読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

興と言う漢字

2009-07-12 16:04:08 | 漢字

興味が有るとかないとか言う場合の「興」と言う漢字ほど酒と神の関わりを示す文字は
ない。この文字の同は酒を入れる器を示し、臼と廾の部分は酒器である同に左右の手を並べた形である。図の甲骨文にそのように描かれている。酒盃を両手で持ち、下から支え、酒を大地に注ぎ、地霊を呼び起こす儀式を表した文字である。

息は笛に通じる?

2009-06-26 09:20:20 | 漢字

新聞のコラムの中の文章に「生きは息に通じ、息は笛に通じる」と言う語が有った。生きは息に通じは解るような気がするが息は笛に通じるというのは少し解りにくかった。
そこで「息」を金文まで遡って見るとこの漢字の「自」の部分は正面から見た鼻の形でこれに「心」を加えて、心の状態がいき呼吸の状態に表れる事を言うと有る。(図の上の金文)生息と言う熟語もあり、「生きは息に通じる」のは解る。
次に「笛」と言う漢字の「由」の部分は瓢箪のような形をした実などの中身が熟して溶け、中がからになった形であると言う。同じように中が空になっている竹を楽器として使用するものを笛といい、「ふえ」の意味に用いるとある。(図の下の篆文)
が結局、「息は笛に通じる」の部分は解らなかった。

「謎」の文字のしんにょう

2009-06-14 09:10:12 | 漢字

謎と言う漢字の辶は二点のしんにょうか一点のしんにょうかが問題になっているそうだ。どちらかに統一すると言う事はパソコンのソフトから携帯のメール機能を修正するのに莫大な費用と時間が掛かると言う。ところで迷うとか道とか他のしんにょうを含む漢字はどうなのだろう。白川静の「常用字解」にはこの謎の文字は掲載されていないが言と迷と言う漢字の会意文字であろう。言はサイと言う祝詞を入れる容器に取っ手の付いた大きな針を表した絵で神との誓約に違反した場合は入墨の刑を受ける事を意味する。迷のしんにょうは道の交わった部分と下の部分は足で歩いて進む事を表している。迷の金文を見ると人が道の交差点に立って迷っている形になっている事が判る。謎とは言葉に迷っていると言う会意の文字かと思う。何れにせよ、しんにょうが一点か二点かについては二点の方がより原型の文字に近いとは言えるだろう。白川静氏の「字通」でもう一度調べてみようと思っている。

維新の維

2009-06-05 10:23:00 | 漢字

音符は隹(すい)、隹に唯(い)意味は(しかり)、帷(い)意味は(たれぎぬ)の音がある。「維」は線維と言う熟語として使われる。紐や綱のように線維で編んで強い綱のようにしたものを言う。金文と篆文では図のように描かれている。「つな、つなぐ」の意味に使われる。明治維新の維新の語は「詩経、大雅、文王」の「周は旧邦なりと雖も基の命は維(こ)れ新たなり(新しい天命を受けたり)」の句から出た語なのだそうだ。

漢字「愛」

2009-06-03 10:34:41 | 漢字
直江兼続の兜の前立が何故、愛なのか理由ははっきりしないらしい。
この文字と戦国の武将のイメージほどしっくり来ないものは無い、と現代の感覚からすれば思える。この漢字を遡って調べてみると、古代中国の紀元前千三百年ほど前の金文に図のように描かれている。後ろを顧みてたたずむ人の形の胸のあたりに心臓の形である心を加えた文字である。立ち去ろうとして後ろに心が引かれる人の姿で、その心情を愛と言うと有る。後ろの人に心を残すところから愛情の意味となったのだそうだ。はっきりしない、ぼんやりした状態を僾(ほのか)と言う。日陰の薄暗いかげりを曖(かげる、くらい)と言い、物事がはっきりしない曖昧のように言う。

「話」と言う漢字

2009-05-31 14:25:41 | 漢字

白川文字学によると「話」と言う漢字の言の部分は甲骨文ではサイと言う祝詞などを入れる容器に取っ手のついた剣を突き刺した形に描かれており、その漢字の舌と言う部分甲骨文では同じくサイと言う祝詞を入れた容器に刃物をつき立てた形に書かれていると言う。つまり、「話」と言う漢字は、人を中傷するような両刃の剣のような意味の文字なのだそうだ。

漢字は怖いもの

2009-04-26 09:12:32 | 漢字
「世界一受けたい授業」と言うテレビ番組で武田鉄矢が漢字の成り立ちについて説明していた。お笑いタレントに横たえた棒の上に首だけを出させ、両腕はその横たえた棒の上に伸ばして載せる。それから漢字の説明を始めた。番組のこのシーンの写真だけが新聞のテレビ欄に載せられていた。この写真を見て「方」と言う漢字を表している事が私には判った。
番組では当然、白川静の名も出る筈だと考えていた。その通りになった。武田は「漢字は怖いものだと覚えて置いて下さい。」と言っていた。漢字の歴史を遡れば紀元前1300年前の殷、周の時代の甲骨文字になる。その甲骨文字は人とのコミュニケーションを目的としたものではなく、神とのそれであった。物事を表し、象徴する線画で神の意思を占ったのが始りであり、当然「怖い」要素も含まれるし、文字の一つ一つがその時代の思想を表し、含んでいる。

「悲」と言う漢字

2009-04-24 10:32:02 | 漢字

カソリック司教の森一弘氏が作家の五木寛之氏と対談している中で「悲」と言う漢字を調べて見ると心に羽がついていて、引き裂かれるような心を意味している事が解ったと言っておられた。心の上の非を羽と解説した書物を読まれたのだろう。ちょっと疑問に思ったので私も調べて見た。白川静著「字通」によると、悲は形声で説文解字では、痛むなりとあって悲痛の情を言う。非は否定的な心情を示す形況的な語で沸鬱とした感情を言うとある。ここまでは良い。非を調べて見ると、これは梳き櫛の形で左右に櫛の歯が並んだものである。羽ではなかったのだ。説文解字では「違うなり、飛下する翅(はね)に従う。その相背くを取るなり」と鳥の飛翔の形としているがそうではなく、仮借して否定の意に用いるようになったと「字通」に有った。

「人」と言う漢字

2009-03-04 10:15:40 | 漢字

「活字中毒のモモちゃん」と言う人が書いているメルマガでの話。
高校のとき、部活が辛く、女子部員全員で退部したいと顧問の教師に申し出たとき、先生は言った。
「お前たち、『ひと』という字はどう書くか知っているか?」
先生はチョークで黒板に字を書きながら
「こうやって、支えあうカタチが人なんだ。だから、みんなで
励ましあってがんばろう」と言われ丸め込まれたのだそうだ。ところがそこに書かれた文字が「入」になっていて集まっていた女子部員全員の目が点になったそうだが、何れにせよ、人と言う漢字は支えあっている事を表す文字ではない。人そのものの象形なのである。この事を知っていれば先生に丸め込まれなかったかも。象形文字のフォントがないので書けないが「活字中毒のモモ」さんには岩波新書「漢字」白川静著をお勧めする。ついでに顧問の先生にも。


続「文身」(入れ墨)

2009-02-13 14:27:31 | 漢字

文身は多くはめでたい時に行われたが人が何かの恐怖に直面したときにも行われた。「凶」と言う文字は人の胸部に×印を加えた形に出来た漢字である。これに人の形を加えた文字が「匈」であり、「胸」の元の文字である。その恐怖を表すとき「兇」と言った。また、胸騒ぎを言うのが「恟」である。