徳川家康は、徳川本家に将軍後継者が絶えた場合を想定して、『御三家』
を創設した。
いわば『将軍予備軍』である。
七代将軍・家継が8歳で死去し、二代将軍・秀忠の血統が断絶すると、紀
州徳川家の徳川吉宗が本家を相続して八代将軍となった。
その時、江戸幕府が開設されて120年が経過していた。
吉宗は、本家と『御三家』の間が、血縁としては疎遠になったと考えたか
も知れない。
もはや『御三家』は『将軍予備軍』の資格を喪失したと考えたかもしれず、
そのための処置が『御三卿』の創設であった。
吉宗は自分の子、孫を『御三卿』の当主とし、もし本家の血統が絶えた場
合は、『御三卿』から次期将軍を選ぶことにした。
こうして、紀州徳川家の血統で将軍職を独占する『紀州王朝』が誕生した。
を創設した。
いわば『将軍予備軍』である。
七代将軍・家継が8歳で死去し、二代将軍・秀忠の血統が断絶すると、紀
州徳川家の徳川吉宗が本家を相続して八代将軍となった。
その時、江戸幕府が開設されて120年が経過していた。
吉宗は、本家と『御三家』の間が、血縁としては疎遠になったと考えたか
も知れない。
もはや『御三家』は『将軍予備軍』の資格を喪失したと考えたかもしれず、
そのための処置が『御三卿』の創設であった。
吉宗は自分の子、孫を『御三卿』の当主とし、もし本家の血統が絶えた場
合は、『御三卿』から次期将軍を選ぶことにした。
こうして、紀州徳川家の血統で将軍職を独占する『紀州王朝』が誕生した。
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