みなりんの紀行文

写真とともに綴る、旅の思い出を中心としたエッセイ。
主に日本国内を旅して、自分なりに発見したことを書いています。

枝垂れ桜から杜若

2010年05月24日 08時08分34秒 | アート・文化

私は、厳しい冬の寒さを経て、いろいろ花のD2x_93962_4 撮影をしてきて、季節の移り変わりを

楽しみました。

山梨県の樋口一葉の祖父の故郷でご縁のあ

る慈雲寺へ伺いました。

里は桃幻境のように花に囲まれて、ドライ

ブをしていて爽快でした。

慈雲寺の枝垂れ桜は非常に有名で、咲き誇っていました。

奥のほうに石碑があり、一葉さんを追慕する文学界のそうそうたる人の名前や、御親

戚方などのお名前が裏に記載されていました。

一葉さんのことを思うと、あ、最近勉強していないなあと反省しますが、ただただ山

間にある里の春は心慰めるものがあり、今

D2x_94172_2

は 元気のない方にも、何かエネルギーを

得てほしいです。

菜の花、そして奥に山を背景に枝垂れ桜と

いうのは見事でした。

枝垂れ桜は染井吉野と違って、たいへん優

雅で夢幻さ幽玄さを感じます。

高貴な姫君の立ち姿を連想します。

それも絶世の美女でしょうね。

時間がしばらく経ましたが根津美術館で国宝の「燕子花図屏風」(尾形光琳)の日本画を公開していました。

ひとりで拝見し、お庭を散策すると、ちょうど杜若が咲いていて綺麗でした。

実は、私は古代の色に興味を持っていました。

尾形光琳は、実は京都にある上賀茂の里にある大田神社に見事な杜若が咲きますの

で、ここに写生をよくしていたのではないかと Img_3416_3 吉岡幸雄さんは著作で述べておいで

です。

この大田に咲く杜若は野生のもので、古代から群生し、平安貴族もその濃い紫を愛し

たと思われます。

色は多くあるものの、花にある植物の色は人の目に優しく、心を癒してくれます。

花を、こういう風に常に眺められる人は感受性が違うような気がします。

藤原俊成(「千載和歌集」の撰者)も大田神社を訪ねて、「神山(こうやま)や大田

の沢のかきつはた深きたのみは色に見ゆらん」と歌に詠んでいます。

国宝の絵を拝見して、色合いが左と右の屏風の杜若と微妙に色の深さが違うので、違う時期に描いたか、何か意図があったのだろうか、と首をかしげました。

絵の構図が絵画の音符のように動きを感じます。

高貴な色として憧れられた紫、その色を眺めた人はさまざまな思いを抱いたことでしょう。

さて、歌舞伎の演目の「助六由縁江戸桜」

Img_3876 で助六が頭に巻いた鉢巻の紫は、江戸好を

象徴するような色です。

染めたのは江戸とは限らず、京都の紫染屋

に「江戸や」という店名もあり、江戸紫の

語源になったと考えられるそうです。

また、大阪の天神橋にも数軒、江戸にもあります。

武蔵野国多摩郡松庵所川(今の杉並区松庵)あたりで杉田仙蔵という豪農が紫染の衣

装を着た男女に会って感動し、染物屋を始めました。

この紫染には井の頭(東京都三鷹市)の水を使うと美しい色が出るとされ、「江戸川

染御紫」と名付けて販売し、好評を得たと言います。Img_3880

私の写真で、少しはお元気になっていただけたでしょうか。

命ある限り、懸命に咲く花のように、人間もその短い生命を精一杯生きましょう。

ご覧いただきまして、ありがとうございました

下手ながら詠います。

紫のゆかりを思ひしのばるる武蔵野の里憧がるる人

優美なる枝垂れ桜を飽かず見しゆく春惜しむ人優し

Img_3874



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。