みなりんの紀行文

写真とともに綴る、旅の思い出を中心としたエッセイ。
主に日本国内を旅して、自分なりに発見したことを書いています。

東郷寺と多磨霊園の桜

2009年04月04日 00時47分14秒 | まち歩き

Dsc01090 東京で桜が満開になったとニュースで知り、更に以前母から京王線沿線の多磨霊園に駅から近い、東郷寺の桜が綺麗らしいわと聞いていたので、天気の良い日に伺いました。

わたしが母と花見をするのは珍しいことです。東郷平八郎氏の別荘後に、東郷氏を偲び、建立されたそうです。

もう、3月に古木のしだれ桜は咲き終わっていました。残念です。来年できれば伺ってみたいものです。

山門は重厚な感じで端正であり、黒沢明監督の「羅生門」という映画の作品に登場する門のモデルとなったと言われています。    Dsc01040_2

府中の崖線の段丘を利用して造られていて、急勾配の階段が迫っています。門は昭和10年のものらしいです。

ここへ伺う前に、もう寺の手前の丘の上から、綺麗に澄み渡った青空に白い雪をいただいた富士山がくっきりとよく見えていました。

門前にしだれ桜の大木が数本ありました。

日蓮宗の総本山である身延山久遠寺から苗を移植したと看板に記載されていて、開花の時期に多少ずれています。染井吉野より早く、3月下旬にはほぼ満開となったそうです。

今はもう、葉桜になりつつあり、もう今年は見納めです。

Dsc01051 桜は、染井吉野だけでは勿論なく、種類は豊富で、眺めるたびに、楽しいものです。このしだれ桜は汚れを知らぬ15才の乙女のようであります。

看板には、名も無い兵士の死を慰めるように咲く花であると書いてあったような気がします。いや、兵士が流した血のようにうっすら赤いとあったのでしょうか。記憶が曖昧で申し訳ありませんが、どちらにしても、桜は日露戦争始め、多くの名も無い兵士の心に死ぬ間際、想起したに違いない花です。

墓地の奥のほうに、そういう方々のお墓があるそうです。花見の客は入れません。神聖な場Dsc01078 所なのです。わたしは、参詣して、お線香をあげて合掌しました。

Dsc01065 賽銭箱はなく、実に質実剛健な雰囲気のお寺でした。わたしのような人間がいていいものかわからないものの、母とそっと手を合わせて、祈りましょうと言いました。

わたしの小学校の先生は、特攻隊の生き残りの方で、戦友と「靖国で逢おう」と言い合ったそうで、桜を見ると涙が出て来るとよく授業中に話しておいででした。もうお亡くなりになり、奥様は「それはもう昔の話ですから」と話しておいででしたが、わたしがまだ幼い年だったので、靖国の桜と言うと、先生を思い出します。

とても素晴らしい方で、わたしがなんと初めて悪さをした時そっと叱ってくださって、私が転校する際、「赤い靴履いてた女の子、異人さんに連れられて行っちゃった」と歌を歌って、微笑んで見送ってくださったのを懐かしく思い出します。わたしはそれから、まじめに通って悪さを学校でしないと心に誓ったのです。

わたしは小学校一年で、「同期の桜」と言う歌のDsc01062 意味をそっと知りました。とても涙がこみあげて来ますから、聞かないようにしています。

日本人は外国人にまるで軍人はすべて悪魔のように言われて描かれていますが、普通の人が多かったと思い、一部の心ない人間の指令でおかしくなった過去をぞっとする想いで振り返ることがあります。

日露戦争は、始めたからには勝たねばならない戦いだったと思います。でも奢ってはいけなかったのです。しかし、英霊という言い方より、静かにわたしたちを見守ってくださる仏様たちと思うと、優しい気持ちになれます。

バルチック艦隊を破ったとよくテレビでも放映されていDsc01074_3 ますが、輝かしいと言うより、戦場の兵士にして見れば地獄を見たことでしょう。わたしどものために申し訳ないことです。そして、これと違った側面より、日本が軍国主義化したことは、反省します。

ただ、わたしたちは戦闘のような状況に立たされた場合、どうしたらいいのでしょうか。明日は北朝鮮からミサイルが飛んで来るらしいと言うので、少し戸惑った気持ちで、祈るしかありませんでした。宣戦布告を受けた場合、あなた様は現代であればどう思われますか、などと心で思っていました。

話変わって、境内には良い教えが書いてありました。

「敵こそ味方」

Dsc01080 日蓮聖人の御遺文らしいのです。 非道の仏敵提婆達多は、仏陀の精進のために逆説的には第一の善知識となる、つまり毒をもって薬となすと言うように、競争相手がいて用心し己を磨くことになると教えでした。

心を戒めて用心することは、遠くに敵はいるのはなく、近くにいて逆境にありながら奮励せよと言うことらしいのです。

そうか、自分の一番苦手な危ない相手が自分を磨くためのものになる、よくよく用心し、常日頃、油断するなということなのでしょう。
今の日本にも通じる言葉だと思います。未熟なわたしの心にも響きました。

桜が綺麗だからという理由だけで参上し、教えDsc01036 を受ける、これこそ宗教のありがたさ、押しつけがましくない、教訓であると、感心しました。

悠然と佇む大門、日本人はこういう風にどーんと腰を落ち着かせて、怯まず、生きるしかないんだなと思いました。

臆せず、でも奢らず、謙虚に、慎重に・・・いや、わたしには難しいけれど、かくあるべきなのでしょう。

わたしは、それから、近いので、桜に釣られて、多磨霊園へ向かいました。参道の桜を眺めながら歩くのもいいものです。

霊園は、巡回パトロールがあるようで、散策しても今は大丈夫なようです。以前、たったひとりで、亀井勝一郎のお墓へ伺った時、すごーく怖い思いをしたことがありましたが、今の時期はDsc01051_2 人出が多く、安心です。

「歳月慈悲を生ず」と言う碑の言葉をまた拝見しようと、探しましたが、わからなくなってしまって、待たせた母を怒らせてしまいました。

しかし、非常に桜は綺麗に咲いていました。ただし、昔は丘だった場所が新しい霊園に開拓されて、しだれ桜の木も無惨になくなっていたらしいです。確か、小泉首相の在任中に、ここを公園化しようと新聞に記載されていましたの

Dsc01135_3 に、こういう変貌は望ましくないことだと思いました。桜の枝は無惨にも折られて、しだれではなくなっている木も多くありました。

母は、霊園の桜を撮影するのをいやがっていましたが、わたしはそう悪いことをなさる仏様はおるまいと言いました。みなさん、きっとわたしたちを案じてくださっていると述べました。

わたしは、名誉総裁通りというのでしょうか、広い中央の道を歩いていたら、いやでも大きなお墓が眼に止まりました。             Dsc01122_2

山本五十六と東郷平八郎のお墓でした。よくどういう方々か実際は知らなくても、黙って合掌しました。

右が、そのお墓のある場所付近です。どうか明日大事がおきませんように、犠牲者が出ませんように、と祈るしかありませんでした。

のどかで、みんなで優しく花鳥風月を愛する現代の日本人に、いったいどうしてこんなことをするか理解しがたいのです。

政治の裏側は知らないものの、人道に反することをするのは、やはりあってはならないことでしょう。

Dsc01116 「願わくば、花の下にて春死なんその如月の望月の頃」

(西行法師)

静かにその寿命を終えるのはしかたないこと。しかし、不条理な死に方はしたくないものです。

多磨霊園の奥には桜の満開な並木道があります。うららかな春のひだまりで、心和む場所になっていました。

Dsc01118_7 西行の法師の和歌を ふと思いだし、でもまだ死ぬには惜しい人物が日本人でいるはずだ、国際社会で日本人は北朝鮮の方々が全員ご覧になれない風景を今眼にし、北朝鮮のエリートですら、日本人の風流心に心ある人間は気に留めずにいられぬであろうよ、と思ったのです。

食糧難や、経済封鎖、武力行使、威嚇、それが けしていい結果にならないことを一番知っている国が日本なのです。

明日から8日まで北朝鮮の方々がミサイルを発射せず、日本人と仲良く花見をできればいいのにと思うほどであります。

「敵こそ味方」、この言葉、よくよく噛みしめましたよ。

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みなさん、心安らかに今日は夜も更けて、おやすみなさい。



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