みなりんの紀行文

写真とともに綴る、旅の思い出を中心としたエッセイ。
主に日本国内を旅して、自分なりに発見したことを書いています。

都会のオアシス~日比谷公園の紅葉

2008年12月27日 08時26分58秒 | まち歩き

2008年、12月、今年の美術館のベスト10に是非入Img_0598 れてくださいと、出光美術館からお誘いのメールお便りが入り、日比谷公園の紅葉が綺麗だと言うので、出かけてみました。

ほんとうは、もっと早くアップしたかったのですが、時間がありませんでした。四季折々美しい場所で、特に紅葉は混んでいないで良かった・・・・。

出光美術館では「東西交流~伊万里焼」という題名の展覧会が開催されていたと思います。

「鏡が池」という付近はドイツ風庭園様式で、日本の公園では第三番目の古さを誇る「鶴の噴水」があり、そこの紅葉が綺麗でした。

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混んでごったがえしていた後楽園などより、空いていて、穴場スポットでした。来年は、みなさんお出かけしてみてくださいね。

紅葉は、あっという間に色合いが変わってくるので、つImg_0600 い三日前に行った時より、すでに色合いが違っていました。赤がもう少し綺麗だったけれど。

鏡が池と言われるように、紅葉が池面に映えて、非常に美しい景色でした。

携帯電話で写真撮影した人も多く、それでも混んでいるというほどではありませんでした。

歴史を感じさせる噴水と、華やかな紅葉が目の保養になり、知らせていただいた出光さんに感謝しないといけませんね。

今年は、ルオーの展覧会を鑑賞していた時、明治生まれの祖母が亡くなったり、いろいろ出光美術館には想い出があります。

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春は桜が綺麗だけれど、秋は額田王が昔歌に詠ったように、かえでの紅葉を手に採って見ることができる上、わたしは10月生まれなので、なんだかImg_0608 嬉しい気持ちでした。ただし、この撮影は12月初旬のものです。

わたしの好きな東儀秀樹さん、金城武さんも10月生まれで、誕生日が近く、なんだか偶然でも嬉しいです。

出光美術館の想い出は、「伊勢物語」などなど、いろいろ展示テーマが豊富で良かったと思います。皇居が休憩室から拝見できるのも魅力のひとつで、お茶の無料サービスがあります。

わたしが昔から好きだった高校時代知り合ったの男性と初デートしたのは、日比谷公会堂でした。そこで、篠笛のコンサートをしていたのです。自分がちょっと習っていたので、懐かしいです。その男性とは、七年間以上会うことはなかったのですが、お年賀状と旅からの絵はがきを送り続けて、ついに再会しました。みなさまも年賀状出してはいかがでしょうか。

Img_0607 年賀状って、誰にでも出しても当惑されないし、長続きするものです。

縁はどうつながるかわかりません。気になる方には勇気を持って出してもいいかも知れません。

今年は、国立新美術館へ行く機会が多かったけれど、出光美術館まで新宿駅から歩いて行き、また帰ってみました。(徒歩で)

案外歩けるものです。皇居まで歩いて行けますよ。都内なら大丈夫。ここまで歩いたら、非常事態に助かりそうな気がします。

わたしは東京メトロのウォーキングによく参加します。結構楽しく歩けます。みなささんと一緒に歩くと連帯意識が生まれます。

今年ももう押し詰まり、正月準備をしなくてはなりません。出雲と松江旅行記の続きは来年以降、もし読んでいただいているなら、ご期待に添えるように書きたいと思います。

どうぞ、良いお年をお迎えくださいませ。


特集 メリー・クリスマス!

2008年12月24日 00時38分52秒 | アート・文化

2008年メリー・クリマス!

わたしは、大好きな東儀秀樹さんがプロデュースしたクリスマス・イルミネーションを鑑賞に行きました。ひとりでクリスマスを過ごす方や、仕事で忙しくてご覧になれない方のために写真撮影しました。

きっといいことありますように、少し元気出して行きましょう。お祈りしました。

場所は汐留。東儀秀樹さんの曲「ブルー・オーシャン」の音楽とともに、綺麗に光輝く世界 。

Img_0721_2 最初は、静寂の中、静かに灯Img_0679 るツリー。

色はだんだん音楽とともに七変化。

音楽が流れていない間、ツリーの正面では、鐘を鳴らす仕組みになっていて、鳴らして見たいと人が行列になっています。鳴らすと、東儀さんからのメッセージがわかるそうです。

東儀秀樹さんの曲が流れ出すと、色がどんどん変わり、やがて光の波が高潮のように飛沫をあげます。

 初めの回は、多くの人がツリーへ殺到し、ちょっと見えにくい感じでした。しかし、みなさん、「綺麗ねえ」と感嘆しきり・・・。

 篳篥の音が響き、青い発光ダイオードが点滅します。あいにくの雨でしたが、みなさんの表情は柔らかく、心が和みます。

今、恋人がいなくても、ひとりで大勢の人が眺めていましたよ!

24、25日は恋人たちが大勢殺到するでしょうか。でも、年輩の方々も多く、家族連れやひとりの人(私も)いないわけではありません。誰でも、無料で拝見できます。

Img_0727   Img_0729

青い波に、赤い暖かな色味が加わると、なんだか心にも火が灯ります。

音楽が最高潮に達すると、波が高く畝って踊るように、海のようになります。「わー」という歓声が挙がりました。

Img_0684  ツリーへ恋人同士で鐘を鳴らす人、鳴らした後で語り合う人たち・・・。ロマンティックな感じです。

今、ひとりの貴方にも、もしかしたら来年はいいことがあるかも知れないのですから、そういう気持ちでゆったり音楽と光の世界を堪能し、来年の自分を思い描いてみましょう。

 年を重ねた方々にも夢と希望を与えてくれます。いいもの、長生きしていると見られてラッキーね!っと。

 わたしが孤独に思って淋しかった時、東儀秀樹さんの曲を聴くと優しい気持ちになれました。今は、友人もいて、家族とも仲良く過ごす時間があります。

 クリスマスは、神様に感謝し、「神様がわたしたちとともにいらっしゃる」という言葉を思い出す日です。わたしはキリスト教について知識が浅いけれど、殺伐とした世の中だからこそ、大事にしたいですね、この言葉・・・。人間はひとりぼっちでは生きていけない、だから周りの人、傍にいてくれる人を大事にし、イエス様のように人の痛みを思いやることから、世界に思いやりの輪を広げていきたいと思いました。

Img_0723_7 見てください、誰も映っていないツリー、綺麗だけれど、ここに人影が全くないと、やはりどこか淋しい感じがするでしょう?

人の「ぬくもり」って大事ですよね。そういうわたしも時々忘れてしまうんです。でも、周囲の人や家族がそれに気づかせてくれます。ありがたいことです。

東儀秀樹さんの曲が静かに終わると、光も点滅して行きます。

「清し、この夜、星は光り、救いの御子は・・・・・」

星に導かれて、異邦人の中にイエス様はご誕生になりました。異教徒の人にもほんとうに優しい方です。宗派を越えて、来年こそ平和でみんなが生きていて良かったと思えるように、いい意味で世界が「変化」しますようにお祈りします。

ついでに、恵比寿ガーデンプレイスのバカラの世界最大級のシャンデリアのあるイルミネーションをご紹介しましょう。                  

Img_0769 ちょっとシャンデリアの色が明るくて、ぼけてしまって残念ですが、遠くにツリーが見えています。

これは、日本の再生利用の技術も応用して作製されたものらしいです。

ここも鑑賞は無料です。わたしもその美しさを堪能できました。

自分が辛いとき、ほかの人も実はみんな心に重荷を負っていることを忘れずにいたいです。

最後に、みなさんが素敵なイブを過ごし、クリスマスを心穏やかに過ごせるように、今日の夜の夢くらいはいいものを見られますように、写真を披露します。

Img_0782_2  おやすみなさい。どうぞ良い夢をご覧くださいね。

 


2002年出雲と松江旅行記パート6

2008年12月01日 19時48分35秒 | 旅行記

(*ずっと下の語彙に訂正箇所ありOptio430_02032830_079) わたしは、それから名茶室「独楽庵」見たさに、もう必死の思いで夕暮れ時に近くなって来たのに出雲文化伝承館に向かいました。

バス以外、タクシーを駆使したかも知れません。なぜか電車の本数が少なくて、開館時間に間に合わないと思ったからです。ほんとうに出雲は電車の本数も路線バスも少ないです。

走っているのはマイカーばかりです。観光バスの女性ガイドさんが、これだけ凄い道路を造りながらも車は実際そう使用していない道路があり、誰だったか地位のある方が阻止なさっていたのだということらしいのですが、県民の立場で政治・行政を行ってほしいと叫んでいました。

田圃が延々と続き、低い山々が見えて、ああ、平地で豊かな感じがすると思っていましたが、農家の方々の新しい家には畳のない建て売りが多く、ガレージに畳を置く家があるそうで、年輩のお年寄りの方々には洋室設計の家は酷な話だということまでなさっていました。

わたしは東京の人で、そう言われても困ってしまいましたが、しっかりした政治家が県民のほんとうの心を掴むことが大事で、行政に声が届くといいなあと思いました。

出雲文化伝承館は、出雲地方の大庄屋、江角氏のOptio430_02032830_077 家を移築再生した郷土博物館です。豪壮な主屋、築地松を西と北に巡らした枯山水の回遊式庭園、茶室などがあります。

閉館間際に駆け込んで、そそくさ見て廻り、残念ながら寄屋建築の松籟亭にはもう入室できませんでした。お庭には、綺麗に桜が咲いていました。

椿の木も植樹されていました。桜と椿が一緒にあるような不思議な光景でした。ちょっとわかりにくいかも知れませんが、

Optio430_02032830_078 左の写真がその映像です。立て看板に大事なことが記載されてあったのですが、申し訳ないものの、わたしの記憶が飛んでしまって、何が記載されてあったかもうわかりません。

ただ、桜に関連してではないでしょうが、主屋に行きますと、なんと意外なことに、大正天皇の御遺品が陳列されていました。

主屋は、土間部分の大国柱と重厚で豪快な梁組があり、わたしは昔の祖父の家で眺めた木造建築の大黒柱を思いだして懐かしくなりました。Optio430_02032830_076

昔は一家の主を「大国柱」と呼ぶ風習が日本にはありました。もうキャリアウーマンのいる時代に、「お父さんは一家の大国柱だからね」と言っても子どもが納得するかわかりませんが、祖母がそう言っていたのを思い出しました。懐かしくて、思わず、手で触ってみたくなりました。

そして、更に土間に漆の食器セットがあり、昔は漆を使用したから、今のように洗剤を使って水に浸からせて、水でごしごし洗ったりせず、綺麗にお湯を使用して食器をふき取っていき、箸も最後は布で拭き取って、毎回使用していた話などを思い出しました。

Optio430_02032830_075 わたしの世代で、もう教科書には記載されていないかも知れないのですが、昔の国語の教科書には柳田国男の話などが記載されていたり、こういう類の話は本でまれに聞きかじった経験があります。

埼玉県立歴史博物館で知ったことですが、なんと、漆は縄文時代からもう使用されていたらしいです。なぜ?どうやって?と思いましたが、よくわかりませんでした。

左の写真を拝見なさると、(訂正)「懸盤」(箱形の小さなお膳のような台)に並んだ食器類が見えますね。

ああ、昔はやっぱりこうだったんだと確認し、そう言えば、自分がすごく小さい頃、祖父の家で、こういうもの(江戸時代の庶民くらいは箱膳と言いました。)を使用していたのを眺めた記憶があります。

ここでは、書院造り客座敷もあり、非常に華麗にでした。描かれた絵も相当な人が描いたのOptio430_02032830_070_2

でしょう。時間がそうなくて、ゆっくり観察できず、残念でなりません。

さらにその奥へ足を延ばすと、あれ!大正天皇の御遺品の数々が陳列されていて、度肝を抜かれました。

銀製のボンボニエールの箱のようなもの、香呂でしょうか、ともかく数々の品があります。

Optio430_02032830_072  右の奥に立派な椅子があるのが、大正天皇の御召机です。

大正天皇はお身体が弱いほうでいらっしゃたため、心配なされた昭憲皇太后が出雲大社に祈願をなさったらしいようですが、遠いので埼玉県の大宮の氷川神社へはよくお出ましになったようです。

どうして、ここに大正天皇の御遺品が飾ってあるのか、わたしにはわかりませんが、大正天皇は気さくなお人柄で全国を廻り、その時に巡回なさった場所に染井吉野の桜の木が沿道などにどんどん植樹されたらしいことは本を読んで知りました。

こちらの出雲大社にも縁が深いので、こうしてあったのでしょう。

山県有朋が亡くなり、後見人がいなくなって、ご苦労なさったのだとか、いろいろ説がありますが、大正天皇は夭折なさいます。

出雲文化伝承館の郷土館のほうで、いろいろな品を足早に拝見したのですが、ちょうど愛子様がお生まれになった頃か、雅子様のお写真も飾ってあったりして、ふと、私個人は今、高円宮殿下がご存命だったら、皇太子ご夫妻もいろいろな相談事ができる方がいたのではないかなあと、勝手に想像してしまいました。ごめんなさい。

わたしは、ある意味で神聖で顔を拝見したら死んでしまうと言われた明治天皇より、庶民にも語りかけたという人間らしい方でいらした大正天皇の御生涯をお気の毒に思い、大正浪漫という時代があったなあと淋しくなりました。

わたしのようなものが皇室を語るのも不届きかもかも知れないので、これくらいにしましょう。

郷土館には、昔の貴族の食卓が並べてあり、海の幸にあふれてあわびなどもあり、蘇というチーズのようなものもあり、栄養や味わいが深くて、自分よりずっっといい物を食べていたんだなあと思いました。

以前、家族が出雲へ行き、眺めていて、平地で海と山の幸に恵まれていて、狭い所ながら豊かな土地だったんじゃないかと述べていました。ほかの土地に行かずとも、古代は暮らしやすかっただろうなあと呟いていました。

さて、お目当ての独楽庵です。わたしはお茶に疎いのに、なぜかその頃、非常な関心を持っていました。工芸品が好きなせいかも知れません。

大名茶人として知られる松江藩主松平治郷(不昧公)Optio430_02032830_084_2 によって大切に伝えられて来ました。茶の湯の大成者の千利休が長柄の橋杭を得て建てた歴史的ある茶室で、これは復元されたものです。

露地庭には三関三露と称される導入部を配したもので、不昧公の茶の湯に対する美意識が反映されているそうです。

大名好みの茶苑としては全国希有のものと言われています。

わたしがうまく説明できないので、拝見していただくことしかできないのですが、素人でも鑑賞してふーんと思うような工夫が施されていて、素晴らしいものなのでしょう。     

Optio430_02032830_085_2  Optio430_02032830_086_3 大名というと、牡丹が好きで豪快で、立派な物、華麗なものが好きで、こういう侘びた感じのもので、割と簡素(でも手の込んだ、実は計算されている)ものをお好みとは普通感じないかも知れません。

しかし、茶室は静かな佇まいを見せていました。

お庭には南天の木があり、赤い実が可愛らしく小糠雨に揺れていました。

もし、夢で悪い夢を見るようなことがあったら、南天の木にそのことを話すと、正夢ではなくなると、ハーン(小泉八雲)は本で述べていて、おもしろいなあと思いました。迷信かも知れないけれど、安心できそうです。

わたしは、松平不昧公は、政治的な辣腕を振るい、Optio430_02032830_090 藩の経済を立て直したものの、当時の庶民には評判が悪かったようで、経済が潤って、茶器などを求めるようになり、後に藩も繁栄して初めて高く評価されたようです。

痛みをあまり伴う改革は困りますが、日本経済が混乱している今、こういう辣腕家の政治家が出てこないと困るかも知れませんね。わたしには難しいお話ですが・・・・。

さてはて、ここまで見学して、時間切れになり、実はこの日、伝承館の館長さんが退官なさる日で、みなさんがお花を持って、お見送りなさっていました。

「わたしもいいものを拝見させていただきました。」

そう心で述べながら・・・・・。

そして、松江のほうへ戻ろうとすると、職員の方が交通が不便でお出でになるお客さんも少なくなり困っています、わざわざ来てくださってありがとうございます、とお述べになって、ご自分のマイカーで、駅まで送ってくださいました。

今後も多くの方々がお見えになるといいなあと思い、その方のご厚意をありがたく受けました。

続く