高速増殖炉もんじゅって、ナトリウム爆発しようが蓋を炉の中に落とそうがずーーーーっと建設中/実験中であるという姿を見せ続けられればそれでいいんだろう。原子力エネルギー循環サイクルはいつか完成するという幻想を支え続けてさえいれば。投下するエネルギーは原発で無尽蔵に得られるから、生み出す付加価値が少しでもあれば「経済は成長している」と形式上言える。それを支える象徴としてもんじゅが必要であり、原発ってのは資本主義と切り離せないものなんだろう。人間の手に負えない放射性物質と、もはや手に負えない国の借金はとても似ている。どちらも幻想が支える。
放射能の危険性をヒステリックに叫ぶだけの反原発派も問題と思う。原発は資本主義と切り離せない問題という捉え方をすると、これは貧富の格差問題と親和性が高い話なのだと思う。富める側はこれまで通り原発でエネルギーを得たい、貧しい側は貧富の格差を生む資本主義=原発に(無自覚にせよ)反発する。
3.11震災直後の節電の最中、経済成長レースから離脱するという価値観にまで考えが及ばなかったが、今考えてみるとあれをきっかけとして価値観を見直すと良いと今思った。見直したところで大それたことはできないが、私が普段話す言葉がちょっと変わって行くのではないかと思う。
放射能の危険性をヒステリックに叫ぶだけの反原発派も問題と思う。原発は資本主義と切り離せない問題という捉え方をすると、これは貧富の格差問題と親和性が高い話なのだと思う。富める側はこれまで通り原発でエネルギーを得たい、貧しい側は貧富の格差を生む資本主義=原発に(無自覚にせよ)反発する。
3.11震災直後の節電の最中、経済成長レースから離脱するという価値観にまで考えが及ばなかったが、今考えてみるとあれをきっかけとして価値観を見直すと良いと今思った。見直したところで大それたことはできないが、私が普段話す言葉がちょっと変わって行くのではないかと思う。
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