みなりんの紀行文

写真とともに綴る、旅の思い出を中心としたエッセイ。
主に日本国内を旅して、自分なりに発見したことを書いています。

「河口湖女きままひとり旅」

2008年01月13日 08時32分29秒 | 旅行記

「河口湖きままひとり旅」その一

 7月中旬、仕事も一段落して、平日女ひとり旅に出ました。
 甲州の人は強いなあ、さすが武田信玄の生まれた国らしいと思いました。
 これは、太宰治の碑から感じたことです。これは後ほど述Img_0024 べます。

 都内から近い河口湖湖畔のリゾートホテルに宿泊しました。なかなか女性のひとり旅でいい宿泊場所を見つけるのはたいへんです。

 わたしが今回宿泊したホテルは、オルゴールをかけて歓迎してくれて、大きなベッドのある柔らかいベージュを基調とした配色の客室に案内してくれました。
 ホテルには、油絵が幾つか飾ってありました。「k.oya」 のイニシャルがあり、ロビーにはアッシジのサン・フランチェスコ修道院教会かしらと思う絵が描かれてありました。 また、ロイヤル・コペンハーゲンの独特の綺麗な青い飾り皿も幾つか飾られて並べてありました。

 でも、一番気に入ったのは、少し高台のホテルの部屋から、河口湖が目の前に広がっていて、とても見晴らしが抜群だったことです。 緑に縁取られた湖の眺めは、7階の部屋から見ると、実に優雅な気分にさせてくれます。          Img_0032_3

 暑い中歩き回って、昼間汗をかき、温泉にまず入りました。ここの温泉は、無臭のさ
らっとした温泉で、肌にべたつきません。浴槽もほどよい広さです。
 アロマテラピーのマッサージを予約して行きましたが、今までになくリーズナブルな値段で、長い時間気持ちよく応対してくれます。思わず、うとうとしてしまいました。

 夕食は、昼間の黒のカジュアルなパンツ姿から 少しドレスアップして、フランス料理のコースをいただきました。エビのスープがコンソメ味でとてもおいしく、ホロホロ鳥のお肉は驚くほど肉質が柔らかで、お料理は満足できるものでした。

また、女性ひとりのわたしにメニューの紹介をしてくれながら、淋しくならないようにと言う配慮なのでしょうか、ホテルの方々がうるさくならない程度にさりげなく声をかけてくれるのが、とても嬉しく感じました。

 ロビーのソファに座って新聞を広げれば、さっとホテルの方が冷たいハーブティーをグラスに運んで来てくれます。
 送迎もにこやかに電話一本ですぐ来てくれます。
 女性ひとりに優しいホテルは、実に有り難いものです。

 河口湖の周りは、最近新しい美術館などがたくさんできていて、ひとりでいてもあきない楽しさがあります。

 一日目は、与勇輝常設展がある河口湖ミューズ館に行きました。森林伐採を嘆く「ニングルストーリー」のお人形は、妖精の可愛らしさが溢れていましたが、特に印象に残ったのは、作者が人形を「いつも笑っていたら、人形の疲れてしまう。だから、笑った顔にはしない」というようなコメントがあったことです。人形にも魂があると感じているから出る言葉なのだろうと思いました。

 わたし自身が最近精神的に好きな人を失ったせいでしょうか、人間の男性を好きになった罰を受けて仲間外れになった妖精の姿がもの哀しく、心を打ちました。好きになってはいけない人に憧れるのは罪なことだけれども、「忍ぶれど色に出にけり我が恋は物や思ふと人の問ふまで」と言うほど、情念は抑えれば抑えるほど妖しく光ってしまうのでしょう。

与勇輝さんの作品は、ご自分の子供時代の思い出のものを郷愁にかられてお作りになったようなひと昔の日本の人々の作品もあり、わたしの明治生まれの祖母を思い起こしました。人形から溢れるこの情感は何であろうと、しばらく飽かず眺めていました。

 この美術館の周辺には、この時期、ラベンダーの薄紫の花々が咲き乱れ、青空と翡翠のような湖面と花々という取り合わせで彩りが豊かで、しばらく夏の暑さも忘れて、名物のラベンダーアイスクリームの奇妙な味を舌で味わいながら、ぼうっと景色を眺めていました。ホテルの方が言うことには、今年の暑さは異常でこちらは雨もほとんど梅雨の時期も降らず、ラベンダーの色が今ひとつ冴えない、と言うことでしたが、もっと例年は色が鮮やかだったのでしょうか。残念なことです。

 この夏の異常な暑さで、京都議定書の件がいつも心にひっかかって、ちょうどこの頃イタリアのジェノバ会議のことを新聞で読んでいたから、どうなるのだろうと気にかけていました。ホテルの方の「今年は雨が少ないし、こんなことはかつてなかった。」と言う言葉に、わたしも最近のこの暑さは、人間にも外国では多大な害を及ぼしているので、日本にも「花」どころかとんでもない事態が襲って来るのは時間の問題だから、のんきなわたしですら身近に危機の兆候を感じました。わたしはアメリカの参加を是非望み、速やかに国々が対応して気温の上昇をくい止めないと、たいへんなことだと思って心痛めました。わたしは今アルバイトで、高校生の時事問題の小論文を添削しているから、ついそういう方向に考えてしまうのです。旅行先でも考えてしまうなあと苦笑しました。

 その後、久保田一竹美術館で辻が花の着物を拝見しました。久保田さんのお父様は、骨董屋さんだったそうで、お父様が収集されていたいろいろな国々のトンボ玉も展示されていました。アフリカなどから久保田さんのお父様が収集したトンボは、昔、とても貴重で、人間ひとりと人身売買して交換したほどでした。今は、相撲の有名な江戸東京博物館の傍の店で見かけたところ、なんと6千円でもアフリカのトンボ玉は入手できてしまいます。時代とともに、需要と供給の関係で商品価値は変わります。

 辻が花は、その模様を照る照る坊主のように布を寄せて絵の具を乗せていくので、完成した構図を緻密に頭で考えて作らないとうまくいかないので、たいへん高度な技術が必要なのだそうです。色鮮やかな富士をテーマにした鑑賞用の着物が何枚も飾られていて、豪華絢爛とした眺めでした。歌手のアルフィーがロックコンサートで辻が花の衣装をまとったそうで、陳列されて紹介していました。

 奥のほうにあったに小さな滝が幾つも流れている盆栽のような日本庭園の見える美術館のカフェは、水の流れる静かなところです。ここのぜんざいは小豆が非常に粒が大きく美味です。わたしは誰にもじゃまされず、のんびりひとりお茶を飲んでお庭を拝見していたら、外で中国人の男性が熱心に移動しながら庭の写真をカメラに撮影していました。彼は、日本庭園がよほど珍しかったのでしょう。係員の人にも中国語で盛んに作品について質問していたのを見かけましたから。

 よく食べるわたしは、ここのレストランで昼食もいただきました。スペインの建物のような雰囲気があり、テーブルに青や緑の一輪挿しのガラス瓶が涼しげで、噴水を眺めながら食事を取りました。

 そして、次に中原淳一美術館に行きました。大正時代に大活躍した美術界の人です。
 ひと口にそう言っていいものかわかりませんが、「ひまわり」などの挿し絵や服のデザインなど、あらゆる創作に携わり、人形作りをきっかけに有名になっていきました。中原さんの作品は、今見ても斬新な感じがしました。色使いが見事で、おしゃれはちょっとした工夫でできるものという持論がありました。

余り布でクッションカバーを作り、可愛い男の子や女の子の顔をパッチワークのように縫製していて素敵でした。良いものは古さを感じさせないものだと思いました。中原さんのエッセイもとても素晴らしいセンスをしています。女の子が女の子らしくありたい、こう言ってもいました。わたしもそう思います。

 せっかく女性に生まれたら、女性らしさもあって、その良さを生かしたいと思います。中原さんは、戦前軍の意向に反すると言う理由で「少女の友」の挿し絵などからおりました。館内に流れていたシャンソンなどの雰囲気からして、中原さんの美術館は自由を謳歌した大正ロマンが溢れていました。

 
「河口湖きままひとり旅」その二

 二日目、河口湖の近くにあるロープウエーに乗って、天上山の展望台に行きました。
 ここは、別名「カチカチ山」と言います。
 昔の民話にあります。戦前の教科書に載せられていました。

 現在はのどかで動物の置物があったり、遊園地のようです。
 展望台では太宰治のことも大きな看板で紹介されています。
 この山の中腹には、太宰治の碑があります。太宰の作「御伽草子」の中のお話のひとつとして、「カチカチ山」という物語があり、そのお話の中の太宰の言葉が碑になっています。
「惚れたが悪いか」

 ちょっと「カチカチ山」についてお話しましょう。
ご存じの方も多いかと思いますが、お爺さんに捕まった狸が、危うく狸汁にされるところ、お婆さんを逆に殺して婆汁にしてしまうのです。

これを知った、お婆さんたちに世話になったことのある兎が、Img_0026_3 狸に仇討ちするのです。
 薪を背負わせて背に火をつけて、「何の音だ」と尋ねる狸に兎は、裏山がカチカチ鳴っている音だというのです。ここから、天上山はカチカチ山と呼ばれます。

 この話の最後は、狸が兎に舟に乗せられて、河口湖へ沈められてしまうのです。

 太宰治は、兎を男というものを知らない処女に、狸を好色な中年男に見立てて話を書いていきます。男は処女に恋してどこまでもだまされてもだまされてもついてゆくのです。太宰は、兎の仇討ちが「武士道にあらず」と言って、こんなに残酷なことができるのは、兎は青春期の女性で、どこまでもついてゆくのは狸が37歳という40歳に近いことを意識している複雑な心境の男であるからだろうと考えるのです。
 兎が最後に狸を殺そうとする時、狸は「惚れたが悪いか」と言って亡くなります。

 富士山が見事に正面に裾まで綺麗に見晴らせるこのImg_0028_3 展望台は、素晴らしいところです。太宰の碑のある中腹も、やはり綺麗に富士山が見晴らせる場所にあります。

 実は、河口湖を見るのは、ロープウエーの降り口からが一番の眺めとなっていて、展望台からの眺めも素晴らしいでが、こちらもお勧めします。こちらは外れに縁結びや厄除けなどの瓦投げによる的当てがあります。

天上山には昔「古事記」の世界でニニギノミコトが美しい姉妹を妻にして、妹のほうだけを召したため、呼ばれなかった姉の姫が恥じて自ら身を引きました。恨むことなどせず、徳がおありだったため、縁結びの神として祀られています。 これは天上山の看板に書いてあったことです。

 しかし、実際は、姉の気持ちではなく、「古事記」の記載だと 父の国津神が恥じ入って、姉を引き取ったのです。この姉の名前が石長比売(いはながひめ))と言い、天つ神のニニギノミコトに国津神は石のように永久不変の命を授けようとしたのですが、花のように華やかにお栄えくださいと父親が献上した妹の木花之佐久夜毘売(このはなさくやひめ)だけを召したために、国津神の呪言によって天皇の寿命は桜の花のようにはかなく散り、長久ではなくなったとされています。 

木花之佐久夜毘売(このはなさくやひめ)は霊峰富士山の女神で、「竹取物語」のかぐや姫が最初女神とされていたようですが、後にこの姫が浅間神社で祀られて、富士山の女神はこの方と定まりました。                                                              Img_0029_3

 この婚礼儀礼の話は大和朝廷が隼人の娘木花之佐久夜毘売(このはなさくやひめ)を
娶ったので、薩南の辺境まで支配が及んだことを物語っています。
 話を戻しましょう。ちょうど帰国子女らしい年頃の少女が、お母様と一緒のようで、その瓦投げにチャレンジしていました。

 すてきな旦那様や恋人と出会えますようにね、と英語で話して笑顔で娘さんを見守っていましたが、「この子信じてないみたい」と、お母様はわたしに屈託なく笑っていました。展望台には、中国人の方もいましたが、みなさんは富士山が雲に隠れて残念そうでした。やがて、天に昇ったような三つ峠へ向かう手前のこの展望台の見晴らしを一応堪能し、みなさんはロープウエーでお帰りになりました。

 わたしは、帰る前に看板で見た太宰の碑が気になり、20分かけて下山して、割と新しい碑を見て、また20分で駆け上がって登山して、ロープウエーに戻りました。登山していたら、碑を見るために次々と男性がひとりづつ日本人の方々ですが、挨拶してくださったり、「碑まで後何分かかりますか」と尋ねられたりして、すれ違って行きました。最初どこまで降りていいか心細かったわたしは、よくぞひとりで行ったと思いました。

でも、わたしはすっかり大事なことをひとつ忘れていました。それは碑の背に長部日出雄氏が言葉を刻んでいらしたのに、見ないまま戻ってしまったことです。このことはずっと頭に引っかかっていました。
 碑は、太宰の故郷津軽から石を運んだらしいです。新しいことも気になりました。
 さて、それからわたしは河口湖の美術館をまた巡っていったのですが、その話は次回にして、観光を済ました後、また麓まで戻ったことからお話します。

 この辺りの登山道から太宰の碑まで登れるだろうか、と思って帰宅の高速バスの時間を気にしながら、登山道の途中まで行きましたが、上から降りて来た年輩のご夫婦に碑までどれほどかかるか尋ねたところ、往復で時間的に無理なことがわかりました。
そして、「太宰の碑の背には何と書いてあったのですか」と尋ねたのですが、人の良さそうなお二人とも「惚れたが悪いか」と言って、あとは知らないとお答えになっていました。
 非常に気になりました。次回は見てみたいものです。

 太宰治の碑を見たい日本人の方は、ロープウエーで登りだけ行って、あとは徒歩で下山することをお勧めします。これが一番です。紫陽花の頃がImg_0031_3 いいでしょう。
 この話で狸が「かわいそう」とつぶやく娘を自分に似て馬鹿な子だと言いながら、兎のこの狸に対する行為は、太宰は「詭計」であると言っています。

自分の悪行に対する自業自得なのだからと言いながら、そう解釈した太宰に、長部氏は評論の記載の中で「これは戦前に兎が仇討ちをした忠心の厚いものと教えられていた人は、目から鱗が落ちたように感じた(価値観の転換を覚えた)」というのです。

 わたしは夜眠い目でこの話を読んだせいか変な解釈をひとりでしてしまっていました。長部氏のように感じるものなのか、碑にもそう言ったことが刻まれているのか、と知ることで、やっと一息つきました。

 実は、昼間その評論を見る前の晩に、眠い目で読んだそのお話は、太宰がアメリカ映画に触れていて述べていた箇所だけに意識が行ってしまって、「男女が純真に戯れているけれど、裏ではひどい行為をしている」が拡大解釈の元になり、かわいそうなのは原爆、空襲で逃げまどう「日本」ではないかなどと、余計なことを馬鹿な頭で考えて、太宰研究者に叱られてしまうと思いました。

 日本が昔様々な国際状況から戦争に追い込まれ、パールハーバーで奇襲をして、現在ではアメリカはその事実を知っていたと言う噂もあるけれど、「リメンバー・パール・ハーバー」でとことん叩きのめされました。

 わたしは昭和20年という昭和の占領下で、爆撃に怯えていた太宰は、巧みに言えない言葉を小説にして、発刊したのではないか、などと読んでしまいました。
 日本は世界で唯一の原子爆弾被爆国として、今も広島の原爆ドームは生々しく残っていて、海外から大勢いの方が歴史的な事実を見学にお見えになります。
 太宰治の墓は、三鷹市下連雀の「禅林寺」に森鴎外の墓と向かいあってあります。
 GHQ占領下では、日本人は複雑な思いを抱きながら、過ごしていました。

 『青踏』の平塚らいてふは、男女平等のためにも日本は敗戦して良かったと岩波のホールで上映したドキュメント映画の中で述べておりますが、当時の惨めな敗戦を経験した方々には、残虐な軍人もいたことでしょうが、一般の市民は「贅沢な敵だ」を「贅沢は素敵だ」と落書きしながら戦前は貧しくてもつましやかなに過ごし、廃墟の中で敗戦後死にもの狂いで生きてきたことは、まだ記憶に生々しいことでしょう。

想起しますと、ジョン・ダワーの「敗北を抱きしめて」を読んで戦後生まれのわたし自身も衝撃を受けたように、日本人が物理的、経済的、精神的な打撃など様々受けた事実は否めません。当時のGHQの検閲も凄まじいものだったのです。その中で、太宰治は作品をヒットさせて行きます。
 でも、昼間読んだら、長部さんの言葉が普通なのだろう、と思いました。

 今はわたしにもアメリカ人の友人がいて、アメリカ人と結婚した幼なじみもいて、アメリカを今のわたしが嫌う理由もないわけです。

女性もひとり旅ができるほど、戦後は男女平等思想が幾らか広まって来ました。日本には「国民主権」の取得と、国家総動員法から「自由」になりました。法の下では国民は平等と謳われました。
 疑問に思う方はご自分で「御伽草子」をお読みください。昔、文部省で選定され教科書に記述された数々の寓話がパロディーになっています。

  しかし、あの人の良いご夫婦は地元の方のよImg_0034_4 うで、碑には「ただ、惚れたが悪いか」と書いてありましたよ、と屈託なく笑顔でお答えになっていたので、青空の下富士山が雄大に見える中腹にどんとある碑の言葉は、素直に取ったほうがふさわしいと思いました。

 太宰も作品の中で「惚れたが悪いか」に尽きると締めの言葉にしています。
作品がこの一言で完成されたと言われています。

 あのご夫婦にしても土産物屋、喫茶店の人々にしても、甲州の人は、屈託なく笑顔でいるところが凄い。「動かざること山の如し」と述べた武田信玄のように、どっしりしています。
 天上山には古い伝承があり、興味は尽きないが、たどるには時間が今はありません。

 ここで、狸が河口湖へかちかちと背中に火をくべられて、山を転がり落ちたという民話は、最初は「狸」が「熊」だったそうです。千葉佐倉の歴史民俗博物館の美男子館長平川南先生が、「古代日本文字のある風景」で、館内をガイドなさっていた時、昔は「熊」は「こま」と言って、朝鮮のことであるというようなお話をなさっていたことが記憶にあり、日本の大和王朝成立の話とリンクするのではないかと、今になって思いますが、検証はしておりません。調べているうちに、わたしの人生は終わってしまいそうPhoto_2 です。

 暑い日が続く中、イタリアで京都議定書の件で会見に応じていた小泉首相の顔が何度もニュースで流れているのを家で見ていたら、今回の天上山にまつわる太宰治の戦争中の話などから、靖国神社参拝を前にした小泉首相はどう参拝するのかなあと、その時はちょっと複雑な心境になりました。靖国神社に祀られている方々には、第二次世界大戦で罪もある人、ない人も混在していることを、アメリカ人であるジョン・ダワーも書いております。難しい問題です。

 もうこのお話を読んだ方には過去のお話になってしまっているでしょうけれど、わたしは、詳しいことはよくわからないので、雄大な富士山をのんびり眺めて、他国ともめることなく素直に「今の平和を噛みしめることの大切さ」を大事にしたいと思いました。
 しかし、近況変わって、テロのせいでまた世界が騒々しく危険になって参りました。

近いアジアのことでは、北朝鮮拉致問題、北朝鮮の核爆弾開発問題なども、今の日本人には信じられないような事件が続々噴出しています。大きな戦禍に巻き込まれて、国が廃墟と化したという過去の出来事を日本はもう二度と味わいたくありません。

 現在の世界の出来事に対して、とても一口では今の心情は言い尽くせませんが、古代文字が韓国などアジアという範囲で共同解明する時代になる喜ばしい時代に、過去の悲劇的な過ちは二度繰り返さないことが大事なことです。

 ともかく、今回の旅では、第二次戦争中の悲惨な生活の中で様々な思いが胸に去来したものの、「惚れたが悪いかに尽きる」と言い切った「太宰治」に、日本の文学者の潔さを見た気がしました。

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