各個に成長した個が自律して有機的に連携することで、それぞれの実力の足し算ではなく掛け算の結果を出すことを湘南のサッカーに期待していた。
縦の美学やその他刊行物、チョウさんの著書にそう書いてあったのではなく私が勝手に期待していたことなので妄想と言っていい。2014年に湘南ベルマーレが圧倒的な強さでJ2を優勝した際、このやり方で来年はJ1を席巻し更に日本社会にまで影響を及ぼすのでは、という妄想もあった。
実際の翌年2015年の結果は、ウェリントンをチームに残せなかったこともありJ1を8位で終えた。そしてシーズン終了後、秋元・遠藤・永木というセンターラインの主力を他チームにぶっこ抜かれ2016年は17位で降格する。
パワハラがひどくなったのは2016年あたりと推測する。2015年にできていたかもしれない理想が主力の引き抜きで実際にはできなくなり、でも理想を保つためには選手の成長だということでビシビシやり始めたのでは。この頃になると湘南スタイルを象徴するゲーゲンプレスも強豪チームに対策されると打開策が無く、また他チームも欧州の最新の戦術を取り入れ始めるなど、それまで湘南がアドバンテージを持っていた部分がなくなっていった。
それでも2017年には再び昇格を果たし、2018年はぎりぎりでJ1残留を決めた。湘南スタイルはまだ戦えると思ってみていた。でもいま振り返ると、そのころの湘南は自律した個の有機的な連携とは違ったものだったと思う。理想的な形で勝った試合の次の試合でコロッと負けてしまうことがよくあった。ルヴァン優勝の次の試合も負けた。
パワハラ報道の後で振り返ってみると、そのころの勝ち試合は足し算が掛け算になって勝っていたのではなく、高圧的なプレッシャーでブーストして無理して走って試合に勝っていたのではないか。誰かがツイッターで書いていたが「赤信号を無視し続けたら目的地に早く着いた」みたいな。なので、好調が続かない。
自律した個の有機的な連携により足し算ではなく掛け算の結果を得る。これはうまくいけばできるのかもしれないが、持たざる者の戦い方としてこれをチョイスしても、実現には結構なリソースを必要とする。かといって引いて守ってカウンターではサポーターがついてこない。
リソースのない中で湘南ファンの期待に応えようと、できない理想を無理して達成しようとしてパワハラが加速してしまったのかもしれない。ファンの期待のほかに、そこには監督自身の功名心も多分にあったであろうから、監督は被害者ではなく弱い人間だからこそ陥ってしまった加害者と思う。
そしてもっと罪の重い加害者は、監督にチームを丸投げしてその成果だけは甘受しながら何もせず監督の熱暴走(暴走ではなく、熱暴走と書く)を止められなかった社長やフロントと思っている。今年のチームスローガンはアクセラレーション(加速)だったが、実際にはパワハラのエスカレーションだった。
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