家内の母親が亡くなった。享年98歳、正に天寿と言える。が晩年の口癖が、「死にたい。」だった。そして「誰にも悩みはある。わしも死ねんと言う悩みがある。」と言っていたのもを憶えている。明治44年10月3日生まれ。徳川最後の将軍慶喜は大正2年まで生きていたから家内の母親が生まれた当時は慶喜はまだ生きていたことになる。そんなどうでも良い事が頭にうかんで、義母の遺体のそばに座っていた。
家内の母親が亡くなった。享年98歳、正に天寿と言える。が晩年の口癖が、「死にたい。」だった。そして「誰にも悩みはある。わしも死ねんと言う悩みがある。」と言っていたのもを憶えている。明治44年10月3日生まれ。徳川最後の将軍慶喜は大正2年まで生きていたから家内の母親が生まれた当時は慶喜はまだ生きていたことになる。そんなどうでも良い事が頭にうかんで、義母の遺体のそばに座っていた。