とある日、晴れ上がった空を眺めて急に思い立って湘南新宿ラインに飛び乗る。
行き先は鎌倉の長谷寺へ。昔、学生時代に友人たちと一緒に眺めた海が忘れられなくて、今日は海を眺めたい上、懐かしいので一目散に伺う。
途中、チケット売り場で長谷の大仏が見たいと来た人がいて、違うとわかって急に帰ってしまった。オバマ大統領の影響かしらと、ちょっと苦笑いした。
長谷寺は昔から金色の長谷観音で有名で、小高いところから眺める海は最高にいい。
園内は非常に綺麗に掃除されて、花々を眺めてもいいし、お地蔵様は子どもを守るので水子供養のお地蔵様もいらっしゃり、水辺の近くには弁財天もおいでになる。
園内入ってすぐに、水芙蓉が咲いていて、水に豊かな日本の自然を感じる。
遠足の小学生たちは大仏見学の子たちと、長谷観音の見物の子どもたちとに、別々行動をとっていた。
鎌倉ペンクラブの初代会長だった久米正雄 のことはよく知らないが、ノーベル文学賞をとった川端康成の小説「千羽鶴」とかに鎌倉が舞台になった小説があったような・・・・と思う。鎌倉文士と言うと、小林秀雄がそうだったなと思いだす。以前は荻窪に住んでいたような気するが、晩年は鎌倉だったと思う。
小林秀雄の晩年は穏やかイメージがある。妹の高見澤潤子さんが兄はどういう態度でもいつも母親から慕われていた、自分は損をしているような気がすると述べていた(著作で)が、小林秀雄さんは真正面から物事を捉えて、真剣に光る刃のような感性を持っていて、怖いくらいであるが、その小林秀雄が尊敬していた白洲正子の夫、白洲次郎は友人みなから一目置かれていた事実を思うと、もっと凄い気がする。
しかし、奥さんの正子さんの筆にかかると、次郎さんの弱さもよくご存じだったらしく、今度生まれて来たら、一緒にならないかもと述べておいでだった。今思うと、政治の世界って、自分ごときには魑魅魍魎の世界に感じるから、お二人ともたいへんだったに違いない。
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弁財天の祠はずっと奥まで通じていて暗くて長く、童子が中に祭ってあるのだが、自分は特に願い事はしなかった。
赤い鳥居を潜ると、そこはもう異界である。天に通じると言っていい。出るまで余計なことは思案しないようにした。
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そこは、真言宗の忍性ゆかりの寺で、昔は鎌倉の執権北条家の尊崇を集めて、奈良の西大寺の東の拠点と言うべきか。たいへんな勢力をもっていて、社会福祉事業に力を注いだ。
寺の本堂の近くには、悲田院・施薬院と いった福祉施設に続くハンセン病患者のための施設があって、仏の慈悲が注がれていた過去がある。日蓮や親鸞などの名前の蔭に薄くなっている現在、ここの忍性は叡尊の高弟として、お二人とも元の襲来を受けていた時、祈祷を捧げたりもなさったし、軍事の要衝に関わる大事な橋の建設などにも関わっていて、今は知られないものの時代の功績者であった。
本堂の横にあるのは、そういう施設で使った薬鉢であったそうだ。
真言宗だから、弘法大師空海を祭ってもいる。
このお寺には、綺麗な花々が春のには咲き乱れるが、今の季節はちょっと淋しい。静かな時が流れて、ひっそりと伺うほうが本来ふさわしいかも知れない。
ここから、稲村ケ崎までまたしばらく歩く。
江ノ電が行くレール。
波にうまく乗った人もいて、飛沫が断崖に散るのを見ると、遠くで見る以上に沖の波は案外荒いようである。
稲村ケ崎から海を眺めて、江の島を眺める。
遭難者の碑があって、海に向かって、気をつけて!と彫像が手を振るようである。
トンビが大きく円を描いて空を横切り、海は果てしなく空へと続くが、今日は薄曇で水平線に富士山は見えなかった。
うつ病患者が昨今多いようだが、予防策として、朝早く起きて朝日を浴びることがたいへん身体にいいらしい。海を眺めて、ゆったりするのもきっと神経を休めるに違いないと思う。
時間が正確に体内時計で感じられることは大切である。朝決まった時刻に起きて寝る習慣を身につけるのは体調を整えるのにいい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・人間にとって、一番むごい刑罰は寝られなくすることであると本で読んだことがある。刑事が被告人に自白を強要する時に眠るのを妨げるのは、もっとも過酷な仕打ちだと思ったことが過去の例で感じたことがある。
波の寄せては引く音を脳にリズムとして取り入れられれば、眠るような憩いのリズムを耳にすることが出来るに違いない。
最後、稲村ケ崎から江ノ電に乗ると、小学校の先生が子どもの鎌倉のお土産の袋に名前を書いてあげていた。
若い結婚指輪をしっかりつけている男性教諭を横に眺めて、いいお父さんになるだろうなと思ってほほえましく思う一方で、自分がもう現役の仕事を次世代に譲らなくてはならないような年代になったのだろうかと言う一抹の寂しさをこの時感じた。
ただ、子どもたちの目が疲れているのか妙に暗いので、自分には理由はわからなかったが気になった。男の子はあれこれ先生に話しかけて元気が良かったものの、女の子はただ黙っておとなしくしているだけだった。
どうしても先生は騒がしくなる子に気が取られてしまう。大人しい子はただいい子になって我慢してしまう。ちょっと気になったが、途中で下車してしまった。
晴れ晴れとした鎌倉の海は少し靄がかかっていたが、子どもの心理はこの天気のように複雑なものなのかもしれない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・長谷寺、極楽寺、ここを巡って、弱者を切り捨てるような社会になってほしくないし、助けるような人物が日本にもいたのだと思いながら、今の自分は目の前のことしかできていないし、これからも社会の役に立つのか気がかりであった。
しかし、人生はきっと転機があると思う。 その運命の波に乗れるかどうか、海へ飛び込む勇気も必要だ。決断と仕事への情熱の継続・・・・目標への努力。自分が助けられたことがあるのだから、その恩返しがしたいと願った時、その恩人は「余裕があれば、困った人の突然の求めに応じて話を黙って聞いてあげてください」と述べた。その言葉が脳をよぎった。
日本にマザー・テレサの心は生きていると思う。仏教界にも観音みたいな人はいないわけではない。極楽寺に行き、ふとそう思った。団体さんが極楽寺を見向きもしないで通り過ぎて行った時、ふと自分はこういう寺に知らずに来た時でも気が付けるようでありたいと願った。
江ノ島は恋の島?いや、人を慮ることができることが恋への早道なのだと思う。愛することができない人はほんとうに愛してくれる人を知らずに過ぎてしまうかもしれない。
ゆったりした時間を海を眺めて二人、何もなくても黙っていても身近に幸福を感じられるような人が傍にいればいいと思える散策であった。
今度は誰かと一緒に行きたい。
長谷寺に庭園がありましたでしょうか?
記憶を手繰っても思い出せないのですが。
最後の一行「今度は誰かと一緒に・・」は、
とても余韻がある締めくくりで・・・
あと、階段を上って、小高いほうは境内です。
今日もコメントありがとうございました。みなりん拝