GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

「ウイグル」<降りかかる火の粉>

2009年07月10日 | Weblog
<降りかかる火の粉>

 ウイグル自治区の大暴動は、私たちにとって<対岸の火事>と見る人が多いに違いありません。しかし、何故あのような暴動が発生するのか、その原因を自分なりに分析することは決して無駄ではないと思っています。それは国と民族、民族同士の紛争という大きな捉え方だけでなく、見方を変えれば、個人と組織、個人と個人の衝突と捉えることができます。また、中国政府という圧倒的権力を持つ組織が武器を持たない市民グループへの弾圧とはいかなるものか、日本や世界のメディアはこの衝突をどのように報道するのか、周囲の国々の反応、相手が中国だけに米国の反応(中国は多額の米国国債を買っている)など、とても関心があります。
 確かに遠い中央アジアの事件、<対岸の火事>かもしれません。しかし、もし我が身や家族に火の粉が降りかかったならば、強い信念を持って振り払いたいと考えます。たとえ、相手が国であろうと、組織であろうと、個人であろうと。強い信念はこのような事件があったとき、そのウィグル自治区に生まれ育ったとして私がその住人だったらどう対処するのだろうか。彼らと共に暴動に加わるのか。「お前ならどう行動するのか?」自分なりのスタンスを決めたいと考えています。

 9.11テロが発生した時、何度もTVで信じられない光景が映し出されました。最初、まるで映画の一場面のように感じながらも、次第に現実の恐怖が津波のように襲ってきました。そしてまるで金縛りにあったような状態になりながら、「何故? 何故こんなことが…」

 今となって多くの事が分かってきました。その後のアメリカ合衆国国内の世論は急速に保守化し、ネオコン(新保守主義)勢力が政治の舞台に全面的に登場しました。過剰なマスコミ報道によりそれが増幅された為国民の間にイラクとサダム・フセインに対する敵愾心が増大し、2年後のイラク戦争を引き起こしました。そして大量破壊兵器が見つからないままにフセインは処刑されました。それからのイラクの混迷は説明する必要がありません。このような非情な大規模テロの背景には何が存在するのか、イスラム教国家の姿勢、ウサマ・ビン・ラビンとは、石油の利権(埋蔵量:サウジ20%以上・イラン11%・イラク10%)、サウジアラビア、アフガニスタン…。映画や小説、本やネットで多くのことが分かってきました。

「お前ならテロ集団アルカイーダに賛同、もしくは参加するか?」
答えは当然「NO!」です。
しかし、9.11の光景を見て「何故?」の背景が、その後得た知識でわずか数パーセントでも分かってきました。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=814542946&owner_id=3915793
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=594037957&owner_id=3915793

今回の事件の背景にはどのような民族の苦悩があるのか。
自分自身ならその苦悩に堪えられるのか。
ウイグル自治区、東トルキスタン共和国の歴史とは。
自分なりに情報を集めて、今回の紛争をひもときたいと思っています。
何故、そんなやっかいなことを試みるのか?

それは最初に書いたように、火の粉が降りかかった時、強い信念を持って振り払いたいからです。このような民族紛争は今の日本で怒ることはほとんどありませんが、国と民族とはいえ、つき詰めれば人と人の衝突に他なりません。今回の暴動の背景を分析することは、歴史を改めて考察し、欠落していた知識の充実することであり、自分なりの判断を明確にすることになります。そして必ず自分の心を堅固なものし、強い信念の構築になるであろうと考えるからです。
ヘレン・ケラーがおっしゃった<Unlearn>(学び解きほぐす)とは、
こういう意味だと解釈しています。


それでは学んだことを少し紹介したいと思います。

<地理>
 新疆ウイグル自治区の面積165万km²は中国の省・自治区の中で最大であり、中国全土の約1/6を占める。(日本の約4.5倍)ただし、面積の約4分の1は砂漠が占めており、これは中国の砂漠総面積の約3分の2に相当する。総人口は約1,900万人で、その3分の2は漢族以外の少数民族である。また、新疆ウイグル自治区ではロプノール核実験場の付近を中心に、1964年から46回の中国による核実験が行われており、放射能汚染による地域住民の健康状態や、農作物への被害が指摘されている。研究者の推計によると同地域で19万人が死亡しており、健康被害者は129万人とも言われている。中国の人口13億人のうち、漢族は絶対多数の92%を占める。55の少数民族は全体の8%(約1億4000万人)を占めるにすぎない。しかし、わずか8%の少数民族の居住地帯は新疆、チベット、雲南など中国の国土面積(957万平方キロ)の73%に達する。この広大な地域には天然ガス、石油、各種鉱物資源が豊富にあり、中国としては放棄できない地域です。

 これら55の少数民族のうち、中央政府が最も頭を痛めるのは今回大規模な流血事態が起きた新疆ウイグル自治区とその南にあるチベット自治区だ。55の少数民族の中で3番目に人口が多いウイグル族とチベット自治区で人口(267万人)の93%を占めるチベット族は、いずれも「独立」を求めて闘うケースが多く、流血事態を招く「時限爆弾」となっている。

<歴史>
 18世紀、清のジュンガル征服にともなってその支配下に入るに至り、「ムスリムの土地」を意味する「回疆」、「新しい土地」を意味する「新疆」などと清朝側から呼ばれた。19世紀には各地で反清反乱が相継ぎ、ヤクブ・ベクの乱によって清朝の支配は崩れたが、左宗棠により再征服され、1884年に中国内地並の省制がひかれて新疆省となった。

 辛亥革命の後、清朝の版図を引き継いだ中華民国に属しながらも、漢民族の省主席によって半独立的な領域支配が行われた。これに対して1933年と1944年の二度にわたって土着のムスリム(イスラム教徒)によって民族国家東トルキスタン共和国の建国がはかられましたが、国共内戦後の1949年に再び中国の侵略により支配下におかれ、1955年に新疆ウイグル自治区が設置されました。しかし、直後に開始された大躍進政策とその影響による飢饉のため、自治区の経済及び住民生活は大打撃を受け、数千万人ともいわれる、大規模な死者を生み出しました。1962年には、中国共産党による支配に絶望した国境地帯の住民7万人以上がソ連領内に逃亡しました。また、1966年には自治区内に文化大革命が波及し、モスクの破壊や紅衛兵同士の武装闘争により、混乱に拍車がかかりました。

 文化大革命が終結し、言論統制の緩和がなされた1980年代には、ウイグル人住民の中で、新疆における民族自治の拡大や、中華人民共和国からの独立を唱える動きが見られましたが、1989年の天安門事件で中国共産党による自国民虐殺以降、こうした動きは当局の厳しい監視・取り締まりの対象とされています。

 弾圧により独立運動は収まりかけたが、1991年のソ連解体後、中央アジア各国で高まる独立機運の影響を受け、ウイグル人の独立運動は再び活発化した。独立を求める組織、団体は100以上といわれ、爆破工作や要人テロを行う過激グループもあります。

 特に民族対立が深刻化するここ数年、独立派の抵抗は過激化しており、中国政府は平和的な運動を続ける活動家への拘束を含め、取り締まりを徹底する姿勢を明確にしている。これに対し国際社会は、「中国政府は『反テロ』という名目の下で、新疆で激しい人権弾圧を行っている」と批判を繰り返しています。

 新疆ウイグル自治区を中心に暮らすトルコ系民族は、主にイスラム教を信仰し、人口は839万人。漢族の流入に反発し、当局への襲撃事件などが繰り返し伝えられたが、新華社通信は7月6日、140人が死亡、828人が負傷したと伝えた。死傷者数はさらに増える見通し。1949年の建国以来、当局が認めた少数民族の騒乱では最大級の規模とみられる。 
                         (ニュース報道&ウィキペディアを参考)