みなりんの紀行文

写真とともに綴る、旅の思い出を中心としたエッセイ。
主に日本国内を旅して、自分なりに発見したことを書いています。

根津記念館見学

2013年07月16日 22時59分45秒 | 旅行記

先日、山梨県山梨市正徳寺にある、根津記念館を訪問しました。

東武鉄道の発展に寄与した、根津嘉一郎(初代)の保存された生家があります。そこに、失われていた、迎賓館である青山荘と茶室を、設計図をもとに平成20年に新たに復元し、記念館として開館しました。

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甲州財閥と言われて、多くの実業家を輩出した山梨県ですが、特に鉄道の発展に寄与したようです。

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根津嘉一郎は、鉄道事業に大きな功績を残したことでも有名です。

先輩の雨宮敬次郎も「鉄道王」」の異名を持っています。

最初、根津嘉一郎は株の投機で財をなしますが、雨宮敬次郎から「投機だけではなく、事業に寄与すべき」という言葉を受けて、多くの企業の役員を務めます。

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若尾逸平という甲州出身の先輩に、「株を買うなら、『のりもの』と『あかり』だ」と助言され、今の鉄道株や電力株を買います。

しかし、一方で、「ボロ買いの嘉一郎」と言われて、経営の危ない会社の株を多く買い、自ら会社の再建に寄与します。その数は半端ではありません。

多くの会社の重役になり、会社の無駄を徹底して削減し、節約に努めます。

そして、株主への配当を多く捻出しました。

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022富士見の間

ここから庭を眺めると、大磯にあって移植した黒松がよく見えます。

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根津嘉一郎は、青山の根津美術館で展示されているお茶道具に示されるように、茶道具や美術品の蒐集家でもあります。

茶道では、多くの経済界の人と交流を持ちました。

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029四畳半のお茶室から眺めた庭園。

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根津嘉一郎は、号を青山と言います。

ここの蔵には、親交のあった伊藤博文からもらった額が飾られてあり、そこには、「琴書を友と為す」と言う言葉が書かれてありました。

私の勝手な想像ですが、根津美術館のある青山という地名から号をとったと言うより、謡曲に、天皇から下賜された有名な話で「青山の琵琶」というものがあって、その青山から取ったというほうがいいのにと思いましたが、恐れ多くて言わないだけだろうかと思いました。

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033中庭から見た、古い二階建ての母屋の家屋。

こちらには、大きな蔵があり、蔵には嘉一郎のシルクハットが置いてありました。

イギリス製のものでしょうか。帽子には横文字の刺繍が見事にありました。

家族の集合写真もあり、みなさん、顔立ちが似ていて、きりっとした顔つきでした。

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039国の登録文化財。

嘉一郎は、再建した会社のほかの重役のほとんどから、「根津嘉一郎は仕事ぶりは粗削りな男と評価されることが多いが、実は小心かつ大胆で、仕上げは繊細だった」と言われています。

日本の名門、旧制武蔵高等学校(現在の武蔵大学・武蔵高等学校)の創立者でもあったらしく、知らなかった自分が恥ずかしく思いました。

教育にも心を砕いた一面もあり、嘉一郎が成功する人間として重視したのは「学問でも出自でも人徳でもなく、『努力』である」と言われています。

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嘉一郎は、「誠意努力」と言う言葉が好きだったようで、わたしはこれだけの人でもこういうのだから、自分はやはり度量が小さいのは努力が足りないのだと自覚しました。

また、「人に世話になっては一生頭が上がらない。人の世話にならないことだ」という祖父の言葉から志を受け継いで、「人の世話になるべくならず、自分が世話をする立場になるように心掛けた」と述べています。

「人に頼るな、頼れる人になれ」と徳川家康に教えたという家康の母の言葉を思い出しました。

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母屋の玄関を上がったところ。

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061根津嘉一郎が愛用していた椅子と机。二階の間。

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054二階から庭を拝見。

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050一階の昭和初期の和風建築の間。

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071母屋の玄関。

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こういう古い建築には、昔は五右衛門風呂がありました。

わたしの祖父母の家でも、五右衛門風呂があって、風呂のふたを落として、踏んで入浴しました。

そして、外には薪をくべる場所があったはずなので、こちらの屋敷のボイラーを撮影して来ました。周りに火に強い煉瓦が組んであって、なるほどと思いました。

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ずいぶん、立派なので、感心しました。当時の最新の技術を家屋に使ったのでしょう。

こういうのを見ると、イタリアの古い家を想起します。外見は古風、家屋の配線などの技術は最新の外国のもの。

「和魂洋才」という言葉のようです。

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嘉一郎は、「国家に裨益することを第一義とする」と述べていました。

企業は、会社を興隆させて社員を養い、そして国家にも貢献することを使命とするということです。

最近、教育基本法が改正されて、「愛国心」が文章に盛られましたが、たとえ言葉になくても、昔の人は常に外国と接して国の将来を念頭に置いていたことが偲ばれます。

嘉一郎も、雨宮敬次郎(孫子を重視)も、中国の漢文を頭に入れていました。愛国心の素養とは、漢文にあったようです。学校の国語教育から漢文が軽視されて、いいのか、私個人は危ぶんでいます。

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081旧根津橋石柱。

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自分が知らなかったことを、ここを訪れて、いろいろ勉強にする機会になりました。

根津家は、その後、当初少ない株しか持っていなっかった東武鉄道の経営に力を注ぎ、今ではその経営を第一として名前を全国に知られています。

日本の電気事業も、この根津嘉一郎がいなくては、なかなか進まなかったと言われていますし、鉄道事業には資金面で援助した大隈重信の貢献も大きかったと本で知りました。

また、渋沢栄一が鉄道事業に人脈面でも尽力したことを知り、書物を読むだけではなく、人と実際話して交渉する力も大事なのだと感じました。

まだ、知らないことがたくさんありますが、これでとりあえず、終えます。

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1 コメント

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根津嘉一郎が(成功する人間として重視したのは「... (hide-san)
2013-07-17 17:28:46
根津嘉一郎が(成功する人間として重視したのは「努力」)、
と言ったそうですが、一流になった人は誰もが努力と言います。
ボクの記憶では、アインシュタインの言葉、
「Inspiration is perspiration」と言ったことです。

ひらめきはある時パッと出てくるものでなく、不断の努力の結果として出てくるもの。
(ひらめきは汗をかいて出てくる)、
spirationをひっかけて駄洒落のように言った。
つまり努力に努力を積み重ねて、相対性理論が出来たと言いたかったと思います。
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