5月31日(木)
津駅発午前7時21分の近鉄灘波行き特急で、党事務所に22年間
勤務してくれた柳楽さんが米子に帰っていった。
集団就職で津市に来てから50年経つと言う。見送りに行ったら、急
に涙が出てしまった。
彼女とは、机を並べて仕事をしたが、激しいバトルを繰り広げたこともあった。
お互い適当にすませることのできない性格がそうさせたのだと思う。
定年退職後、穏やかな関係になった。
彼女は、退職をしてからも、づっと津市にいて、ボランティアで日刊紙
を配ったり、集金も以前と同じようにしてくれた。
ここ1年半ほどは、高齢のお母さんが弱られたけれど、お母さんを
ショートステイに預け、米子と津市を行ったり来たりしながら、やっぱり同じ
ようにしんぶん赤旗の配達・集金をしてくれた。
普通はそんなことはできることではない。定年前にその話を聞いたとき、
それは不可能だと思ったが、彼女はきっちりやりとげた。あれからもう5年
経ったのだ。たいしたものだと思う。
とにかく、一人でもこつこつと頑張る人だった。
私は、日本共産党は彼女のような献身的な人たちによって支えられて
いると思う。
一人のカリスマの党でなく、多くの党員のこつこつとした営みがあって
90年の歴史をつくってきたのが、日本共産党だと思う。
いま上田七加子著:道ひとすじ(不破哲三とともに生きる)を読んでいる。
ここにも、一人の女性の一本貫く党員人生がある。
私は、柳楽さんとも上田さんとも違うけれど、私らしく、一生懸命党員
人生を歩んで行こうと思う。