗客定員2620人。海面からの高さが62メートル。ベイブリッジをくぐり抜けられないため、大型客船としては初めて貨物船用の大黒ふ頭(横浜市鶴見区)に接岸した。
シドニーを出て、6日午前7時に横浜港に着き、午後5時に香港に向け出港した。

Img_0918_2 船籍はイギリスで、よくこういう船を持てると思って、イギリスは凄いなあと感心した。 

クイーン・メリー2の接頭辞RMSは元々Royal Mail Steamer(英国郵便汽船)の略であったが、先代クイーン・メリーとは異なり、ディーゼルエンジンとImg_0931 ガスタービンを併用するCODAGを採用した2号ではRoyal Mail Shipの略称とされるそうである。

  以前は、2004年1月12日、テロリストに対する厳戒態勢の下、2,620名の乗客を乗せたクイーン・メリー2はイギリスのサウザンプトン(タイタニック号が出航したことで有名で、昔は非常に名高い港、現在はイギリスの港として中心ではなくなったと思う)を出港し、アメリカ合衆国フロリダを目的地とする処女航海を行った。

 今回はフロリダを出港し、中南米、ハワイ、オセアニアと旅を続け、横浜港に立ち寄った。夕方には香港に向けて出港した。今回の旅は92日間。今後、東南アジア、エジプト、ヨーロッパを回り、4月中旬、最終目的地のニューヨークに帰港する。

  大黒埠頭T-1・T-2岩壁に停泊した。この大黒埠頭T-1・T-2Img_0916 岩壁は普段は一般の立ち入りが禁止されているが、同船が入港している時間に限り立ち入り制限が緩和され、桜木町行きのバスを待っていると、最後は観光バスが無料シャトルとして運航されて、便利・快適だった。

 船上から、数人の外国人乗客が出航の際に、日本語で「ありがとう」とこちら(見学客)へ呼びかけていたのが印象的だった。
天候は嵐ではないが、最悪で、横殴りの雨風の中、そう思ったより、多くない人出だったが、船舶の見える最前列へ近づImg_0926 けず、人の傘越しから見ることになった。

 下手でも、撮影を繰り返すが、雨と暗さの関係でシャッタースピードが遅くなって、ピンぼけになることがあった。
 Img_0920 足下は、雨水に濡れて、びしょびしょになり、寒さで帰りはぐったりしたが、帰宅してお風呂に入り、少し一心地ついた。

 晴れていたら、さぞ綺麗だったことだろう。
 乗客のみなさんもきっと残念だったに違いないが、自然には逆らえない。

 なぜ、こうも人は港や船に憧れを持つのだろう。自問自答してみた。

 「私の愛は海のように果てしがない。与えれば与えるほど豊かになるばかり。海も愛も無限だからです。」シェークスピア

 遠く去ってゆく船体を眺めようと、夕方に到着したわたしが見送った船体。船旅をするには、語学も必要だろう。動く国際社交場でもある。海のかなたに走り去って行った。

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