読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

続・記者 正岡子規

2011-11-18 09:01:07 | 歴史
子規は日清戦争から帰って病気から体力を取り戻し、新聞「日本」に
「従軍記者」というタイトルの記事を七回に渡って書いた。
子規が神戸で約三ヶ月、入院生活を送ったが、その後郷里松山に帰り
松山中学に在職していた漱石に逢っている。更に後、奈良に遊んだとき
「柿くえば鐘が鳴るなり法隆寺」の句を詠んだ。この間も、子規が
従軍中に軍から受けた理不尽な扱いに対する怒りは無くならなかった。
従軍中、子規は待遇も礼儀もなく寝る場所も飯も湯も満足には与えられず
従軍神官僧侶より扱いは悪く、馬鹿にされ「われは覚えず涙ぐみたり」と
書いている。が、大連にいたとき一度だけ海軍の宿舎に泊まった事が有り
そのときは陸軍に比べ待遇が良いのに驚いたと書いている。


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