またまた黄色い春告げ花の登場です。
春咲く花の50%以上が、黄花なんだそうです。
黄色は、寒さに縮こまっていたこころと身体に、元気を届けてくれる色です。
こちらのお方も、マイ花マップの会員さんです。
昨年に引き続いての登場です。
小田急線と「春の小川」に挟まれた、狭い敷地のお宅の庭にあります。
このお宅のシャッター、いつも下りているんですよ。
空家ってことではないんですけどね。
塀の内側にいらっしゃるのですが、通りから手の届く距離ですのでね、アップの画像も難なく撮ることが出来ます。
【ミツマタ・三椏・三又・三枝】ジンチョウゲ科
中国中南部からヒマラヤにかけてが原産地の、落葉低木です。
あれぇ~? ミツマタの木って、日本の自生種じゃなかったんですか?
いえね、おじさんの故郷の山にも、自生してたものがあったのです。
幼かったおじさんには、ミツマタの木を認識することは出来ていませんでしたが、ミツマタについては、ある場面が鮮明に記憶されています。
冬場のある日のことです。
高知からやってきたと噂された方たちが山に入り、潅木を伐り出してきて皮を剥き、束にした樹皮を小川の流れで晒しているのを、憶えているんですよ。
何故外部からやってきた人たちかといいますとね、村内には、ミツマタの樹皮をどうこうするという人は、いなかったはずです。
今なら外部の人間がやってきて勝手に樹木を採ったら大問題になるでしょうが、当時はのどかな時代だったんでしょうね。
尋ねたんでしょうね、母親に、あれは何かって。
ミツマタという植物があり、その樹皮が紙の原料になるんだということを、その時初めて知りました。
そういうエピソードがありましたのでね、ミツマタは日本の自生種だとばかり思っておりました。
余談ですが、のどかさを伝える、こんなエピソードがあります。
漁師さんなら、自宅の敷地内以外にある桐の木だったら、持ち主に断りなく、勝手に伐り取ってもいいことになっていました。
なんでも魚網の浮標(うき)に使ったんだそうで、昔からの共同体の約束だったようです。
ただし桐の木を持っていった漁師さんのほうには、獲れた魚を届ける決まりがありました。
持ち主のほうは、漁師さんから魚が届けられて、初めて自分の桐の木が伐られたことに気が付いたという笑い話を、母親から聞いたことがあります。
実際には、伐る前に断りを入れていたようですけどね。
ミツマタが日本にやってきたのは、室町時代だとされる説が有力なようですが、実は万葉集で「サキクサ(三枝)」と詠まれているのはミツマタのことで、そうなれば8世紀の後半には、日本に存在していたということになります。
いやいや、江戸時代に紙をつくる材料として移入されたのが初めだという説もあり、ほんとのところはまだわかっていないようですよ。
どんな経緯で、いつ入ってきたのかはともかく、日本の固有種ではないことは確かです。
栽培されていたものが山野に飛び出し、帰化植物になって野生化したというのが、おじさんが自生種だと思っていたことの答えでした。
先日アップしたジンチョウゲとは、近縁種です。
ジンチョウゲほどの強烈さはありませんが、こちらにも芳香があります。
40~50の小さな花の集合花で、蜂の巣のように見える花が、下を向いて付きます。
花びらと思しきものが萼で、花弁がない花だというのは、ジンチョウゲと同じです。
ジンチョウゲと違うのは、ミツマタの花は繊毛をビッシリと纏っていることでしょうか。
名前の由来にもなっているのが、1年に1度、木の枝が3つに分かれることです。
1年に1度の分枝ですのでね、分かれた個所を数えると、その個体の年齢がわかるということです。
このお方は何歳でしょうか?
6~7歳かな。
日本では高級紙の原材料として有名な植物ですが、世界的には観賞用として、花と香りを楽しむために栽培されるのが普通のようです。
せいぜいが1,5メートルほどの低木ですのでね、ガーデニングには向いているのかもしれませんね。
小田急線が、新宿駅を目指して通り過ぎて行きました。
香りがまた最高ですよよね!
そうでしたか、同じ日のアップでしたか。
春の花たち、ジワジワと迫ってきてます。
今年はノンビリと・・・
そう思ってはいますが、煽られるのはどうしてでしょう?(笑)。