読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

文身(入れ墨)

2009-02-12 13:38:14 | 漢字

文身の美しいことを元、文章と言った。人が立つ形の象形の胸部に心の形やXやVの形の印を加えるのである。「章」と言う漢字は入れ墨を入れる辛(はり)の先の部分に墨液の溜まった形の文字である。文身はもともと儀礼的なものであり、朱や墨で書いたものであった。儀礼の後は消された。しかし「彰」と言う文字は入れ墨の辛で皮膚の下に墨を入れる事を示す形の漢字であり、後々まで残すために身体に装飾として施される場合はこの方法が取られた。章のとなりの彡(さん)は文身の美を示す形である。また皮下に辛で入れ墨を入れる事は刑罰にも用いられ、童、妾、憲などはこの辛に従う字である。
岩波新書、白川静著「漢字」より

「産」と言う漢字

2009-02-11 09:47:13 | 漢字

産は生まれる事を言う。産の元の字は立の部分が文に書かれ、文に従う字で文はひたいに加えた分身、つまり入れ墨の象である。厂(がん)はひたいの形。金文では、産の生の部分が初になっている文字がある。初は衣が付いているところを見ると産衣を意味していると思われる。子が生まれるとすぐにひたいなどに×形の印を書く。神が宿るしるしであり既にここに子が生まれた家の祖霊が寄託しているのである。わが国でも平安期には行われていたと言う。分身はある年齢に達する毎に行われた。彦は顔に分身を加えた形を示し、顔とはもともとひたいの事を言うのである。顔は従って分身を加えたひたいを言う。彦はひたいに成人した者の分身を示すものと思われる。

漢字は抽象

2009-01-24 13:51:42 | 漢字

漢字は初期、象形であった。象形は絵画ではなく具象であり更に言えば抽象性を強く持ったものであった。例を挙げれば、尹は一本の小枝を手に持つ事を象徴し、小枝は神が憑りつくひもろ木であり、尹はそれを持ち、神がかって踊る聖職者を言う。その聖職者である尹がサイと呼ばれる容器(Uの中に横棒を引いた文字で、後に口と書かれる)の中に神託を受ける事を象徴した文字が「君」である。君とは巫女にして王である。私には、卑弥呼が想い浮かぶ。白川静著「漢字百話」中公文庫から

烏と言う漢字

2009-01-23 11:04:19 | 漢字
少し前、テレビのクイズ番組で「烏」と言う漢字について、カラスは黒く、目がどこに有るか判らないので「鳥」と言う漢字と比べて横棒が一本足りないのだと説明されていた。白川静 著「漢字百話」中公文庫を読むと烏の文字は金文では、はっきりと目が書かれている。只、その文字は、カラスが殺され、何かにぶら下げられ、羽も体も足も垂れ下がった形に描かれており、古代からカラスは悪鳥として象形の文字にされていたようだとしている。横棒が一本足りないのはカラスが黒く、目の有りかがどこか判らないからではなく、悪鳥としてその文字が象形として書かれたからではないかと私は想像している。

介護の介

2009-01-16 09:43:46 | 漢字

介護の介と言う漢字は、人が人を助ける形の漢字だと福祉関係の資格のテキストに書かれてあるそうだ。少し疑問に思ったので調べて見た。白川静氏の「字通」平凡社を使った。
この介と言う漢字は象形で身体の前後によろいを付けた人の象であると記述が有った。平凡社新書の「白川静」漢字の世界観 の中でも著者の松岡正剛氏もそのように解説している。同書216頁に甲骨文字で介の象形を示して説明されている。許慎の説文解字には「畫(かぎ)るなり」「界なり」として、かぎる意とするが介冑(かいちゅう)の介を本義とすると「字通」で解説されている。
①よろい、こうら②身を守るものでたすける③他と界して、へだてる、はさまる、さかい
などの意。「説文解字」には介声として芥、界など十八字が収められているとある。

漢字「幸」

2009-01-14 09:09:19 | 漢字

「幸」の漢字は白川静「字通」では象形であり、手械の形を示している。つまり罪人などの手にはめる刑具の形をしたものである。これを手に加える行為が「執」と言う漢字となる。説文解字に「吉にして凶を免るるなり」とし字を屰(ぎゃく)と夭(よう)に従い夭死免れる意とするが、卜文や金文に表れる字形は手械の象形になっている。これを加えるのは報復刑の意があり、手械に服する人の形が報である。幸の義は恐らく倖、僥倖にして免れる意であろうと説明されている。後に幸福の意となりそれを願う意となったと解説されている。

「男」と言う漢字

2009-01-08 09:04:17 | 漢字

「男」と言う漢字の成り立ちについて今も小学校などでは田で力を出して働くので男であると言うように教えられているのだろうか。阿辻哲次氏は岩波ジュニア新書「漢字のはなし」の中で『「男」は田と力からなる会意の文字で、「田んぼで力仕事に従事する者」の意味を表しています。農作業をする者という意味から、やがて一般の男性を意味するようになったというわけです。』と書いている。これは中国紀元一世紀後漢の許慎の「説文解字」の解説そのままである。田は田畑の事で解るが、力は何故、腕力の力を意味するのだろう。抽象的で眼に見えない概念は象形の文字にはなりにくく力という部分は腕力の事ではなく田で使われる鍬の形を表したものであるとするのが白川静氏の岩波新書「漢字」である。「男」は田で働く農夫やそこで使われる農器具を管理する役職の名であると言う意見である。男を表す文字は「士」や「夫」である。爵位に「男爵」と言う位が有るが「男」が役職の名であった名残がここに有ると説明されるのである。許慎は甲骨文字や金文の存在を知らず彼の漢字の成り立ちについての理解は限界が有り、誤りも有る事は今ではよく知られているところである。

国字は何時頃から出来たか

2008-12-28 10:12:04 | 漢字

日本で出来た漢字を国字と言う。辻、峠、裃、躾、その他魚偏の付く漢字は殆どが国字だ。中国文化が発生したのは海から遠い内陸部で有った。揚子江や黄河はあったが魚の種類は少なかっただろうから魚の付く漢字は会意文字としてはそれほど多くは生まれなかっただろう。一方、日本は四方が海に囲まれ豊富な種類の魚が見られ魚偏の漢字が多く作られた事は容易に理解出来る。
こうした国字の一部は奈良時代から既に使われていた事は解っているそうだ。710年から784年まで都は奈良の平城京にあった。その平城宮の遺跡から多くの木簡が発見され、その木簡の一つに鰯と言う文字が書かれてあったと言う。魚と弱との会意文字である。しかしこの平城宮の前の都の藤原宮跡から出た木簡にはこの鰯は「伊委之」と万葉仮名で書かれてあるものが発掘されている。この事から見て伊委之から鰯への変化の背景には漢文の学習が進み、その形式に従った文書を書く必要が出来たと言う事実が有ったと思われる。

長広舌

2008-12-07 12:31:09 | 漢字

ながながと喋り続ける事を「長広舌をふるう」と言うが
「詳細漢和辞典」、「大言海」、「新明解国語辞典」、「講談社国語辞典」、「新潮国語辞典」など多くの辞書が長広舌は広長舌の誤用として、広長舌が正しいとしている。このブログを書いているワープロでは「ちょうこうぜつ」で「長広舌」と変換出来るが、「こうちょうぜつ」では変換出来ない。長広舌の方が一般に使われていると言う事だ。「広長舌」は「華厳経」や「法華経」などの経典に出る語で「公長舌相」の略で菩薩の三十二相の一つだそうだ。仏の舌は細く長いと信じられ、後に意味が転じて大いに説法する事を意味するようになったと言う。

互角と牛角

2008-12-05 12:16:25 | 漢字

「互角・牛角」は互いに力の優劣に差が無い事を言う。牛の二本の角の長さ、太さに差が無いことから来ている。「牛角の勝負」などと使う。この熟語は漢和辞典に出典はないが「法華経」に「依我見、而辺見、如牛頭両角耳」と有るところから見ると仏教からの語であるらしい。経典は呉音で読まれるから牛は「ご」と発音される。「平家物語」には「仏法王法牛角也」とあり、「太平記」にも「山門方は力を落として、牛角の戦いに成りにけり」とあるから牛角が古く互角は借字であるようだ。現代の辞書では互角だけを載せているものは「角川国語中辞典」「岩波国語辞典」など八冊、「牛角、互角」と載せているものは「大言海」「大漢和辞典」など十五冊。現代表記は互角。丑(うし)と互も字が似ており、それも関係していないかとも思っている。