読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

十三代将軍徳川家定のこと

2010-11-28 10:19:54 | 歴史
十三代将軍・家定は、文政7年(1824年)、十二代将軍・家慶の四男
として生まれた。
家慶の子の多くは早世し、成人に達した男子は家定のみだった。
しかし、幼少時から病弱で、人前に出ることを極端に嫌う性格だったと言
われている。
一説には、脳性麻痺であったとも。
幕末の難局の時代だったが、家定は就任直後から後継者問題が浮上するほ
ど体が弱く、将軍として指導権を示すことが出来なかった。
有力後継者として、井伊直弼らが推薦する紀州家の徳川慶福(よしとみ)、
徳川斉昭(なりあき)、島津斉彬(なりあきら)が推す一橋慶喜(よしのぶ)
の二人がいた。
徳川斉昭は、御三家のひとつ水戸徳川家の当主。
それぞれのグループは『南紀派』『一橋派』とよばれ、十四代将軍の座を
めぐって争った。
『安政の大獄』の原因のひとつに、この後継者争いがあった。






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