goro's 花 Diary

東京の街を彩る花たちを追っかけています。

ふたりの代表選手

2005年06月30日 | スポーツ


未明に降った雨は凄かったですね。
1時間に30ミリも降ったらしい。
おじさんはもう家に帰ってたんで大丈夫だったけど、お客のMさん、パンツまでびしょ濡れになったらしい。
あんな時間まで遊んでるからだよ。
そこそこできりあげて、お家に帰りましょうね。

6/17にアップした記事の後日談。
世界選手権の1万メートルの代表に、大森輝和(くろしお通信)と三津谷祐(トヨタ自動車九州)のふたりが選ばれました。
三津谷が昨日(29日)北海道でのレースで、参加標準記録Aを突破したからです。
いいタイムをたたきだしました。
27分41秒00。
日本歴代3位、日本選手が国内で出した記録としては、過去最高になるそうです。
このことにより、既にA標準を突破してた大森と三津谷のふたりが代表に選ばれるのが確実になったというものです。
よかったな、と素直に思います。
若いふたりが切磋琢磨、世界にチャレンジしてほしいものです。
この日は大森は1500メートルに出場してて、スタジアムから三津谷に声援をおくってたんだって。それを受けてのコメント。
「今までで1番粘れた。大森さんの応援も聞こえたので、行くしかないと思った」
絵が浮かんじゃってね。
歯をくいしばってゴールを目指す三津谷、スタンドから大声で声援をおくり続ける大森。
弱いな、こんなシーン。ジワーー…とね、きちゃったさ。
おじさんの人生には決して訪れなっかたことだけどね。

3文安の、おじさんの涙のお話でした。


ギボウシのこと

2005年06月30日 | 05 花たち

     

「ギボウシ」です。
育てやすいので、あちこちで目にすることが出来ますよね。
1度植えたら、後は毎年咲いていますよね。

この植物は、花というより葉っぱのほうが存在感があるんじゃないかな。
年間を通して、青々とした株が楽しめます。
斑入りのものが多くみられます。

この花には思い出があります。

大学2年の春休み、3年生になる前だよね。
住み込みでアルバイトをしたことがあります、1ヶ月半ばかり。

幼馴染が勤めていて、社長の奥さんも、同じ宇和島の同じ地区の先輩だったりしたもんだからバイトすることになったんだけど、イヤイヤ、大変だった。

おじさんには全くもって不向きな肉体労働。
内田洋行の下請けの仕事だったんだけどね。
今でもあるんだっけ、内田洋行って会社?事務機器の会社ですよね。

事務所用のスティール製の棚板なんかを作っていました。
大きいのだと60×180センチあって、重量40キロくらいなります。1枚がだよ。
そのボードを運ぶんだけどね・・・  

無理無理、とっても無理。

文字通り、風が吹いたらよろけてて、立ちくらみは日常茶飯、慢性貧血の48キロの肉体の持主だったんだからね、当時のおじさんは。

…でもね、人間って凄いよ。
最初はもっと軽めの仕事(書類ボックスの引き出しの滑りをスムーズにするために、プラスチックのビスを取り付ける)からはじまって、徐々に力仕事に移行してったんだけど、最後には40キロのボード、ひとりで担げるようになっちゃうんだよ。
トラックに乗って、内田洋行の倉庫に製品を納入しに行ったもんね。



ギボウシの話でしたね。

バイトがお終いになって自分のアパートに帰ってくるときに、東玉川の社長の庭にあったギボウシの1株を、細長い和風の鉢に植えて、頂いてきました。

北向きの窓しかない日当りの悪い部屋の軒先でしたが、可愛がって育てました。
初夏になって花茎が立ちあがったときには、心底驚いちゃいました。
斑入りの葉っぱを楽しむ観葉植物としか思っていなかったので、まさか花が咲くとは考えていなかったのですよ。
そのときがギボウシの花との初の出会いでした。

練馬のアパートで育てていたあのギボウシの行方は…

憶えていないんだよね。


岩牡蠣のおいしい思い出

2005年06月29日 | 食べ物・食材


「岩牡蠣」とも「夏牡蠣」とも呼ばれる、牡蠣の話です。

鳥取の海の岩牡蠣が、TV中継されていました。
画面の岩牡蠣は男性の拳ほどの大きさで、3~4cmの厚い殻に包まれています。
男性レポーターが大口開けて一口で頬張っておりましたが、口から溢れ出しそうな大きさでした。

関東ではお目にかかることは少ないと思っておりましたら、銚子では昔から食べていたそうです。
テニスのお仲間で奥様が銚子出身のNさんが豪語していました。

「かあちゃんと一緒になっていちばんよかったことは、岩牡蠣が食べられたことだな。
銚子の人間がみんな食べられるってもんじゃないんだからね。
かあちゃんの実家(さと)が漁師だから、身内だから食べられるんだよ。
初めて食べたとき、腰ぬかしちゃったな。
世の中にこんなに旨いもんがあるのかってさ。
それまで食ったことのない珍しいものとかさ、いろいろ海のもんで美味しいもの食べさせてもらったけど、なんてったて岩牡蠣がいちばんだな。
水野くん(こちらのお仲間にはそう呼ばれています)は食べたことあるかい?」

熱血テニスが身上の万年青年のNさんのことを、岩牡蠣を見てて思い出しました。

実は、あるんです、岩牡蠣を食べたことが。

10数年になりますでしょうか。
goro’s Diaryには既にご登場いただいているK米さんご夫妻です。
友人と呼ぶにはおこがましい存在ですが、仲良くさせていただいております。
一緒にいるとエメルギーを吸い取られてしまいそうな、エネルギッシュな夫婦です。
刈米さんのHPは、こちらです。
華麗なる花の世界、というか、華麗なる彼の世界が展開されてます。
「花塾」というお花の教室を、原宿駅前でやっております。

彼の出版記念パーティーのあとの、慰労の食事会だったと記憶しております。
当時、千駄ヶ谷の路地に隠れ家のように存在してた、刈米さんお気に入りのレストランでのことです。
そこで「岩牡蠣」が出されたんです。

ほんとに偶然だったのですが、その会の直前に、岩牡蠣の存在をTVで知ったばかりだったのです。

ふーん、そうなんだ、冬の牡蠣ではなくて、夏場が旬の牡蠣があるんだ、へぇー

目前に岩牡蠣が供されたとき、欣喜雀躍状態で、食べる前から舞い上がってしまいました。
オーナーシェフが福井県の出身で、有力なコネがあり、年に一箱だけ送ってもらえるのだそうです。30個ほどだと伺った記憶があります。
貴重な牡蠣を若輩者がいただけたのは、シェフからのK米さんへの心遣いの、そのお裾分けにあずかったというのがほんとのところです。

召し上がったかたたちが異口同音のように仰る通り、濃厚なクリーミーな味わいです。
口中をえもいわれぬ複雑な味、爽やかな海の香り、クリームチーズの味わい、フォアグラの蕩けるような食感などが、次々と襲ってきます。
それまで経験したことのない、濃密な味です。
至福のひとときとは、岩牡蠣をいただいた、あのような時間のことを言うんでしょうね。

岩牡蠣の話をするとよく訊かれるのですが、普通の牡蠣とはまったく違います。
どんなに想像力を駆使しても、冬の牡蠣の味の延長線上には、岩牡蠣は存在していないと思ってください。
別の素材だと考えたほうがいいでしょうね。

あわわ、涎が出ちゃったよ。


今日の写真の話に話題を変えましょう。

春先に話題になったイタドリの現在の姿です。
中央に青い芋虫がいるの見えますよね。     

同じ葉っぱではありませんが、こうなってます。

そしてとうとうこうなりました。
お見事!というより他、コメントなし。


素敵な遠回り

2005年06月28日 | つぶやき…


熱帯夜で真夏日。不快指数100。
コメメントしたくない。

先述のとおりの住環境なもんで、パンツ一丁になっても汗が滲み出る状態でした。
水を浴びてもおさまらないので、早目に部屋を出てきました。

プー時代もそうでした。
堪らなくなってくると、本とパズルとケシゴム、鉛筆、それに飲み物を袋に突っ込んで、ブラッと部屋を出ます。
その日の気分で行き先は決まります。
やっぱり緑の多くあるエリアを選びます。
代々木公園と神宮外苑が2大候補でしたかね。
昼過ぎの炎天下、涼を求めて自転車でうろうろしてる、Tシャツ半ズボン姿の胡散臭いおじさん。
皆様の期待に応えてあげました。
演じるのはおてのもの、とはいわないまでも、それなりの経験がありますので、その時の気分で決まります。
世をはかなんでるキャラを演じることが多かったかな。テンション高いキャラだと余計暑くなって、もちませんからね。
はかなんでるキャラだと内に向かってればいいんで、エネルギーをあんまり使わなくてすみます。

例えばね、こんなこと。
ホームレスのおじさんが寝てたりするんですよ。
その側に自転車を止めて、跨ったままじっと彼をみてるんです。
色々妄想を膨らまして、彼の人生を再構築していくんです。
今そこに寝そべっている姿からどんどん過去に遡っていきます。
朝はどんな食事をしたか、昨夜はどこで寝たか、一週間前はどう、梅雨の時期、GWの頃、桜の咲いてた頃、雪の朝、正月…最後には出身地までたどります。
この間、時間にして5分ほどかな。
やおら溜め息をはいて、おもむろに離れていきます。
その間、色々な人が側を通り過ぎていきます。
怪訝な眼差しで見てくれたら成功です。
殊更大きな溜め息をついて、快哉をあげてました。
自転車のスピードにも注意が必要です。胡散臭いスピードを追求します。
人が歩くよりちょっと速いくらい。ぎりぎり自転車が倒れないくらいの速度が最適です。ときたま、というより頻繁に自転車を止めて、まわりを見回すことが大事なことです。跨ったままが必須条件です。サドルから離れてはいけません。

と、ここまでくだらないこと書いてて思いました。
今のおじさんも、まんまやってることです。
今日もそうでした。
あちこちで自転車止めて、デジカメでパチリパチリ。
いちばんの遠回りをして、店までやってきました。
10分の距離を1時間半かけての到着です。
その成果が次の花たちです。

     

「ワルナスビ」です。悪茄子です。
とってもいけない茄子なんでしょうね。
トゲが悪さをするらしいですよ。

          

          「蕎麦の花」も1枚。

     

          

まさに今、咲き誇ってます。
「アガバンサス」です。
よくよくご近所のあちこちに咲いてます。
涼やかな花色です。


長先生の思い出

2005年06月27日 | goro's夜話


新聞は色々なことを伝えてくれます。
そこから学んだことは数知れずあります。
政治や経済のことは勿論、家庭欄や文化欄で得た知識は、時に生活を豊かにしてくれたり、会話の糸口として、大いに助けられたりします。

おじさんは今日、悲しいニュースを受け取りました。
「長新太さん死去」の大きな文字です。
写真も掲載されておりました。
生前の、おじさんが知っているより、幾分険しい表情のお顔でした。

長先生との出会いは、おじさんが随分若かった頃、まだ青年の頃です。
プライドだけが支えで飛び込んだ水商売。30年近く前の青二才の頃です。
長新太が何物なのかも知りませんでした。
有名なイラストレーターだと先輩から教えられました。

絵本の分野では子供から大人まで根強い人気があり、特に大人のファンが多い作家だと思います。
あとからきた後輩たちに、ある道を開いた方だと思っています。
穏やかで、常識人で、物静かに話しをなさる方でした。
酒場で目立つことはいっさいなさらず、時に交えるユーモアの一端は、ややもすると聞き逃すくらいの程度でした。
どう?って感じのちょっと上向きに顔をあげるとぼけた仕草で、あっ、冗談を仰ったんだなとわかるのです。
大向こうを唸らせるような大ネタではなく、クスッとくるような笑いが、本領でした。
作品と同じように、おおらかでほのぼのとした人柄でした。
長先生の程のよさは、内側にいるスタッフにはよくわかります。
小僧っ子の私たちにも誠実に話をしてくれましたし、ミーハー的なところもあったりしました。
こちらから芸能人の名前など教えてさしあげると、フーンと例によってとぼけた表情をなさっておりましたが、まんざら興味がなかったわけではありませんでした。
ファンを名乗るお客さまにもにこやかに対応してくださり、ハンカチにサインを書いておられました。
太田大八先生、長先生、多田ヒロシ先生の3人は、それぞれ世代が一つづつ違うのですが、しょうちゅうご一緒に行動なさっていて、ことのほか仲良く酒場で談笑しておりました。
太田先生のご健在の記事を05・5・26の記事で拝見して、元気におじいさんやってるなと思っていた矢先の、長先生の訃報です。
闘病生活のことは知っておりました。
入退院を繰り返しているということも、やはり新聞紙上で、ご本人が語っておられました。
Goro'sの開店の案内状をお送りしてしばらくたってから、太田先生とご一緒にお顔をみせてくださったのが最後でした。
そのときは、あんまり飲めないんですよと、ビールを召し上がりました。
AILALAから始まって、Nadja、quatre、Goro'sと、ほんとにありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。

季節を代表する花で、長先生をお見送りしたいと思います。

     

          

こんな日にこそ、雨が降ればいいのに…