読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

布川事件の被告雑感

2009-12-17 14:35:03 | 新聞

作家、佐野洋は1974年5月、布川事件の被告の一人、杉山卓男から大判の封筒で書留郵便を受け取った。佐野は裁判批判の文章を雑誌などに書いていたので、それを拘置所内で読んだ人たちから共感の手紙が以前から何通か来ていたと言っている。送られて来たその封筒のなかには「事件のあらまし」「取り調べ状況」「一審判決文」「二審判決文の要約」「本件捜査の経緯」などが資料として入っており、同被告は、自分は無実であり、支援して欲しいと言う旨のものであった。佐野はこれにより布川事件を知り、ノンフィクション「檻の中の詩」を書くことになった。

目に止まった本

2009-12-16 13:59:33 | 読書

図書館でリサイクル本として幾度か今までに貰って来た十数冊の本の中に
佐野洋著「檻の中の詩(うた)ノンフィクション・布川事件」と言う本が有った。その本は
私が家内の読書用にと貰ってきた本で私は取り立てて興味は無かったものだった。
が今日の朝刊で「布川事件の再審確定、逮捕から42年、二人無罪の公算、最高裁特別抗告棄却」と言う見出しを見つけ、「あの本だ」と気が付き、急に強い興味が湧いてきた。
それで読み始めた本である。1993年双葉社出版。

銘茶器

2009-12-15 15:55:12 | 読書
永六輔が岡山のある素封家の茶室に案内された事が有った。
茶室、茶道具など色々なものを見せられた。是は織部、これは高麗茶碗、加藤唐九郎、魯山人と言うふうに。その素封家は永に「お好きな茶碗を選んでください。」と言われた。選んだ茶器でお茶を立ててくれるつもりなのか、そう言われた永は「じゃあ、これで」と選んだ。素封家は「ああ、それを選んで下さった。さすがお目が高い。」と言われ、それでお茶を立ててもらった。「手の中におさまりがよく、ほんとに良いですね」と言うと、お土産にさしあげましょうと言われて仰天した。素封家は、「それは、うちの孫が夏休みに作ったんです。」と言ったそうだ。

今年の漢字

2009-12-12 10:16:44 | 漢字
今年の漢字に「新」という文字が選ばれた。政権も新しくなったし、裁判員制度など色々な事が他にも新しくなった。今年の漢字を募集した日本漢字能力検定協会も不正が有り、理事なども新しくなったと言うおまけも有った。その協会が募集した応募が16万1千通有り「新」が一位だっと言う。海外メディアからも取材に来たそうだ。
ところで「新」と言う漢字を甲骨文字にまで遡って見ると
この文字は辛と木と斤から出来ている。辛は取っ手の有る大きな針を表したもので、それを位牌を作るとき木に向かって投げ、その針が刺さった木を神木として選び、それを斤(おの)で切り出した。「新」はその神事を表した文字である。図はその甲骨文字である。白川静著「常用字解」平凡社から

人権作文

2009-12-10 15:38:33 | 新聞

「全国中学生人権作文コンテスト県大会」と言う欄でそのコンテストに入賞した三人の
中学生の作文が紹介されていた。三人とも身近な家族である祖父や父親の障碍の事から人権を考える事を始めている。この作文を読んだ私の家内は「みんな良い子ばかりやねぇ。」と感心していた。人権の侵害は障害者、性差別、学歴の差別、そして少し前は差別などがあった。差別は今もあるかも知れない。これらの差別をなくそうとする活動は差別用語なるものを生み出し映画、小説などの表現にも逆に影響をもたらすと言う現象も生み出した。人権問題も多くの人が容認する社会通念の基礎の上で論じられなければならないと思う。

法名の付け方が解らない

2009-12-09 09:09:23 | 宗教

家内の母親が98才で亡くなり、最近、葬儀が有った。多くの会葬者が有り

最近、これほど多くの会葬者の有る葬儀に参列したのは久しぶりだと思った。

ところで故人の法名が温雅院釈尋開とされた。俗名がたづゑである。

普通、俗名の一部の文字が法名に使用されるが、この法名の場合は

それが見られない。俗名がひらがなであるためにそれが出来なかったと

言う事だろうか。法名の付け方にも規則が有るのだろうが良くは解らない。

たづゑを尋ねると解釈したのだろうか。尋ねるはたずねるでたづねるではない。

尋と言う漢字は右と言う漢字と左と言う漢字が合わさったものである。

神の在り処を尋ねると言う意味が本来である。

右と左の漢字を合わせた文字なので両手を左右に大きく広げ、広いと言う意味

にもなった。

良く理解出来ない法名の付け方である。

死ねない悩み

2009-12-04 10:45:35 | 暮らしの中で

家内の母親が亡くなった。享年98歳、正に天寿と言える。が晩年の口癖が、「死にたい。」だった。そして「誰にも悩みはある。わしも死ねんと言う悩みがある。」と言っていたのもを憶えている。明治44年10月3日生まれ。徳川最後の将軍慶喜は大正2年まで生きていたから家内の母親が生まれた当時は慶喜はまだ生きていたことになる。そんなどうでも良い事が頭にうかんで、義母の遺体のそばに座っていた。

「シテ」と「ワキ」

2009-12-03 13:59:25 | 読書

世阿弥の能の主人公、シテは殆どの場合、とうの昔死んだがこの世に未練がある怨霊である。それが深夜、普通人の仮面を付け、人間の世にやって来るのである。一方、ワキは世阿弥の能においては多くが旅の僧で好奇心に満ちた霊の世界の観察者である。このワキが怨霊であるシテに語りかける事で能が始まる。ワキはシテの正体を能の物語の中で問い詰める。問い詰められたシテは困り、姿を消す。ここで前場が終わる。後場ではシテは、生きていたときの深い怨念のためあの世に渡れない怨霊として姿を現し、生きていたときの悩みや苦しみを語る。その苦しみが深ければ深いほどシテの舞は激しくなる。ワキはそれを見てシテの怨念の鎮魂者となる。能は中世に生まれたあの世の住民を主人公にする演劇である。
梅原猛著「写楽仮名の悲劇」から

気になる発音

2009-12-01 09:42:34 | 新聞

私もアナウンサーやタレントの言葉使いだけでなくその発音も気になる方だ。
ニュースで海上自衛隊の護衛艦が「護衛官」に聞こえたり、クイズ番組で賞品が「商品」に
聞こえたりした事は私にも有った。アナウンサーは日本語の読み方、発音の仕方についても訓練を受けている筈だと思うが。