読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

兵は東国にかぎり申し候

2009-07-01 13:34:35 | 歴史

663年、大和政権の天智天皇は百済に倭軍を送ったが白村江で新羅軍に破れ、結果百済は滅びた。このとき多くの百済人が倭に亡命した。倭に流入した百済人の数は記録では白村江の敗戦の二年後、「百済の百姓男女四百人余を以って近江の国の神前の郡に居く」、さらにその翌年「百済の男女二千余人を以って、東国に居く」とある。彼らは、その故郷では高句麗や新羅と戦いの続く戦闘に明け暮れていた。この騎馬戦闘に長けた集団が日本に移住し、子孫が開拓地主となり坂東武者なって行った。荘園制度とからんで坂東武士団が出来ていった。そして源平藤橘の系譜へと創り、つまり桓武天皇や清和天皇の子孫に変身した。屈強な関東武士の原型が出来、後世「兵は東国にかぎり申し候」と新選組の近藤勇は言ったそうである。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿